セドリック・ディゴリーと反抗期の妹   作:97nnn79

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影に潜む青年

 ハーマイオニーとジャスティンのいない薬草学のクラスは沈んだ雰囲気だった。ライアンはアビシニア無花果の剪定をしながらアリスの様子を伺う。先ほどのマルフォイとのやり取りが気にかかっていた。彼女は黙々と作業をしていてその顔からは感情が読み取れない。それが心を閉ざしているかのようだった。

 

「ハリー」

 

 隣のテーブルで作業していたアーニーが慎重に声をかけた。

 

「ハリー、僕は君を一度でも疑ったことを、申し訳なく思っています。君はハーマイオニー・グレンジャーをけっして襲ったりしない。僕がいままで言ったことをお詫びします」

 

 アーニーが差し伸ばしたその手を、ハリーは取る。二人は握手した。色々好き勝手言われてきたのに許せるハリーは心が広い男の子だ。それか、元々彼に期待はしていなかったのかもしれない。

 

「ボードマンも」

 

 アーニーはこちらの机を見る。

 

「疑って悪かった……アリスもあれだけ訂正してくれていたのに」

 

 ハリーは少し目を瞠って……嬉しそうにアリスを見たのでパッと顔をそらしてしまう。

 

「いいよもう」

 

 ライアンはそれだけ言って作業に集中したがアリスはアーニーの後ろにいるザガリアスを見つめる。

 

「……ごめん」

 

 視線に耐えかねてザガリアスが姿を表してライアンに謝罪する。

 

「適当言われると悲しむ友達がいるんだ 頼むぜ」

 

 彼の言葉にアーニーはばつが悪そうに、ザガリアスは渋々頷いた。

 

 

 その日の夕食後、談話室は混みあっていた。他に行く場所もないからだ。フレッドとジョージの"爆発スナップ"勝負を眺めているアリスの横にライアンが近寄る。若干の無言の後、彼はアリスの顔を覗き込んだ。

 

「……?」

 

 アリスは不思議そうに笑う。その笑顔を見てライアンは考えあぐねているようで口を開く。

 

「分からないな……」

「何?」思わずびっくりして聞き返す。彼は神妙な面持ちで言葉を続ける。

 

「俺の察しが悪いのかもしれないけれど、二年、一緒にいてもアリスが何を考えているのか分からなくって……」

 

 彼の口調は、ただ、さじを投げているのではなく、むしろ理解に手を伸ばそうともがいているように感じられた。

 

「なんで? 何かそう思わせた?」

 

 そんな人間だと自分では思えない。嘘もつかないし思ったことは何でも口に出したい。アリス・ディゴリーとは素直でわかりやすいタイプのはずだ。

 

「俺ってわかりやすいよな?」

「うーん」

 

 思い切って聞いた質問だったらしい。言った後、ライアンは視線を逸らしながら口元を引き結び、耳の先を赤く染めていた。照れて赤く染まった耳と、そこに光る冷たいシルバーのピアスのように。冷たさと熱さ、その相反するものを併せ持つところこそ、彼の魅力だ。

 

「そう……かもしれない。けれど私は嬉しいよ」

 

 彼は首の後ろを荒々しく掻きまわして頭を振り、アリスを一瞬盗み見して直ぐに視線を前に戻す。意を決したように口を開く。

 

「アリスは……誰にでも優しいから傷つくことありそうで──心配……」

「……」

 

 じっと凝視されるのでライアンは言葉尻が震えてしまい、手のひらで口を覆った。

 

「誰にでもやさしいだなんて……そんな褒め過ぎだよ」

 

 アリスは嘘もつかないし思ったことは何でも口に出したい。本人はそう思っている。そう行動に移している。アリスの意識では。

 

 

 翌朝の最初の授業、変身学で生徒は己の耳を疑った。

 

「試験?」シェーマス・フィネガンが叫んだ。「こんな時にまだ試験があるんですか?」

「こんな時でさえ学校を閉鎖しないのは、みなさんが教育を受けるためです。ダンブルドア校長のお言いつけです……学校はできるだけ普通どおりにやっていきます」

 

 アリスはハーマイオニーのノート代筆で復習にはなっていたが全然範囲を網羅できていない。この数日はノートを回したり試験範囲を確認するので忙しくなった。試験三日前、マクゴナガル先生はまた大事なお知らせを昼食中の大広間に持ってきた。

 

「スプラウト先生のお話では、とうとうマンドレイクが収穫できるとのことです。今夜、石にされた人たちを蘇生させることができるでしょう」

 

 大歓声を上げる。 皆が……ハーマイオニーが戻ってくる!久しぶりに心の底から喜びを分かち合った。

 

「きっとハーマイオニー気が狂うぜ。勉強してないんだからな。試験が終わるまで、いまのままそっとしておいたほうが親切じゃないかな」

「間違いないね 試験勉強はみんなで止めた方がいいかもしれない」

 

 ロンの冗談にアリスは笑い飛ばした。そこにジニーが遠慮がちに近づく。

 

「どうした?」ロンはオートミールをお代わりしながら聞く。

「ここ座りなよ」アリスはロンと自分の間の空席に招いた。

 

 ジニーは緊張して強張っていてソワソワ辺りを見渡している。

 

「あたし、言わなければいけないことがあるの」

「何なの?」

 

 正面のハリーが聞くがジニーはサッと顔をそらす。

 

「何か見たの? 秘密の部屋に関することとか?」

 

 アリスは驚いてハリーの顔を見る。するとずっと黙りこくっていたジニーがスーッと息を吸って、口を開こうとしたその時。

 

「ジニー、食べ終わったのなら、僕がその席に座るよ。腹ぺこだ。巡回見廻りが、いま終わったばかりなんだ」

 

 ジニーはしっぽを踏んづけられた猫のように身体を跳ねらせて逃げてしまった。代わるようにパーシーは紅茶が注がれたマグカップをつかむ。

 

「あ~!」

「パーシー!ジニーが大切なことを話そうとしていたのに!」

 

 両サイドの二人に非難されて、パーシーはむせる。

 

「──それは気にしないでいい、秘密の部屋に関するものとかじゃないから──」

「なんでそう言えるの」

「あの子は僕が何かをするのを見たわけだ。それで、僕が、その、あの子に誰にも言うなって頼んだんだ。あの子は約束を守ると思ったのに。たいしたことじゃないんだ。ほんと。ただ、できれば……」

 

 珍しく要領を得ない話し方だった。ロンはニヤニヤして何の話なのかを問い詰めている。

 アリスはジニーの姿を消した方を案じるようにじっと見つめた。

 

 次にジニーを見つけたのは午後の魔法史への移動中だった。三階を移動中、ふと行き交うように向こう側の廊下を赤毛が過る。あの背丈であの赤髪の女の子はジニーしかいない。何故一人で?この時間、一年生は三階にはいないはずだ。一人っきりで校内を歩き回るのは禁止されている。アリスはグリフィンドールの二年生の列から抜け、すぐ来た道を戻りジニーを追う。ジニーは女子トイレの近くで直ぐ見つかった。

 

「ジニー? 一人で何しているの?」

 

 女子トイレに向かっていたらしいジニーは背後からかけられた声に足を止める。

 

「体調悪い?」

 

 顔を覗き込む。ジニーは能面のような顔だった。

 

「なに?」

 

 短くジニーが聞き返す。

 

「えっ あ、教室移動中ジニーを見かけて……」

 

 彼女は一回、瞬きをした。

 

「それで?」

「危ないでしょ一人でいたら……それにここ犠牲者が出た場所と近いよ……」

 

「変わらないね……」

「え?」

 

 彼女の乾いた唇がゆったり開かれる。春なのに悪寒を感じて肌が一瞬で粟立った。

 

 

 

「変わらないんだね お人好しで役立たずなところが」

 

 ジニーはもう一度瞼を瞬かせた。虹彩がグロテスクに赤く光る。

 

「……」

 

 松明に照らされて彼女の影が壁面に映し出される。小さなジニーから伸びた影が、アリスの影の大きさをも越してどんどん伸びていくのを追うように見上げる。天井に着くほどの異様なほど長い影にアリスは唖然となり、その場で硬直した。

 

「思い出した その顔かたち表情で」

 

 "影"がそう言ったと思う。そこには輪郭のない「人の形」が潜んでいるのだ。アリスは喉が凍りついて息が出来なくなって、血が、警報を鳴らすようにドクドク身体中で脈打っている。

 

 

「マリア、君の最期もそんな顔をしていたね」

 

 アリスはそこで意識を失った。

 

 

 

 ふっと目を開く。医務室の天井だ。

 なんでここにいるのだろう。私は怪我でもしたのかな?

 頭の中に靄がかかっているみたいで冴えていなかった。体感的に午後から夜まで寝てしまったみたいだ。視線を横にやると派手な金髪が視界に入る。声をかけようと口を開く。

 

「あ……」

 

 アリスのうめき声を聞いて彼はガバッと伏せていた顔を上げた。頬の筋肉が固く引きつり、翳りがさしている表情だった。

 

「大丈夫かよ!!」

 

 立ち上がって詰め寄られたので アリスはびっくりして目を丸くさせる。

 

「痛むところは? 俺のこと見えてる? 覚えてる?」

「え……大丈夫。見えてるし覚えてる……」

 

 触られはしなかったが、今にでもとっ掴まってあちこち調べられそうな勢いだった。彼はようやく張り詰めていた息を深く吐いて元座っていた椅子に腰かけ直し、両肘を膝に置いてぐったり崩れ落ちるように項垂れる。

 

「魔法史の教室に着いたらアリスがいなくなってて……てっきりハリー達とハーマイオニーに会いに行ったと思ったけど……帰ってこなくって……ロンの妹が連れ去られたし……」

「え?」

 

 ぼんやりした頭を働かせようとアリスは聞き返す。だが、ライアンは言葉を続ける。

 

「そしたらマクゴナガルが三階の廊下でアリスが倒れているのを見つけて……」

「ねぇジニーって……」

 

 詳しく聞きたかったが彼は顔を伏せたまま何も言わない。何だかとても話しかけづらくってアリスは黙る。沈黙が続いた。

 

「……俺、先生呼んでくる」

 

 ライアンは俯きながらそう言って医務室から出ていった。アリスは手持ち無沙汰に頭を枕に預ける。

 どうしよう、ライアン 怒ってる?すっごく迷惑をかけちゃってるのかな。

 確かジニーが一人で出歩いているの見かけて……彼女は具合が悪そうで……そこから記憶がない。

 

「アリス……?」

 

 ベッドを囲うカーテンの向こう側からか細い声が聞こえてくる。アリスはベッドから這い出てカーテンを開いた。

 

「ジニー」

 

 無人の医務室にポツンと所在なさげに立ち竦んでいた。彼女はアリスの顔を見るなり、ワッと湧いたように大粒の涙をこぼし始める。

 

「あぁごめんなさい! 私、きっとあなたに何かしたんだわ!」

「大丈夫だよ 気絶しただけ 何ともないの」

 

 激しく懺悔する彼女の顔を覗き込む。涙にぬれた瞳はあの禍々しい赤ではなく、いつもの綺麗な虹彩をしていた。

 

「よかった……なんか雰囲気がいつもと違ったんだよ 一体何があったの?」

 

「例のあの人さ」

 

 口を挟んだのはロンだった。医務室に入ってきた彼はボロボロのドロドロの制服姿で、アリスは何事かと目をひん剥いた。

 

「ジニーはあの黒い手帳──例のあの人の記憶に操られていたんだ」

「わ、私が皆を石にさせていたの!」

「操られてたんだろ」

 

 妹を労わるロンと自責するジニーに視線を交互させる。名前を言ってはいけないあの人……!?

 

「とにかく、ロンの言う通り。ジニーのせいじゃないよ それに私は石になっていないでしょう?

これで良かった、来学期からジニーは元気で過ごせるんだね」

 

 ジニーは自分の爪先を見つめたまま、顔を上げない。

 

「これからも私やロンやフレッドとジョージ、パーシー……皆がいるんだからね」

「ありがとう……アリス、何度も私を気遣ってくれて……ありがとう……」

 

 アリスはゆっくり近づき、やさしく彼女を抱きしめた。安心できるように。セドリックが幼い頃自分にしてくれたのを思い出しながら彼女の小さな頭を抱き寄せるとちょっとずつ落ち着きを取り戻したようだった。アリスはふと、医務室の入り口で突っ立ってる人物に気付く。

 

「……ロックハート先生?」

「ア、忘れてた」

 

 妹と友人の感動的なやり取りを神妙な面持ちで眺めていたロンがハッと手を打ち、ロックハートを部屋の中に引きずり込む。

 

「先生、どうされたんですか?」

「こんにちはお嬢さん!ここはどこかな?」

 

 ロンに手を引かれたロックハートは同じように全身ドロドロで自慢のブロンドも鳥の巣みたいだ。

 

「忘却術の逆噴射でこうなっちまったのさ。コイツ、他人の栄光を忘却術で自分のものにしてたみたいだ」

 

 ロックハートはヘラヘラこちらに手を振った。

 

「ここは魔法がかかっているみたいに不思議な場所だね!」

「先生、自分が魔法使いだってことも忘れちゃったの……!」

「僕が魔法使いだって? ──やぁきみのブレスレット素敵だ!」

 

 指差されたブレスレットはアリスが作ったものだった。ロックハートは屈託のないスマイルを浮かべている。アリスは暫し逡巡したあと、おもむろに自分の手首から外して──ロックハートの左手首につけてあげた。

 

「この青い石はラピスラズリ、魔法界では知恵を司っていて心を落ち着かせるおまじないもかけてあります。この水色の玉はアクリルビーズ……マグルのもので、光を乱反射するのがきれいでお気に入りなんです──先生、魔法界と非魔法界のハーモニーある贈り物が欲しいって言ってましたよね?私からのプレゼントです」

 

 ロックハートは自分の手首に飾られたブルーの手作りブレスレットを月明かりにかざし、その光り方を食い入るように見つめる。

 

「素晴らしい贈り物をありがとう! 今までで一番嬉しいものだ! これ以外に贈られたものは記憶にはないのだけれど!」

「素敵です。先生は、ライラック色よりブルーがお似合いだと思いますよ」

 

 嬉しそうに喜ぶ様子は記憶が失う前とさほど変わっていなかったので、アリスは小さく笑った。

 

 医務室にマダム・ポンフリーが戻ってくると、問題がないか改めて検査を受けたが小さなかすり傷ひとつもなかったため、即退院だった。ジニーはもう一杯ココアを飲んだら戻れるらしい。ロックハートの様子に呆れているマダム・ポンフリーを尻目にロンと一緒に医務室を出た。大広間では宴会が行われているらしく、道中向かいがてら此度の事件の詳細を聞いた。ハリーの活躍に今年も感嘆の一言に尽きない……。

 

「そうだ、アリス 大広間戻ったらライアンのところにすぐ行くんだ。アイツ、何が何でも許可ぶんどって医務室にいる君に付きっきりだったって言うじゃないか」

「そうするよ」

 

 ちょっと気まずそうな顔をするアリスの首に、ロンが腕を回す。

 

「このロナルドに相談していいぜ」

「私にも兄貴面?」フフ、と思わず笑う。

「僕、アリス、ジニーの順さ」

「私をウィーズリー家に入れてくれるんだね? 双子が許してくれるかな」

 

 アリスもロンと肩を組んだ。親しみを込めて。相変わらず彼の話し方は面白くって上手いので、今学期の彼らの冒険談にワクワクさせられたのだった。

 

 大広間の扉の中から、生徒たちの盛り上がる声が聞こえてくる。扉の前にいるライアンとハーマイオニーを見つけてアリスは思わず駆け寄った。

 

「ハーマイオニー!」

 

 石から戻った彼女はこちらに気付くとパァッと破顔してふたりは思いっきりハグをした。

 

「どこも痛くない? もう全部元通り?」

 

 ほっぺたや癖っ毛をペタペタ触って確認する手がくすぐったいようでハーマイオニーはクスクス笑った。

 

「すっかり元通りよ !」

「あぁ 会いたかった!」

 

「よかったよあの日のアリスったらピーピー泣き止まなかったんだから」

 

 アリスは恥ずかしいことをバラされたのでロンを目で制したが、彼も嬉しそうにしきりにハーマイオニーに話しかけていた。

 

「でも私、欠席分の授業が不安だわ ライアン手伝ってくれない?」

「アリスに頼れよ」

「そう! 頼って! ノートを取っておいてあるから!」

「本当? それ、すっごく助かるわ!」

 

 早速勉強の話をするハーマイオニーに苦虫を噛み潰したような顔になったロンは「大広間でハリーを待とう」と皆を催促した。アリスはチラッとライアンを盗み見する。

 

「あの──」

「なに?」

「えっと……」

 

 いつもと変わらない様子だったので言葉が詰まってしまう。

 大広間はパジャマ姿でどんちゃん騒ぎだった。長机の上にはお菓子やジュースで溢れかえっている。グリフィンドールの席では双子とリー・ジョーダンが花火を打ち上げていた。

 

「腹減ったろ?」

「う、うん」

 

 差し出された糖蜜パイとかぼちゃジュースを受け取る。ディーンが「アリス、三階で滑って転んだってきいたぞ。もう退院して大丈夫なのか?」と尋ねる。代わりにシェーマスが「俺は自分の影に驚いて気絶したって聞いたぜ」と茶化したのをネビルが「ぼ、僕はアリスがゴーストにされちゃったのかと……」と頓珍漢なことを言っていた。

 

 ハリーもこのあと大広間にやってくると宴はさらに盛り上がった。皆がハリーにお礼と謝罪をして──ジャスティンだ──、ハリーとロンが二〇〇点ずつ点を稼いだので寮杯はグリフィンドールが二年連続勝ち取った。おまけに期末試験はキャンセルになったのでハーマイオニーなど一部を除いて歓喜の声で溢れかえった。

 

「ロックハートはもう学校に戻ってこないのね」

「やっぱり闇の魔術に対する防衛術の呪いはホンモノよ」

 

 ラベンダーとパーバティがお菓子を摘まみながら話している。

 

「来年度はもっと適任の先生が赴任してくるといいのに」

 

 ハーマイオニーがロックハートを悪く言ったのでロンはジャムドーナッツを詰まらせそうだった。だがそれに誰も──ラベンダー含めて──反論する人はいなかった。皆、せいせいするといった感じだ。

 

「彼、元気で過ごせるといいな」

 

 アリスは独り言ちた。最後に会ったロックハートには、アリスが好きだった部分だけが残っているように思えたからだ。

 

 明け方三時半ころになるとハグリッドが戻ってきた。肩を叩かれた勢いでハリーとロンはトライフル・カスタードに顔を突っ込んでその飛沫がアリスの頭にもかかった。宴は朝日が昇ってくるまで続いた……。

 

 

 

 夏季休暇まで残りたった数日だ。アリスは”二学年用スケッチブック”を埋めるために城内を探索していた。城は夏の明るい光を取り込んで、窓からは清々しい風が吹き込んでいる。木々が揺れる音に混じって楽しげな弦楽器の奏でる音が聞こえてきた。壁にかかった弦楽合奏団の肖像画からだ。思わず足を止めて聞き入ってしまう。明るくて軽快な旋律がアリスの耳を楽しませた。

 

「ホッホッ──オジーのヴァイオリンは鳥のさえずりそのものじゃの。心が弾む音色じゃ」

「ダンブルドア先生」アリスは予期せぬ人物に目を瞠る。

 

 ダンブルドアの長い顎鬚と銀髪は近くで見ると存在感がすごかった。

 

「ヴィヴァルディ『四季』の”春”……目覚める自然と新しい生命の誕生を祝う、歓迎の曲じゃよ」

「ホグワーツはあの事件で楽しい春を逃したから……夏の今になって演奏を通じて春を届けてくれているのでしょうか」

 

 肖像画の合奏団は演奏をやめて褒め称えるようにアリスに拍手をおくっている。彼らは自分に好意を寄せてくれているようだった。ダンブルドアは、これ以上ないほど嬉しそうな顔をしているようにアリスには見えた。

 

「才というものは血に宿る……君の創造性に懐かしさを感じる」

 

 ダンブルドアの目がアリスが抱えるスケッチブックを捉え、キラリと瞬いた。

 

「この肖像画の合奏団はいたく君を気に入っているようじゃ。無理もない

──この絵は君の祖母、マリアの手によって描かれたものだからのう」

 

 アリスは目を見開いて改めて肖像画を眺めた。絵の中の合奏団は嬉しそうにこちらに手を振る。

 

「初めて知りました! そうだったんですね……祖母が肖像画家なのは聞いていましたがホグワーツにもあるだなんて」

「惜しいことに、残されたものはそう多くはない。けれど、そのいくつかをこうして我々の傍らに置かせてもらっておる」

 

 ようく注視すると、絵の隅に"マリア・ディゴリー"のサインを見つけた。祖母は不幸にも池に誤って落ち、命を落としたようだ。早すぎる死は祖父や大叔父たちを悲しませた。そんな人づてからしか聞かない先祖の軌跡を目の前に、アリスは少し高揚感を覚えてサインにそっと触れた。

 

「時に──気分が悪くて入院していたようじゃがもう変わりはないかの?」

「あっ はい。皆から、うたた寝したんだろって茶化されたりしています。何が起きたのかあまり覚えていなくって」

 

 ダンブルドアの半月型の眼鏡の向こうにある明るいブルーアイがキラッと光る。キラキラした瞬きは様々な出来事をフラッシュバックさせた。マルフォイとの諍い──ひとり廊下で立ちつくすジニー──祖母の名を語った青年の恐ろしい声──親友に心配をかけた申し訳なさ──アリスは頭が痛くなって顔を抱えた。なんだろう、何か忘れていたことを思い出したような──。

 

「マリアは実に稀有な才を持ち、自分の愛を分け与えられる人じゃった。惜しむらくは、その輝きが永くこの世に留まらなかったこと……。だがな、彼女の残したものは、いまも確かにここに息づいておる。君を見るたびに、わしはそう感じずにはおれんのじゃよ」

 

 ダンブルドアの声には、祖母への慈しみと後悔の念がのっている。アリスはもしかして、祖母の背景には何か複雑な事情があったのではないかと察した。

 

「他者に愛を与える人は、その分、影に強く映る。アリス、君もまた同じ光を持っておる……だからこそ、用心を忘れてはならぬのじゃ」

 

 曖昧な、だが何か含みのある言葉だ。「はい」そう一言やっと呟くと、コロッと空気が変わり、「オジー。次は“秋”を聴かせてくれぬかの。あの陽気な収穫祭の調べは胸が踊るのじゃ」と肖像画にリクエストした。

 

 

 

 早いものでホグワーツ特急に乗り家に帰る時が来た。ハリーたちのコンパートメントにも誘われたが、帰る頃には体力が尽きてしまうほどの騒乱が予想されたので──だってあの双子と一緒だ。手には大量の花火を抱えていた──それは断って、アリスとライアンは小さめのコンパートメントを陣取る。スーツケースとエアロが入っている鳥籠をしまい込み、ふたりはようやく落ち着いて腰かけた。なんだかんだ言って特急に乗るのは二人きりが多い。いつも友人に囲まれているアリスだが、この時間は親友とゆっくり過ごしたいという気持ちがあった。

 

「──今年は大変だったけれど、来年は平和に過ごせるといいね」

「あぁ、」

 

 そう話していた矢先、突如コンパートメントの扉が開かれた。顔を覗かせた人物にアリスはギョッとする。

 

「あぁ埋まってるのかここは」

 

 スリザリンカラーのネクタイ。ブレーズ・ザビニだ。

 

「……開かなくっても外からわかると思うけれど……?」

「悪かったよ」

 

 わざとやっているのを隠そうともしない素振りだ……何の用事なのだろう……。

 

「そうだ──バレンタインカードありがとう」

「!?」

 

 アリスは口にしていたかぼちゃジュースを思わず噴き出しそうになる。

 

「君からだろ?」

 

 ピンクのけばけばしいバレンタインカードがザビニの褐色の長い指に挟まれている。

 

「え……なん……」

 

 名前は書いてなかったのに何故……!? そう言いたそうなアリスの顔を見てザビニは目を弧にして笑う。

 

「こんな白々しい・・・・メッセージくれるの、ディゴリーだけさ」

 

 アリスは瞬きする。どういう……こと? わざわざ当てつけにきたってことなの?私が心からカードを書いていないから……?

 

「もう汽車も出発するしお暇するよ。邪魔しちゃったよなぁ」

 

 彼はゆっくり目を泳がして向かいに座るライアンに留める。顔を顰めて見つめ返すとザビニはするりと視線から逃げてコンパートメントからも出ていった。しばらくの沈黙。

 

「なにあいつ 知り合い?」

「……顔見知りくらいだよ!」

 

 アリスはこれまでの経緯を話した。決闘クラブでペアを組んだこと、彼は話しやすい人柄ではあること、呪文が成功した後杖を蹴っ飛ばされたこと、カードを送ったこと──。

 

「考えすぎかもしれないけど……私、嫌われてるみたい……多分?」

 

 彼の他の女の子への接し方と比べると明確に違和感を覚える。言葉尻が強いような……だが、どれも決定打に欠けるのだ。

 

「もう関わんなよ よく分かんねぇヤツとは」

「私だって好きで関わってるんじゃ……」

「マルフォイも?」

 

 視線を上げると問いただすような顔をしている親友にアリスは口がへの字になる。なんだか今学期は色々な人間から交友関係に口出しされているような気がしてならない。

 

「もう彼は気にしないよ!」

「あ、そう」

 

 アリスはそう言ったのに、オリーブの瞳に穴が開くぐらい見つめられているので居心地悪くって身を捩る。

 

「ねぇ怒ってるの? 私が廊下で気絶しちゃったから……心配かけて悪かったよ 許して」

 

 申し訳なさそうにアリスはぐにゃんとうなだれて謝る。ちょっとして頭上からフッ、と息を漏らす音が聞こえる。

 

「アリス、ずっとそれで悩んでたのかよ?」

 

 口元を片方だけ引き上げ、目尻を細めた笑みは、荒っぽくもなんだか意地悪なものだった。

 

「怒ってねぇって」

「え? 本当に?」

「うん」

 

 声音が本当に怒ってはなさそうでアリスは拍子抜けして座席に深くもたれかかった。不思議そうに首をかしげるアリスを見てまたライアンは小さく笑った。

 

「夏休みなにすんの?」

 

 空気を変える話題にアリスはハッとして鞄の中にあったスケジュールを捲る。

 

「俺の家くる?」

「え! いいの?」思わず顔を上げて大きな声を出してしまう。

「いいよ」

「えー! あのね、空いている日はね……」

 

 二人が頭を突き合わせて相談しているところを、鳥籠の中のエアロはセドリックを恋しく思いながらも眺めている。ホグワーツ特急は白い蒸気を長く吐き出しながら、夏の陽光を浴びて滑るように線路を駆ける。赤い車体だけが、緑を切り裂くように鮮やかに残り、しだいに視界の向こうへ消えていった。

 

-秘密の部屋 完結-

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