「アリス、そろそろ起きたら。朝食に間に合わないわよ」
「んー……?」
揺り起こされて目を開くと見慣れない天井が飛び込んできた。そうだ、ホグワーツにいるんだ。身体を起こすとラベンダーがピンクの花飾りかブルーのリボンか悩んでいた。アリスはピンクの花飾りを指差す。
「そうよね、私も本当はこっちがいいと思ってたの……ねぇ早くした方が良さそうよ身支度」
「うん、あー……シャワー浴びる時間ないよね」
「えぇ。顔だけ洗ってきたら?」
アリスは洗面所で自分の有様を確認した。きっと……昨夜ブラッシングしないで寝たからだろう。長い髪の毛がめちゃくちゃになっている。だって昨日はすっごくすごく疲れていて……。
とにかくアリスは慌てて髪をひとつに束ねた。唯一できるヘアアレンジだ。
「ごめんお待たせ……朝ごはん間に合わなかったらどうしよう」
「大丈夫よ。大広間はある程度あいてるらしいの」
階段をおりて談話室に着くと同寮生で賑わっていた。なんだか……昨夜より入学の実感が湧いた。
「おはようラベンダー、アリス」
「おはようパーバティ」
すぐそばのタペストリーを眺めていた女の子に声をかけられる。彼女は昨夜朦朧とした意識の中でも覚えていた。ダークブラウンの肌と髪を持つ美少女で、同じルームメイトだ。
「お寝坊さんみたいね」
「私たちアリスが起きてる間に同寮生の目星までつけちゃってたわ!」
ラベンダーとパーバティはすっかり仲良くなってるみたいだ。
「目星って?」
「かっこいい男の子よ!」
「アリスはいない?」
クスクス笑う二人にアリスは目をパチクリさせる。まだこっちは入学式が夢の中みたいなのに!
「ねぇ、あなたスカートが曲がってるわよ」
「え、どこ?」
ハキハキと聞き覚えのある声に指摘されて振り返ると豊かな栗毛。きっちり制服に身を包み、本を抱えている女の子。この子もルームメイトのハーマイオニー・グレンジャーであることを思い出した。
「ここよ」
突っ立っているアリスにヤキモキしたのかハーマイオニーが世話を焼いてくれた。
「ありがとうハーマイオニー」
「いいのよ。それより貴方たち早く大広間に行った方がいいんじゃない?」
なんでもないように椅子に腰かけて本を開くハーマイオニーに、ラベンダーとパーバティはそうよ!と声を上げた。
「あ、ハーマイオニーは朝ご飯は?」
「私はもう済んでるわ。今は授業前の予習に勤しむつもり。まずは談話室にある本を読もうと思うの。図書館はその次ね」
「えぇと凄いな。頑張って」
アリスはラベンダーに腕を引かれ、ハーマイオニーにそう返事した。大広間に着いてようやく朝食にありつけた三人は初授業の予想で話題は持ち切りだった。
「私、あまり自信ない……教科書を読むの得意じゃないし」
アリスはチーズマカロニをつっつきながら呟いた。
「さっきのハーマイオニーのこと?大丈夫よ、彼女が勉強熱心すぎるだけ」
「そうよ。彼女レイブンクロー生みたいね……でもアリスも勉強が得意そう」
え?アリスは水晶のような瞳をぱちくりさせる。
「賢そうな顔してるもの」
アリスはちょっと居心地悪かった。見かけ倒しだと思われる結果になりそうで。でもそれはそれでしょうがない……。
頑張るぞと意気込んでみたはものの、初手魔法史で気持ちよく眠りこけてしまった。これはアリスだけではなく、皆が眠たげだった。ピンズ先生の話し方は眠たくなる。しっかり授業を受けているのはハーマイオニーとライアン・ボードマンだけだったと思う。
呪文学では基本的な呪文について学んだ。正しい振り方が重要なのだが一切合切上手くいかない。“決められた動作”を“忠実に再現する”難しさったらなかった。頭の中で振ってる自分の動きと、実際の動きにズレがあるような……。ハーマイオニーは完璧にこなしていた。
薬草学は温室でハッフルパフと合同で行われた。スプラウト先生は出席を取り、グループごとに授業で使う植木鉢を用意した。
アリスは植木鉢を受け取ると、スプラウトは人の良さそうな笑顔で声をかける。
「ミス・ディゴリー。会えるのを楽しみにしてましたよ」
「えっ私にですか」 思いがけぬ言葉にアリスは驚いた。
「えぇえぇ、ミスター・ディゴリーから貴方についてよく聞いてます」
「あぁお兄ちゃん……」
「ディゴリーは我が寮の日光です。自身だけではなく、周りに良い影響を与えてくれる人です…植物には光が必要不可欠でしょう」
「えと……はい」
「貴方にも期待してますよミス・ディゴリー」
ふっくらした頬を盛り上げて笑うので、アリスも釣られて笑ってしまう。期待にはなるべく応えたいものだと植木鉢を抱えて作業台へ向かう。
「アリス! 入学式ぶり。隣いいか?」
「ハァイアーニー。どうぞ」
ボートを一緒に乗った以来のアーニーは植木鉢を隣に置き、植物を観察せず快活に話し始めた。
「アリスのお兄さんってセドリック・ディゴリー!?」
「そうだよ、あっそうかぁ。アーニーは談話室とかで見かけるかもね」
「見かけるとかじゃあない」
アーニーは少し興奮してるようだった。
「一目見てすぐ分かったよ…彼、寮の中心的存在だからね。セドリックって凄くイケてるよ! カッコイイし勉強も出来て…僕、呪文学つまづいてたんだけど振り方のコツ教えて貰ったんだ。そしたらたちまち成功して…教えるのも上手いんだもの」
アリスは身内が褒めちぎられるのを無性にむず痒く感じた。しかしこれだけでは終わらなかった。
「なぁ皆、セドリックの妹のアリスだよ」
いつの間にかアーニーの後ろには何人かのハッフルパフ生が集まっていてチラチラこちらを伺っていた。
「……いきなりすみません。僕、ジャスティン・フィンチ=フレッチリーといいます……アリスと呼んでも?」
ジャスティンは握手を求めた。ウェーブがかった髪は綺麗にヘアセットされており、話し方や立ち振る舞いに品を感じた。
「セドリックは僕の憧れの人なんです。魔法界は知らないことばかりで不安に苛まれていたのですが……僕達新入生を手助けしてくれてます」
「あ、そうなの」
アリスはセドリックを入学式以来見かけてすらいない。
「ジャスティン、私にも挨拶させて。ハンナ・アボットよ。アーニーやジャスティンが言ってるとおり。私たちセドリックにいつもお世話になってるの。彼、優しくて…クィディッチの選手だし……それと……妹のあなたの前だけど…」
ハンナはうふふと金髪のおさげを揺らしながら照れ笑いした。
「とってもハンサムだから……皆彼のこと大好きになったの! その……もし良かったらあなたとも仲良くなりたいわ」
「ありがとう。私も仲良くなりたいよ」
兄を崇拝してるらしい同級生に戸惑いはしたが、好意的な態度にアリスも嬉しくなった。その後もスーザン・ボーンズやザガリアス・スミスとも知り合った。
「アリスってセドリックと顔がそっくりね」「きっとアリスもなんでも出来るんだろうな」「薬草の観察方法、参考にしていいですか?」
その後ちょこちょこハッフルパフ生から話しかけられ、アリスは授業後逃げるように温室を後にした。慕ってくれるのは嬉しい。でも彼らの理想と自分にギャップがあるような気がして……アリスは教える立場はおろか、杖の振り方を教わる方なのに。
兄とは違って優等生とは言い難いアリスに予想外な出来事があった。寮監であるマクゴナガル先生が教鞭を執る変身術の授業でだ。
「変身術は、ホグワーツで学ぶ魔法の中で最も複雑で危険なものの一つです。いいかげんな態度で私の授業を受ける生徒は出ていってもらいますし、二度とクラスには入れません。初めから警告しておきます」
マクゴナガルは説教後、難しい理論について板書を始めた。隣のラベンダーが弱々しく声をかけてくる。
「ねぇ……出来る気がしないわ」
「本当に……変身術が難しいって言われる理由がわかったね」
いよいよマッチ棒を針に変える練習だが、皆ノートと見比べっこして杖を振るが結果は奮ってないようだ。アリスもノートの重要箇所を見つけようとするが文字の羅列に頭が痛くなって目を閉じ、一回感覚でやってのけようと決めた。
理論は完璧に理解出来てないが、マッチ棒が針に変わる変化については想像ができる気がする。杖を振るうとなんと、マッチ棒は鋭い針へと変わった!
「わぁ!」
「アリスすごいわ! 一回で成功させるなんて!」
パーバティに褒められてつい、口角を緩ませて喜んでいるとマクゴナガルがアリスの針を見に来た。針を摘むと彼女は顔を顰めた。
「材質が木のままですよ」
「え?」
アリスは針をつついてみると確かに、針の尖った感触はなかった。なんだ…とあっけなく意気消沈した。
「もう一度」
マクゴナガルは出来損ないの針をマッチに戻して寄越した。アリスは落ちた調子を取り戻そうと、真剣に針について想像した。絵を描くように、頭の中で針を描いた。マッチ棒から変化する針を。
杖を振るうとまたマッチ棒はもう一度針に変化した。マクゴナガルが針を摘む。
「よく出来てます。二度目で針に変えるとは」
アリスは針をつっつく。鋭い感覚。自分がやったんだ、信じられない。
「ミス・ディゴリー。どうやら貴方の理論の記述には穴がある様です」
針のように鋭いところを突っ込まれ、アリスはウッと詰まる。
「……ですが、変身術に冴えた才能を感じます。…今後の授業も期待してますよ」
喜んで顔を上げるとマクゴナガルは組み分け以来の微笑みを浮かべていた。期待という言葉が重いものではなく、自身の糧のように思えたのは初めてだった。
魔法薬学の授業は地下牢で行われる。暗く陰気な雰囲気で、アリスは物珍しく観察した。それはスネイプ先生にも言えた。
「このクラスでは、杖を振り回すような馬鹿げたことはやらん。フツフツと沸く大釜、ユラユラと立ち昇る湯気、人の血管の中をはいめぐる液体の繊細な力、心を惑わせ、感覚を狂わせる魔力……この見事さを諸君が真に理解するとは期待しておらん。──だが、我輩がこれまでに教えてきたウスノロたちより諸君がまだましであるというのなら、名声を瓶詰めにし、栄光を醸造し、死にさえ蓋をする方法を伝授しよう」
なんだか言ってることがよく分からなかった。しかし先生の言葉は理解する必要があるだろうなとペンを取ってノートにまとめた。前の男子生徒もスネイプの言葉をメモしているようだ。
「ポッター! アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じたものを加えると何になるか?」
前の男の子は跳ねたように顔を上げ、そして 「分かりません」 と答える。彼がハリー・ポッターなんだ。
「ポッター、もう一つ聞こう。ベゾアール石を見つけてこいといわれたら、どこを探すかね?」
アリスは魔法薬学はかなり苦戦しそうだとノートに慌ててメモをした。授業前に先生に当てられるだなんて。教科書ちょっとは頭に入れておくべきだったなと、隣で手を挙げるハーマイオニーを横目で見る。
ハリーはまた 「分かりません」 と答えた。スネイプは冷たくせせら笑う。
「クラスに来る前に教科書を開いて見ようとは思わなかったわけだな、ポッター、え?」
アリスはようやくこの先生が意地悪で質問してることに気づいた。じゃあいいか、と羽根ペンを机の上に放りクールダウンしようとぼーっと瓶詰めされているカエルを眺めていた。
ああいうのって誰が調達してるんだろう。やっぱりスネイプ先生なのかな。すばしっこいカエルを捕まえるにはあの長いローブは邪魔そうだな。
「──それではおできを治す薬の調合を開始したまえ」
スネイプの声に、はっと空想から意識を取り戻した。意地悪な時間は終わったようだ。ぼーっとしていてもアリスは傍から見ればその容姿のお陰で、スネイプの質問について思案しているようにも見えるので無意識に見た目に救われていた。
薬の調合が始まり、アリスはハーマイオニーと組んだ。スネイプの問題分かるなんて凄いね、と声をかけたかったが恐ろしいほど張り詰めた授業の雰囲気に、流石のアリスも口を閉ざした。
スネイプがマルフォイ──汽車で途中話した子だ──の角ナメクジの茹で加減を褒めた時、突如隣から煙がモクモク上がる。
ムッと鼻につく匂いが辺りを立ち込める。
「う、なに?」
「ネビルがシェーマスの鍋を溶かしたんだ! 近づくと危ないぞ」
近くにいたディーン・トーマスが指差す。後ろを見るとシェーマスの鍋は原型は保っておらず、液体はシュウシュウ煙を立てて床にこぼれているので、皆は椅子の上に避難している。当事者のネビルはというと、おできまみれにはなっておらず、何故かライアン・ボードマン、あの怖い顔の彼に胸ぐらを掴まれていた。
「馬鹿者!!」
スネイプがこちらへ来たので慌てて鍋に戻る。
「大丈夫かな。スネイプ先生にたんまり怒られるよ」
「スネイプもヤバイけどあいつもヤバイって。見たろ? ライアン・ボードマン。さっきネビルの首絞めてたぜ。俺にかかったらどうしてくれんだよっていうことだな」
「首なんか締めてた?それよりもどっちかというと……」
アリスはちらりと現場に視線をやる。スネイプは鍋を始末しながらネビルと何故かハリーからも減点をする。可哀想に。ライアン・ボードマンは目をギラつかせながら提出用に調合を続けている。一緒に組んでいたスリザリンの子はビクビクしながら彼を伺っている。他寮の子にも彼は怖がられているようだ……。
アリスは彼との初対面の印象と、先程の彼の行動。周りの評判とのギャップに違和感をずっと覚えていた。
授業終了後──ハーマイオニーと組んだので魔法薬の結果は上々だろうが、アリスは自分に魔法薬学の才能が無いことに初回の授業で気づき始める──地下牢の階段をのぼる先にハリー・ポッターとロン・ウィーズリーを見つけた。
「ねぇ、あのさ」
声をかけると二人は振り向く。
「あっ! アリス・ディゴリー……」
「ロン久しぶり。えーと何年ぶりかな……」
うっかり口から溢れ出たというようなロンにアリスは苦笑いした。
「二人は知り合いなの?」
「あーウン、ご近所なんだ」
「一、二回会ったよねー、確か」
アリスの言い方にハリーは笑った。ジョークのつもりではないが、アリスの抜けた話し方がそう思われたらしい。
「あぁアリスってこういう子だったよ」
「ハハハ、ロンと同じ寮になれるなんてね」
「こっちの台詞だね」
ロンの片唇あげる笑い方にアリスはごもっともだと肩を竦め、ハリーに体を向ける。
「ロンの近所の…オッタリー・セント・キャッチポールに住んでるアリス・ディゴリーだよ」
「よろしくねアリス。僕はハリー・ポッター」
「うん……失礼だけどハリーってスネイプ先生に何かしたの?」
まさか!ハリーは憤慨した。
「全くもって! 初対面だよ。なのに……」
「そうだよね。ハリーは《フツフツと沸く大釜、ユラユラと立ち昇る湯気……》のくだりからメモしてたから」
「え? なに?」
アリスが空でスネイプのような文言を話すのでハリーとロンは顔を顰めた。
「ハリーへの問題前にスネイプ先生が言ってた言葉だよ……ハリーは真面目に授業受けてたのになぁ。でもね、ハーマイオニーに聞いたらそこは別に重要じゃないみたい。けどちょっと声に出してみたい気もしない? それもあって私もメモしてたの。でも大事なのは問題の回答だったみたいだね。私そこはメモし損ねちゃった、いつかノート貸してくれる? あーじゃあ不思議だね、スネイプ先生なんで意地悪しちゃうんだろう? どうして先生なのに1年生に意地悪を? 減点は気にしなくていいよ。うーんそれにしてもなんの意味があるんだろなぁ……」
アリスは頭の中、思いつくまま好き勝手話して 「あ、時間とってごめん。じゃあね」 と去っていった。ハリーとロンはちょっと呆気にとられた。
「なんか……見た目と違って……ちょっと不思議な子なんだね」
「あぁ本当に思い出した。アリスってあぁいう子だった…」
ロンは昔を思い出した。アリスはすっごく変な訳では無いが、見た目とのギャップも相まってちょっと、どこか、僅かに、人とはズレている子だった。
「アリス! やっと会えた」
「お兄ちゃん」
柔和な笑みを浮かべたセドリックがこちらへ駆け寄る。
「なかなかアリスを見つけられなくて遅くなっちゃったね……改めて入学おめでとう」
「遅いって……まだ入学して二、三日じゃん」
中央ホールの踊り場は人通りが多く、ディゴリー兄妹へ興味深そうな視線が刺さる。
「アーニー達から話を聞いてるよ。友達になったって。それに薬草の観察方法が上手いんだね」
「えー……それはアーニー達が盛って話してるだけ……私は……」
これは本当にそうだった。特別アリスは秀でていない。なんなら苦手に思える教科が多かった…。優秀と呼ばれるのは授業中加点を稼ぐハーマイオニーや、きっとセドリックみたいな人だろうが、アリスは違った。
気にしてる訳じゃないけれど、なんだかこう言葉にして出すと言い得ぬ不安感や失望が顔を出しそうでアリスは兄の顔ではなく、革靴のつま先を眺めていた。
「……アリス、寮が離れたけれどなんでも相談してね」
「えーうん……でも同じ寮の人に聞くし……」
胸中を察せられたと気づいたアリスはつい強がってしまった。
「……そっか、でも何かあったらいつでも手紙ちょうだい。待ってるよ」
「……うん」
午後はこれ以上授業は入ってないが、授業の準備があるからとその場を後にした。お兄ちゃんに悪い言い方したかもしれない、と後ろめたさを感じる。何故か兄を前にすると可愛くなくなってしまうのだった。
アリスは兄にだけに当たってしまう複雑な気持ちに嫌気が差した。