焼けた空の英雄、教師になる(非常勤)   作:ラス夢

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第11話『約束は夜の香り』

 

放課後のトリニティは、

綺麗すぎて少しだけ嘘みたいだ。

 

白い校舎の壁は夕日に染まり、

窓ガラスは薄い金色の鏡になる。

石畳の隙間に残った昼の熱が、

じんわり足裏に伝わってくる。

遠くの噴水が小さく水音を立てていて、

誰かの笑い声が角を曲がるたびに反射して、ふっと消える。

 

その中を歩いてると、

世界が「問題ありません」って顔で続いてるのが分かる。

でも私は、

ここ数日ずっと…胸の奥だけが落ち着かない。

 

先生のこと。

 

ラスティ先生。

黒いスーツを身に纏い、青みがかった黒髪、

大きな背丈、低くて優しい声を発する甘いマスク。

 

最初に教室に入ってきた瞬間、

教室の空気が入れ替わったみたいだった。

みんなが「わぁ」「かっこいい」って顔を隠せなくて、

私はそれが悔しかった。

自分でも理由が分からなくて、もっと悔しかった。

 

遡ること――三日前。

私が、放課後に落ち合う約束をした。

最初は、あのガレージの一件でお説教にお呼ばれして

いたのだが、余り怒る話でもないし、まるでゲームの

話のようなので、私の気に入っている場所で話そうか、

ということになった。

 

「じゃあさ。

三日後時間あるならさ。私のおすすめのカフェ、行かない?」

 

完全に勢いだった。

言った瞬間に喉の奥が熱くなって、

引っ込めるタイミングを逃した。

なのに先生は、少し考えてから短く言った。

 

「時間を作ろう。善処する」

 

その一言が、心臓に刺さったまま抜けない。

 

“時間を作る”って、簡単に言う。

 

簡単に言える人じゃないのに。

先生が何をしてる人なのか、私は全部知らない。

でも、知ってることはある。

 

先生は――あの巨大なロボットに乗る。

 

それが何のためか、どこで何をしてるのか、私は知らない。

聞けるわけない。

 

聞いたら、先生の目が少し遠くなる気がする。

だから私は、勝手に想像するだけだ。

夜のどこかで、危ない仕事をしてる。そういう匂いがする。

 

優男っぽいのに、内側が硬い。

やたら落ち着いてるくせに、

ときどき一瞬だけ人間味のある笑い方をする。

 

……ふっ、って。

あの笑いが、ずるい。

 

(……今日は来るよね)

 

私は、自分に言い聞かせるように、カフェへと足を速めた。

 

私が指定したカフェは、

私が勝手に“安全地帯”って呼んでる場所だ。

ラスティ先生が言う、あのコックピットの中が一人考えに

耽られる場所であるっていうのに似ている…と自己解釈をする。

 

駅前の通りから一本入った静かな路地、

白い壁に木の扉、

丸い小窓から橙色の灯りがこぼれている。

 

扉を開けると、焼き菓子の甘い匂いがふわっと出迎えて、

外の冷たさが一気に遠のく。

 

中は混んでない。

木の床が少しだけきしんで、食器が触れ合う音が小さく響く。

カウンターの奥でミルを挽く音がして、

湯気が立つカップの匂いが空気に混ざる。

 

私は窓際の席に座って、窓の外を一度だけ見た。

夕暮れの光が、ガラス越しに薄い膜みたいに揺れている。

こういう時間は、

何も考えないで甘いものだけ食べてればいいはずなのに。

 

私は時計を見る。

約束の時間にはまだ早い。

 

(……先生、時間は守る人だもんね)

 

そう。

ラスティ先生は遅れない。

遅れるなら理由がある。理由があるなら連絡ぐらいする。

そう思ってるのに、

胸の奥にいやな予感みたいなものが沈んでくる。

 

気分を変えるためにメニューを開いた。

新作のドーナツ。

表面が砂糖で薄く光って、塩が少しだけ効いてるやつ。

甘すぎない。たぶん先生向き。

先生が一口かじって「悪くない」って言うの、見たかった。

想像だけで、なぜか顔が熱くなる。

 

(……私、何してんの)

 

それらを注文をし、両手でカップを包む。

温かさが指先から入ってくるのに、心の中は落ち着かない。

 

五分。

十分。

 

扉の鈴が鳴るたびに、目が勝手に入口の方に上がる。

違う人が入ってくる。違う声がする。違う匂いが混ざる。

私は、そのたびに胸の中で小さく転ぶ。

 

十五分。

二十分。

 

窓の外は、夕焼けが少しずつ紫に溶けていく。

 

(……来ない)

 

スマホを開く。通知はない。

閉じる。開く。閉じる。

こんなことならメアドじゃなくて、日和らずに

モモトークを交換しておくべきだった。

 

スマホをいじる指先だけが忙しいのに、

時間はやけにゆっくり流れる。

 

(……仕事?)

 

ラスティ先生は、教師としての仕事以外にも

何か、とても重要なことをしている…と思っている。

何をしてるか知らないのに、勝手に結びつける。

 

遅れてる=危険なことが起きた。

連絡できない=連絡する余裕がない。

 

私の想像は、いつも悪い方へ走る。

 

三十分。

一時間。

 

カフェの灯りが外の暗さに負けないくらい濃くなって、

ガラスに店内が映り始める。

私の顔もそこに映る。

期待してる顔。

待ってる顔。

それが恥ずかしくて、目を逸らした。

 

店員さんが申し訳なさそうに近づく。

 

「お連れ様、まだ……」

 

私は笑ってみせる。

笑顔を被るのは得意だ。

 

「……うん、たぶん来るって思うけど。持ち帰りにする」

 

自分の声が、少し硬いのが分かった。

怒ってない。泣きそうなだけ。

 

ドーナツを箱に詰めてもらい外に出ると、夜の匂いがした。

冷たい空気、

遠くの車の排気、

湿った石畳、

街灯の熱。

甘い匂いは箱の中に閉じ込めたのに、

胸の奥の甘さだけが苦くなっていく。

 

ドーナツの箱を抱えて歩く。

角を曲がるたび、空が一段暗くなる。

街灯が白く滲んで、影が長く伸びる。

 

(……来ないなら来ないって言えばいいじゃん)

 

あちらの事情などお構い無しな思考が脳内を巡る。

言葉にした瞬間、胸がきゅっと縮んだ。

怒ってるみたいで嫌だった。

 

でも、怒ってないって言い切れるほど大人でもない。

ラスティ先生は先生。私は生徒。

距離は決まってる。

 

なのに、約束なんてしちゃったから、

私は勝手に“特別”を想像した。

 

(……なにそれ、バカじゃん)

 

帰り道の風が冷たくて、目が少しだけ痛い。

涙が出るほどじゃない。

でも、出てもおかしくないぐらいの気持ち。

 

家に着くと、静けさが痛かった。

玄関の灯り、部屋の匂い、いつもの床の冷たさ。

日常がそのままあるのに、私だけが置いていかれたみたい。

 

箱を開ける。

店を出る時はまだ温かさが残っていたが、

今は外気に当てられすっかり冷たくなっている。

まるで、今の私の心のようだった。

 

「…温め直せば、いけるでしょ」

 

自分に言い聞かせる。

“いける”って何が。

私はドーナツに慰められたいのか。

 

レンジに入れて、ボタンを押す。

ガラス越しに回転するドーナツを眺める。

白い輪がゆっくり回って、湯気が少しだけ曇りを作っている。

 

(……先生、今どこにいるんだろ)

 

先生はきっと、私が想像できない場所で、

私が想像できないことをしてる。

 

それが怖い。

 

でも、その怖さの中に、

変な誇らしさが混ざってるのも分かる。

 

(……私、ほんと何)

 

その時。

 

「ピンポーン」

 

インターホンが鳴った。

時間が止まったみたいに、耳だけが冴えた。

 

「ピンポーン」

 

もう一度鳴る。

 

心臓が跳ねた。

こんな時間に誰?

私は恐る恐る覗き穴に目を当てた。

 

…息が詰まった。

そこに立っていたのは、ラスティ先生だった。

 

黒いスーツが、いつもと違う。

格好が乱れてる。

ネクタイが緩くなって、襟元が少し崩れてる。

髪も整ってない。

額には汗。首筋も汗で光ってる。

息が、絶え絶え。

壁に片手をついて、呼吸を整えている。

 

それが妙に生々しくて、

私の喉がからからになる。

 

(……急いで来てくれた、ってこと?)

 

先生が汗だくで走る姿なんて、想像したことなかった。

いつも余裕で、静かで、完璧で。

そんな人が、扉の向こう側で肩で息をしてる。

 

胸の奥が一気にざわつく。

心配と、怒りと、嬉しさと、

何か変な感情が全部混ざって、どれがどれか分からない。

 

(……色っぽいとか、思わないでってば…)

 

思うなって思うほど、意識してしまう。

汗が光る首元。乱れた襟。低い呼吸音。

危うさが、匂いになってこっちに流れてくる。

 

私は覚悟を決めてドアノブに手をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドアを開けると、夜の冷気が部屋に入り込む。

先生の熱と混ざって、空気が一瞬だけ曇る。

 

「……杏山」

 

声が少し荒い。

いつもの低音なのに、息の熱が混ざってる。

 

「悪い」

 

短い言葉。

言い訳なし。

私は腕を組んだ。

睨むつもりだったのに、表情がうまく作れない。

 

「…来ないかと思ったんだけど」

 

声は思ったより落ち着いてた。

でも指先が、少しだけ震えてる。

 

ラスティ先生は真っ直ぐ私を見る。

目が、いつもより熱い。

熱いのに、冷静さも残ってる。変な目だ。

 

「遅れた。連絡もできず申し訳ない」

 

一拍。

 

「だが、私も約束を破るつもりはない」

 

その言葉が、胸の奥に落ちる。

 

“破るつもりはない”

 

つまり、来るつもりだった。

来たかった。

 

(……じゃあ、なんで)

 

怒りが戻りかけて、でも戻りきらない。

嬉しさが先に来てしまうのが悔しい。

 

「……なんかあった?」

 

私が聞くと、先生は一瞬だけ視線を逸らした。

ほんの一瞬。

でも、そこに“言えない”が詰まってる。

巨大ロボットの影が、私の頭の中で立ち上がる。

あれに乗って、先生は何をしてるのか。

私は知らない。

でも、今の先生の汗と呼吸は、

ただの遅刻のものじゃない気がした。

 

「問題ない」

 

先生は短く言う。

嘘じゃない。

でも全部でもない。

私は息を吐く。

胸の奥の固いものが少しだけほどける。

 

「ま、なんでもいいけどさ」

 

それだけを言う。

それ以上は、踏み込めない。

踏み込んだら、戻れなくなる気がする。

ラスティ先生は、ほんの少しだけ眉を動かした。

分かった、って合図に見えた。

 

「じゃあ、上がってく?」

 

言ってから、自分でびっくりした。

 

夜。

教師と生徒の関係とはいえ、男女が同じ屋根の下で二人。

言葉が軽すぎた。

先生は首を横に振る。

 

「長居はしない。

顔を見て謝る。それだけだ」

 

真面目すぎて、逆に困る。

でも、そこが先生っぽい。

私は、ドーナツの箱を思い出した。

 

「……ドーナツ、あるけど」

先生の視線が、ほんの少しだけ動く。

甘いものに反応したというより、

私の“用意してた”に反応したみたいで、胸がむずむずする。

 

「…温めてくれていたか」

 

「ちょうど今ね。

だから…さ」

 

沈黙が落ちる。

夜風が廊下を通り抜けて、遠くで車の音が流れていく。

街灯の光が、先生の汗の粒を細く光らせる。

 

(……ほんとに急いできたんだ)

 

「……一つだけ、ここでいい」

 

先生が言う。

玄関先。距離は守られてる。

それが逆に、すごく意識させる。

 

私はキッチンに戻ってドーナツを皿に乗せる。

皿を持つ手が震える。

自分の鼓動がうるさい。

戻ると、先生はさっきより落ち着いていた。

 

でも汗はまだ残ってる。

それが、今日の出来事が“終わってない”証拠みたいだった。

皿を差し出す。

先生は受け取る前に、私を見た。

 

「感謝する」

 

低くて、柔らかい。

軍人みたいに短いのに、人の温度はちゃんとある。

指先が触れそうで、触れない。

その“触れない”が、心臓を煽る。

 

先生が一口かじる。

甘い匂いが、玄関の冷たい空気に混ざって広がる。

私の胸の中も、それに引っ張られるみたいに甘くなる。

 

「……!

これは…悪くない。

今日紹介してくれる予定だった店に行けなかったのが

悔やまれるな」

 

「ふふっ。でしょ?」

 

(……気に入ったじゃん)

 

言いたいのに言えない。

嬉しさを悟られたくない。

でも悟られてもいい気もする。

 

「本当にさ、来ないかと思った」

 

本音が出た。

先生は黙る。

一瞬、呼吸が深くなる。

 

「……行くさ」

 

短い。

 

「約束、しただろう」

 

まるで諭すように。

でも、責めてない。

ただ“当然”みたいに言う。

その当然が、私には眩しい。

 

「律儀すぎじゃん?」

 

(そういうとこが…)

 

私が言うと、先生の口元が少しだけ緩む。

 

……ふっ。

 

あの笑い。

胸の奥が、ぎゅっとなる。

 

(……それ、私の前だけでやってるって思っちゃうじゃん)

 

そう思う自分が危ない。

でも止まらない。

 

ドーナツを食べ終え、先生は皿を返した。

 

「さて、美味しい甘味を頂いたところで、

今日は帰るとしよう。

…次は、確実な時間を確保すると誓おう」

 

私は、信じたい。

 

でも、先生の世界は私の知らない場所と繋がってる。

 

「ほんとに?」

 

「あぁ」

 

即答。

逆に怖いくらい真っ直ぐ。

私は、笑って誤魔化す。

 

「ま、次また遅れても…

待ってるけどさ」

 

言った瞬間、顔が熱い。

自分で分かる。

もう遅い。

 

先生は目を細める。

 

「無理はするなよ」

 

いつもの言葉。

でも今日は、違う。

 

“私”に向けて言ってる。

私の胸の中のざわつきまで見てるみたいに。

 

(……なんで分かるの)

 

知らないのに。

色々あったけど…私のこと、

そんなに知らないはずなのに。

 

「ではな」

 

ドアが閉まる。

静か。

でも、さっきまでの寂しさは消えていた。

部屋に残った甘い匂いと、

玄関に残った冷気が混ざって、妙に落ち着く匂いになる。

 

(……来てくれたじゃん)

 

汗だくで。息切らして。

約束を守るために、走って。

私は箱に残った残りのドーナツを一口かじる。

 

甘い。

だけど、奥に少し塩味がある。

今日の私みたいだ。

 

窓の外、夜の街が静かに光っている。

遠くで風が鳴る。

世界は何も起きてない顔をしてる。

 

でも私は知ってる。

先生はあのロボットに乗る。

何をしてるかは知らない。

知れない。

 

それでも、先生は私のところに来た。

約束を破るつもりはない、と言った。

 

(……じゃあ私も)

 

知らないままでもいい。

全部分からなくてもいい。

 

ただ、次の約束を…また、してほしい。

 

そう思ってしまった時点で、

私はもう、戻れない気がした。

 





夜のキヴォトス郊外は、街の光が届かない。
外壁のさらに向こう、砂塵が風に削られ、空は深く沈んでいる。
闇の中で、濃紺の機体が静かに立っていた。

スティールヘイズ。
コックピット内に、白い表示が並ぶ。

TARGET CONFIRMED
MULTIPLE HOSTILES
ENGAGE

「了解した」

低い声が、まだ静かな空間に落ちる。
次の瞬間、ブースターの光が夜を裂いた。

オレンジ色の噴射が地面を蹴り、
スティールヘイズは加速する。

敵影――無人の鋼鉄群。
赤い光を纏った個体が、最奥で脈打っている。

(時間がない)

私は躊躇を捨て、敵機に飛び込む。
回避、切り込み、射撃。
その繰り返し。

爆散する機体が火花を散らし、夜を瞬間的に照らす。
装甲を掠める弾丸、震える警告表示。

だが、止まらない。
止まる訳にはいかない。

一瞬の隙。

ライフルの銃身が最奥の個体に向けられる。

「終わりだ」

最奥の個体が砕け、赤い光が霧のように夜へ溶けた。

束の間の沈黙。
間を置き、続けて後続の敵群が迫ってくる。

「…さて、急がねばな」


















作戦が終了し、
軽いブリーフィングを済ませた後、エンジンを落とした。

静寂が戻る。
時計を見る。
約束の時間からおよそ3時間ほど過ぎている。

(まずいな)

私はコックピットを開け、足早に格納庫から抜ける。

夜気が流れ込む。
汗が冷え、息が白く滲む。
息が絶え絶えになりばがら、街へ向かう。

走る。

舗装路に出る。
スーツの裾が風を裂く。
呼吸が荒くなる。
しかし足を止めない。

街灯が連続して流れ、息が胸を焼く。
時間だけが追い立てる。

やがて住宅街。
静かな家並み。

私は足を止め、呼吸を整える暇もなく、
インターホンに手を伸ばした。

指先が、ほんのわずかに震えていた。
そして夜に、小さな電子音が響いた。
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