今朝、アリスは轟く雷の音で目を覚ました。ドドドと窓を打つ雨音がうるさい。
グリフィンドール対ハッフルパフ戦は横殴りの豪雨と暴風の中行われることになった。
「酷い天気だ こりゃ荒れるぞ」
丸めた応援旗を小脇にディーンが談話室に集まる。
「こんな天気の中やれるのかな」
アリスは欠伸を噛み殺しながら、応援旗に防水呪文を何重にもかける。この魔法は完璧に使いこなせるようになってきた。
「クィディッチが天候を理由に中止になったケースはないんだと」
クィディッチ応援隊は肖像画の穴をくぐるとカドカン卿が「かかってこい! 勝負をせい!」と喚いたのでアリスは旗に書かれた文字と絵を見せた。
「見て。今季のグリフィンドールの応援旗はカドカン卿なの」
旗に書かれている”カドカンの馬に乗ってみよう”は、グリフィンドール生には馴染みのあるスローガンだ。もともとは少し前に使われていた合言葉で、当時は頻繁に変わることもあり、特別な愛着は持たれてはいない。だが応援旗に採用されたことで、「困難の中でも最善を尽くす」という本来の意味が改めて共有され、グリフィンドール生の士気は今、自然と高まっていったのだった。
カドカン卿は鉄仮面の奥から旗を覗き込むと、自分が描かれたそれに興奮したようで太った馬を飛び跳ねさせながら「ゆけ! 恐れ知らずの同寮たちよ!」と激励をかけた。
競技場にはこの悪天候の中大勢が集まっていて、皆ローブや雨合羽を着込んで強風と豪雨に耐えている。アリスとディーンは応援旗が飛ばされないように紐で固定をして試合開始を待つ。暫くしてフーチ先生のホイッスルが鳴ったが聞き取れないくらいの大きな雷鳴によってかき消された。
「始まったらしい」とライアンがピッチを指さす。
冷たい雨が頬を打ってアリスは目を凝らす。濡れた手の中では、兄に向けたカナリアイエローのミニフラッグが滑りそうでしっかり握りなおした。暗い雨が降り注ぐ競技場は選手が今、どこにいるのかも判断できかねない状況で「何も見えやしない!」と後ろでロンが叫ぶ。
「何? 試合中断?」
「タイムアウトを取ったみたいだ」
「グリフィンドールが50点先制してるぞ」
紅のユニフォームが地上に集ったらまた笛が鳴り、空へ飛翔する。「もう大丈夫なはずよ」タイムアウト中どこかへ走っていったハーマイオニーがハァハァ息を荒げて戻ってきた。「どこへ?」ライアンが声をかける。
「ハリーの眼鏡に防水呪文をかけてきたわ!」
「ナイス」
バリバリと雷が鳴ってアリスは不安げに選手を見守った。兄や友人たちが落雷の中を縫うように飛んでいるのがハラハラする……。ひときわ早いカナリアイエローのユニフォーム──セドリックがスニッチを見つけたようで向かい風の中、上空を猛スピードで右から左へ飛んでいくのをアリスも目を見張ってその姿を追うが、視界を、突如現れた分厚い霧が覆う。そして底冷えするような異様な冷気……。
「なんだ? ……なんで……吸魂人が……」
ただでさえ凍えそうな寒さなのに、もう5℃程冷えこんだようだ。吐く息が白い。競技場に無数の吸魂鬼が音もなく集まり、空飛ぶ選手たちに向けて、穴の開いた真っ暗な顔を見せる。シンと音が止み、皆は呼吸するのも躊躇った。
紅色の小さな影が……ハリーが……吸魂鬼のもとに落ちていく。箒のコントロールを失い真っ直ぐ地面に向かって落下していった。
「ハリー!!」静寂を切り裂くように誰かが叫んだ。
死んでしまう!
誰もがそう思った瞬間、間一髪のところで突如白い光がハリーを包み込み、群がる吸魂鬼をも蹴散らした。ダンブルドア先生だ。競技場に降り立ち、杖を振るうとハリーは速度を落としてゆっくり地面に横たわる。試合終了のホイッスルが鳴り響く……。
呆気に取られていた皆は急いでハリーの元へ駆け寄る。
「医務室へ」ダンブルドア先生が担架を出してハリーを乗せた。その声音は非常に固く、怒りを耐え忍んでいるようだった。
「ハリー……!」ハーマイオニーとロンが傍に駆け寄る。アリスも後ろから追う。
「試合は中止にしよう」
セドリックが着地して早々、そう言い放った。手にはスニッチが。
「試合中に吸魂鬼が乱入するだなんて。やり直そう」
「ディゴリー、それは……」
あのフレッドとジョージが躊躇うように言い淀む。
「いや……今回の試合はハッフルパフの勝利だ。
……疑いようもなく」
オリバーが重々しく言った。顔は伏せていて表情は伺い知れない。言葉を続けることができず、グリフィンドールの選手は浮かぶ担架の後を悲痛な気持ちで追いかける。アリスは兄の顔を見上げた。
「……」
顔は真っ白で、唇を強く噛み締めている。濡れた前髪が額に貼りつき、雫が頬を伝う。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「僕は……大丈夫だよ」
セドリックの周りにハッフルパフの選手たちが集まる。何とか絞って出された兄の返事に、アリスは後ろ髪を引かれる思いでありながらも、ハリーの後を追った。
医務室に連れていかれたハリーはマダムポンフリーの手によって適切な処置を受けることになった。ハリーは全身傷だらけだったが大きな怪我はないようだった。眼鏡にひびもいっていない。アリスは背伸びをして前に立ち並ぶクィディッチ選手の隙間からハリーの姿を確認して胸をなでおろす。
「ハリー……死んでしまうかと思ったわ……」
ベッドの横で立ち尽くすハーマイオニーの目には涙が浮かんでいる。
友達が死にそうになっている場面を初めて目の当たりにして、あの瞬間、アリスも手が震えた。あのまま落ちていたら……。その惨状をリアルに想像できてしまい、目を強く瞑り、頭を振る。
「フリットウィック先生どうされました」
「失礼、ポッターくんにコレを……」
フリットウィック先生は大きな鞄を医務室に届けに来た。鞄から飛び出たある破片に、ロンが「アッ……」と声を漏らす。
「ニンバスが暴れ柳にぶつかってしまった……」
鞄の中には粉々の木の破片に成り下がったニンバスがあった。皆はショックで沈黙する。ニンバス2000はグリフィンドールの希望の象徴だ。それを失い、グリフィンドールは首位争いから滑落した。そしてハリー本人がそれを知るとおもうと……。誰も口を開くことができず、医務室をあとにする。
「フリットウィック先生、ニンバスは元に戻らないんですか」届けてくれた先生の背中に質問を問いかける。
「あそこまで木っ端微塵だと無理だろう」しかし帰ってきた答えは、こちらの期待を空しくするものだった。
アリスは、ハリーが目が覚めてニンバスの亡骸を見つけたらどんな思いをするだろうと眉を下げる。責任感の強い彼だ。今日の試合も自責に駆られるに違いない。
翌朝、ハーマイオニーは目が覚めるやいなや、ロンと共に早々ハリーの見舞いに向かった。アリスもお昼休み中に医務室に顔を出した。「あぁアリス、僕お昼行ってくるよ」と、ロンと入れ違いだった。ハーマイオニーはいない。昼休み中も大量の課題をこなしているのだろう。
「ハリー、具合どう?」
「うん、悪くはない。良くもないんだけど」
ハリーはシーツからキャンディの包装を見せた。
「ライアンが差し入れにくれた”オパールフルーツキャンディ”食べてる時だけ気が晴れるよ」
一個くれた。マグルのお菓子みたいだ。口に放るとオレンジ味のタフィーだった。
「美味しいね」
「僕これ好きだったんだ。ダーズリーの家にいっつもあってよくくすねてた。ダドリーはライム味が嫌いでそれ以外を食べるから残ったライム味が少しばかり減ったって、ダドリーもペチュニアおばさんも気づかないのさ」
ハリーはピンク色のストロベリー味を頬張る。「ストロベリー味って特別だね」と漏らした言葉にアリスも肩をすくめて同調する。
「ハリー、あのニンバスだけど……」
「ウン、直らないってね」視線を足元に落とすと先日も見た、ニンバスの亡骸が入ったカバンがあった。
「僕が始めて貰った贈り物だよ」
「ハリー」
アリスが背中を撫でる。そして躊躇うように口を開く。
「あのね、もし、許してくれるなら……ニンバスの一部を私に譲ってくれない?」
「え?」眼鏡の奥のグリーンが不思議そうに見開く。「……いいけど、もうただの木屑だよ」
「ありがとう!」アリスは自分の鞄の中にニンバスの破片をいくつか拝借して肩に背負い直す。
「ちょっとした考えがあるの」頭をこんこんと小突くアリスに、ハリーは首を傾げた。
アリスは医務室を出て大広間で昼食用のサンドウィッチだけかっぱらって、すぐ自室に戻る。アリスの冴えたアイディアとは、ニンバスをミニチュアの記念品として生まれ変わらせようというものだった。しかし、応援旗やアクセサリーは作ったことがあっても木工細工は経験がない。
「初めは何でも未経験だって言うし……出来ないことないはず……」
アリスは机の上に木片を並べて観察して仕分けする。柄だった木片。穂先だった枝。金具の欠片。そして、かろうじて文字が残っている”NIMBUS”の一部。ハンカチで泥や埃を拭っていく。クリスマスには完成させたい……あと一か月ちょっと。