旅客機は日本の成田空港を飛び立ち、現在雲の上なり。
バンコクやアブダビなどいくつか経由して、明日のお昼にはカイロに着く予定だ。
直通便がないのは不便だが仕方あるまい。
なお、パスポートに関しては米国のものをスピードワゴン財団とやらがスッと差し出してきた。
ジョセフさんは申し訳なさそうに「すまんな、日本のは入手に時間がかかるようでな。米国分で我慢してくれ」と言われるなどした。
とりあえずパスポートと各種身分証を受け取り、俺は神話的恐怖に震え上がった。
100%身に覚えのない身分証が無から湧いた……怖い……!
そして俺は19才の日系アメリカ人だったらしい。
若いなおい。米国人から見たら童顔だったのかもしれないが25歳設定だったのに。
ちなみに、俺の偽名は「黄衣ハスタ」。
魔術師が二度見三度見するオープンな偽名である。
別に誰も困らないしこれで良かろうよ。
ともかく、カイロに到着するまでまだ時間がある。
まだ座席の一つ一つに映画の見られる画面が設置される前らしく、プレーンな機内は何の娯楽もない。
一時間ほどは敵襲がないかやや気を張っていたが、その様子もない。
寝るにしても変に緊張してそんな気分になれない。
うーむ、なんか面白いこと無いかな。
俺は悩んで、自分の触手をうねうねと亜空間から取り出して、触手チェスを始めることにした。
手遊びの一種だ。
細い触手の先っぽを尖らせて色を変えるなどしてチェスのコマに見立てる。
そしてチェス盤代わりに太い触手を横に寝かせて、ペンで線を書き込んでボードとするのだ。
旅の旅費をジョセフさんに出してもらっている状態の文無し俺である。
ポータブル将棋盤を買う金も、長旅に持っていくスペースもなかったが故の処置だ。
モニョモニョと一人で魔術による仮想AIを相手にチェスで時間を潰していく。
すると、隣で静かに目を瞑っていた承太郎君が横目で俺を確認した。
「ほー、チェスか。俺もまぜろ」
「承太郎君もやる?ほいよ」
承太郎君も乗り気の様なので、駒をニュルっと初期位置に戻して黒を渡しておく。
承太郎君が触手駒を掴んでニヤッと笑った。
「黒か。ハンデをお望みか?」
「お望みです。先手の白の方が有利、すなわちに最後に勝てばよかろうなのだ」
「よく言った。ぶっ潰す」
「待って手加減して俺は少し小突かれただけでやられるぞ!」
普段の様子を見るに、承太郎君は頭の回転がかなり速い。
対して俺はデフォルトのPCのOSに入っているチェスAIにボロ負けする雑魚である。
案の定。
俺は光の速度でどこに動かしても王を取られる形となって敗北した。
途中から俺も焦ってちょっと本気出したのに普通に負けた。
俺はしょぼくれて触手をペチペチした。
「娯楽提供者に、もっとこう、敬意とかを持って接するべき」
「敬意を込めて全力で相手しただろうが。テメェも最初の慢心がなけりゃ負けてたかもな」
「敬意の方向性が戦闘民族なんだよなぁ。あと承太郎君強すぎ」
ブツブツと文句を言って不満を表明する。
いや俺だってね、本当はハスターすなわち黄衣の王だからね。
超高INT(知性)を誇る怪物なのだ。
ちょっと賢すぎて思考がブルーになるから、普段はわざと魔術でINTを下げているだけだ。
うつらうつらしていた端っこの花京院が、俺たちがワイがやしているのに気づいたらしい。
「へぇ、触手をチェス盤に見立てているのか!なるほどなるほど、僕も一つ…」とスタンドを取り出した。
器用なハイエロファントグリーンの触脚を操り、チェスの駒を作っていく。
しかし馬の尖った耳がうまくいかないらしい。
他の触脚で引っ張って無理やり尖らせている。
何度引っ張ってもブニンと戻る触脚に辟易とした花京院君が肩を下げた。
「このまま動かすのか。意外と難しいな。黄衣さんは結構スムーズに動かしてましたよね」
「まあ、意外といい精密動作性訓練になるかもな」
「承太郎、次は僕とやろう。どうだ?」
「チェスでも将棋でもかかってきな」
「やれっ花京院君!ぼこぼこにしてやれ!」
「任せてください!」
俺が大きくて太い触手をチェス盤として貸し出して、外野として無責任に煽り散らす。
花京院君!俺の仇を取ってくれ!
そんなふうにまったりとチェスで遊んでいると。
ブーン、と場違いなほど大きな虫の羽音が客室内に響いた。
俺たちは瞬時に戦闘体勢を取った。
油断なくジョセフさんが波紋の呼吸をしているのが見える。
姿は……奇妙な色をした大きなクワガタムシに見える。
俺はその力場を無言で解析した。
力場としての規模は弱い。
が、確かにルールをはらんだ小回りの利くいい能力だ。
速度と精密性に関する力で、持ち主にそれを制御し切るだけの知覚を付与するように見える。
つまり敵は速度特化。
ルールも込みで、承太郎君以上の速度を持っていると見て間違いない。
こんな人のたくさんいる機内で戦闘するとなると、相手方に有利だろう。
俺の触手はスタープラチナと比べて大雑把な動きしかできない。
承太郎君が挨拶がてら、スタンドのラッシュを仕掛けたようだ。
「ふん、気持ち悪いな。悪く思うなよ!」
『クク…』
それを軽々と避けるクワガタのスタンドに、「何だとッッッ!?弾丸を掴むほどのスタープラチナよりも速いとは、なんてスピードだ!」とアヴドゥルさんが慄いた。
承太郎君の時も思ったのだが、外野は解説するルールなのだろうか。
クワガタは名をタワーオブグレーと言うらしい。敵のくせに格好いいな。クワガタでええやろ。
ともかく、クワガタは口から長い舌の様な部位をしならせた。
多少頑丈で、本体と同程度には素早い舌だ。
凄まじいスピードだし、戦闘中は俺では肉盾ぐらいしかしないほうが良さそうだ。
力場のエネルギー変化からスタンドの次の行動が読めたので、空条君の前に俺のスタンドを盾にしてせり上がらせる。
クワガタは構わずゲラゲラ笑いながら突っ込んできた。
まとめて穴を穿ってやろうと思ったのだろう。
『このタワーニードルをその程度で防ごうなど片腹痛────ギャヒッ!?』
その速度のままに突っ込んできた口の様な部位が、速度のままに俺の触手にぶち当たってブチュリと潰れた。
ある程度は速度に耐えられるほどに頑丈な様だが、流石に俺の皮膚は越えられないらしい。
クワガタは素早くタワーニードルとやらを再生して、一旦距離を取った。
「流石黄衣君のスタンド!承太郎のスタープラチナのパワーでぶち抜けない堅牢な戦車の如きスタンドじゃわい!」
「照れるぅ。あと全部スタープラチナ基準なのは一体」
「分かりやすいじゃろう。能力がプレーンで尖っておらんし」
「なるほど確かに」
俺は頷いた。
凄まじい高い基礎能力が揃っている、と言う意味で優秀だもんな。
承太郎君はやれやれだぜモードに入っているけれど。
しかし、ああして距離を取られると困ったことになる。
相手の動きを制限しないと、加速からの高火力攻撃が来るし。
緻密な動きが故にまともに避けられないし、攻撃も通らない。
スタンド越しに再生を付与して過剰再生エンドにしてもいいが、グロくてみんなに引かれるかもしれないし。
それは最終手段にすべきだろう。
というか、スタンドを見た段階で力場を解析して能力なんてすぐ割り出せるんだから、再生なんて言い張らずに能力解析のスタンドだとすべきだったか。
今更の話だが悔やまれる。俺は嘘が苦手なのに。
しかし、次のクワガタの行為で、俺の余裕も消し飛ぶことになる。
突如クワガタは反転。乗客四人を背後から貫き、その舌を引きちぎってハンティングトロフィーとしたのだ。
客は派手に血を吹き出して、目を見開いてゴボゴボと血の泡に溺れている。
その舌でもって、クワガタは「皆殺し」の文字を壁に書き付けた。
単なる示威行為だ。俺たちへの挑発に過ぎない。
焦ったようなジョセフさんが声を出す前に、俺は被害者全員に瞬時に再生を付与した。
死者は助けられないが、戦闘開始時に万が一のために乗客の魂を把握してある。
脳も含めて肉体を再生すれば、殺された乗客たちも問題なく蘇生できるだろう。
承太郎君達には「死ぬ前だから間に合った」と言い張ればいい。
しかし、寝ていたら突然舌を引きちぎられるなんてとんでもないSAN値減少になるだろう。
あまりに酷い。人として信じられない。
意味もなくただ愉悦のままに人を殺して弄ぶなんて、邪悪としか言いようがない。
クワガタはくつくつと笑って舌をうねらせた。
『ほう、きさまがDIO様の仰っていた…ふん。どちらにせよ殺せば済む話よ!』
「………外道なスタンド使いって、人間にカウントすべきか迷うな。怪物だってもうちょっと慎みがあるのに」
「同意見だ。だがぶちのめすのに躊躇が要らなくていい」
承太郎君の軽口でしかないが、同意は得られた。
人でないなら、俺が手を出しても問題なかろうよ。
とはいえ、俺もスタンド使いと身分を偽っている。
ともかく数で行くか、と思考をまとめた。
チラッとだけ花京院君に視線を送ってから。
ありとあらゆる場所からありったけの触手を差し向ける。
勝手な制限だが、俺のスタンド(偽)射程は10mとしておこうか。
無数の触手はスタープラチナほど早くないから、これで仕留めるのは無理だろう。
突き出した触手がクワガタムシを捉えようと蠢くが、クワガタムシは危なげなく躱していく。
『おれには止まって見えるぞこんなものは!』
「だろうな。なら俺を殺してみればどうだ?さっき自爆した時に懲りたか、弱虫さん」
『貴様……舌を引き摺り出して後悔させてやる!』
瞬く様な、人の目では捉えられない速度でクワガタが俺の背後に回る。
そして無防備に佇む俺の後ろからトップスピードで穴を穿って。
『ふん、あっけない……一人目を仕留めた。無様に怯え震えろ…』
俺は頭蓋と舌を貫通されたまま、ニタリと笑った。
「残念。俺はデコイなんだよな」
瞬時に、俺の触手の中に潜んでいたハイエロファントグリーンが、触手を突き破って出現。
クワガタを貫いた。
『な……に……!?バカ、な…!!!』
「お前、人の舌に拘りすぎだよ。その間に花京院君のスタンドに潜り込んでもらったのに、気付きもしないんだから」
「そうとも。私のハイエロファントグリーンに貫かれた感触はどうかな?君のタワーニードルとやらより鋭いだろう?」
おお、煽りまくる花京院君だこと。
敵スタンド使いは「お、のれ…DIO様、万歳…」とDIOを讃えたまま、息絶えたのだった。
花京院君が俺に駆け寄って心配そうにした。
「大丈夫ですか!?再生のスタンドだとは聞いていましたが!」
「問題なし。けど服は汚れたからカイロに着いたら新しいのを買わないとな。というかこれカイロにつくよね?」
だんだんと、飛行機が傾いている気がする俺である。
ジョセフさんも頷いて「……コックピットを確認しよう」とずんずん前に進み出した。
なんか戦闘で機体に穴でも開けたかな、見た感じ大丈夫そうだけど、とそわそわ確認しに急いでコックピットに向かえば。
パイロットは既に亡くなっていた。
舌を抉り出され、血溜まりに倒れ伏すパイロット達の無惨な死体が、コックピットに転がっていた。
音もなく、誰にも気付かれずに屍を晒して。
ほぼ即死に近かったのは幸いなのか、不幸なのか。
あまりに酷い有様に、俺は無言で拳を握りしめた。
恨みでもなんでもなく、ただゴミのように殺すだなんて。
アヴドゥルさんに「黄衣君」と声をかけられたが、俺は首を横に振るだけにとどめた。
肉を直したとして、もう魂は離れている。
この世界は死者に対して独自のルールを敷いている。
死者は魂のみとなり、この世を彷徨うこともできる。
天国もあり、地獄……のような掃き溜めもある。
殺されたパイロットが天国にいけたかどうかはその生前の行いによるだろう。
でも、その死後に幸いがあればいい。
そう祈る余地があるのは、この世の神の功績だろうとおもった。
あとは、運転手がいなくなってこの飛行機がどうなるかと言う話である。
さらさらと天井のボタン群を確認して、計器の状態を調べる。
この旅客機の乗客全員を漂流させるわけにはいかないからな。
俺に飛行機操縦の経験なんてかけらもないから、できることにしておこう。
権能にて死したパイロットさん達から情報を取得。
軽く設定をいじっていく。
「お、お主旅客機の運転ができるのか!?」
「運転できる気がするから勘で動かすぜ!」
「やめんか!!!」
オートパイロットはダメになっているが、殺された拍子にスイッチが動いていたりはしていないようだ。
俺は意気揚々と機長席に座ってキリッとした顔をして、ジョセフさんからの拳をもらった。
大丈夫だってば!
「俺に全て任せておけ!」
「こんな大丈夫じゃなさそうな発言初めて聞きました。僕はカイロの地を踏む前に海の藻屑になるってことですね」
「引き摺り下ろすか?」
「えーー、燃料は問題なし。オートスロットルはSPD(速度維持)。水平航法はLNAV(誘導)。おーけーおーけー。つぎのステップ上昇は15分後の予定だったけどちょっと変更。香港に緊急着陸しようねぇ」
「大丈夫そうみたいじゃな」
「逆になんでさっきの流れで大丈夫そうなのかわからないんですけど」
手慣れた様子を見て、深く聞かずとも納得してくれたようだ。よしよし。
知識だけあって経験がない状態ではあるが。
この場にいるものよりはまあ、運転はわかるのである。
そうして、香港国際空港に到着。
空港はもちろん、一般人がオートパイロットなしでランディングするということで大騒ぎになったのであった。
・黄衣のスタンド(相変わらず名前はない)
本人曰く。
死者を生き返らせることはできない。
再生が付与できるのは生命のみで、無機物には効果がない。
射程は10mほど。
触手を傷つけられればフィードバックはあるが、瞬時に再生できるので帳消しになっている。
人間程度には器用だが、速度を出せば大雑把にならざるを得ない。
承太郎「そろそろ名前をつけたほうが良いんじゃねぇか」
ハスタ「後にする。俺のセンス不足がバレたくない」
花京院「口に出してますよ」