襲撃の少し前へ時間は巻き戻る。
サンクトゥムタワーの内部は、空気が乾いていた。
磨かれた床は足音をはっきり返し、
白い壁は余計な影を作らない。
窓の外にはD.U地区の高層ビル群が整然と並び、
都市の機能だけがきっちり動いているのが見える。
ここは感情を置いてくる場所だ。
少なくとも、そういう顔をしている。
カズサは、七神リン行政室長が待つ客室へ向かった。
背中は真っ直ぐだが、歩幅がいつもより僅かに短い。
強がりが混じる時の癖だ。
私はというとカズサの向かった方の逆方向、
執務室へ向かう。
シャーレの先生と“仕事の話”をするためだ。
扉を開けるとコーヒーの匂いが扉から漏れ出た。
淹れたてというより、保温された苦い匂い。
目の前の来客用ソファへ、私とシャーレの先生は座る。
前に会ったきりだが、ハッキリ覚えている。
あの時と同じで表情は穏やか、しかし目は眠たそうに
半分だけ細い。
「さてと…君も私も、何から話すべきかな。
……そういえば、カズサがリンちゃんに会うことは
君は知ってたの?」
「…勘だ。
まぁ、七神リン行政室長が相手とは気の毒に思うが」
私が言うと、先生は息を吐く。
「うん、まあ……リンちゃんはそういう子だからね。
あの子、悪気はないんだけど……」
“怖い”という感情が、言葉の端に見える。
先生は少しだけソファに深くもたれ、
遠い記憶を掘り起こすみたいに視線を泳がせた。
「とりあえず了解だよ。
あっちはカズサとリンちゃんに任せよっか。
さて…じゃあとりあえず私からいいかな。
君に話しておきたいのは……カイザーの件だよ」
その言葉が出た瞬間、
部屋の温度がわずかに下がった気がした。
「カイザーコーポレーション…
…その中でもPMC側の幹部、“理事”が動いてる」
先生は言い方を選ばない。
選ぶ必要がないと思っている口調だ。
そして、次の言葉はさらに重い。
「理事の指示で、外壁から“AC”を数機回収したっていう、
とあるスジから入手した情報があってね…
そこに写っていた人物、ヘリをそのスジさんに照会して
もらうと…ね。
しかもそれ以外にも出てくる出てくる悪事の数々…」
私の喉が、僅かに鳴った。
「……待て、回収だと?あのACをか?」
聞き返す声が低くなる。
壁の外にあるべきものを、内側の企業が回収?
しかも“数機”だと?
先生は頷く。
淡々と、だるそうに。
「うん。
私は前に、アビドスの対策委員会ちゃん達と一緒に、
奴らには散々辛酸舐めさせられたことがある。
それだから分かる。
契約だの融資だの、言葉だけは立派でさ。
やってることは、結局“奪う”だけだった」
先生は眉間に指を当てる。
「……思い出すだけで頭が痛むよ…
あのタイプ、謝らないし、反省もしないし、
責任も取らない。取るのは利益だけって感じだよ」
言葉が穏やかなのに、内側に毒がある。
先生が“理事”をどれだけ嫌っているかが分かる。
「それで、回収したACで、カイザーPMCは何を...?」
私が問うと、先生は一度だけ目を閉じた。
「戦争を始めようとしてる」
淡々とした宣告。
感情を挟む余地がないほど、確信に近い。
「外壁の脅威を“商材”にして、秩序を“契約”に変える。
混乱を作って、守るふりをして、支配する」
先生はコーヒーを一口飲む。
「最悪なのは、
本人達がそれを“正しい”と思ってるところ」
私は短く息を吐いた。
「……やる気だな」
「うん。
あの理事は阿呆だけどやる時はやる。迷いがないぶん厄介」
先生は言い切る。
「…なるほど。今後、注意しておこう。
では、次は私からいいかな?」
「うん。聞かせて聞かせて」
私も、トリニティ内での動向を報告する番だ。
「内部は今のところ、表向きおかしな様子はない。
だが少し前、トリニティ総合学園の地下空間に一機……
ACが出現した」
先生の目が僅かに鋭くなる。
「…壁の内側に?」
「そうだ。
ACは本来、外にしか現れない。
しかし"ソレ"は内側で現れた」
言った瞬間、私と先生の思考が同時に繋がった。
言葉にしなくても分かる。
――理事の仕業ではないか。
先生が静かに頷いた。
「回収した“数機”のうちの一つを、
内側に持ち込んだ可能性が高い」
「……トリニティを標的にか?」
「うん。あの学園、この学園都市においては
象徴的なところだからね。崩せば波及する。
……はぁ、分かりやすい」
先生はため息混じりに言った。
私の背中に、冷たいものが走った。
(…カイザー…)
私はそのまま、執務室を後にしカズサの元へと向かう。
その脚は、いつもよりも駆け足だった。
サンクトゥムタワー襲撃――その瞬間。
空が黒い。
いや、黒い“AC”が太陽を遮っている。
巨大な構造体が都市上空に浮かび、
赤いラインが内部で脈打つ。
遠くのトリニティ方向から爆炎が上がり、
白い校舎が煙に溶けていくのが中継越しに見える。
私は一歩前に出た。
出撃準備に入るためだ。思考は切り替わっている。
その時、腕を誰かが掴んだ。
杏山カズサ。
指先が硬い。凄まじい力が入っている。
目が揺れているのに、離すつもりがない。
「……いかないで」
声が掠れている。
だが、言葉は真っ直ぐだ。
この状況で、そんな言葉を吐ける胆力。
そして、吐いてしまうほどの恐怖。
私は彼女の手を見下ろし、次に顔を見る。
「すまない…だが、行くしかない…」
短く言う。
だが、突き放すためじゃない。
「君も早く逃げるんだ。
ここにいたら、巻き込まれる」
カズサの眉が寄る。
「でも……」
言い返す言葉が喉で詰まっている。
泣きそうな顔を、必死で止めている。
私は声を落とす。
「シャーレの先生と一緒にいるんだ」
彼女の安全を守るために、これ以上曖昧には言えない。
「私が戻るまで、サンクトゥムタワーから離れるな」
カズサの唇が震える。
言いたいことがある。責めたいこともある。
だが、その全部を飲み込んでいるのが分かる。
その時、背後から足音。
「や、お待たせ」
シャーレの先生が現れた。
無事だ。それだけで胸の奥が僅かに緩む。
杏山も同じだ。肩が少し落ちる。
先生は周囲を一瞥し、すぐに状況を切り取る。
「アレが……Automatic Core、か…
さてみんな、アレをやっつけるとしようか!」
淡々と、しかし迷いなく。
すると背後に控えていた四人――以前会ったことがある。
早瀬ユウカ
羽川ハスミ
守月スズミ
火宮チナツ
それぞれが即座に反応する。目の色が変わる。
ユウカは端末を開き、計算を走らせる。
ハスミはスナイパーライフルを構え、
スズミは周囲警戒へ滑るように移動し、
チナツは救護の位置取りを始める。
「了解です、先生。
有効な弾道と射角、屋上までの進行ルート…
全て算出します!」
ユウカが早口で言う。
「了解しました。
アレが何かは存じ上げませんが…落とせば良いのですね」
ハスミの声は静かで硬い。
「周囲の一般生徒を誘導します。
皆さん!慌てず!落ち着いて!」
スズミが先頭に立ち、皆を誘導する。
「負傷者が出たら任せてください」
チナツは短く頷く。
それぞれに的確な指示を飛ばす。
そしてシャーレの先生は杏山へ視線を向けた。
「カズサも、協力してほしいんだ」
カズサが目を見開く。
「……私?」
「うん。
下手に隠れるより、動いた方が安全な場合もある…
私の傍は、その一つって訳」
先生の判断は的確だった。
私も同意する。
この都市は上空からの攻撃を防ぐための遮蔽物が少ない。
上からの攻撃に対し、ただ伏せるのは危険だ。
しかも相手はAC。
着地したとして、その圧倒的な機動性で追いかけ回される
のがオチだろう。
動ける者が動き、守れる者が守る。
この場合はカズサはこれに当てはまる。
私はカズサを見る。
「…協力すべきだ、カズサ」
短く。
「皆が、生き残るためだ」
杏山は言いたいことを飲み込む顔をした。
“いかないで”の続き。
“私を置いていかないで”の続き。
それを飲み込み、彼女は小さく頷く。
「……分かった。やる」
その声は震えている。
だが、折れてはいない。
「それとラスティ君。
もっと上空に"何か"いるのは気付いているね?」
「当然だ」
「よろしい。
でもその"何か"を墜とすのはひとまず後にして欲しいんだ。
先に、現在進行形で被害が出ている地域へ救援に
向かってほしい。
ACは今のところ、あの2体しか現れていない。
その隙に、生徒の安全を確保したいんだ」
断る理由など無い。
今の私は教師であり、生徒を守る立場なのだから。
「了解した。対処しよう」
「任せたよ。
…それじゃ、各員行動開始!!!
私は踵を返し、駐車スペースへ走った。
ボディが、周りの炎を反射している。
ドアを開けるのでさえ、ノブが高温になっており
至難の業であった。
エンジンを点火。
音は低く、短く唸り、次の瞬間には
鼓動のように一定になる。
アクセルを踏む。
シートが背中を押し、街の景色が後方へ流れる。
サンクトゥムタワーから格納庫へ。
信号も、交差点も、渋滞も――
今は全部、私の前から消えるべき障害だ。
(急げ)
爆音が遠くで続く。
空の黒い影が視界の端に残り、嫌でも速度を上げさせる。
そこからはあっという間だった。
先程まで炎に包まれた市街地を走っていたハズだが、
いつの間にか愛機が眠る場所まで辿り着いた。
行きは30分以上かかったが、
体感5分でここに到着した気がする。
シャッターを開けると、冷えた金属の匂いが肌を撫でる。
そこにはスティールヘイズが。
私は車を投げ出し、格納スペースへ飛び込んだ。
手順は身体に染み付いている。迷う時間はない。
パイロットスーツを装着。
布が肌に密着し、外の世界が遠のく。
呼吸音と心音だけが近くなる。
コックピットへ乗り込みハッチを閉じる。
暗転。
次いで、白い表示が視界に立ち上がる。
SYSTEM BOOT
LINK STABILITY… OK
GENERATOR OUTPUT… STANDBY
THRUSTER… READY
MAIN CAMERA… ONLINE
「起動準備完了。
ジェネレータ、最大出力。」
低く言う。
計器が揃い、世界が“機械の視点”に置き換わる。
LAUNCH PERMISSION: MANUAL
CLEARANCE: VERTICAL
「……出撃るぞ」
スロットルを押し上げる。
ブースターが咆哮を上げ、床が沈む。
次の瞬間、機体は垂直に跳ねた。
倉庫の天井が一気に遠のき、
皮肉かと思うほど澄んだ青空が開く。
風が装甲を叩き、都市の"灯り"が足元に広がる。
上空の黒い影が視界に入る。
太陽を遮った“何か”――
それから投下されたAC。
そして、その裏にいる“理事”。
(戦争を"始める"だと…笑わせる。
戦争というものは、政治的理由で"起こる"ものだ。
それを"始める"ということは…)
言葉が脳裏で反響する。
私はジェネレータ出力を引き上げる。
身体にかかるGが重くなる。
視界の端が僅かに狭まる。
GENERATOR OUTPUT: MAX
WARNING: HEAT LEVEL RISING
「構わない」
熱など後でいい。
私はスティールヘイズを突撃させた。
トリニティ総合学園へ―――
ジェネレータを最高出力で吹かしながら。
(守ってみせる)
街を。
秩序を。
そして、あの少女達を。
細く黒い影が都市を通り過ぎる。