「オープンキャンパス実行委員長!? キミが!?」
とある日の昼下がり、虹ヶ咲学園校舎内のカフェテリア。銘々に昼食に興じる生徒らの喧騒を断ち割るように、彩歌の声が響く。それがあまりに甚だしかったものだから一帯は静寂に包まれて、だがそれも一瞬の事。生徒らの注意はすぐに日常へと戻り、彩歌もまた驚愕より還り再び椅子に腰を落ち着ける。
しかしそれだけの応答を前にして、驚愕の原因たる大雅は何処吹く風といった様子だ。むしろ彩歌の過剰な反応に呆れてすらいるようで、口の端には薄い笑みすら浮かんでいる。
「あぁ。なんだ、そんな意外だったか?」
「いや、意外っていうか……てっきりキミはそういうの興味ないのかと。サッカー部の部長の話だって、断ったって聞いてたからさ」
「どこでその話を……いや、そうか。宮下だな?」
大雅の問いに、彩歌は無言で首肯する。そのあまりの活躍ぶりに〝部室棟のヒーロー〟の異名を取る愛は本人の人柄もあって非常に顔が広く、必定、様々な情報が彼女の許には集まってくる。この話もそのひとつだ。
1年生であるかすみが部長を務めるスクールアイドル同好会は今の所代替わりとは無縁だが、他の部活はそうもいかない。特にサッカー部のような所属人数の多い部活は部長候補に挙がる事すら稀で、だがそれを大雅は蹴ったのだ。
それだけでなく彩歌の知る限り大雅が組織の長に就いた事は中学時代から現在まで一度もなく、そんな彼が今回のオーキャンに限って実行委員長に就いたというのだから、驚愕は一入というものだろう。
「興味ねぇのは否定しねぇけどよ……だから蹴ったってワケじゃねぇぞ? オレ以外の候補で、AO入試狙ってるヤツがいたから譲ったんだよ。こういうのは必要なヤツがやった方がいいだろ? オレは推薦使わなくたって、何処でも行けるしな」
「一言余計だけど、なんだ、そういうコト……ん?」
大雅は確かに言った。彼は立場自体に興味はなく、それは必要な者がやればいい、と。無論彼の場合、その前提として立場に相応しい能力がある事を置いているのだろうが、それは今は関係ない。およそ万能である彼ならば何事でも熟してしまうと、彩歌は知っているからだ。
重要であるのは、そうまで言う大雅がオープンキャンパス──オーキャンに限っては実行委員長となったという事。それは即ち、彼にそうさせるだけの理由があったという事ではないのか。
その思考が顔に出ていたのか、はたまた得意の洞察か、彩歌が気づいた事に、大雅もまた気づいた。目敏いヤツめ、とばつの悪そうな、それでいて何処か嬉しそうな表情であった。
「で、何なのさ。立場に興味の無いキミがそこまでする理由ってのは?」
「意地の悪ィ言い方だなぁ。ま、態々言う程のコトでも──」
ねぇよ、と。親友の前であるからだろうか、うっかり口にしてしまった思いを誤魔化すように大雅はそう続けようとして、しかし不意にその言葉が途切れる。代わりに彼らの耳朶を打ったのは、涼やかな少女の声。
「──宗谷さん」
彩歌にとっては初めて見る女子生徒であった。上背は平均よりも幾らか高く、目測160㎝程か。しゃんとした背筋や細身の体型、艶やかな黒髪も相俟って、その姿を形容するのならば大和撫子以上に適切な表現はあるまい。
赤く大きな瞳はさながら紅玉の如く、端正ながらも能面を思わせる真顔は冷淡な印象を与えるが、片側で結ばれたリボンと僅かに覗く八重歯がひどくチャーミングだ。
そんな少女が、いつの間にか傍らに立っていた。少女の方もその段になって彩歌の存在に気付いたようで、申し訳なさげな表情を浮かべている。
「すみません、お取込み中でしたか?」
「いンや、構わねぇよ。飯食ってただけだしな。で、どうした? 三船ちゃん」
「ありがとうございます。この書類なのですが……」
そう言いながら〝三船ちゃん〟と呼ばれた少女が鞄から取り出したのは、クリアファイルに挟まれた数枚の書類だ。内容までは彩歌には見えないが、恐らくはオーキャン関係だろうと類推はできる。
ふたりがそれについて話している間、彩歌は手持ち無沙汰だ。他にすべきことも無く、もっきゅもっきゅと昼食を食べながら見ているのみ。大雅が人をちゃん付けで呼ぶなんて珍しい、だとか。ちゃんと仕事してるな、だとか。そんな益体も無い事ばかりを考えている。
そうしているうち話が終わったのか、少女が大雅に頭を下げた。それに鷹揚な仕草で以て対する大雅。その姿を見ていて、彩歌が覚えたのは違和にも近しいものであった。
(……? なんだか……)
目だ。少女を見る、大雅の目。そこに、彩歌は常とは異なるものを見る。だが、彼はそれを知っている。正体は悟れずとも、彼にはその確信があった。何故かはわからないけれど。
そんな彩歌の内心を知ってか知らずか、大雅が視線を彼の方へ遣った。目が合い、何かを思いついたかのように口を開く。
「そうだ、オマエは初対面だったな。こちら──」
「普通科1年の〝三船栞子〟と申します。初めまして、真野さん」
ぺこり、と。軽いお辞儀ですら、その角度はしっかり30度。応えるように、彩歌もまた同じ角度で礼を執ってしまう。そんな有様であったものだから、少女、もとい栞子が自身の名を知っている事に彩歌が気づいたのは頭を上げた後だった。
「というか、あれっ。三船さん、俺のコト知ってるのかい?」
「はい。スクールアイドルフェスティバルでのライブを見させていただきましたから。あの雨の中、たったひとりで会場の熱を繋ぎとめてみせた……素晴らしいライブだったと思います」
「ふふ、ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ。……そっか、キミも観てくれてたんだね」
見ず知らずの相手にも自らのステージが届いている。スクールアイドルである以上、それは自然な事だ。知識や推測として、彩歌はそれを理解しているつもりだった。
だが知識と実感の間には大きく乖離があるものだ。栞子だけではない。先日出会った嵐の如き少女──ランジュもそうだ。そうした実感を得る度、彼は胸の裡に温かいものが広がるのを自覚するのだ。それを歓喜と言うのだと、彼は既に知っていた。
「逆境にも負けず堂々と自分を貫き、果てには奇跡のような偶然すら呼び込んでみせる……貴方にはきっと、スクールアイドルの適性があるのだと、そう思いました」
「適性……」
適性。栞子の口から出たその言葉を彩歌が反芻したのは、そこに何か感じるものがあったからだ。似ている。思わずそう独り言ち、親友の方を見てしまう程には。それに気づいて首を傾げた大雅に、だが彩歌は頭を振ってこたえる。
スクールアイドルの適性が本当に自分にあるのか、彩歌には分からない。三船栞子という少女が世辞や嘘を口にするタイプには見えずとも、それでも。彼自身はただ、夢に向かって無我夢中で走ってきただけだから。
だがその足跡を指し、誰かがそう言うのなら。それは真理であるのかも知れないと、彩歌は考える。無論それでは、人の数だけ真理がある事になってしまうけれど。
「……? 真野さん? どうかされましたか?」
「ううん、何でもないよ。ありがとう、三船さん。
今後のライブではもっと進化した俺を見せるつもりだから、楽しみにしてくれると嬉しい」
「はい、そうさせていただきます。……では、私はこれで」
そう言って恭しく頭を下げるや、踵を返して栞子が去っていく。犇めく人の海を、その身ひとつで割って往くように。それでも小動もしないのは、彼女が纏う頑健な気配のためだろうか。
そうしてその姿が完全に見えなくなってから、彩歌が息をひとつ吐いた。居住まいを正し、親友の方へと向き直る。その所作があまりにも奇妙だったものだから、大雅が眉根を寄せた。
だが彼が何事か口にするに先んじて、彩歌が動く。
「──今の娘が〝理由〟かい?」
「っ……! ま、そのひとつだな。……勘の良いヤツめ」
キミにだけは言われたくないね、と彩歌。憎まれ口のようで、けれどその顔に浮かんでいるのは笑顔だ。対する大雅もまた同じく。大雅が彩歌を理解しているように、彩歌もまた大雅を理解している。これはそれだけの事だ。
そしてそれ故に、この後に及んでは隠し事は無意味。次いで零れた吐息は、それを知るが為の観念のそれであった。彩歌に倣ってあえて黙る事もできようが、その本人が興味津々に見ているのだから、それも不可能というものだ。
「三船ちゃんを見てると……前のオマエを思い出すんだよ。だから、力になってやりたいんだ」
それが宗谷大雅という少年の、偽らざる本心。答え、自嘲的に笑う。栞子の力になりたい。その思いだけが先行し、いつの間にか実行委員長にまでなってしまった。それが正しい事なのかも分からないままに。無論、なったからには全力で遂行するにせよ。
半ば気恥ずかしさすら内包する、大雅の応え。さして間を置かず、彩歌が口を開いた。
「もしかして、大雅、好きなのかい? 三船さんのコト」
「馬ァ鹿。そんなんじゃねェよ。……つか、オマエ、オレに愛されてる自覚ありすぎだろ」
「そりゃあ、親友だからね」
一応は真面目に答えた相手に対してその娘の事が好きなのか、などと。ともすればこの上なく失礼な応答ともなろう。けれど大雅はそれを笑って流す。彩歌以外に同じ事を言われていれば、そうもいかなかったけれど。
それに、ある意味で彩歌の言葉は正しい。そう捉えられても仕方ない程に自らはある一面で感情過多の人間であると、大雅は自覚していた。大抵の事はどうでも良いと流してしまえるというのに。
だが自覚していながら、大雅はそれを是正すべきとは思っていない。親友を救いたいと願ったのも、後輩を大切に思うのも、全て理由はひとつに収束するのだから。
「オレはただ、少しでも多くの人に笑顔でいて欲しいだけだよ。オレに近しいヤツだけでもな」
「……そっか」
誰かが幸せでいる時の顔が好き。〝大好き〟を持たない宗谷大雅という少年において、それは唯一の方向性だ。故に彩歌は追及しない。大雅がその方向性を得たのは己の影響であると、誰に言われるまでもなく理解しているから。
そうして彩歌がコーヒーで舌を湿らせると同時、頭上からチャイムが鳴った。見れば時計は既に昼休みの終わりを示していて、ふたりが席を立つ。人の流れに乗って廊下を渡り、気づけば普通科と音楽科の分かれ道。
特別な事は何もない。ただいつものように手を振って、それぞれの教室に戻るだけ。──故に背を向け合ってから放たれた
「なぁ、彩歌。……オマエに隠し事があると分かった時の中川や高咲も、こんな気持ちだったのかな」
「え──?」
「いや、悪ィ。変なコト訊いた。……じゃあな」
それだけを言って、大雅は人の波に呑まれていく。追及も解答も、そんな隙すら彩歌に与えぬままに。あまりに要領を得ない問いを投げ渡されて、だがこれでは生殺しだ。
こめかみに手を遣る。言い様の無い感覚だった。けれど、彩歌は以前にも、これと同じものを覚えた。他でもない、
「大雅、キミは……恐れてるのかい? でも、何を……」
いかなる状況であろうとも、時間は無慈悲に流れ往く。この世に生まれ、そして死にゆく事が人間にたったふたつだけ与えられた平等であるのなら、人生とはそれらを繋ぐ不可逆の道程だ。その上を歩くヒトの尺度など、理の前では些事でしかない。
故に親友の覗かせた違和を拭えずにいる彩歌の前においても、それは同じ事。時刻は既に放課を迎え、侑は転科者用の補講に向かってしまった。同好会の部室へ続く廊下を、少年は独り歩く。未だ懊悩を抱えたまま。
彩歌とて分かってはいるのだ。考えた所でこの問いに答えなど出ない事は。手がかりがあまりにも少なすぎる。それでも考えてしまうのは、それだけ大雅の存在が彼にとって大きいからなのだろう。
(……考えても仕方ないとは、分かってるんだけど)
たとえ彩歌が問い質したとして、大雅は答えないだろう。嘗ての彩歌がそうであったように。本質的には似通っている彼らだから、それが分かってしまう。
「だったら俺も思ったようにやるだけ、か。あいつが俺にしてくれたように」
それは半ば強引な割り切りではあるのだろう。お為ごかしでしかないとも理解している。それでも、少しでも相手のためになるのなら。結局の所、それが彼にできる全てだ。
そんなことを考えているうち、気づけば部室はもう目を鼻の先。一旦の結論で懊悩を呑み下し、ドアの取っ手に指を掛けた。その刹那。
──わっ、ちょっ、わっ、わあぁぁぁ~!?
「えっ……かすみさん!?」
耳の良さには自信のある彩歌だ。聞き違える筈もない。僅かでこそあるが、扉越しに耳朶に触れた悲鳴は、明らかにかすみのそれだった。それを認識するや、彩歌は動いていた。
しかし──結論から言えば、それは明確な失敗であったと言えよう。少し冷静になれば気づけた筈なのだから。聞こえてきたそれが、記憶にあるいつかの悲鳴と同じだと。けれど、気づかなかった。それは彼があくまでも“真野彩歌”でしかないが為に。
いっそ放り捨てんばかりの勢いで扉を開く。そのまま室内に飛び込もうとして、しかし不意にその脚が止まった。扉を開いたその先、視界に入った部室の様子があまりにもいつも通りであったものだから。ただひとつ、モニターの中でスーツ姿のかすみがひっくり返ったまま静止している事を除けば。
「わっ、びっくりした……どうしたんですかぁ、彩歌先輩? かすみんならここにいますよ?」
「かすみさん。あれっ、じゃあ今のは──あぁ、そういうコトか」
詰まる所、ただの勘違い。録音の悲鳴と本物を区別できなかったが故の事だ。急激に熱が失せていく思考で彩歌はそう合点する。そして全ての点が繋がるや、頬が赤くなっていく感覚が嫌に鮮明だ。まるで脳を浮かしていた熱に実体が与えられたかのように。
あまりに突然の事で目を白黒させていたかすみ、そして璃奈としずくも、彩歌の表情を見ておおよその事情に気付いたようだ。面持ち、或いはボードが疑問のそれから明らかにある種のにやけ顔に変わってゆく。
「あれあれ~? もしかして彩歌先輩、かすみんが心配になって飛び込んできちゃったんですかぁ? きゃっ、かすみんったらすっごく愛されてますね!」
「ぐっ……からかわないでよ、恥ずかしいから……というか、心配にもなるだろう? あんな悲鳴が聞こえてきたらさ。でも、本当に何事も無くてよかった……」
たとえ勘違いであったのだとしても、無事なかすみを見て安心したのは変わらない。事ここに至ってはあえて誤魔化す理由も見つからず、故にそれは開き直りに他ならないものであった。
しかし開き直りであればこそ、それは紛れも無く本心だ。疑いの余地もなく。それを至近距離で受けたのだから、今度はかすみがたじろく番であった。からかうつもりで放った言葉を全て肯定されたのだから、それも致し方ない事だろう。
「良かったね、かすみさん?」
「彩歌さんのコト大好きだもんね、かすみちゃん」
「ちょっ、しず子りな子!? 余計なコト言わないで!? 彩歌先輩も、違いますからね!? そーゆーのじゃないですから!」
「……? そーゆーの……?」
ああもう、この
代わりにかすみは精一杯の“可愛い私”で頬を膨らませてみせるけれど、彩歌は微笑みながら小首を傾げるだけだ。まさに暖簾に腕押し。最早怒ったポーズも馬鹿らしくて、そのままがっくりと肩を落とした。そんな彼女の頭を、しずくと璃奈が撫でている。
兄妹のじゃれ合いのようなものだ。実際に血が繋がっているなどという事は万にひとつも在り得ないけれど。或いは、だからこそか。兄/妹がいればこんな感じだろうかと、そんな益体も無い事を考えてしまうのは。
「ところで……これはいったい何なんだい? NGシーンというのは、見ればわかるけど……」
そう言って彩歌が指したのは、未だに画面の中で静止しているかすみだ。その恰好がスーツである事からスクフェス用PVのNGシーンというのは明らかだったが、あえて残してあると彩歌は知らなかったのである。
「NGシーンだけじゃないよ。未使用シーンは全部残してあるの。……PVには使えなくても、みんな大切な思い出だから」
「そっか。……そうだね」
たとえ対外的に見せられるようなものでなかったとしても。そんな不出来すらも全て、大切な思い出。故に璃奈はそれらを消さず、余すところなく残しておいたのだ。NGシーンもまたそのひとつ。
たとえ時が流れて何もかも遠い過去になったとしても、残しておけばいつでも振り返る事ができる。立ち返るのではなく、それは再認だ。過去を思い、自身の輪郭を再定義するための。
そしてそれが思い出の
「でも、あれだね。PV撮影だけでこれだけの量なら、いつかドキュメンタリー映画でも作れそうな勢いだ」
「ドキュメンタリー……! いいですね、それ! 総指揮はお任せください! やってみたい演出プランならいくつもあるんです!」
「ふふ、やる気だね。流石は桜坂監督だ」
「その時は可愛いかすみんでいーっぱいにしてね?
たとえ、今はまだただの絵空事であったとしても。思い続けていれば、いつかは叶う。少なくともこの場において、それを不可能と思っている者はひとりもいなかった。思い付きで口にしたかに見える彩歌ですらも。
しずくと璃奈などは既にやる気が溢れているようで、今ある映像で可能な編集や演出について議論を始めている。かすみはそんなふたりの様子に呆れつつも熱量は変わらないようで、部室の一角はいつの間にか会議の様相を呈していた。そんな後輩達の姿を、彩歌は一歩離れた所から見ている。
平穏な日常。皆の熱量で少しずつ変化を続けながら、確実に
「彩歌さん」
「ん、なんだい?」
「なんだい? じゃないですよー。言い出しっぺは彩歌先輩なんですから、先輩も何か意見出してくださーい」
かすみの物言いは尤もだ。故に彩歌は一言謝罪を口にして、かすみ達の輪に戻っていく。
──全てが大切だからと残した日常の一幕。それが何をもたらすのか、何も知らないままに。