鬼の兵法伝承者、異世界に転世せしむる。 作:書仙凡人
[Ⅰ]
シムが終末論のような都市伝説を話したせいで、この場は嫌な雰囲気へと、また戻ってしまった。
自分で聞いといてなんだが、空気読めと言いたいところだ。
とはいえ、今はそんなことよりも、この穴をどうするかである。
この紫色に怪しく光る穴をこのままにしておくのは、なんとなく危険な気がするからだ。
古代文字の記述を読み解くと、証とは即ち、血液。
つまり、血を捧げよという意味なのだろう。
問題は……証の適合者である。
輸血ドナーは誰やねんという話だ。
「言い伝えはともかくとして……それで、コジローさん……いや、シュレン殿と言ったほうがいいか。古代文字の内容はわかったが、それについて、君はどう考えてるんだ?」
「コジローでいいですよ、ロイアスさん。今の私に嘗ての身分はないのでね。それはともかく、門を閉じるには印に証を捧げよ、と書かれてます。ですので、それを試さねばならないのですが……そうなると誰の血が必要なのか? という事になりますよね」
「確かに……そう考える事もできるが、どうするつもりだ? 誰かの血で試すのか?」
「そこなんですよね。それに加えて、そもそも、どういう血を求めてるのかがわからないんですよ」
人じゃなく、動物の場合もあるので、この疑問は当然であった。
おまけに、この記述が嘘の可能性もあるので、鵜呑みにもできないのである。
「どういう血か……確かにな。だが試すしかないだろう。閉じるのは左の印だったな。ならば……」
するとロイアスさんは、額から出血した自身の血を指で拭った。
そして、向かって左側の印に、その血を付着させたのである。
だが、変化は無しであった。
「何も起きないな……私の血ではないということか。それとも血の量が足りないのか。コジローさんはどう考える?」
「何とも言えませんね。両方の可能性がありますし。そもそも、この記述が正しいのかどうかもわかりませんので……ン?」
と、そこで、シムが祭壇に上ってきた。
そして、穴を恐る恐る覗き込む。
「シュレン様……この印、オヴェリウス王家の紋章にかなり似てませんか? さっきの床にも、これと同じような紋章が描かれてましたし」
「俺もさっきからそう思っているよ。だが……少し違う。似てはいるがな」
「ですよね。まさかとは思いますが、オヴェリウス王家の者の血だったり……なんて事はないですよね?」
シムはそう言って、不安げに俺を見た。
なかなか良いところをついてくるが、確証はない。
だが試してみる価値はありそうだ。
「まぁシムにしては、良い意見だ。俺もその線を考えてはいたからな。というわけで……」
俺はそこで腰に差した短剣を抜き、左手の親指の腹を切った。
やや痛みはあるが、切り口から出血が始まる。
「え? シュレン様……まさか試されるのですか?」
「シュレン様は自分の血を見るのが大嫌いだった筈なのに……意外と度胸があったんですね」
シムとレティアがそんな事を言いながら、痛そうな表情で俺を見ていた。
またシュレン様って言ってる。後で2人に言っておかねば。
「オヴェリウス王家の紋章に似てるから、とりあえず、俺の血でも捧げてみるよ。こうな見えて……一応、俺は王族だったからな」
というわけで、俺はそこで中腰になり、エル・オヴェリアンの門を閉じるという、左側の印に血を垂らした。
血はポタポタと印に落ち、赤く染めてゆく。
するとその時であった。
王家の紋章のような印はボワッと淡く輝いたのである。
そして、穴から発せられていた怪しい紫色の光は、徐々に消えていったのだ。
これは……門が閉じたという事なのだろうか?
周囲から驚く声が上がる。
「え? 紫色の光が消えたぞ」
「嫌な気配も消えたような……」
ロイアスさんがそこで穴を覗き込む。
そして、俺を見た。
「光が消えたな。貴方の血が証になったという事か。オヴェリウス王家の者の血が……」
「そうなんですかね。私もわけがわかりませんが……」
「確かにな。しかし……エル・オヴェリアンの門か。父の配下に古代遺跡専門の歴史学者がいた筈だ。彼等に聞いてみる必要があるな」
「ええ、その方がいいと思います。この文字を写しておくといいかもしれませんね」
「そうするか。エント・ボレアス、ここの古代文字を書き写しておいてもらえるだろうか」
ロイアスさんはそこで、フード付きローブを纏う魔法使い風ファッションの男を指さした。
さっきの戦いでは炎の魔法を使っていたので、恐らくそうなんだろう。
というか、シュレンの記憶だと、エントは魔導師としての敬称なので、それで間違いないはずだ。
因みに、宮廷魔導師の場合はサー・リル・エントという敬称だったようである。
まぁそれはさておき、ボレアスという男は30前後の痩せ型で、眼鏡をかけた知性を感じる見た目をしていた。
なんとなく学者のような雰囲気の魔導師であった。
「わかりました、ロイアス様。控えておきましょう」
ボレアスという男は筆記用具のような物を取り出し、祭壇の階段を上がってきた。
ここは狭いので、俺は一旦降りるとしよう。
祭壇を降りた俺は、右手で隠すようにしながら、左手親指の傷をハオムの魔法で治療した。
数秒で痛みが引いたので、俺はそこで傷を確認する。
すると傷は綺麗に治っていたのだ。
小さい傷なので治りも早いんだろう。
(ふぅ……魔法はあんまり使いたくないが、痛いものは痛いからな。しかし、ハオムはなかなかに重宝する魔法だよ。こんな世界じゃ、これがないと厳しいかもしれん。ン?)
などと考えていたその時、俺はある女性と目が合ったのである。
それはニーサさんであった。
ニーサさんはニコニコと可愛らしく微笑みながら、俺をジッと見ていた。
「どうかしましたか、ニーサさん?」
「いえ、どうもしませんよ。コジローさんは不思議なお方だと思って見ていただけですから」
なにやら含んだ言い方をすると、ニーサさんはこちらにやって来た。
嫌な予感がしたのは言うまでもない。
ニーサさんはそこで、俺の左手をチラッと見た。
もしかすると、治療行為を見られてたのかもしれない。
「コジローさん、そういえば……先程、ご自身で指を切っておられましたが、大丈夫でしょうか? 私が治して差し上げましょう……と、思ったのですが……その必要はなさそうですね」
そんな言い方をしつつ、ニーサさんはニコニコと優しく微笑んでいた。
どうやらバレたようだ。が、俺はシラを切る!
「ええ、ご心配なく。小さい傷なんで必要ありませんよ。布切れで拭いたら血は止まりましたんで」
「そうですか。ですが……先程、エンドラのヤグルを倒した際、不可解な事がございましたので、それを貴方にお訊きしたいのです。でも……それは落ち着いてからにしましょうか。貴方も、今はお話されにくい事でしょうし」
と言って、ニーサさんは可愛らしく微笑んだ。
毒気のない微笑みなのに、どこか毒を感じるのは気のせいだろうか。
まぁでも空気を読んでくれてはいるようだ。
後が面倒そうな感じであるが……。
それはともかく、ここは相手の提案に乗っておくとしよう。
「何を気になさっているのか存じませんが、そうしてくれると助かりますね。今は色々と謎が沢山ありますので」
「ええ、謎は確かに多いですね。そうしましょう。では後ほど」
ニーサさんとそんなやり取りをしていると、レティアとシムもこちらにやって来た。
レティアはニーサさんをチラッと見た後、俺に向き直る。
「シュレン様……お話し中のところ悪いのですが、今よろしいでしょうか?」
「できれば、コジローさんと呼んでくれた方がいいけどね。で、どうしたんだ? 何か気になる事でもあったのか?」
「え? あ、すいませんでした。コジローさん……あの印なんですが、オヴェリウス王家と何か関係があるのですか? 王家の紋章と、すごく似ているのですが……」
「さぁな……それは俺にもわからんよ。でも、無関係ではなさそうだ。何かはあるんだろう……」
シムも腕を組みながら首を捻る。
「ですよね。コジロー様の血で、あの穴の光が消えちゃいましたから。この地は遥か昔、オヴェリウス王家と何らかの関わりがあったという事なんですかね?」
「そんな事、俺に聞かれてもわからないよ。というか、シムの言い伝えにそういうのないのか?」
「ないですよ。そもそもあの言い伝え、私が生まれた村に伝わる、子供への戒めみたいなモノですし」
またわけのわからない事を言い出した。
「子供への戒め? なんだそりゃ」
「子供って怖いもの知らずですから、なんでも触ったり、入ったり、開いたりするじゃないですか。それを戒める教えとして、ずっと続いてる言い伝えなんですよ。悪さすると化け物が出てくるぞ、みたいな話ですから。でもさっき、エル・オヴェリアンという言葉が出てきたので、私もちょっと驚いてしまったのです」
「ああ、そういう話だったのか。俺はてっきり世界滅亡の予言か何かだと思ったよ。まぁでも……その言い伝えも何かありそうだな。今となっちゃ、確認のしようがないが……」
お陰で謎が増えてしまった。
シムの言い伝えもそうだが、祭壇の印とオヴェリウス王家の紋章が似ている件や、俺の血を垂らして反応した事実も無視できないからだ。
だが、幾ら考えたところで、何もわからんだろう。
俺ができる事といえば、後で奴に訊いてみるくらいだ。あの糞ペンギンに……。
とはいえ、うまい具合にはぐらかされるかも知れんが。
「コジローさん……ちょっといい?」
背後から女の声が聞こえてきた。
すると、後ろにいたのはランドとユミルであった。
だが、2人とも妙に元気がない。
何かあったのだろうか?
「ン、どうしたんだ。そんな暗い顔をして」
「ねぇ……コジローさんはオヴェリウスの王子様って、本当なの?」
と、ユミル。
黙っているつもりだったが、バレてしまった以上は仕方がない。
俺は頷いた。
「ああ、昔な。でも、今はただの旅人だよ。残念だが、オヴェリウスという国はもう既に亡いんでな。だから、身分なんてモノはもうないよ」
「私……全然知らなかった」
「俺もだ」
「それは言わないようにしてたからだよ。皆に、変に気を使われたくないしな。それがどうかしたのか?」
「いや……大変だったんだろうなって思って」
ユミルはそう言って、ショボンとしていた。
どうやら同情されてるみたいだ。
俺はそこで、シムとレティアに目を向けた。
すると、2人も昔を思い出したのか、少し表情を落としているところであった。
「まぁユミルの言う通り……なかなかに最悪な経験ではあったよ。見たくないモノを沢山見たからな。だが、ここにいるシムのお陰もあり、俺はなんとか逃げ延びる事ができた。今はそれで納得するしかないと思ってるよ」
「ごめんね、変な事を聞いて……」
「気にするな。構わんよ、ユミル」
「ところで、これからどうするんだ、コジローさん達は。この地に留まるのかい?」
ランドがストレートに訊いてくる。
2人はこれを訊きたかったのだろう。
ランドとユミルとは2か月ほどの付き合いだが、仲良くしていた仲間でもある。
俺が元王族と知って、色々と考えてしまったんだろう。
とはいえ、俺は今後の事など何も考えてないので、答えるのが難しい質問であった。
「これからか……どうすっかな。まぁ今のところ、何も考えてはいないんだがな。ン?」
と、そこで、ロイアスさんもこちらにやって来た。
「コジローさん、これでヤグルの原因は取り除かれたと見て良いのだろうか? 何かスッキリしないんだが……」
「私には何とも。ですが……今ので嫌な気配も消えましたし、もしかすると現時点での問題は解決されたのかもしれませんね。断言はできませんけど」
俺はそうとしか言えない。
釈然としない事が多すぎるからだ。
色々と考察したくなるが、今はやめておこう。
「そうかもしれないな。まぁいい……何れにしろ、この遺跡をもう少し調査するとしようか。一通り確認してから、帰ろう。私も父に報告せねばならんからな」――
[Ⅱ]
アラトリアの遺跡内を一通り調べたが、ヤグルの姿はもうどこにもなかった。
その為、俺達は来た道を戻り、馬車のあるベースキャンプへと移動したのである。
戻った頃には日が暮れ始めていた。
どうやらこの感じだと、じきに夜を迎えそうだ。
ここに残っていた仲間が、俺達を見るや、慌てて駆け寄ってきた。
その中の1人、猿人種族ヴァザンの男がまず口を開いた。
「ロイアス、帰ってきたか! 他の皆も無事なようだな。で、どうだった? ヤグルが出没する原因は突き止められたのか?」
「待たせたな、スヴェン。色々と大変だったが、原因になっていたであろう魔物は仕留めることができたよ。このコジローさんのお陰でな。噂通りの凄い剣士だった。キエーザでは相手にならない理由がわかったよ」
ロイアスさんはそう言って、俺の肩に手を置いた。
すると、スヴェンは俺を興味深そうに見ていたのだ。
鎧を纏う猿人種族なせいか、どことなく、猿の惑〇に出てきそうな風貌のキャラであった。
「そうか……流石だな。あのキエーザをぶちのめしたという剣士なだけあるぜ」
「いやいや、まぁ運が良かっただけですよ。魔物も油断してたのでね」
「ロイアスがそこまで言うんだから、相当な腕なんだろう。俺達ヴァザンは、強い戦士に敬意を持つ種族だ。後で手合わせしてくれよ」
スヴェンはそう言うとニヤリと笑った。
シュレンの記憶にヴァザンの情報はあまりないので、どういう種族特性かわからないが、もしかすると、戦闘民族系の種族なのかもしれない。
満月を見て大猿にならない事を祈るばかりだ。
「手合わせですか……今日は勘弁してください。さすがに疲れてるんでね。また後日ということで」
「ああ、また気が向いた時で構わないぜ」
「ところで、スヴェン。何か変わったことはなかったか?」
ロイアスさんはそう言って周囲を見回した。
見たところ、あまり変化はないので、大丈夫だったんだろう。
「何もなかったぜ。少しヤグルがいたが、ずいぶん前に、いきなり灰になって消えちまったからな。変わった事といえば、そのくらいさ」
「いきなり灰になったのか。もしかすると……その頃に、俺達が親玉の魔物を倒したからかもしれないな。親玉を倒したら、ヤグルは全部灰になったから」
「へぇ、そうなのか。ならば、それ以降は何も問題はないぜ。魔物や獣も出てきてないからな」
「それを聞いて安心したよ」
「で、どうする? もうじき夜になるが」
スヴェンは空を見た。
確かに暗い。
今行動するのはあんまりよろしくないだろう。
ロイアスさんは頷く。
「今日はもう遅いから、帰るのは明日だな。今からだと闇の中を進まねばならなくなる。ここで野営するしかない。とりあえず、獣除けの火を起こして、その辺で休むとしよう。明日の早朝、マティスに出発だ」
「ああ、わかったぜ」――