エンジンの振動は、少しだけ心臓に似ている。
低く脈打つ音を聞きながら、私はふと、あの山奥の朝を思い出すことがある。
十六歳の私は、世界をなめていた。
カプセルコーポレーション製の最新型バイク。未舗装路でも安定するサスペンション。軽量フレーム。操作はシンプル。アクセルをひねれば走る。ただそれだけ。
まだ私は、この冒険を怖いとは思っていなかった。
恐竜が現れるまでは。
あの巨大な影が視界を覆った瞬間、理屈も理性も吹き飛んだ。次の瞬間には、私はその腕の中に持ち上げられていた。
空中で暴れながら、下を見ると、地面に残された自分のバイクが見えた。
そして、
尻尾の生えた小さな少年、孫悟空。
あいつが、私のバイクにまたがった。
あの時の孫くんは、車も知らなかった。都会も知らなかった。常識も、機械の構造も、性別さえも、何も。
なのに。
エンジン音が高まり、車体が前へ跳ねる。
まるで生き物みたいに、一直線にこちらへ迫ってきた。
そして、私は孫くんに無事救出された。
後になって考えた。
もし、あのバイクがマニュアルだったら。
クラッチを握らなければ動かない。
ギアを入れなければ進まない。
半クラで慎重につながなければエンストする。
当時の孫くんがそれを理解できるわけがない。
そもそも、当時の孫くんはペダルに足がとどかない。
あいつ、本当にチビだったんだから。
きっとアクセルを回しても動かず、首をかしげただろう。
無理にひねって、アクセルを壊したかもしれない。
なす術もなく、私は空の彼方へ連れ去られていただろう。
恐竜の巣。
暗い胃袋。
それで終わり。
ドラゴンボール探しの冒険も、みんなとの出会いも、思い出も、何一つ始まらない。
私の物語は、あの朝で閉じていた。
たった一つの構造の違いで。
全部、あのバイクがオートマだったから続いたの。
……ねぇ、笑えるでしょ?
世界の命運が、
クラッチ一つで分かれてたなんて。
私は科学者だ。合理性を信じている。
けれど時々、思う。
未来は案外、理論じゃなくて偶然で救われるのかもしれない。
アクセルをひねれば進む。
それだけでよかった。
孫くんが直感で扱える単純さ。
その単純さが、私を救った。
エンジンをかけるたび、今でもたまに胸の奥が少しだけ冷える。
もし、あの日にクラッチが必要だったら。
私はきっと、歴史のどこにも存在しない。
だから私は今日も、余計な機構を削ぎ落とす。
誰でも扱える設計を選ぶ。
世界は複雑だけれど、
命を救うのは、案外、単純さなのだから。
そして私は、静かにアクセルをひねる。
あの朝と同じように。
でも実は、メカ好きとしてはマニュアルバイクも捨てきれない。
これが、人間の業なのかしら?