約束   作:江夏ケイ

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鬼鮫のはたらきより病院に運ばれたイタチが目覚める。人間の社会のセーフティネットに助けられながら、未来視の使用禁止を鬼鮫から強く注意される。


人間の街

 今の俺はどうなっている。この周りの機械は何だ。外してもいいのか、このまま寝ていた方がいいのか。

 口につけられたものはシュー、とと音を立てながら、口の中に空気を送り込んでいるらしい。そのせいだろうか、呼吸の苦しさは全く感じない。

 手足も、動かそうと思えば動かせるが……腕に刺さっている針から細い筒が伸びていて、液体の入った袋と繋がっている。

「鬼鮫、俺はどうなったんだ。」

 こもった声で尋ねると、鬼鮫はその顔から笑顔を消した。

「イタチさんは、何をどこまで覚えてます?」

 何を……。記憶を手繰り寄せる。白服の一人の未来を観た。その後……森、にいたような……でもここは……人間の建物の中で、機械だらけだ。

 カーテンが開き、女性が覗き込む。そのままカーテンの中に入って鬼鮫の前にある液体の入った袋を確認してからエプロンから何か小さな機械、首に下げていた曲がった金属の先端を耳に着けて俺の腕に何かを巻いた。

 シュコシュコと風船のような物を握り操る。腕につけられた物が風船を握るたびに締め付ける。そして俺の手首に指を添えて確認しながらまた手元を動かした。少しずつ腕に巻かれているものの締め付けが弱くなる。

 中指の先端に何かがつけられて、外される。額に何かを当てて、ピッと音がするとそれを確認し、枕元に何かメモする物があるらしい。それに書き込んでいく。

「お名前は言えますか?」

「……うちはイタチ。ここは?」

「病院ですよ。どうして倒れたのかは覚えていますか?」

 未来視の副作用……とは言えない。

「すみません、記憶が朧げで……。」

「そうですか……重い貧血と凍傷で倒れていたのを、そこの干柿さんが救急車を呼んだんです。ここはその搬送先になります。まだ血圧が低いので、安静にしていてくださいね。」

 女性はそれだけ言って、またカーテンの向こうに去っていった。

「重い貧血……鬼鮫が、人間の街まで?」

「……覚えていなさそうなのでもう一度言いますよ。人間を利用する気がないのであれば、未来視は本番までは絶対に使わないでください。あまりに代償が大きすぎます。」

 未来視、そうだ。見えたものを、鬼鮫にも。

「奴等は上陸を諦めて巨大な船に乗った。そこには……」

「今はその話はいいです。後で聞きます。約束してください、もう無茶はしないこと、そして未来視を使わないこと。」

 ここまで厳しく言うからには……それなりのことがあったということだ。人間の街まで来て、人間の助けを呼ぶくらいなのだから。便利な力には、相応の代償がある……ということなんだろう。

「……悪かった。無謀なことをした。それと……ありがとう。鬼鮫に命を救われるのは二回目だな……。」

「若さ故の無謀、じゃあ、済まされませんよ。前回も今回も、本当に死にかけたんですからね、イタチさん。死んでは元も子もない。」

「……馬鹿な俺を見限るか?」

「あなたが生きている限りそれはあり得ません。そしてあなたが死ぬこともまたあり得ません。私が死なせはしない。何故かわかりますか。」

「……いや、……わからない。」

「では、宿題にしておきましょう。」

 鬼鮫が俺を生かす理由……こうなるまで無謀なことをした俺を助ける理由……。俺に利用価値があるから?

 それとも海の底で誓ったから……?

 考え込みながらポタポタと管の中に落ちてくる液体を眺める。

 身体の中に、針を通してこの液体を入れている……のか。その役割は……単なる水分補給ではなさそうだ。袋に何か書いてあるが、反対側を向いていてそれが何なのかよくわからない。わからないが、俺を生かすための何かなんだろう。重い貧血だった俺がこうして目を覚ましたということは、人間の血をこの液体と同じように身体に入れたのだろうか。それとも飲ませたのだろうか。

 ……何にしても、人間の技術というものは凄いものだ。森に住んでいた俺には想像もつかなかったことがここでは行われている。

 そして白服たちも同様にこの技術力を……カムイ達を攫う事に使っている。

 今は……あれからどのくらいの時間が経っている? 次に白服が来るのはいつだ。どこを狙う。

 ……あのとき見えた地図、鬼鮫が血で印をつけた場所に近い所に印があった。今回の予想地点にも。次もここに来るのか、もしくは次の地点を目指すのか。

 ……北海道だけではなかった。本土にもその印はついていた。アイヌ……カムイだけの問題じゃない。本土の神々に警告しなければならない。

「鬼鮫、次に白服が来るのはいつだ。」

「予想通りであれば二週間後……ただ、前回と同じ場所を狙いに来るのであれば、航路は概ねわかったのでまた霧に閉じ込めます。二回も続けば奴等も諦めるでしょう。」

 あの作戦は俺が不在でも鬼鮫と西の海の者達でできる。なら俺が考えるべきは、その次に印がついていた本土の方だ。

 しかし、二週間、俺は臥していた事になる。どこで? ずっとこの場所に?

「……そうそう、朗報か訃報かはわかりませんが……ゼツからの連絡がありました。葉っぱから声が聞こえるというのも不思議なものですね。……ゼツの仲間は異国……まあ、アメリカでしょう。そこの四角い建物に連れ込まれ、体内に"何か"を入れられたそうです。その後、意識を消失しています。……が、眼は生きている。そのまま様子を見続ければ奴らの狙いもわかるでしょう。」

 身体に"何か"を、そして意識消失……サスケも? 同じ事が行われた? ……無事で、いるのか……? ……一体、何を入れられた……!

 あの異国の言葉がわかれば……もっと何かがわかるのに。何かで学ぶ方法はないのか……異国の言葉としかわからない。世界は広い、国もまたたくさんあるのだろう。恐らくはアメリカだろう……と推測はできるが、その言語をどう学べばいい。俺には情報が、足りない……!

 またカーテンが揺れて、別の女性が入ってきた。さっきの人とは違い、エプロンも何も付けていない。代わりに板とペンを持っている。

「私は相談室の者です。意識が戻ったとのことなので、退院も近いと思います。主に制度面についてご説明させて頂きます。」

 退院……そういえば、人間の医療を受けるには金がかかる。手元の僅かな金でこの手厚い医療の代償を払えるとは思えない。

 脱出するのは簡単だ、カムイの姿に戻ればいい。だが礼も言わず対価も払わず……というのはあまりに無礼だ。

「干柿さんから事情は伺っています。アイヌとして生まれ育ち、日本国籍がない状態で健康保険証もお持ちでない。合っていますか?」

「はい、……お金も僅かしか手持ちがなく……一度には支払うことは出来ないと思います。」

 板の向こう側には紙があるらしい。女性はペンでメモをする。

「まずは、安心してください。この病院は無料低額診療所になります。そして法律で、私たちは医療を希望する方を断ってはいけない事になっています。身寄りもなくお金がなくても、必要な医療を受けられ、そしてうちはイタチさんの境遇であれば、お金の支払いは必要ありません。」

 必要な医療を受けられる、お金の支払いは必要ない……どういう意味なんだ。ここまでして貰って対価は必要ないと言っているのか。

「干柿さんは制度に明るいようですね、搬送先を探しているときに無低でと指定されました。で、ここからはその後についてです。見たところ未成年なので児童相談所での保護も受けられますが、働く場合は一時的に生活保護を受け自立するまでの間金銭的支援を受けることもできます。」

 あまりよく理解できないが、人間の街には子どもを保護する児童相談所というものと、生活を保護する仕組みがある、ということか。

 人々が温かいだけでなく……街ぐるみで、もしかしたら日本という国として弱い者を救う制度が整っている。

 自然の中で暮らしていた俺たちには想像できないほど、立場の弱い者でも生きられるシステムがある……。

 鬼鮫が口を挟んだ。

「今後については、まあこれも何かの縁です。同じアイヌとして私が面倒を見ますのでご心配なく。」

「そうですか、……そうですね、アイヌの方にお任せした方が良いのかもしれません。ああ、お持ちになっていた短刀はすみませんが銃刀法違反になってしまいますのでお返しできません。アイヌの方にとっては大切なものだとお聞きしていますが、こればかりはご容赦下さい。」

 人間の街に入っているからにはそのルールを守らなければならない。……アイヌとしての誇りのマキリであっても、人間が俺を助けてくれたのだから。……やむを得ない。

 しかし鬼鮫のあの部屋、敵の情報収集だけでなく、人間のことも事細かに調べていたのか。……それでお金が必要ない病院のことも。……鬼鮫は一体どれだけ知識深いのか。

 俺を死なせはしないと言った、その言葉の重さを感じる。

 それであれば俺がするべき事は、白服に辿り着きカムイを捕らえたあの技術に打ち勝つ方法を考える事。

「……干柿さん、ありがとうございます……。この恩、必ずお返しします。」

「恩、だとは思っていませんよ。同胞を助けるのは当然のことです。」

 俺たちのやり取りを見て、女性は柔らかな笑顔を見せた。

「……わかりました、では干柿さんが引き取られるという事で……後程記入頂きたい書類がありますので、退院の際にまたお声がけします。」

 そして、頭を下げてカーテンの向こう側に去っていった。

 ふう、と息をつき、鬼鮫を見上げる。

「……博識なんだな。この知識も海のカムイを守るために?」

「……と言うよりは、人間社会の理解のため、ですね。港町で得たものです。まあ、そういうことなので、退院まで大人しくしていてくださいよ。」

「……人間の社会にまで助けられるとはな……。」

 色々な者から助けられてここまで来た。自らの命を削るような行為は彼らの助けを無碍にすることだ。……もう、あってはならない。

「未来視は、使わない……白服を殺すときまで。約束する。」

「……イタチさんが約束を違える人だとは思っていません。でも……くれぐれもその言葉、忘れないでくださいよ。」

「悪かった。……ただ代償が大きかった分成果もあった。奴らの本拠地と思われる建物がわかった。次に狙うであろう場所も。……日本全体の地図が欲しい、印を。」

「日本全体……待っていてください。調べてきます。」

 立ち上がった巨体、その顔は僅かに口角が上がっているいつもの鬼鮫の顔。それを見て安心する。

 

 その後若い男性医師が来たり、腕の針から血を少量取られたり、一定時間ごとに腕と指で何かを確認して、顔についていたものが外されて歩く様子を観察され……腕についていた針が外されて食事が提供された。

 綱手さんの食事と比べるとずいぶん味気なく量も少ないが、病院、という場所柄、弱っている者に配慮された食事なんだろう。隣のベッドにいた女性はごはんに何かをふりかけて食べていた。それを見ている事に気づかれて、「にいちゃんもかけるか?」と小さな袋を手渡される。

 のりたま……?

 真似してごはんにかけてみたら、味気なかった食事が途端に美味しくなった。

「ありがとうございます、美味しかったです。」

「若い割にしゃんとした子だねぇ、話聞いてたけど、アイヌの子だって? 街に来た理由は知らんが……自然の中とは違うでね、街のルールを学ぶと良いさ。」

「そうですね、……知らない事が多すぎると実感しています。」

 おばさんは笑いながら手を合わせて、布団の中に潜っていった。その腕には管がついていて、液体の入った袋に繋がっている。

 この人も、どこかが悪いんだろう。ゼツ達の加護があれば力になれたかもしれない。ただ、ここは人間の街だ。森とは違う。

 カーテンを閉めて、手を合わせてから俺も布団に戻った。

 

 目が覚めた日の、すぐ翌日。退院して病院の外に出る。その建物の大きさに驚くとともに、港町ではない人間の街をはじめて目にして、こんなにもたくさんの人々が住んでいるのかと驚いた。

 行き交う人々は、俺たちの方を見向きもせずそれぞれの目的地に向けて歩いている。この場所は……一体どのあたりなんだ。

 鬼鮫はどこからか手に入れた日本地図を俺に見せた。紙の大きさからして、「印刷」したもののようだ。

「これで、大丈夫でしょうか。」

 その地図を見ながら人差し指に牙を立てて滲む血をその地図の上につけていく。未来視で見たあの地図の印と、同じ場所に。

「奴らの狙いはここだ。次に前回の場所か、次の場所に来るかはわからないが……俺の予想では次の場所、……あお、もり? こちらだと考える。」

「青森、ですね。二週間……ヒッチハイクは不確定、飛んでいくにも時間が足りませんね。鉄道を使いましょう。」

「行程は任せる、が、人間の技術を利用するなら金もかかるだろう。」

「確かに。今回は時間がないので私がなんとかしましょう。その後は、稼ぎながら移動を基本とします。その為には、街を経由しながら移動する必要があります。」

 以前話し合ったあれか。ただ、それでどの程度稼げるのかはまだ想像がつかない。一ヶ月しか次までの猶予期間がない。港町ならば仕事はたくさんあったが街の中ではそうもいかないだろう。

「大丈夫ですよ、目算はついています。ともかく駅に行きましょう。」

 鉄道、駅、どちらも言葉だけは知っているが実際に見て利用するのははじめてだ。鬼鮫も利用まではした事がないらしい。海の秩序を守る役割を考えれば自然な事だ。

 ここに住む人々は車で移動するのが基本らしい。駅に着いてもあまり人はいなかった。鬼鮫が機械を操作してお金を入れると、小さな紙が出てくる。

「これ、イタチさんの分の切符です。」

 手渡されたそれを見る。今の場所……駅の名前と、数字。これは金額だろうか。思っていたよりも安い。

 駅の関係者と思われる紺色の服に身を包んだ男性にそれを渡すと、赤い判を押して先に進むよう促される。

 そのすぐ後に続いてきた鬼鮫が、数字が並ぶ板を見て「次は45分後、ですね。」と椅子に腰掛けた。

 遠くの椅子に座る二人組以外、他の客はいないようだ。まっすぐに伸びるコンクリート、その下にある鉄の道を眺めてから、その隣に俺も腰を下ろした。

 話すべきことは、あまりにたくさんあった。

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