2021年の米花町は、もはや新一と志保の知っている街ではありませんでした。
「今日は休みだから……散歩しよ……!」
雫に誘われ、三人は再び街へ繰り出します。
「米花三条通……1994年の時は……両側4車線だったのに……8車線となっている……それに……何か高層ビルや高層マンション増えた……?」
広大な道路と、空を覆うようなビル群に新一は圧倒されます。
「今、東京都は『一極集中化』の影響を受けているからね……」
雫の大人びた解説を聞きながら、新一は昨日話していた「デュアルモードバス」をその目で捉えました。
「3連接のバスか……面白そうだな……」
「ええ……ハッキリ言って……技術の進化を垣間見えたわ。しかも近未来的だしな……」
志保も、1994年には想像もつかなかった巨大な連接バスが、滑らかに8車線道路を走る姿に感心しきりです。
「ええ……じゃああれがプリウスやアクア……CX-5なのね……?」
「そうだよ……!」
街を行き交う車のほとんどが、昨日聞いた名前ばかり。カクカクとしたデザインの1994年の車に比べ、どれも丸みを帯びて静かに走り抜けていきます。
散歩を終えて工藤邸に戻ると、新一は習慣でテレビを付けましたが、すぐに違和感に気づきました。
「あれ……? デジタル放送しかないのか……?」
画面の隅に「アナログ」の文字はなく、映像は恐ろしいほど鮮明です。
「2011年ぐらいにアナログ放送は終わったからね……」
雫の言葉に、新一は「そんなに前に終わってたのか」と時代の流れを痛感します。
そして、チャンネルを回してプロ野球中継を見つけた時、二人は再び絶句しました。
「パシフィック・リーグの……試合だな……」
「福岡ソフトバンクホークス?とオリックス・バファローズ?」
志保が困惑気味に読み上げると、雫が当然のように補足します。
「それはパパとママ……今のダイエーと近鉄だよ……?」
「「え……!?」」
「ダイエー」も「近鉄」も、球団名から消滅している――。
1994年であれほど熱く語られていた名前が、未来では別の企業の名前になっている現実に、新一と志保は顔を見合わせました。
「……ソフトバンク……オリックス……。おいおい、時代が変わりすぎてて、ついていくのが精一杯だぜ」
「……ええ。でも、名前が変わっても野球は続いているのね。私たちの人生と同じように」
志保の少し哲学的な言葉に、新一は苦笑しながらも、新しい時代の「常識」を少しずつ飲み込み始めました。
プロ野球の再編だけでもショックだった新一に、さらなる衝撃が走ります。
「あれ……? Jリーグは……?」
サッカー好きの新一にとっては死活問題ですが、雫の口から出たのは残酷な答えでした。
「この世界じゃあ……解散したよ……?」
「マジで……!?」
新一は椅子から転げ落ちそうになります。1994年当時にはあんなに盛り上がっていたJリーグが、未来では消滅しているというのです。
「現実世界だとまだあるみたいだけど……それでも批判されているぐらいだから……もうダメなの。逆に維持を圧迫してしまうわ……」
雫は冷徹なまでの現実を語ります。そして、この世界の新しいスポーツ体系について説明し始めました。
「現実世界に例えるなら……セントラル・リーグが東京ヴェルディ、湘南ベルマーレ、ガンバ大阪、川崎フロンターレ、名古屋グランパスエイト、サンフレッチェ広島……。
パシフィック・リーグだと浦和レッズ、セレッソ大阪、鹿島アントラーズ、アビスパ福岡、北海道コンサドーレ札幌、ベガルタ仙台の……構成になるわ……」
「野球と同じじゃねえか……!」
新一は思わず叫びました。
かつて地域密着を掲げたJリーグの各チームが、プロ野球と同じ「2リーグ制」に組み込まれ、野球とセットで運営されているという驚愕の未来図。
「この世界じゃ……チーム名が違うから……要注意ね……」
志保が手元のデバイスで情報を確認しながら、冷静に付け加えました。
昨日の散歩で雫が言っていた「バルバロッサ広島」も、このプロ野球型サッカーリーグのチームだったのです。
「Jリーグ100年構想はどうなっちまったんだよ……。ヴェルディとガンバが同じリーグで、レッズとアントラーズが別……。しかも野球と同じシステムかよ……」
新一は頭を抱えました。
(1994年のオレが知ったら、ショックで寝込むレベルだぜ……)
しかし、志保は少し違う視点から画面を見つめていました。
「でも江戸川君……いえ、新一。これなら経営は安定しているようだし、人気も二分されていて盛り上がっているみたいよ? あなたが好きな『サッカー』の形は変わっても、情熱は死んでいないみたい」
「……まあ、そうだな。雫がバルバロッサの選手に憧れてるのも、そのおかげか」
新一は、変わり果てた「未来のスポーツ界」に戸惑いつつも、娘が楽しそうに順位表を見ている姿を見て、少しずつ新しい常識を受け入れようとするのでした。
新一は、雫から語られる「2021年のスポーツ地図」を頭の中で必死に整理しようとしました。
「じゃあ……うちの世界で言うと……」
雫はスラスラと、この世界の構成を読み上げます。
「セントラル・リーグが東京スピリッツ、川崎ブランデー、湘南レーザービーム、ビック大阪、名古屋パシフィック、バルバロッサ広島……。
パシフィック・リーグは浦賀ナイトイレブン、ネイビータイガーズ大阪、鹿島フェニックス、福岡デュエルストーム、札幌アインズフェンリルズ、アスティパイレーツ仙台……ね……」
「そうか……(全然違う名前に進化してやがる……)」
1994年の常識が通用しない世界。しかし、そんな驚きよりも、今このリビングで起きている「現実」の方が新一には衝撃的でした。
「で……めちゃくちゃ宮野がくっついてくるのはなぜ……?」
新一が困惑気味に尋ねると、志保は40代とは思えない距離感で新一の腕にぴたりと寄り添い、離れようとしません。
「お母さんはやっぱり……お父さんの前では『女の子』になりたいんだね……」
雫が達観したような目で両親を見つめると、志保は新一の肩に頭を預けたまま、少し幼い声で催促しました。
「早く早く……ご飯……!」
かつてのクールなシェリーや、皮肉屋の灰原哀の面影はどこへやら。新一の前でだけ解放される「甘えん坊」な志保の姿に、次女の友花が台所から呆れたように声をかけます。
「はいはい……お母さんも手伝ってね……」
「……あ、私もやるわよ」
渋々といった様子で腰を上げる志保。40代の彼女は、家庭内では完璧な母親というより、どこか大きな子供のような、愛される存在になっているようです。
「(時給制のサラリーマンに、甘えん坊の妻、そしてしっかり者の6人の子供たち……。組織を壊滅させた後に待っていたのは、こんなに騒がしくて平和な未来だったのか)」
新一は少し照れくさそうに鼻の下を擦りながら、友花が運んできた温かい味噌汁の湯気を見つめました。1994年の「コナン」だった自分には想像もできなかった、これが工藤新一の「正解」の形なのかもしれません。
夕食の和やかな空気が、祐介の一言で一瞬にして凍りつきました。
「お二人とも……『黒の組織』はまだ現代になっても潰れていませんよ……?」
「「え……!?」」
新一と志保の声が裏返りました。1994年のあの死闘、そして自分たちが大人に戻れたあの苦労は何だったのか。
「犯罪組織なんて……どこも同じです……『力から知能』に変わっただけのこと……。さらに組織も再編されたりして……改革が起きます……」
祐介が静かに、しかし冷酷な現実を説きます。
「ということは『栄枯盛衰』ってことか……?」
新一が呻くように問うと、祐介は「はい」と頷きました。
「実際に俊兄も困っています……」
その時、玄関から重い足音が響き、公安警察のスーツを纏った長男・俊太郎が入ってきました。
「ほぼ警察庁と同じだ……。今の詐欺組織は検察庁と同じようなピラミッド構造……。潰れても……また残党が群がるだけ……。じゃあどうすればいいのかって、降谷零次長官(警視監)と喋っているよ……」
「降谷さんが……次長官……!?」
かつての「安室透」が、今や警察庁のトップクラスに上り詰めている事実に驚きつつも、新一は最悪の可能性を口にします。
「まさか……奴らオレが飲んだアポトキシン4869を飲んで、幹部たちが幼児化したんじゃないよな……?」
もしジンのような奴らが若返って潜伏していたら、まさに悪夢です。しかし、祐介は首を横に振りました。
「それは効率的に考えれば悪いから……。薬を使わないで……人材育成に力を注いだっていう説が有力視されてる……」
「……人材育成だと?」
「ええ。今の組織は、無理やり若返るような不安定な薬に頼るより、優秀な若者を洗脳し、ITや金融のスペシャリストとして育てる方にシフトした。かつての武闘派から、国を裏から操る『知能派』へ……。名前も形も変えて、社会の闇に溶け込んでいるんだよ」
俊太郎はネクタイを緩め、新一を見据えました。
「父さんが命がけで戦った『烏丸蓮耶』の時代は終わったかもしれない。でも、その負の遺産はより狡猾に、より強固な組織として生き残っているんだ」
時給制のサラリーマンとして平和を享受していると思っていた新一の前に、再び「探偵」としての、そして「父親」としての戦いの予感が漂い始めました。
「で……検察庁に例えた理由って……?」
新一がさらに踏み込むと、俊太郎は公安警察官らしい冷静な口調で説明を続けました。
「検察庁は最高検察庁、高等検察庁、地方検察庁と……ピラミッド構造になっているからね……。 組織も同じように、トップの意思が末端までシステマチックに伝わる構造を模倣しているんだ。昔のような個人のスタンドプレーじゃなく、組織力で動いている」
「分かりやすいような気はするな……」
新一が腕を組んで納得していると、雫がそっと志保の肩に手を置きました。
「パパとママ……大丈夫……2代目シェリーがいるから……。ママは直接は狙われないよ……余程のことがない限り……」
「そうね……。女性ということだけど……こんな中年の女性があの組織に再就職することは難しいんじゃないかしら……?」
志保が自虐混じりに言うと、俊太郎、祐介、友花の3人は深く、非常に深く同意するように頷きました。それを見た志保は少しムッとした表情になりますが、新一が表情を引き締めて釘を刺します。
「でも……念のため戸締まりはしっかりしておこう。志保はよくても……まだ若い友花と雫が狙われるかもしれないからね……」
「うん……!」
雫が元気よく返事をし、家族の安全を再確認したところで、俊太郎が少し真面目なトーンで切り出しました。
「それと父さん……母さん……お見合いを考えているんだけど……いいかな……?」
「いいぞ……」
新一が即答すると、志保も母親の顔になって頷きました。
「俊太郎も1999年生まれで……23歳だけど……。そろそろお見合いとしては考えるべき歳ね……」
2021年の現在、俊太郎は立派な社会人。公安という過酷な職務に身を置く息子を案じ、二人はその申し出を快く受け入れました。
かつて組織に追われ、恋愛どころではなかった二人にとって、息子が「お見合い」という平和なステップに進もうとしていることは、感慨深い変化でした。