名探偵コナン短編連載「時をかける異邦人」   作:アサシン・零

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第6話「永久不変前編」

2021年、米花町。

 

かつて「死神が住む街」とまで揶揄されたこの場所も、今や再開発の波に呑まれ、その姿を劇的に変えていた。

 

新一と志保は、雫を連れて歩き出す。

 

「……信じられねーな。あそこ、確か古びた駄菓子屋があったはずだろ?」

 

新一が指差したのは、ガラス張りの巨大なショッピングモール『米花グランドプラザ』だ。

 

1994年には、埃を被った瓶コーラが並んでいた商店街の入り口は、今は自動ドアとデジタルサイネージに取って代わられている。

 

「時の流れは無慈悲だわ。でも、見て。あっちの空を」

志保の声に視線を上げると、新一は息を呑んだ。

 

「米花シティタワービル……復活したのか」

 

かつて森谷帝二の手によって爆破され、新一と蘭が赤い糸の選択を迫られたあの忌まわしきビルが、より高く、より強固な威容を誇ってそびえ立っていた。一方で杯戸町の杯戸シティホテルも、今や西館と東館のツインタワーとなり、米花の空を独占している。

 

「パパ、ママ! あそこで何か事件かな?」

 

雫の声に、二人は現実に引き戻された。ショッピングモールの入り口付近で、警察車両が数台停まっている。

 

「おいおい、この街の治安は30年経っても変わらねーのかよ」

 

苦笑いしながら近づいた新一の前に、一人の長身の刑事が立ちはだかった。

 

「ちょっと、関係者以外は下がって……え?」

 

その刑事が顔を上げた瞬間、新一はデジャヴに襲われた。キリッとした目元、短く切りそろえられた髪。

 

それは、かつて自分たちを「コナン君!」と呼んで追いかけていた少女の面影を色濃く残していた。

 

「……歩美、ちゃん?」

 

「え……新一お兄さん……? それに志保お姉さん!?」

 

吉田歩美巡査部長。警視庁捜査一課強行犯三係、佐藤美和子の魂を受け継いだと言われる中堅刑事は、手に持っていたタブレットを落としそうになりながら、二人を見つめた。

 

「嘘、いつ帰ってきたの!? ずっと連絡が取れないって、高木警部(1994年は巡査部長)も心配してたんだから!」

 

「悪い、ちょっと遠出をしててな」

 

新一が頭を掻いていると、パトカーの影から恰幅のいい男性が顔を出した。

 

「おい、吉田刑事、どうかしたのか……って、ゲェッ! 新一のダンナ!?」

 

エプロン姿のその男は、小嶋元太だった。

 

「元太! お前、その格好……」

 

「へへ、今はここのモールの地下にある『スーパー小嶋』の店長をやってんだ。万引き犯を捕まえるのを手伝っててよ」

 

かつてのガキ大将は、今や地域住民の食を支える頼れる店長だ。

 

「おやおや、皆さんお揃いで。奇遇ですね」

 

落ち着いた声と共に現れたのは、仕立ての良いスーツに眼鏡をかけた知的な青年だった。

 

「光彦! お前まで……」

 

「今は東都大学の工学部で助教授をしています。専門は理学学科……主に量子力学を。新一お兄さんの明晰な頭脳には、今でも一歩及びませんがね」

 

円谷光彦は、かつての背伸びした少年から、本物のエリートへと成長を遂げていた。

 

「「新一お兄さん、志保お姉さん、お帰りなさい!」」

 

三人の声が重なる。

 

30年前、帝丹小学校の教室で笑い合っていた「少年探偵団」。

 

彼らは今、刑事として、実業家として、学者として、この変貌した米花町を守り、支える柱となっていた。

 

「……たく、みんな立派になりやがって」

 

新一は眩しそうに彼らを見つめる。

 

「そうね。世界は変わっても、彼らの中にあった『正義』は枯れていなかったみたいだわ」

 

志保も、少し目元を潤ませながら微笑んだ。

 

だが、再会の喜びも束の間。

 

歩美の腰にある警察用無線が、不穏なノイズを吐き出した。

『……一課から現場の吉田へ。米花シティタワー付近で不審な通信を傍受。コードは……“ブラック・ジン”』

 

新一の表情が、一瞬にして「名探偵」のものへと変わった。

 

「歩美、今のコード……」

 

「ええ……。新一お兄さん、やっぱりこの街には、まだあなたの力が必要みたい」

 

2021年の米花町。

 

新しくなった建物の影には、より深く、より巨大な闇が、再びその鎌首をもたげようとしていた。

 

「新一さん、志保さん。この時代を堪能してちょうだい。事件なら……俊太郎君からも『警察関連はオレに任せて』って言われているしね」

 

歩美はそう言って、眩しいほどの笑顔を見せた。かつての幼い面影を残しながらも、その背中には組織を背負うプロの風格が漂っている。

 

彼女はそのまま、待機していた同僚たちの元へ駆け寄っていった。

 

「新出蘭警部補、安達純一警部補、村上隆輔巡査部長……。みんな、新生強行犯三係のメンバーよ」

 

志保が手元のデバイスで確認した情報と照らし合わせるように呟く。

 

「工藤君、志保さん! お久しぶり! だけど事件はこっちに任せて!」

 

聞き覚えのある温かい声に振り向くと、そこには高木渉警部が立っていた。

 

係長であり班長という重責を担う立場になっても、あの優しげなタヌキ顔は変わらない。

 

高木は笑顔で大きく手を振ると、蘭や安達、村上といった精鋭たちを率いて、迷いのない足取りで現場の店舗へと消えていった。

 

「……あいつら、本当に立派になりやがって」

 

新一は、もう自分が割って入る隙間のない「現代の警察」の姿に、少しの寂しさと、それ以上の誇らしさを感じていた。

 

「パパ、ママ、こっちだよ!」

 

案内役の雫に連れられ、三人はある大きなビルへと向かった。

 

見上げれば、そこには『新出ビル』の文字。そして隣接するのは、かつての面影を残しつつも最新設備を備えた『新出米花総合病院』だ。

 

中に入ると、ロビーの大型モニターには今日の執刀スケジュールが映し出されていた。

 

「……新出智明院長。まだバリバリの現役かよ」

 

新一が驚いたのは、院長という立場にありながら、自ら執刀医として最前線に立っていることだった。

 

「院長と一緒にオペに入りたいっていう若手医師が後を絶たないらしいわよ。カリスマ性は健在ね」

 

志保が感心したように言う通り、周囲のスタッフたちの眼差しには、院長への深い信頼と憧れが満ちていた。

 

病院を出て隣の新出ビルを眺めた新一は、ふと足を止めた。

 

「……ここ、もしかして」

 

「そう。昔の毛利ビルを改築したのよ」

 

2階、3階には『毛利探偵事務所』の看板が。3階には今も小五郎の部屋があり、そして4階には『新出』の表札。新出夫妻――智明と蘭の生活の場がそこにあるのだろう。

 

かつて木造モルタルだったビルは、耐震補強とスマートホーム化が施された近代建築へと生まれ変わっていた。

 

「次はあそこ! 米花シティタワーだよ!」

 

帝二がかつて破壊したビルの「2代目」がそびえ立っていた。

 

かつての設計者の名は跡形もなく消え、現在は輪舞区(区役所)が管理する公的なシンボル。

 

その姿は、現実世界の池袋サンシャイン60を彷彿とさせた。

 

「すごいわね……。単なるビルじゃない、一つの巨大な街だわ」

 

志保が呟く通り、内部には無数の店舗やオフィス、そして展望カフェが隣接している。

 

新一は、1994年のあの夜、蘭と背中合わせに座り、爆弾のコードを切るかどうかを迷ったあの場所を思い出した。

今はもう、あの時のような殺意に満ちた火薬の匂いはしない。

 

代わりに漂っているのは、挽きたてのコーヒーの香りと、買い物客たちの平和な笑い声。

 

「パパ、カフェで休憩しよう?」

 

雫に袖を引かれ、新一は「ああ、そうだな」と頷いた。

窓の外に広がる、8車線の道路と巨大な連接バスが行き交う米花町。

 

1994年の少年には想像もできなかった、豊かさと引き換えに何かを失い、それでも力強く進み続ける2026年の景色。

新一

は志保と視線を合わせ、そっとその手を握った。

この時代は、かつての自分たちが命をかけて守ろうとした、

 

その先の未来なのだ。

 

「……あれは?」

 

米花シティタワーの喧騒の中、新一の鋭い視線が一点に止まった。

 

「俊太郎ね……」

 

志保も隣で、誇らしげな、けれど少し遠いものを見るような瞳で呟く。

 

そこには、仕立ての良いダークスーツを着こなし、数十人の外国人に囲まれて毅然と立つ長男・俊太郎の姿があった。

 

「では……後ほど警察庁警備局公安課と警備企画課、合同で説明させていただきます」

 

冷徹なまでに落ち着いたその声は、かつての新一が持っていた青臭い正義感とは一線を画す、国家の守護者としての重みがあった。

 

「おう、俊太郎! こいつらは……?」

 

新一が声をかけると、俊太郎は表情を崩さぬまま、隣に立つ大柄な男を紹介した。

 

「米国連邦捜査局(FBI)の皆様方だよ」

その中の一人、鋭い眼光を持つ赤星 駿佑捜査官が、俊太郎を見てわずかに口角を上げた。

 

「では、工藤君。また後ほど会いましょう」

 

「ええ、お願いします」

 

俊太郎は短く答え、彼らを見送った。

 

新一と志保は顔を見合わせ、静かに確信した。自分たちが第一線を退いた後も、この息子はFBIと極秘の合同捜査網を敷き、見えない「闇」と戦い続けていたのだ。

 

「独断じゃない。警備局局長の高山 津貢さんの提案だ。今、この国はそれほどまでの備えを必要としているんだよ」

 

俊太郎の言葉に、新一はかつて赤井秀一たちと駆け抜けた日々を思い出し、胸の奥が熱くなるのを感じた。

 

俊太郎と別れ、警察庁の重厚な門を出た二人の前に、今度は意外な人物が待ち構えていた。

 

「やぁ……新一従兄さん。相変わらず、少し疲れた顔をしてるね」

 

「……快斗!」

 

そこに立っていたのは、かつて「怪盗キッド」として夜の闇を騒がせた、黒羽快斗だった。

 

隣には、相変わらず浮世離れした美しさを放つ妻、紅子の姿もある。

 

「やぁ、快斗。お前、その格好……マジシャンとしてまだやってるのか?」

 

「当たり前だろ? 僕はいつだって、人々に夢を見せるエンターテイナーだからね」

 

不敵に笑う快斗の姿は、あの頃と少しも変わらない。

 

「新一、志保。動かないで……」

 

紅子が静かに、けれど有無を言わせぬ声で制した。彼女の手には、古びた数秘術のカードが握られている。

 

「数秘術によれば……今日のあなたたちの運命は『結び』と『転換』。かつての敵が友となり、かつての謎が新たな真実に変わる日」

 

「紅子さん、相変わらずね……」

 

志保が苦笑いすると、紅子は妖しく微笑んでカードをしまった。

 

「科学では測れないものもあるのよ、志保さん。あなたたちが1994年から持ってきた『因縁』は、この2021年でようやく一つの終着点を見つけることになるわ」

 

快斗は新一の肩を叩き、耳元で囁いた。

 

「従兄さん、俊太郎君たちが追ってるヤマ……僕も少しだけ『裏』から手伝ってるよ。あの組織の残党が狙ってる獲物は、宝石よりもタチが悪いからね」

 

新一は空を見上げた。

 

27年前、独りで戦っていると思っていた自分。

今、目の前には息子が守る国家の盾があり、隣にはかつての好敵手が敷く情報網がある。

 

「……栄枯盛衰、か。時代は変わるが、悪いことばかりじゃねーな」

 

新一は隣に立つ志保の手を強く握りしめた。

紅子の占った「転換」の日。

 

新しく生まれ変わった米花町の空の下で、新たな事件の幕が上がろうとしていた。

 

2021年の、あの少し切なくて温かい夕食。

 

成人した息子たちの頼もしい背中と、甘えん坊になった志保の体温。

 

新一は、心地よい疲れの中で深い眠りについた。

 

(ああ……やっと、オレの戦いは終わったんだな……)

そう思いながら、意識はゆっくりと闇に沈んでいったはずだった。

 

「………………おい」

 

「………………嘘でしょ」

 

まどろみの中で聞こえてきたのは、自分自身の、けれどひどく聞き慣れた「高い声」だった。

 

新一……いや、コナンが恐る恐る目を開けると、そこにあったのは、2021年のスマートホーム化された寝室ではない。

色褪せた壁紙、積み上げられた古い百科事典。そして、窓の外には1994年の、あの少し埃っぽい米花町の夕焼けが広がっていた。

 

「戻って……きちゃったわね、江戸川君」

 

隣では、灰原哀が、7歳の少女の姿で呆然と自分の小さな手を見つめていた。

 

「夢じゃ……なかったのかよ……」

 

コナンが頭を抱えてソファに沈み込むと、階下からドタバタと騒がしい足音が響いてきた。

 

「お父さーん! お母さーん! 朝ごはんまだー?」

 

「俊太郎兄さん、勝手に冷蔵庫開けないでよ! 1994年の牛乳は貴重なんだから!」

 

「あ、これガラケーだ! 懐かしい、おもちゃみたい!」

 

工藤邸のリビングには、昨日と変わらず(あるいは27年後と変わらず)、未来からやってきた6人の子供たちが勢揃いしていた。

 

「うーん……ハッ……!」

 

最後に起きてきた末っ子の雫が、リビングの景色を見渡して、ぱぁっと顔を輝かせた。

 

「また1994年の世界だ……! やったぁ、やっぱり面白そう!」

 

「「………………」」

 

コナンの頬を、一筋の冷や汗が伝う。

 

あの2026年の光景が夢だったのか、それとも今この1994年が夢なのか。

 

どちらにせよ、確かなことが一つだけあった。

 

「……灰原。オレたちの『平和な未来』は、どうやらこの大所帯を1994年の物価で食わせていくところから始まるらしいぜ……」

 

「……冗談じゃないわ。工藤邸の貯金が底をつくのが先か、組織に見つかるのが先か……賭ける?」

 

灰原が死んだ魚のような目でコーヒーを啜る横で、雫たちは

 

「ねえ、テレビにアナログって書いてあるよ!」「すごーい!」と、歴史的資料を見るようなテンションではしゃぎ回っている。

 

コナンは窓の外を見上げた。

 

そこには、まだ8車線化されていない米花三条通と、ゆっくりと走るリアエンジンバスが見える。

 

未来を見てきた「子供の姿をした親」と、過去に放り出された「大人の姿をした子供たち」。

 

「……終わらねーな、これ」

 

コナンのゲンナリとした呟きは、未来から来た子供たちの笑い声にかき消されていった。

 

1994年の米花町。二人の「名探偵」にとっての、最も長くて騒がしい日常は、まだ始まったばかりだった。

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