約束   作:江夏ケイ

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この先の6年の原動力は、この夜に起きた事件だった。
注:誕生日改変有


失った夜

 眠りから覚めたとき、何かが視界に見えた。夢の続きだったのか、それとも今日この日、俺が成人を迎えたから「見えた」ものなんだろうか。

 何が見えたのか目を閉じて思い出そうとするが、ぼんやりと白いもの……ただ、邪悪な気配を感じるもの……としか、わからなかった。

 起き上がってサスケの様子を見に行くと、まだ眠っている。ふわりとしたやさしい曲線の頬に触れてから、頭を撫でた。

 ……父さんに、見えたものの事を聞いてみなければ。

 

 父さんに会いに行く途中、母さんが俺を見かけて優しく笑って手を広げる。少し照れくさいが、母さんの気持ちとして受け取ることにした。その手の中に収まると、大切なものを扱うように抱きしめられる。

「成人、おめでとうイタチ。」

 改めて言われるとむず痒い。ただ、祝ってくれる人がいるのは幸せな事だ。

 「ありがとう、母さん」

 俺もその背に軽く手を添えた。

「イタチ、成人したか。」

そんなさなかに、父さんの声が聞こえてくる。静かに抱擁を解いて、俺は父さんに向き直った。

「その事で、確認したい事がある。少し時間を分けて欲しい。」

 父さんは普段はあまり行かない大きな木の上に誘った。ふわりと身体を浮かせて父さんが待つ場所に向かう。

 父さんは腕を組みながら俺を待っていた。

「お前から俺に用とは珍しいな。」

 父さんは、母さんほど人間らしさはない。俺たちの一族は人間のあたたかい営みを真似て「暮らす」ということを模倣してきた。優しさや愛情のような「感情」もまた、村の人々の営みから学び得てきたものだ。だけど父さんはあまりそういうものには興味がない。つまり本来の俺たち一族の在り方に近い。

 それは感情の起伏もあまりなく、ただ「在る」ことに重きを置いている。

 母さんのように愛情や感情が豊かな方がいいのか、父さんのように本来の在るべき姿の方がいいのかは、まだ判断できない。けどどちらの在り方も……尊敬している。

 手を握り、父さんの目に訴えかけた。

「目覚めたと同時に、少しだけ見えた。それは邪悪な存在だった。夢でも妄想でもない。もしも成人したこの眼の力で見えたのだとしたら、もっとよく見なければ村に……いや、俺たちにとって災禍となりかねない。だから、次の儀式を俺にもやらせて欲しい。」

 父さんは腕を組んだまま、真っ直ぐに俺を見ながら、ため息をついた。

「成人したばかりで、様々なものを見たいだけだろう。誰もが通る道だ。だが、儀式はそんな好奇心では任せれん。」

 ……つまり、それは拒絶だった。

 

 俺はどうにかしてあの白いものが何なのか見ようとした。でも人間の血を飲まなければ力は十分に使えない。そして力の使い方もまた、成人したばかりでよく把握できていない。

 胸に石が詰まっているような感覚を抱きながら日々が過ぎ、暫くして儀式に携わる事が許された。

 成人したばかりの頃は皆、親が儀式を主導して子はその見学、そして少しだけ血を飲む事が許されて、同じものが見えたかどうか確認をする。

 こうして回数を重ねてしっかりと見る力が備わっているとみなされたら一人で儀式を行う事ができるようになる。

 でもそんな事よりも確かめなければいけなかった。このチャンスを逃すわけには行かない、あの白いものの正体をもっと見られるとしたらこの機会しかない。

 父さんは岩の上に横になるまだ若い女性の衣服をずらして下首筋から肩にかけての肌を露出させた。そして首筋に牙を立てて血を啜り飲む。

 ……この女性はたくさんの子がいる母だ、あまり飲まないであげたいが。

 父さんに続いて俺もその首筋に牙を立てる。あたたかい血液が喉を通った瞬間に、頭から足先まで白い布を被ったような服を着た人間の集団が、闇夜の中、網のようなものをこちらに向けて投げるのが見えた。

 ……一口しか飲んでいない。見えたのはそれだけだった。でも、確かに邪悪な気を感じた、そしてあの網の先にいるのは一体「どっち」だ。

「何が見えた、イタチ。」

 静かに語りかける父さんに、このことを伝えなければと顔を上げる。

「父さん、やっぱり白い――」

 全てを言い切る前に、父さんはため息をついた。

「お前に任せるのは、もう少し先だな。」

「父さん、話を……!」

 俺の話など聞きもせず、父さんは女性の服を直して夢を見せ始めた。

 儀式の邪魔は……してはいけない。

 

 どうすれば伝わる、どう言えば信じてもらえる。深い闇夜はおそらく新月の夜……3日後までに村の人……もしくは――それとも、俺たち一族に……仇をなす者共が現れるかもしれないのに、誰にどう訴えても皆本気で信じてはくれない。

 こうなったら、俺だけでも対抗して奴らが現れたら退ける他に方法はない。

 一族の者が静かに眠りにつく中で、俺は少し離れた森の上から様子を伺っていた。

 大した物音もなくどこからかそいつらは現れて、村の人ではなく俺たち一族の棲家に迷いなく上がって行くのを確認すると、俺は赤い瞳の力を全力で出して叫んだ。

「皆、起きろ! 厄災が来た!!」

 この眼が見せる幻は邪悪な者には特に効くはずだ、そう教わった。でもその力が奴等に及んでいる様子は見られない。家族は声を聞いて目覚めたもののその上には既に邪悪な網がかかっている。父さんもまた眼の力で抵抗を試みていたが奴等に効いている様子はない。父さんの力ですら及ばないなんて。炎で焼き払おうとするが鉄のワイヤーが使われているのか何も起きなかった。ただ周囲の木々が黒く焦げて生木が焼ける臭いが立ち込めるばかり。

 眼も、炎も、効かないのでは……俺たちには、何もできない……。

 ウェンカムイ……ヒグマのように力があるわけではない。一族はどんどん包囲を狭められて、ひとりずつ縄で縛られどこかに連れて行かれる。そしてその魔の手は、奥ですやすやと眠っていたサスケにも及んだ。

 抱き上げられた小さな身体、やめさせようと手を伸ばしかけて、サスケもあの網の中に捕えられていると思い出し、何をしようにも取るべき手段が何もないことを思い知らされる。

 サスケは目を覚まして目をぱちぱちとしばたかせ、キョロキョロとあたりを伺おうとしたところを網で縛り上げられた。

 

 何も、できなかった。

 見えていても、知っていても、……防げなかった。

 そんな力に意味はない。

 

 白服の集団が移動していく先を追うと海だった。船着場に停まっていたあまり大きくない船の中に、仲間が物のように運び込まれていく。サスケも、きっと、あの中に……。

 船の中に全て消えていき、そしてその船は静かに沖に向けて去っていった。

 途中まで追いかけて、暗闇の海の上でそれ以上追うのは、やめた。

 そして俺はひとり、誰もいなくなった村に戻った。

 

 しんと静まる中、焚き火跡の近くの丸太に腰を下ろす。耳鳴りがするような静けさの中、動物がカサと草を揺らした音で少しだけ落ち着きを取り戻す事ができた。

 一体何故人間が俺たちを見る事ができた、触れる事ができた、捕らえる事ができた。あの白い服、そして頭の眼鏡のような物。……あれがその絡繰なのか。

 俺はどうしたらよかったんだ。他にやりようはなかったのか。知ったいたのに、わかっていたのに、俺は、何故止められなかった。

 握りしめる拳に力が入る。

 ……違う、今はもうその段階じゃない。

 奴等が何者で、何が目的で一族を襲い攫ったのか……俺が、動いて、調べて、そして取り返す。そのために次にするべき事は何だ。……考えろ。

 独りで出来ることなど限られている、それは痛感した。ならば誰かを頼る。そうだ、他に奴らのことを見ていたカムイは他にいないか。……クンネレッカムイならもしかしたら……!

 ふわっと身体を浮かせて木々を見て回る。夜を見守るクンネレッカムイなら誰かがきっと見ていたはずだ。

 うろがある大樹の枝に、その姿を見つけた。村が見える場所。俺達の住処も見える場所。

「夜を見守る者よ、我が言の葉を受け止めてくれはしないか。」

 木に止まっていたエゾフクロウの首が俺の方を向いた。

「リスの子よ、哀れなトゥスニンケ。我は見守るのみ。然し言の葉を喰らおう。」

「……謝辞を述べる。我が同胞はヒトの手に落ちた。それをも見守っておられたか。」

「我は見守る者。この地の全ては我らが見ている。」

「あの者共の行末は。」

「……海には海のカムイがいる。我らは森の外は見ぬ。」

 森の中だけ……だけど十分だ。

「……では、あの者共の奇妙な姿を見たならばそれを。」

「奇妙か。あの眼を覆う黒き物は我らカムイが見える。白き衣は我らに触れる。操る絡繰もまた全て。森の同士があれを目にしたのはその夜がはじめてよ。」

 エゾフクロウの頭が下がり、首が身体の羽毛に隠れた。これ以上話す事はない、ということだ。

「重ねて謝辞を述べる。夜の守り人よ、その知らせの代償を。」

「……よい、哀れなリスの子。我が視界を遮るな。」

 フクロウは、ほぼ360度見渡せる。つまりは、これ以上クンネレッカムイの近くにいるのは避けるべきだ。

 居住まいを正して胸の前で手を合わせ、手の平を擦り合わせてからゆっくりと手を挙げ、その場を立ち去った。

 夜を司るカムイは森の外までは知らない。つまりその先にある海のカムイの中で、同じく見守る役割を果たしている者に出会う事ができたなら。

 白服が通った後をもう一度注意深く観察しながら進んでいく。雪が積もっているのは当然として道中山もあれば谷もある、湿原もあるし森ばかり続く。そんな中、村人達の通り道のような道ではなく自然の中を掻き分けて俺たちの集落まで密かにやってきた。恐らくは何日もかけてこの地に踏み込み、そしてただの人間には出来ない恐ろしい速さで船まで運んでいった。

 この地に古くから居る者なら、それも少人数であれば、出来たかもしれない。でも奴等は違った。まるでこの為に訓練されているかのような……。

 痕跡を観察しながら辿って行くと、追うごとにその痕跡は雪でほとんどがもう見えなくなっていった。船着場に着く頃には数日が経っていて、厚い雲の向こうにうっすらと太陽があるのが見える。

 何ひとつ証拠を残さずに消えた、訓練された白服の集団。……海のカムイを頼ろうにも俺は海のことは何も知らない。

「珍しい!」

「珍しい〜!」

 突然耳元で聞こえた声に振り向くが、そこには誰もいなかった。はらはらと降る雪が肩に付いていることに気がつく。その雪の上に小さな……小さな者がいた。ウパㇱカムイか……?

「見ない顔!」

「知らない顔!」

 攫われた日は……雪が降っていた。いや、そうでなくとも積もっているのだから、彼らはもしかしたら何かを知っているかもしれない。

「カムイ・ヌプリ・ケㇱというコタンからここまで来た。数日前、ここを白い服の人間の集団が通ったのを見ていないか。」

「見た見た!」

「へーんなの!」

「やな感じ!」

「隠れてた〜!」

 目撃はしている、けれどあの邪悪な気を恐れて姿を見せないようにしていたのか。

 ……そうだ、あいつらにはカムイが見える。なのに何故俺たちの一族だけを標的にした。目的は何だ。

「船がどこへ向かったのか、知らないか。」

「あっちあっち!」

「まーっすぐ!」

「けどキケン!」

「すっごくやーな感じ!」

 周囲からわっと声が上がる。雪で覆われた地なのだからウパㇱカムイもまた沢山いるのだろう。

「危険でもいい、あの船が向かった先を知っているなら教えてくれ。」

「いいの?」

「大丈夫?」

「あぶないよ?」

「あのね、この先まーーっすぐ!」

「異国の大陸の方!」

「すっごく遠いよ!」

 異国の……地図、をどこかで調達しなければいけない。でも俺には交易するための金も、何もない。

「ありがとう、この地を美しく染める子ら。海のことに詳しいものを知らないか。」

「海?」

「海の中?」

「海の上?」

「翼を持つものなら」

 翼……海の中は、駄目か。

「大丈夫?」

「落ち込んだ?」

「元気出して!」

「一緒に舞おう!」

「……すまない、踊りは……不得意だ。ありがとう……。」

 海の中……海と近しい……港、ならば。

「ここから一番近い港はどこかわかるか。」

「南にあるよ!」

「南は遠いよ!」

「北にあるよ!」

「北も遠いよ!」

「どっちかだったら?」

「北じゃない?」

「北は人間もいるよ?」

「北の方がいいよ!」

 いつの間にか、周りに小さな者達が集まっていた。

 彼らが興味を示すなんて珍しい。……それだけ奴等が異質な存在だった、ということだろうか。

「ありがとう、では北を目指すことにする。」

「はらぺこさん気をつけて!」

「倒れないでね!」

「がんばれー!」

 北を見る。海岸線沿いを歩くか、飛んで行くか……言われた通り、しばらく何も口にしていない。体力を温存するには……飛びながら、時折降りて歩きながら周辺のカムイから話を聞こう。

「……世話になった、いずれ返そう。では、行く。」

 雪が舞い散る中、空はどんどん雲が重くなっていく。……吹雪になるかもしれない。

 それでも、足を止めることはなかった。




※ウェンカムイ:基本的には人間を襲うヒグマを表す言葉。悪神、邪神といった人間に害を及ぼすカムイ(神)の総称としても使われる。
※クンネレッカムイ:「夜に鳴く神」シマフクロウやエゾフクロウのこと。夜通し大きな目で見張り、鋭い耳で異変を聞き取る。
※トゥスニンケ:「消える」事を表すアイヌ語、素早く行動しトゥスニンケするリスを連想させる言葉でもある。カムイを表す言葉ではないが、イタチが育った村ではイタチ達カムイのことを村人はトゥスニンケと呼び崇拝している。
※ ウパㇱカムイ:雪のカムイ、恵みでもあり戒めでもある。動物と関連したカムイとは異なり自然そのもののためその性質は気まぐれ。
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