雨が大雪に変わったので今日の薬草学は中止になった。アリスは授業後、セドリックに天文学のレポート相談をする予定だったので待ち合わせ場所の図書館に一足早く到着していた。星図と占星盤を見比べっこしながら羊皮紙に天体の高度をメモしていると、雪が降り積もる音に混ざって、本棚の向こうから聞き覚えのある複数の囁き声が聞こえてくる。ハッフルパフのアーニー達の声だ。
「アーニー、あなた、絶対にポッターだって思ってるの?」 これはハンナだ。
「彼はパーセルマウスだぜ。それは闇の魔法使いの印だって、みんなが知ってる。ヘビと話ができるまともな魔法使いなんて、聞いたことがあるかい? スリザリン自身のことを、みんなが『蛇舌』って呼んでたぐらいなんだ」
皆の怖々した囁き声は段々大きくなって、本棚の向こうのアリスにも容易に聞き取れるようになってきた。頭の中にライアンとハーマイオニーが現れて「そんな不確実な」「パーセルマウス全員が継承者だったのか照らし合わせてからでもいい」と、予想と事実のすり合わせ討論が始まった。
「でも、ポッターが『例のあの人』を消したのよ。そんなに悪人であるはずがないわ。どう?」
ハンナも納得できない様子で更に言葉を続けた。
「ポッターが『例のあの人』に襲われてもどうやって生き残ったのか、誰も知らないんだ。ほんの赤ん坊が呪いを受けても生き残ることができるのは、本当に強力な『闇の魔法使い』だけだよ」
アーニーは声は潜めた。「だからこそ、『例のあの人』が初めっから彼を殺したかったんだ。闇の帝王がもう一人いて、競争になるのがいやだったんだ。ポッターのやつ、いったいほかにどんな力を隠してるんだろう?」
「──やぁ。僕、ジャスティン・フィンチ‐フレッチリーを探してるんだけど」
ハリーの声だ。ハリーがこの場にいて、アリスと同じくこの会話を聞いていたのだ!
「あ、あいつに何の用なんだ」
噂の本人登場にアーミーは声が震えていた。
「決闘クラブでのヘビのことだけど、ほんとは何が起こったのか、彼に話したいんだよ」
「君は蛇語を話して、そしてヘビをジャスティンのほうに追い立てた!」
「追い立てたりしてない!」
アリスはハリーがこんなに感情を乱して怒鳴り声をあげているのを初めて聞いた。アリスの知ってるハリーは、同級生の男の子たちよりも感情をコントロール出来る、落ち着いた男の子だ。声を荒げるだなんて。
「もう少しってとこだったじゃないか。言っとくけど、僕の家系は九代前までさかのぼれる魔女と魔法使いの純血家系で……」
「君がどんな血だろうとかまうもんか! なんで僕がマグル生まれの者を襲う必要がある?」
「君が一緒に暮らしているマグルを憎んでるって聞いたよ」
「ダーズリーたちと一緒に暮らしていたら、憎まないでいられるもんか。できるものなら、君がやってみればいいんだ!」
ハリーは怒声を上げて図書館から出ていった。
「……どうしよう、彼が聞いていただなんて」
「冗談じゃない!これでポッターに目を付けられた!」
ハッフルパフ生は逃げるように本棚の陰から這い出てきて、机に向かっているアリスの前に飛び出てくる。アーニーはアリスに気付くと真っ白な顔で両肩をつかんできた。
「アリス! さっきの話を聞いていたんだろう!? 頼むよ、ポッターに僕を狙わないよう伝えてくれ!」
「聞いてたよ。聞いてたうえで一言言わせてもらうけれどハリーは継承者じゃない……」
ハンナは眉を下げて尋ねた。「やっぱりアリスから見てそう思う?」
「バカ言うなよ」 アーニーは強くアリスの両肩を揺らす。「あいつの鬼気迫る様子見ただろう?普段の振る舞いは仮なんだ」
「アーニーは普段の彼を知らないのに」アリスは掴まれた手を振りほどいた。
「皆がハリーをあそこまで怒らせるような失礼なこと言ったの。本気でハリーが継承者だって思ってる? まだ私たちと同じ二年生のハリーが?」
「それは……」スーザンがばつの悪そうな顔をする。
「きっと継承者だから想像できない力を持っているのさ」
アーニーはアリスとは根本からずれた主張を繰り返すので、意見が交わることはなさそうだとアリスは悟った。
「ミセスノリスが被害にあったとき、ハリーはロンとハーマイオニーと絶命日パーティーに参加したって言ってた。それと並行で石にさせて、あの壁いっぱいに血で文字を書いたっていうの?コリンの時は入院してた。無茶だね」
「ボードマンが手伝ったんだ」ハッフルパフの誰かの突拍子もない発言にアリスは口を閉ざした。
「継承者のポッターの手伝いをしているんだアイツは。スリザリンの継承者の信奉者だからだ」
ずっと黙っていたザガリアス・スミスが痩せた指で金髪の癖っ毛のかかった、こめかみを揉む。
「なんでそう思う?」アリスは尋ねた。
「ボードマンがグリフィンドールに組み分けされたの不思議じゃなかった? あんなにスリザリンくさい顔したヤツいないのに」
「不思議じゃない」思わず苦笑してしまう。
「聞けよ。それも理由が分かった。継承者がグリフィンドールに組み分けされたからヤツもグリフィンドールに入れてもらうように帽子に頼みこんだに違いない」
荒唐無稽の推理にアリスの諭すような表情がピクピク、強張っていった。
「そんな人たちじゃない」
「どんな人たちに見えているか分からないけどさ、」
ザガリアス・スミスはアリスに向き合った。
「アリス、ボードマンと距離を置けよ 君が純血といっても、何をされるかわかったもんじゃないぞ。僕たちが親しくなりたくって君に近づいたらアイツ蛇のように睨むだろう……」
「それは心配してくれてるの!」
「僕らの何が心配なんだ!? ハッフルパフは闇の魔法使いが最も少ない平和的な寮だっていうのに!」
これにはハッフルパフ皆が頷いた。
「アリスがセドリックの妹だからこうして注意してあげているんだ」これは善意で言ってあげているんだよ、と顔にはそう、まざまざと書いてあった。
アリスは押し黙った。深く、傷付いた。
「憶測で私の友達を悪く言わないで」
絞りだした声で断るアリスに、これ以上は話にならないと、首を振って、男の子たちは足早に去っていく。ハンナやスーザンは後ろめたそうにアリスに視線をやりつつ彼らのあとを追っていった。
アリスはドッと疲れて椅子に座り込む。目の前の課題を眺めていても今は集中できそうもなくって、暫くして遠くからこちらを探すセドリックが目に映り、申し訳なさを覚えた。
「どうしたの? しんどい?」
セドリックは席に着くや否やアリスの様子にすぐ、気遣しげに尋ねた。
「アーニー達、ハリーが継承者だって思ってるみたい……ライアンもそれを手伝ってるって。……ねぇ、お兄ちゃんから違うって言って! お兄ちゃんの言葉なら皆、納得するもの。私じゃ無理だから……」言葉尻を濁してアリスは悲願する。
「……無理だと思うの?」
「無理だよ、だって私なんか……私は……」
お兄ちゃんと違って彼らから信頼されていないし、私には説得力もない。アリスじゃ彼らの心を動かすことは出来ない。私が、セドリックの妹だから仲良くしてくるだけ……。
アリスの隠れた劣等感を兄に告白するのは強烈な羞恥心がそれを覆ってしまい、口には出すことは出来なかった。
「ねぇお兄ちゃんお願い」
「……うん、分かったよ。僕も下級生への気遣いが欠けていたから。皆不安なのに」
アリスは恨み言を吐き出したくなった。ずっとここ最近、いや、入学してからおなかの底に溜まっていたよろしくない感情が顔を覗かせた。
「ホグワーツって本当に噂好きだよ。それに平気で人に傷つくことを言える人ばっかり!」
「アリス、それで疲れていたんだね」
「だって……悪口は良くないことだもん。パパとママも言ってた──「"人の良いところを見よ"」」
アリスとセドリックの声が重なった。
「……"欠点に目を向けるより、長所を探す習慣"を。僕も入学してからずっと、これは大切なことだって考えているよ」
「でも、分かっていても……」
「そう、これは
お兄ちゃんも悪口を言いたくなるのを我慢している?
ポカンとするアリスを見てセドリックは小さく笑う。
「父さんも母さんもとても難しいことを教えてくれたんだよ。人を許せる大きな器が必要なんだ……相手に何か言われても耐え忍んで、自分を律することのできる精神も」
そんなの……聖人君主じゃあるまいし。できっこない。
「ちょっと待ってて。ここにもあるはず」
セドリックは席を立ち、何かを探しに行った。少しして本を一冊携えて帰ってきた。
「あった……これは僕が12歳の誕生日プレゼントに、父さんと母さんから貰った本なんだ」
「『Little Lord Fauntleroy』……これはマグルの本?」
「そう、百年くらい昔の本だよ。ページをめくってみて」
パラパラ捲って活字を眺めると見知った名前が飛び込んできた。
「主人公の男の子、セドリックって名前なの? "セディ"って呼ばれてる!」
「そう、僕の名前の由来らしいんだ」
「本当に? 初めて聞いた……」
「うん──彼は、見返りを求めない、純真で思いやりのある子なんだ。僕も読んでいて彼が好きになった。そして嬉しかったんだ。父さんと母さんが期待をして、付けてくれたこの名前がね」
セドリックは本を撫でた。
「僕もアリスみたいに沢山の人と関わって同じように悩んだ。でも、この本を知って家族からの期待になら応えたくなった、分かるよね? 父さんと母さんからの期待は重荷じゃなくって──"愛されている"って気づける」
「うん……私、考えすぎちゃうときもあるけれど、パパもママもどんな私でも応援してくれるって知ってる……」
兄の手が本から、アリスの手に移る。暖かくって冬の冷えた空気に晒されたアリスの手がじんわり柔らかくなっていく。
「アリスも自分の名前の由来を聞いてみるといいよ。僕はそれがすごく支えになったんだ」
アリスと同じ、兄の煙水晶のような透き通ったグレーアイが柔らかく弧を描いた。
「でもね……世の中には、ただ我慢すればいいわけじゃない時もあるんだ。自分が本当に守りたいものがあるとき──そのときは勇気を出して言い返すことが必要になる。
それがアリスにはできる。だからグリフィンドールに選ばれたんだと思うよ。アリスの強さは、ただ耐えることだけじゃなくて、必要なときに声を上げられることなんだ。──それはハッフルパフの僕には少し足りない部分かもしれないね」
アリスの目が揺れた。
「……私の強さ?」
セドリックは穏やかに微笑む。
「うん、アリスの強さに気付いてくれる……本当にアリスを大切に思う友達は、ちゃんと残るから。だから焦らなくていいんだ」
アリスは目の奥がじわっとあたたかいものが零れそうになってサッと下を向いた。そして、顔を上げる。
「ありがとうお兄ちゃん……」
ちょっと気恥しいけれど嬉しくって、感謝の言葉が出た。
脳裏にライアンやハリー、ハーマイオニーが現れて、マルフォイやスリザリンの子たち、ザビニも出てきた。ハッフルパフの子も……。お兄ちゃんも悩んでいた時期があったんだ。それだけでアリスはなんだか救われた気がした。
図書館から出ると廊下は騒がしかった。
「──聞いた? あっちの廊下だって──」
「──これで何人目? ゴーストも犠牲に合うなんて──」
生徒たちはバタバタと目の前を通り過ぎていく。
「何があったんだろう」
「向こうの廊下に向かってたね」
アリスとセドリックも噂の廊下へ行ってみると、人だかりができていた。
「襲われた! 襲われた! またまた襲われた! 生きてても死んでても、みんな危ないぞ! 命からがら逃げろ!おーそーわーれーたー!」
ピーブズが喚き散らしている。つま先立ちで輪の中心を覗き込むと、そこには石になったジャスティンと黒く煤けてしまったほとんど首無しニック。そしてそれを目の前に座り込むハリーの姿だった。
「現行犯だ!」アーニーが慌てて走り寄ってハリーを芝居じみた動きで指差して吠えた。
「アーニー!」
アリスは咎めるような視線を送り、ハリーの元へ駆け寄ると周囲の輪はサアッと捌けて遠巻きに怖々と眺めた。
「アリス……僕、やってない……」
「うん」
アリスの返答にハリーは安心したように息を漏らした。緊張と不安でずっと息を止めていたようだった。
「その子に触るのよしなさいよセドリック」
「そうよ、石化の呪いがあなたにもうつるかも……」
大人数がひしめく中、石になったジャスティンは蹴とばされそうになっていたのでセドリックは隅に寄せていたところ女子生徒から声をかけられる。生徒たちの中には犠牲者ですら”呪いがうつる”とむやみやたらに怖がる者も多かった。
「ジャスティンは僕らの寮の仲間だ──先生を呼んできてくれるかい?」
セドリックはジャスティンから視線を外してハッフルパフの女子生徒たちに向ける。
「わ、わかったわ……」
「ありがとう、助かるよ」
「とんでもないわ──ねぇ」
「え、えぇ!」
セドリックに礼を言われて女子生徒たちは気まずそうに……少し浮足立つ様子で先生を呼びに行く。
連れられて事態を把握したマクゴナガルは混乱を抑えるために各自の寮や教室に戻るように生徒たちに呼びかけた。ハリーはアリスと一緒に帰ることはできなかった。マクゴナガル先生にどこかへ連れられてしまったのだ。どうしてこんなにもタイミングが悪いのだろう。悲壮感に満ちた顔の彼に同情した。
生徒たちは人間のみならず、ゴーストまで危害を加えられるだなんてどんな力を持っているのだろうと震え、皆クリスマス休暇のホグワーツ特急の予約に集中した。アリスも居残りをするライアンを自宅にまた招こうとしたが断られた。絶対、アリスのパパもママもライアンが来てくれるのを喜んでくれるのに……と説いても「家族団欒の邪魔になる」と聞かなくって、そんなことないのに、と少し寂しかった……。
皆、継承者はハリーで間違いないとして、彼が廊下を通るだけで目を合わせないように避けて通った。フレッドとジョージだけはハリーを恭しく”邪悪な魔法使い”として丁重にはからった。
「パーシーどけよ、ハリー様ははやくいかねばならぬ」
この双子のジョークには思わずクク、と吹きだしてしまったアリスは、パーシーから叱咤するような視線を貰ってしまった。パーシーはこの双子の悪ノリを監督生として辞めさせる必要があった。
「ホラ見ろかなりウケてる」
「相棒、アリスは信奉者だからなんだって笑えるのさ」
「笑い事じゃなかった」
アリスが咳払いして双子を小突く様子を見ていたハリーが「怖がられるよりもまだ笑ってくれた方がマシさ」と自嘲気味に笑った。双子がニンニクの束でハリーを追い払っていたらいよいよ、ジニーが涙目になったのでアリスは慌てて双子からニンニクの束をぶんどった。ケタケタ笑いながら去っていく双子を尻目にジニーを伺う。彼女は以前より顔色が悪くって、辛そうな顔でスンスン鼻を鳴らしていた。
「さっきのはやり過ぎだって双子に伝えとくよ」
「わ、私……ハリーが……でも……どうしたら……」
ジニーはえづきながら支離滅裂に言葉を詰まらせた。好きな人があのような噂の的になるのがきっと堪えられないのだろう。
「ジニーがハリーを励ませばいいよ。ここにハリーを信じている人がいるって」
アリスの言葉にジニーは顔を上げる。
「どうすればいいの……? 私、話しかけることも無理だわ……」
「えっと……あ、私はハリーの試合の時応援旗を作ってるの。一声かけるのが難しいなら手紙とか、何か別の形でもいいんじゃない?」
「……」
ジニーは鼻をすするのはやめて、ちょっと考えているみたいだった。
「ほら、ジニーっていつも手帳に何か書いているでしょう?文章書くのが上手なんじゃない?」
「そんなんじゃないわ!」
くってかかるような返事にアリスはたじろぐ。ジニーは自分の態度に直ぐに気づいて「ごめんなさい」と謝った。
「……心のこもったものなら何でもハリーは喜んでくれると思うよ」
「ありがとうアリス……少し考えてみる」
ジニーはやっと小さく笑ったのでホッとして彼女を気遣う。
「ジニー寝れてる? ご飯は? パーシーが心配してたよ。これ、作ったから食べてね」
アリスは最近作ったチョコレートバーをいくつもジーニーに持たせた。彼女はちっちゃい口で齧ったが、やっぱり食欲はないようだった。