親子3人での、束の間の平和な散歩道。
1994年の米花町の通りを、ディーゼル音を響かせながら一台の大きなバスが通り過ぎていきました。
「あのバスはなに……?」
不思議そうに指差す雫に、灰原が冷静に答えます。
「リアエンジンバスよ……?」
「バスなの……? ちょっと座席高くない……?」
今では当たり前のその光景も、バリアフリーが徹底された未来から来た雫には、不自然に車高が高く見えたようです。
「あれでもだいぶ古いんだ。だから最近はノンステップバスやワンステップバス……田舎の方ではツーステップバスに置き換わっているんだが……まだまだだよな……」
コナンが1994年時点での「最新」を語ると、灰原が雫に問いかけました。
「雫の2021年のところでは、どんなバスが運行していたの……?」
すると、雫は誇らしげに微笑んで言いました。
「デュアルモードバスだよ……!! 連接式のバスでめちゃくちゃ人が入るの……!! でも都会しか運用されていないんだって……!!」
「それって『専用の軌道に乗るバス』なのか……?」
コナンは1994年当時の技術構想を思い浮かべ、鉄道と道路の両方を走るハイブリッドなものを想像しました。しかし、雫は可愛らしく顔を横に振ります。
「ううん……普通に道路を走っているよ……?」
「みんなそう呼んでいるの……?」
灰原が不思議そうに重ねて尋ねると、雫は自信満々に答えました。
「うん……! デュアルモードバスは軌道には乗らないよ……! 連接式バスっていうのは、デュアルモードバスの『和名』になったの……!」
「(……なるほど、二つの車体が繋がっているから『デュアル』なのか?)」
コナンは、未来で言葉の定義が少しずつ変わっていったことに驚きつつ、想像を巡らせます。2台分の長さがある巨大なバスが、米花町の狭い交差点を器用に曲がっていく様子を思い浮かべると、少し見てみたい気もするのでした。
「未来はバスまで進化してるんだな……。1994年のバスも、今のうちにしっかり目に焼き付けておけよ、雫」
「うん、パパ! なんだかレトロで可愛いね!」
堤無洲川の河川敷。穏やかな風が吹く中、コナンは前方に懐かしい赤いスポーツカーを見つけました。
「佐藤刑事……!」
「あ……コナン君と哀ちゃん……!」
非番なのか、愛車と共に休憩していた佐藤刑事が二人に気づいて手を振ります。
「蘭姉ちゃん、どうなったの……?」
コナンの問いに、佐藤刑事は苦笑いしながら答えました。
「厳重注意だけで済んだわ。そもそも蘭さんに悪気はないもの。電柱が脆かったってことで処理したわよ」
「(……いや、蘭姉ちゃんの拳が硬すぎるだけなんだけどな)」
コナンが内心でツッコミを入れていると、佐藤刑事の視線が二人の間にいる少女に移りました。
「あ……この子は雫ちゃん。まだ中学生なんだ」
「佐藤刑事……?」
不思議そうにする雫に、コナンは「未来ではもう引退しているのか」と思いつつ、話題を変えました。
「雫ちゃんは知らないか……。じゃあ、その松田(マツダ)自動車のRX-7は分かる……?」
「RX-7……? CX-5やCX-30、CX-8は……?」
「……」
雫の口から飛び出す、聞いたこともない「CXシリーズ」という型番。コナンは焦って別の車を指差します。
「じゃああっちの三菱自動車のランサーやパジェロ……エクリプスは分かる……?」
「エアトレックとアウトランダーとエクリプスクロスとトライトンとデリカしか知らない……」
「じゃああっちの豊田(トヨタ)自動車のクラウンやカローラは……?」
「プリウスとアクアしか知らない……」
「「…………」」
コナンと灰原は、黙ることしかできませんでした。
自分たちが「名車」と信じているスポーツカーや高級セダンの名は消え、未来はSUVやハイブリッド車が席巻している。あまりの世代交代の激しさに、言葉を失ったのです。
佐藤刑事だけは、目を丸くして驚いていました。
「ちょっと、その自動車たち、最近になって登場したばかりだったり、聞いたこともない名前よ……? 特にエクリプスやRX-7は...特に...」
「あ……いや……佐藤刑事、なんでもないんだ! ただ蘭姉ちゃんの事を聞きたかっただけ! じゃあね……!!」
ヤバい、と直感したコナンは、灰原と雫の手を引いて慌ててその場を去りました。
「……江戸川君、未来の車のラインナップを語るのは禁物ね」
「ああ、危うく佐藤刑事に捜査(マーク)されるところだったぜ……」
背後で不思議そうに首を傾げる佐藤刑事と、真っ赤なRX-7を後に、3人は夕暮れの河川敷を急いで歩き出しました。
工藤邸に戻り、緊張の糸が切れたように「はぁー……」と溜息をついたコナンと灰原。しかし、次の瞬間、邸内から子供たちの気配が消えていることに気づき、二人は凍りつきました。
「おい、あいつらどこへ……!?」
慌てて周囲を見渡すと、壁に掛かっていたカレンダーが2021年を指しています。
恐る恐る近くの鏡を覗き込んだ二人は、絶句しました。そこに映っていたのは、7歳の子供たちではなく、自分たちが先ほどまで話を聞いていた「未来の姿」――40代から50代に差し掛かろうとしている、大人の新一と志保でした。
「マジかよ……戻ったのか……?」
新一が低くなった自分の声を確かめるように呟くと、志保は鏡に顔を近づけて悲鳴に近い声を上げます。
「しかも……めちゃくちゃシミやクマができているじゃない……!」
長年の心労か、それとも育児の疲れか。2021年の現実は過酷だったようです。
「それは化粧で何とか誤魔化せるから大丈夫……」と、新一は必死にフォローを入れました。
「うん……? ここ親父と母さんの寝室だよな……?」
部屋の様子が、かつての記憶にある優作たちの寝室であることに気づき、新一が首を傾げます。
「いや知らないわよ……私は……工藤邸ってたまにしか来てないから……」
志保がそっけなく返すと、ベッドの上で丸まっていた小さな影が動きました。
「うーん……ハッ……!」
目を覚ましたのは、末っ子の雫でした。彼女は目の前に立つ二人の大人を見ると、ぱぁっと顔を輝かせて叫びました。
「パパ……! ママ……!」
1994年での「コナンと灰原」としての奇妙な共同生活は、夢だったのか、それとも本当にあった過去なのか。
目の前には、自分たちを愛おしそうに見つめる「現実」の娘がいました。
新一は、ずっしりと重くなった自分の体と、部屋のあちこちに見える「未来」の生活感に、まだ戸惑いを隠せませんでした。
「雫……ここが……」
「2021年だよ……!」
「マジかよ……21世紀に来てしまったのか……」
新一が呆然と呟くと、雫は「あ、そうか」と手を打ちました。
「あ……! そうか……1994年は20世紀だもんね……」
雫の話によれば、現在この広大な工藤邸に住んでいるのは、新一、志保、雫、友花、祐介、そして長男の俊太郎の6人。修二郎と涼花は、1994年で話していた通り、本当に海外で第一線のエージェントとして活躍しているようです。
「ちなみに俊太郎お兄さんは警察庁の公安警察だから、滅多に帰ってこないよ……?」
雫に案内され、新一と志保は和室へと足を踏み入れました。そこには立派な仏壇が置かれていました。
雫に案内され、新一と志保は和室へと足を踏み入れました。そこには立派な仏壇が置かれていました。
「親父……」
「パパ……」
二人が言葉を失ったのは、そこに並ぶ遺影の数々でした。
新一の父・優作と母・有希子。
そして志保の両親である厚司とエレーナ。それだけではありません。
若くして命を落とした明美の隣には、穏やかな笑みを浮かべた阿笠博士の遺影も置かれていました。
2011年に亡くなったという話は、現実だったのです。
「……本当に、みんな逝っちゃったのね」
志保が寂しげに呟くと、新一は仏壇の横に置かれた家族写真に目を向けました。
そこには、自分と志保を中心に、今日出会った個性豊かな6人の子供たちが笑っている「完成された家族」の姿がありました。
1994年では「戦時中」だった二人の関係は、27年の歳月を経て、多くの別れを乗り越え、これほどまでに大きな愛の形になっていたのです。
「……雫。今まで、父さんと母さんを支えてくれてありがとな」
新一が不器用に雫の頭を撫でると、雫は少し驚いた後、1994年の時と同じように満面の笑みを浮かべました。
「どうしたのパパ? 急に改まっちゃって! さあ、早くリビングに行こうよ。友花お姉ちゃんが夕飯の準備してるから!」
翌朝、新一と志保がかつての阿笠邸があった場所へ向かうと、そこには見慣れた黄色いビートルも、レンガ造りの屋宅もありませんでした。
広がっていたのは、広大な工藤邸のガレージと、整然と区画された来客用駐車場でした。
「どうして来客用駐車場……こんなことに……?」
新一が呆然と呟くと、隣を歩く雫が解説してくれました。
「法律規制が凄いキツくなったから……特に路上駐車は長いことは禁止になったの。
だから来客が多い……工藤邸の来客用駐車場になった……」
時代の変化は、米花町の風景すらも作り変えていました。駐車場には、昨日の会話にも出てきた2台のSUVが並んで止まっていました。
黒塗りのPHEVのエアトレックと、白塗りのアウトランダーです。
「もしかして……これが……?」
新一が食い入るように車体を見つめると、雫が頷きました。
「うん……! エアトレックとアウトランダーだよ……! 両車似ているのは元々、エアトレックの洋名がアウトランダーだから……それを引き継ぐ形でエアトレックは廃止されたの……」
「じゃあパジェロやランサーはないのか……?」
かつての名車たちの名を惜しむように問う新一に、雫は現実を突きつけます。
「パジェロやランサーの後継がこのエアトレックだからね……」
新一は、技術の粋を集めた最新のPHEV(プラグインハイブリッド)(なおエアトレックのみSUV)の静かな佇まいを眺めながら、時代の移り変わりを肌で感じていました。
阿笠博士が愛した「古き良き機械」の時代は終わり、今は環境と効率を重視する時代。その象徴のような車たちが、かつての博士の家の跡地に止まっていることに、新一は複雑な感慨を覚えずにはいられませんでした。
「……そっか。でも、博士の家の跡がこうして活用されてるなら、博士も怒らねーかな」
新一が少し寂しげに笑うと、志保も静かに頷きました。
「……ええ。きっと『最新の技術を導入したんじゃな!』って、目を輝かせて車を分解し始めそうね」
かつての面影が消えた街並みの中で、二人は新しい「2021年」という時代を、ようやく自分たちの現実として受け入れ始めていました。