「じゃあねライアン、良いクリスマスを。気を付けてね」
「おー」
昨年と同じ光景で、城の玄関前でライアンは家に帰るアリスを見送った。気懸りのようでチラチラ伺う彼女が意外と心配性だと思い、手を振る。馬車が出発してそれも見えなくなると、静かな城に戻った。生徒はほとんど家に帰っていて各寮数名しか残っていない。
「君は帰らないのかね?」
「あぁ」
城の壁にかかっている絵が話しかけてくるのを無愛想に返す。ライアンの返事は人間相手でも肖像画相手でもゴースト相手でもこれがデフォルトだ。
ホグワーツが、普段よりもさらに広大に感じられる。石造りの廊下にはほとんど足音がなく、甲冑の影だけが灯りに揺れている。大広間に入れば、天井には雪が静かに舞い降り、巨大なツリーがきらびやかに並んでいた。煌めきはあるのに、そこに響くはずの生徒たちの笑い声も、歌声もなかった。
静けさは嫌いじゃない。むしろ、彼はマグルの世界にいたときから、にぎやかさよりも一人でいる時間の方に慣れていた。
「マグルの街は、冬になるとイルミネーションと人でいっぱいだったな」
街を歩く家族連れの姿や、店先から流れるクリスマスソングがよみがえる。あれは、決して好きな思い出ばかりじゃなかったけれど、今思えば"人の気配"という温度に満ちていたのだ。
「ライアン! 夕食はまだだぞ?」
「向こうですごいもん見せてやる。爆発スナップさ」
いきなり騒がしい声が大広間に響いた。ウィーズリーの双子だ。返事をする前に「来いよ! 寮に集合だ」と快活な声がまた飛んでくる。ライアンは静かなクリスマスツリーをもう一度振り返り、双子の後をついていった。
今年のクリスマスもツリー用にアリスはジンジャークッキーをこさえて、シェリルの趣味の新しいオーナメントはミニチュアのディゴリー家でとても可愛らしかった。陽の光色の木と石で作られたちっちゃな家は、ツリーのきらびやかな光に灯されると本物同様に家の中から暖かな光がこぼれているようだった。
アリスも今年からクリスマスプディング作りに混ざれるようになり、出来上がりは上々だ。来年はもっと完成度を高めたい。七面鳥、ローストポテト、ミンスパイ……スパイスを加え軽く煮出した温かいモルドワインも一緒にいただいたらホグワーツの喧騒も嘘のように、夢心地な気分に浸れた。
アリスは暖炉前の肘掛け椅子に身体を埋めていた。ここはアリスの特等席だ。高さのあるこの椅子は大人用で、昔からよじ登ってアリスの座高の何倍もある長い背もたれに背中を預け、高くなった視界でリビングルームを見渡していたものだ。アリスはクリスマスカードを暖炉の光に照らしてしげしげと眺める。白地にオーロラのような真珠光沢を放つ上質紙。角には細くプラチナ箔が縁取られていて凝ったカード──ナルシッサがシェリルに贈ってくれたものだ。気を配ってくれたのか、宛名にはアリスの名前まで書いてくれていた。
「彼女からクリスマスカードが贈られるのはこれで二度目だわね」
シェリルが紅茶を暖炉前のテーブルに準備する。
「前みたいにお菓子を添えてカードを送ったけれど気に入ってくれたかしら」
母は今は留守にしているディゴリー家のフクロウ──エアロの鳥籠を眺めた。「エアロが帰ってきたらオヤツあげなくっちゃ」
「ママはマルフォイ夫人と友達ではないでしょう?」
「そうねぇ……」
シェリルは考えるフリをして紅茶を口にする。
「アリスはドラコくんと友達じゃないでしょう?」
「え? まぁ──」
夏休みのあの一瞬で関係を悟られていたみたいでアリスは苦笑した。
「マルフォイは私と友達にはなりたくないと思うよ。私のこと嫌ってるもの」
「アリスも嫌いなの?」
「嫌い? うーん……あの子、有り得ないくらい酷いこと言うけれど嫌いになりきれない、のかも。ウンザリすること多いけれど、いいなって思うときも、とーーきどきあるから」
「人はいつも悪い子じゃないし、いつもいい子ばかりじゃないわね」
「そう……だね」
アリスはクリスマスカードをしまった。
「ねぇお兄ちゃんから聞いたの。私にも名前の由来ってある?」
「もちろんよアリス。聞いてくれて嬉しい」
シェリルは暖炉の上にある、アリスが生まれたばかりの頃の写真立てを手に取った。──少し話が長くなるかもな、とアリスは予想した。
「──アリスという名前はね、高貴な人になりますようにって願いを込めたの」
「こ、高貴?」
自分と正反対に位置するような人間像に思わず目を見開いた。シェリルは小さく笑う。
「高貴というのは血筋や肩書だけじゃないの。本来は人間性の高さだったり、心のあり方を表すものよ。人を思いやる心、公平さ、誠実さ。そうした徳が”高貴さ”を形づくるわ。
──感情に流されず、自分を律する姿勢。自分の力や立場を誇示せず、人を見下さない……そんな高貴な子になりますようにって名付けたの」
シェリルの慈しみに溢れた眼差しは写真立てから、アリスに向けられた。大事そうにそれをまた暖炉の上に戻して、肘掛け椅子に腰かける愛娘の頬に手を差し伸べるとゆっくり優しく撫でた。
「アリスは高貴な子よ、私は誇らしいの。あなたの真っすぐな心がきっと、友達との関係もいつかいい形に育っていくんだと思うわ。私がそうだったもの」
「ママ……」
柔らかい頬が薔薇色に色づく。
希望的なその名前を、素直なアリスはすんなり受け入れ、もっと好きになった。
背後でバサバサ羽根の音が聞こえる。扉が開いて床板を踏む足音も。
「あら、エアロが帰ってきたわ。エイモスもセドもね」
「随分外が積もっていたよ」
昨晩屋根に積もり過ぎた雪をエイモスは魔法で払っていて、セドリックもその手伝いをしに外へちょっと出ていたのだ。
「お兄ちゃん、私も教えてもらったの。名前の由来」
「どうだった? 僕にも教えてよ」
「シェリル!私からも伝えたかった……! だって名前は子供たちに初めて私らから授けたプレゼントじゃないか」
「あら、セドリックの時はあなたが話しましたでしょ」
悔しそうな顔をするエイモスの恨み節を聞き流すようにシェリルは彼らへの紅茶を注ぎ直す。エイモスは気にせずもう一度自分からも説明したいらしく子どもたちが苦笑した。
「セドリックは、私の母が愛していた本の主人公からもらったんだ──明朗で純粋な善意を持ち、いつまでも健康でいれますようにと……恥ずかしながらこの”セドリック”のような出来た人間じゃなかった私に……まさかこんな素晴らしい息子を持てるだなんて……そして我が愛しい天使のアリスは……」
「もうママから聞いたからいいよ」
家族は吹きだして笑った。”自由で軽やかな”と名付けられたエアロは、その名のとおり、セドリックからフクロウフーズを貰うと、自由気ままに背中を向けて眠りこけるのであった。
今朝は珍しく目覚めが遅かった。ライアンは普段、ルームメイトの中で一番の早起きだ。クリスマスの休日はプレゼントを早く開けたくって早起きする同級生もいるが──早朝にハーマイオニーがハリーとロンを起こしに男子部屋に来た。クリスマスの朝が余程楽しみだったのだろうか──ライアンは特段早起きはしなかった。ようやくベッドから這い出て、スウェットを脱いでシャワーを浴びて、髪をセットして。モヘアカーディガンと色落ちしたリーバイス501、いつものコンバースを選んでベッドメイキングを済ませ、ネビルと共同で育てている植物に霧吹きし──こうして朝のルーティーンを終えてようやく談話室にあるプレゼントを見に行った。
グリフィンドールの居残り生徒は既に皆プレゼントは開封済みらしく、ライアン宛てだけツリーの下に残っていた。昨年よりもいくつか多いような気がする。変わらず、ネビルからは祖母が譲ってくれたと言っていた魔法植物キット。ディーンは贔屓にしているサッカーチームのホームユニフォーム。『今季のアーセナルはアウェイユニフォームの方が僕は好きだったね』とクリスマスメッセージ付きだ。シェーマスやハリー、ロンからはクィディッチのグッズやライアンが好きなガム。ハーマイオニーは書き心地のよさそうな羽根ペンとメモ帳だ。
プレゼントの中で一際ファンシーな紙袋が目につく。脳裏に、クリスマス前に贈っていいかと声をかけられたのを思い出した──ブラウンとパチルだ。予想は当たっていて、中身は『竪琴奏者ハーパーとホイットモア夫人の駆け落ち物語』……。恋愛小説だ。ピカピカなラメ付きの表紙が女性向けすぎて、人が多いところでの読書は憚られる。なので、次のプレゼントはありがたかった。
セドリックからは皮のブックカバーで、落ち着いたブラウンのシンプルだけど長く使えそうだ。魔法がかかっていてどんなサイズの本でもピッタリ拡大縮小される。アリスからは四季折々の花や草を封じ込めた手作りの栞で、夏に見たヤロウの小花もあり様々なハーブの香りが鼻をくすぐる。リボンまで凝った手作りだ。あとは彼女の手作りお菓子の詰め合わせ。アリスは多趣味で何かを唐突に始めて気づけば飽きているような子だが──シェーマスと壁のぼりサークルを発足していたが数カ月で幽霊部員になった──けれど、こういった手作り系は案外長続きしているのだった。
自分からはマグカップを贈った。アリスがお気に入りのマグでいっぱいココアを飲みたがっていたので、大きい保温付きのものをふくろう通販で取り寄せたものだ。それとリクエストされたハンドメイドネックレス──あれからライアンの方が"アクセサリー屋さん"になってしまって今や手順を確認せずとも作れる。準備中から今日を迎えるまで気に入ってくれるかだけが気懸りだ。
賑やかなプレゼントの中に一枚、異質なものがあった。異質であり、ライアンにとっては馴染み深いもの。スマイソン──英国の高級ステーショナリーブランド──で購入されたクリスマスカードだ。表面にはエンボス加工で“Merry Christmas”とだけ書かれている、洗練されたデザインだがビジネスライクなもの。息子へ贈るカードにしてはちぐはぐで、きっと金融街勤務の父親がクライアントへの贈答品ついでに、ボンドストリート辺りで調達してきたものだろうと容易に想像ができた。開くと、『口座に今シーズンの"プレゼント"を振り込んだ』と一言。相変わらずだ。
クリスマスは貰った本を読んでみたり──恋愛小説は悪くなかった。マグルの世界ではロマンス映画も何作か見た記憶もある──温室を覗いてスプラウト先生とマンドレイクの経過観察をしたり、ハグリッドの小屋前のファングに会いに行ったりしていると気づけばディナーの時間だ。ダンブルドアが自ら指揮をしたクリスマス・キャロルはマグル生まれのライアンも知っていた。食事中はウィーズリーの双子がパーシーの監督生バッチを“劣等生バッチ”に変える悪戯で賑やかだった。人数は少ないが今年も人と食卓を囲むクリスマスを過ごした。アリスもクリスマスをホグワーツで過ごしたがっていたので、来年は一緒にいれるといいのに、と大広間のツリーを見上げた。
チラホラ大広間から人がはけていき、ライアンも食事を終えて席を立つ。廊下にある音楽団の絵画がクリスマスだからと無理やりライアンの足を止めさせてチェロ協奏曲を三つ聴かせた。音楽鑑賞後、ライアンはさっさと談話室に戻ろうとしたところで、曲がり角で誰かと鉢合わせた。休日の装いの上にスリザリンローブを羽織ったマルフォイだった。
「こんな時間にひとりか? 可愛い相棒がいなくって寂しそうじゃないか?」
ライアンはポケットに手を突っ込み、肩をすくめるだけで返さない。ドラコは唇の端を吊り上げ、わざとらしく声を落とした。
「今からでもマグルの世界に逃げたらどうだ? 今夜は的が少ないから継承者も選ぶのが楽だ」
「へえ、親切なこったな」
ライアンは肩を揺らして、短く返す。
「お前のデカい相棒二人もきっと寂しい思いしてるぜ」
そう言い捨て、すれ違おうとしたその時だった。
重い足音が近づいてくる。マルフォイのデカい相棒二人、クラッブとゴイルが現れた。
「アー……」
「……待たせた?」
二人のどこか妙に間の抜けた声。けれどもドラコは特に疑問を持たなかったようだ。
「おまえたち、こんなところにいたのか」ドラコがいつもどおり気取った言い方をした。
「二人とも、今まで大広間でバカ食いしていたのか? ずっと探していたんだ。すごくおもしろい物を見せてやろうと思って」
クラッブとゴイルから視線を感じてライアンは二人をじっと見返すと彼らは直ぐに目をそらす。いつもの下品な薄笑いはそこにはなく、その奥に、なぜか敵意でもない、不自然な緊張が光った。
「……?」
だが次の瞬間、ドラコの声がその違和感を打ち消した。
「さあ、用は済んだ。行くぞ! ──最後のクリスマスにならないよう祈っておくんだなボードマン」
ドラコは三人を従えて石造りの階段を下りていく。静けさを取り戻した廊下でライアンは背中を見送りながら、首をひねったがこれ以上誰かに絡まれるのは面倒だと歩く足を再び何者かが呼び止めた。
「おぉい、黄銅の燭台頭の君、三階で今から寸劇をするのさ。観にきなさい」
「またかよ」
自分の金髪を黄銅の燭台扱い呼ばわりしたのは先ほどの音楽団員(肖像画)だった。断りたかったが「今年は生徒が少ないので観客がいない」と文句を言われるとあしらいずらい。仕方がなく、絵の中を移動するチェロ弾きの後を追って三階に着くとどこからか少女の甲高いカラカラ笑い声が聞こえてくる……。近づいてみると声は女子トイレからだとわかり、ライアンは引き返そうとしたが笑い声に混じって聞きなれた声に気付く。
「あぁどうしよう……グスッ 解毒薬の調合が必要だわ!」
「ハーマイオニー?」
「……ライアン?」
ハッと彼女の息をのむ声が聞こえる。
「泣いてる? 何かあった?」
トイレの入り口に少し近づいて遠慮がちに尋ねる。この状況は去年のハロウィーンを思い出した。
「その……」
奥から聞こえてきたハーマイオニーの困り果てた声が、あの甲高い声によってかき消される。
「オオ~大変なんだから!」
少女のゴーストが入り口近くの手洗い場てっぺんに浮かんでいる。分厚い眼鏡をかけ、古いホグワーツの制服に身を包んだ彼女はライアンに気付くと「男の子が何の用よ! 私を揶揄いに来たの!?」と金切り声を上げて空中を逃げ惑った。
「彼はあなたをいじめていたような男の子なんかじゃないわ!」
ハーマイオニーが思わず個室から出てくる。ライアンと目が合って慌てて物陰に隠れたが遅かった。ライアンは驚愕で目を見開く。
「その顔……」
「わ、私 調合を間違えてしまったの……ろ、六十分経っても元に戻らなかったら私……私……」
顔を突っ伏してハーマイオニーはまた泣き出すので、手洗い場に踏み入って彼女の顔を隠している手を取る。ハーマイオニーの手はふわふわした毛並みに覆われていて、涙をこぼす瞳は黄色に、顔は黒い毛むくじゃら。おまけに頭から三角耳が突き出ている。
「猫……」
ハーマイオニーは泣きながら事情を説明した。ポリジュース薬を作っていたこと。変身したい相手の材料を誤って猫の毛を入れてしまったこと。ハリーとロンだけでスリザリンに潜入していること──不安で仕方がなかったらしく堰を切ったように話し出した。ライアンは『最も強力な薬』を興味深そうに眺める。
「よく成功したな」
「失敗よ! クサカゲロウの下準備も、一番難しい最後の火加減までは完璧だったのに! 私ったら……スネイプの研究室から拝借したのがバレたら退学かもしれない……」
ライアンは後半を耳に入れると黙って非難するような目を向ける。
「そんな目で見ないで……どうしてもやる必要があったのよ……」
「はぁ、とにかくマダム・ポンフリーに見てもらえ」
「無理よマダムはきっと気付くはずだもの」
「ずっとそれでいる気かよ。突然変異薬のミスとでも言おう。少なくとも禁書棚にある魔法薬じゃねー」
羽織っていたカーディガンを脱いでハーマイオニーの頭に被せる。数少ない人目から耳や顔を隠すためだ。
「素敵なクリスマスの夜だったわね~!」
マートルが二人の背中に楽しげな声をかけてきたのでライアンは振り向くと、マートルの眼鏡の奥のちっちゃな目がぐりっと見開いた。
「イーディグレア!」
「は?」
「そっくり! あの猛獣みたいな酸っぱいオリーブのような目玉! オオ頭まではこんな派手じゃぁなかったけれど」
指をさされるが、ライアンにそんな人名のような、あだ名のようなもの聞き覚えがなかった。
「マートルいつもこうなの。行きましょう」
ハーマイオニーは無視するように示唆した。
「にらめっこしましょう♪ 不機嫌顔♪ 睨み顔のイーディ・グレア(ギラギラ)♪」
後ろから聞こえる歌声に後ろ髪を引かれるがライアンはハーマイオニーを連れて医務室へと向かった──。