国境の街ラインハルトを守り抜いたエルナとエクセリオンが、次なる目的地である鍛冶の街『アイアンフォージ』に辿り着いたのは、それから三日後のことだった。
アイアンフォージは、大陸中の鉄が集まり、無数の煙突から吐き出される黒煙が空を覆い、鋼を叩く鎚の音が昼夜を問わず響く、文字通り「鉄の心臓」を持つ街である。
門をくぐるなり、エルナは周囲の視線にさらされた。
彼女は今、ラインハルトで手に入れた「死霊騎士の呪いのマント(洗濯済み)」で、あの半分崩れかけた巨大な岩を包み、太い鎖で背中に固定している。その姿は、およそ神に仕える乙女とは程遠い。
「……ねえ、エクセリオン。さっきからみんな、私のことを見てヒソヒソ言ってない?」
『当たり前だ。いいか、お前は自覚がなさすぎる。ラインハルトでの戦果がすでに、早馬の伝令によって各地に広まっているんだ。それも、お前の望まぬ形でな』
「望まぬ形?」
エルナが首を傾げたその時、近くの酒場から出てきた酔っ払いの男たちが、彼女を見て叫んだ。
「おい、見たかよ! あの背中の巨大な包み……あれこそ、死霊騎士を『岩ごと』圧殺したっていう、噂の
「本物だ! あの細腕で百キロ超えの岩を振り回して、魔物の頭をスイカみたいに割るっていう……!」
わあぁ、という歓声が上がる。
エルナは、その場で凍りついた。
「……い、いわくれのせいじょ……?」
『おめでとう、エルナ。お前の「可憐な聖女として王子様に助けられる」という夢に、物理的なトドメが刺された瞬間だ。今や世界中の人間が、お前を「最強のパワー系聖職者」として崇拝し始めているぞ』
「嘘よ……私の二つ名、もっとこう『光の乙女』とか『祈りの白百合』とか、そういう感じになるはずだったのに!」
絶望するエルナだったが、背中の「重り」が消えるわけではない。彼女は現実逃避するようにぶつぶつと文句を吐きながらも、街で一番腕が良いとされる鍛冶屋の暖簾をくぐった。
※※※※※
その鍛冶屋の名は『黒鉄の牙』。店主であるドワーフの親方、ガンドルフは、エルナが背中の岩をドスンと床に置いた瞬間、愛用のパイプを落とした。
「……嬢ちゃん。こりゃあ、たまげた。中身を包んでいる呪いの布はともかく、その中から漏れ出している『気配』は、ただの岩じゃねえ」
「やっぱりわかる? これ、伝説の聖剣なの。抜けないからそのまま持ってきたんだけど」
エルナがマントを剥ぎ取ると、そこには無数にヒビの入った、いびつな岩塊と、そこから突き出したエクセリオンの柄が姿を現した。
『ふん。ようやく目利きのできる男に会えたようだな。さあ、親方。この忌々しい岩を粉々に粉砕し、私をこの理不尽な拘束から解き放ってくれ!』
ガンドルフは鼻眼鏡をかけ、エクセリオンではなく、その下の「岩」をじっくりと観察し始めた。タガネでコツコツと叩き、拡大鏡で亀裂の奥を覗き込む。
やがて、彼は深刻な顔で腕を組んだ。
「……嬢ちゃん。こいつは、ただの岩盤じゃねえ。『神代の重力封印』だ」
「「重力封印?」」
エルナとエクセリオンの声が重なった。
「ああ。古の昔、あまりに強すぎる力を持つ神具や魔具が、世界を壊さねえように神が施した絶対の拘束具だ。この岩は、周囲の重力を一点に集め、固定する性質を持っている……つまりだ。この剣が抜けないのは、嬢ちゃんの資質の問題じゃねえ。この岩そのものが、『世界そのもの』と魔法的に癒着しちまってるんだよ」
『な、なんだと……!? つまり、私は最初から、抜けるはずのない無理ゲーな設定を押し付けられていたというか!?』
「それだけじゃねえぞ。これだけの封印を施されるってことは、この剣が抜けた瞬間、その反動で大陸の一つや二つ、ひっくり返るかもしれねえ。……嬢ちゃん、あんたがこいつを抜こうとして抜けないのは、ある意味、世界がまだ滅びちゃならねえっていう神の配慮かもしれねえな」
エルナは、呆然とした。
自分が「勇者の資質がないから抜けない」のだとばかり思っていたが、事態はもっと物理的、かつ大規模な話だったのだ。
「……じゃあ、もう抜かなくていいわよね?」
『おい! そこは「いつか封印を解いてみせる」と熱く誓う場面だろう! なぜそんなに清々しい顔をしている!』
「だって、抜いたら大陸が沈むんでしょ? そんなの怖くてできないわよ。だったら、このまま『岩』として使いこなす方が建設的だわ」
エルナの瞳に、迷いのない、そして極めて危険な光が宿った。
「親方。お願いがあるの。この『世界と癒着した岩』を、もっと効率よく振り回せるように、改造してちょうだい」
※※※※※
ガンドルフは、エルナの注文を聞いて、最初は絶句した。
だが、彼はドワーフである。常識よりも「面白い鉄仕事」を優先する血が騒ぎ始めた。
「面白い。伝説の聖剣を『芯』にして、最強のメイスを作るってわけだな? よし、乗ったぜ。代金はアンタがラインハルトを救った報奨金で足りるだろう」
そこから丸二日、鍛冶場からは激しい火花と、エクセリオンの「やめろぉ!」「熱い!」「神の金属を火箸で摘むな!」という絶叫が絶え間なく響いた。
そして三日目の朝。
アイアンフォージの広場に、新たな装備を纏った聖女が降り立った。
「……完璧だわ。想像以上の出来ね」
エルナが背負っているのは、もはやただの岩ではない。
かつての岩塊は、強度と重量バランスを最適化するために鋼鉄のフレームで強固にコーティングされ、八角形の巨大な金槌のような形状へと整形されていた。
鋼鉄の表面には、打撃時の魔力伝導を高める聖なるルーンが刻まれ、岩の角からは四方に鋭い
そして最大の特徴は、エクセリオンの柄の根元に新設された「補助用のサブ・グリップ」と、そこから伸びる「伸縮式の超硬チェーン」だ。
『……お前たち、本当に地獄に落ちるぞ。私の柄を軸にして、なぜチェインメイスの機能を付け足すんだ。私は剣だぞ! 斬り裂きたいんだ! なぜ「遠心力で叩き潰す」ことに特化させるんだ!』
「黙ってなさい。親方の説明によると、このチェーンを伸ばして振り回せば、有効射程は二十メートルを超えるわ。もうスッポ抜けても大丈夫ね、引き戻せるから」
エルナは、新兵器の感触を確かめるように、空中で一度スイングした。
ブォンッ! という空気を引き裂く重低音が広場に響き、近くの露店の看板が風圧だけで吹き飛んだ。
「名前はそうね……『対魔王用・質量兵器:
『ネーミングセンスが死んでいる! もっと「エクセリオン・なんとか」とか、私の名前を大事にしろ!』
「うるさいわね。ほら、魔王軍が次の街に向かったっていう情報が入ったわよ。行くわよ、ガンちゃん!」
『ガンちゃん言うな!』
※※※※※
旅を再開したエルナだったが、その心は晴れなかった。
改造された「岩聖剣」は確かに強かった。途中の森で遭遇した
戦うたびに、街の人々や旅の商人たちの噂は過熱していく。
「見たか……あの『岩塊の聖女』を。一振りで山を削り、一撃で川を止めるという……」
「彼女が歩いた後には草一本残らねえ。魔物すら、彼女の姿を見ただけで泡を吹いて逃げ出すらしいぞ」
立ち寄った服屋では、エルナが可愛いフリル付きのワンピースを手に取っただけで、店主が震えながら「ひっ! そ、そのような軟弱な布切れ、聖女様の筋肉には耐えられません! どうぞ、こちらの特製・
「どうして……どうしてこうなったの……」
鏡に映る自分を見る。
髪は少し乱れ、肩幅は心なしかがっしりとし(錯覚だと自分に言い聞かせている)、背中には巨大な鋼鉄の金槌を背負っている。
かつての夢――白馬の王子様に抱き上げられる夢は、今や「もし王子様に抱きついたら、彼の肋骨を粉砕してしまうのではないか」という物理的な恐怖へと変わっていた。
『諦めろ、エルナ。お前が選んだ道だ。……だが、安心しろ。少なくとも私は、お前がどれだけゴリラのような膂力を身につけようとも、お前の相棒であり続けてやる。この封印が解けるその日までな』
「エクセリオン……。あんた、たまにはいいこと言うじゃない」
聖剣の言葉に、エルナは涙を拭った。
『ああ。だってお前が死んだら、私はまたあの森で、地面に刺さったまま何百年も暇を持て余すことになるからな。……それに、お前のその「クマさんパンツ」、私が乾かしてやらないと、誰もやる奴がいないだろう?』
「……やっぱりあんた、一回地面に埋め直してやろうかしら」
エルナは、背中の巨大な武器を一度叩き(ものすごい音と悲鳴がした)、歩き出した。
夕日に伸びる彼女の影は、もはや乙女のそれではなく、世界を救う「最強の守護者」のシルエットをしていた。
魔王城までは、まだ遠い。
だが、今の彼女ならば、魔王城の門を「鍵を探す」代わりに「門ごと粉砕」して突破することだろう。
聖女エルナと、岩に刺さった聖剣エクセリオン。
二人の、あまりにも騒がしく、そして「物理的」な伝説は、ここから加速していくのだった。
たぶんね。