約束   作:江夏ケイ

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今回はゼツからの情報を得ながら、静かに白服への憎しみを増幅させつつ、人間の社会でお金を稼ぐ方法を考えて実践します。


本土へ

「異国の言葉、それは恐らく英語ですね。アメリカの言葉です。確かに、どんなやりとりをしていたのか気になります。」

 電車を待ちながら、未来視で見た内容を鬼鮫に話した。

 英語、それを習得することは出来るのだろうか。

「ただイタチさんは日本語もはっきりとは学習されていない。順序としては日本語の読み書きが出来るようになってからが妥当です。」

 そうだ、ひらがなは読める。カタカナも。ただ漢字はまだまだ知識が足りない。人間とのやりとりがこの先増えるなら、日本語の習得も鬼鮫の言う通り、必要だ。

「日本語はひらがな、カタカナ、漢字の三種類が使われています。漢字は数千種類はありますが、ある程度規則性を持ちます。例えば"海"という漢字の左側、この3つの点は三水といって「水」を表します。潮、渦、流れ、これらは水に関係するので全て左側に三水がつきます。」

 印刷された日本地図の裏側に書かれる文字を見る。……なるほど、この規則性を覚えておけば見たことのない字でもある程度何を表す文字なのか分かるということか。

「青森、の森の字は、樹木を表す木が3つの構成です。木がたくさんあるので森、という感じです。ちなみに、木がふたつの場合は林になります。」

「英語、のこともわかるか。」

「私には残念ながら。ただ、英語は習得するよりも……英語を理解している人間にどういう意味か尋ねた方が早いかもしれませんね。あてはありませんが、鉄道で向かうのは北海道で一番栄えている街です。見つかる可能性はあります。」

 未来視で見た異国の言葉のやり取りの内容はわからないが、どんな発音をしたのかはわかる。確かに、あの断片的な言葉は自ら習得するよりも既に理解している人間に尋ねた方が早そうだ。

「鉄道でも、4時間ほどはかかるようなのでその間は日本語を読めるようにしましょう。よく使われる字を中心に説明します。」

 紙から顔を上げる。そこにあるのはいつもの鬼鮫の落ち着いた笑顔。

「どうしました?」

「……いや、助かる。鬼鮫の説明はわかりやすい。」

「それはどうも。」

 鉄の道に電車が来るまでの45分、漢字の説明をうけながら、次第に人が多くなっていく。

 電車が来るタイミングに合わせて人々が集まっているようだ。

 時刻表の読み取り方も教わった。

 2〜3時間に1つしかない電車の、45分前に駅に着けたのは幸運な方だったらしい。

 それにしても、鬼鮫の博学さには驚かされる。港町で人間と住んでいた、とはいえ本来の役目は海の秩序を守ることだ。基本的には海に居を置いていたであろうに、海に限らず日本の社会まで幅広い知識を持っている。その源泉は何処から来ているのだろうか。

 

 ガタン、ゴトン、と音を立てながら鉄の乗り物……電車が来るのが見えてきた。電車専用の道があるくらいだ、車よりも速いのだろう。徐々に、ゆっくりと速度を落としたそれは、駅に寄り添うように止まった。降りる人がいる気配はない。皆が北海道の中枢の街へ向かうのだろうか? 扉と思しきものの前に立つ。後ろから伸びてきた鬼鮫の手が、光るボタンを押すとその扉が開いた。

 駅と電車の隙間を跨いで中に入り、たくさん並んでいる椅子のうちのひとつ、二人分並んでいる椅子にそれぞれ腰を落ち着かせる。

 その時、聞き覚えのある声が聞こえた。懐のゼツの葉を鬼鮫と俺の耳に当てる。

『意識が戻った者がいる。奴等から"命令"されると逆らえないようだ。更に……全員その姿が禍々しいものに変わっている……許せぬ……姿はカムイの在り方そのもの……人間の命令を背けず姿までも変えられるなどと……!!」

「……姿を……禍々しく? ゼツ、見えるのはゼツの仲間だけか。他のカムイはいないか。」

「……他の者は見当たらぬ……許さん……許さんぞ……!!」

 内部に何かを入れられた、だけでなく姿をも……そして意識の消失や命令。ただ異国の言葉の命令を聞いてもその内容はわからないはずだ。……中に入れられたもの、それが命令に従うよう精神を蹂躙しているとしたら……? 何を入れられたのか、推測するしかない。だが明確なのは、白服達は俺たちカムイを配下に置こうとしている。中に入れられたのはそのための何らかの技術だろう。

 配下に置いて……何をするつもりだ。

 クンネチュプ……あの言葉を奴等はどういう意味合いで使っている?

 月のない夜……新月……暗闇……。

「イタチさん」

 鬼鮫の声に、眼が赤くなっていることに気がついた。瞼を閉じてふう、と息をつく。

「……何らかの目的のために捕らえたカムイを使役しようとしている……その可能性がありそうだ。見た目を変えることはカムイの自己同一性を捻じ曲げる行為……最終的に奴等の命令に忠実に動く……駒、にしようとしている、のか……。」

 自分で言いながら、血が巡るのが早くなっているのを感じる。呼吸の回数も増えている。これは……敵と対峙し戦う時の身体の反応。

 ……今はその時ではない。

 ゼツの葉から何も聞こえなくなり、懐に戻した。……怒りを感じているのはゼツや俺だけじゃない。鬼鮫も――その呼吸数が僅かに増えている。

「……鬼鮫、漢字の続きを。住居に関連する文字について教えてくれ。」

 鬼鮫の手が、日本地図の裏側を目の前に差し出す。

「そうですね、……今すべき事を……住む場所を表す字はいくつかあります。人間社会で一般的に用いられるのは――。」

 駅に止まったり、走ったりしながらだんだん太陽が傾いていく。と言っても厚い雲の向こうだ。ちらちらと降り出した雪。その雲の厚さは「今夜、降り積もる」と言っている。街に雪が降り積もったら車で移動する人々は困るだろう。……などと、他人の心配が出来るほど今の俺たちには余裕はない。

 札幌という駅に着くまでの間によく使われる漢字は概ね教わることができた。夜は電車は走らないらしい。辿り着いたその大きな人間の街は、今まで見てきた自然に沿って形作られた町とは異なる、街として作られた街……人間の文明が集まる場所だった。

 道はまっすぐに伸び、交差し合う。その区画は綺麗な四角が並んでいて、元々この地にあったものを全て払い除けた上にある街だということがわかる。

 大きな駅の時刻表はいくつもあり複雑だったが、「青森」の文字を見つけてその数字を追った。

「今日は青森行きはもうないようです。朝の最初の電車に乗りましょう。何処かで夜を過ごす必要がありそうです。」

「どうせなら……あの方法で稼げるかどうか、確認したい。いい場所はあるだろうか。」

「であれば……駅前よりも少し繁華街に出ましょう。人間が多い場所へ。」

 

 夜なのにキラキラと輝く板で照らされた明るい道。その車道側に路地で拾った箱に文字を書いた簡素な店を作った。

『夢屋――あなたの望む夢をお見せします』

「鬼鮫、これで本当に来るのか?」

 周囲を彩る光る板と比べると、かなり見劣りする。

「少し怪しい方が興味をそそられるものです。ほら。」

 訝しむ目で看板……段ボールの箱に書かれた文字を読んでいる女性が立ち止まった。

「ご興味があれば、お話だけでもどうぞ。」

 意図的に笑顔を作るというのもなかなか難しいものだ。だが鬼鮫はいつも笑顔を崩さない。……これも訓練か。

「おいくらなんです?」

「この街にとどまるのは今夜限り……本来5000円、ですがせっかくの出会いです。2500円で、いかがでしょう。」

「……本当に望む夢を……? どうやって……?」

「僕はアイヌの祈祷師の家系、見えぬものが見えます。この力をあなたのために使いましょう。」

「ふうん……まあ、期待はしてないけど面白そうだから試してあげる。2500円ね?」

 ひらりと出されたお金を受け取り、その手を上下から包み込んだ。

「……カムイの加護があらんことを……。」

 これはマーキングだ。このあとこの女性がどこに帰るのかを知るための。

 その女性から酔っ払った男性まで、客が5人になったところで鬼鮫は簡素な看板を畳んだ。

 あとは夜の闇が深くなり、人間が眠る時間を待つだけ……だが街の中とはいえ、雪と寒さは身に染みる。どこかに荷物を預けてカムイの姿になった方が良さそうだ。だが、何をするにも人間の街は金がいる。せっかく稼いでもすぐ浪費するのは考えものだ。

「大丈夫ですよ、イタチさん。根無草には根無草の生き方があります。」

 そう言って鬼鮫は大きな駅の中に入り何かを探す。赤と青のマークを見つけると、そこに向かっていった。

「……トイレ?」

「港町に流れ着いた若者の話ですが、仕事と共に住居を失って、手元には多少の金、しかし新しい住居を確保するほどの額はなく、探しに探して駅のトイレの個室に身を置いたそうです。大きな街のトイレは便座が温まる装置がついていて、その電源としてコンセントがあります。そこで携帯電話を充電しながら住居付きの仕事を探したが街には仕事がなく、港に流れ着いた、と。」

 つまり、この場所は温かく風雪をしのげ、電源により人間の文明や情報網と繋がることが出来る、そして警備などの見張りもいない。

「ならず者が夜潜むにはうってつけ、というわけか。」

「正確には、荷物置き場ですが。さあ、行きましょう。」

 カムイの姿に変えた鬼鮫から、人間の姿で持っていたものや服がバサバサ、と落ちる。

 俺もまたカムイの姿に変えてマーキングした人間の位置を確認する。……既に眠りについている人間もいるようだ。

「……まずは、西へ。」

 

 5人分、家々を回ってそれぞれ少しずつ血を飲み望む夢を見せた。どんな夢を見ているのかは知る由もない。その頃俺達は青森にいる。

 ただ、鬼鮫によるとたかが5人とはいえ今後も同じ金の稼ぎ方をするのであれば十分種まきは出来たらしい。人間のネットワーク上で確実にこのことは噂になり、噂を聞いた人が次の街で夢を買いに来る。そうなったら正規の金額、5000円であろうと人間は出すだろう、と。

 そんなに上手くことが運ぶのか疑問だが、何分はじめての試みだ、どう転ぶかはわからない。全員に夢を見せ終わり、また札幌の駅に向かいながら日が昇る時刻になった。鬼鮫とふたりであのトイレに戻り、人間の姿になった。

 次に乗る電車は北海道と本土を分ける海峡を渡る。……海の下に穴を掘って往来出来るようにしたのだと聞いて、改めて人間の力に驚かされた。電車の中でその"トンネル"を潜りながら、一体どうやったらこんなにも巨大な穴を海の底に掘れるのかと疑問を抱かずにはいられなかった。が、それはこの旅で重要ではない。

 青森に着いたら日本海側に付いている最初の印の近隣を調べて、信仰されている神の情報を人間側から、そして夜には人間でない者達から情報を集め、狙われている神を特定する。

 ……ただその前に、本土のカムイ……神について知る必要があった。北海道の自然の中は基本的に全てのものにカムイが宿っている。本土でもそれは同じなのか。それとも異なるのか。詳しい者に話を聞きたい。

 そう思いながら降りた電車の駅、大きな屋根が見えた。普通の民家とは少し毛色が違う装飾がある。

「あれは……」

「寺院か神社の可能性があります」

 寺院、本土で強い信仰を集める仏教という宗教なるものの中心的存在と聞いた事がある。神社は神を奉るための建物。つまり、そこには信仰が存在する。

「行こう、詳しい人間がいるかもしれない。」

 仏教、というものはあまり馴染みがなくピンとこないが、神社であればそこに神がいるかもしれない。

 どちらにしても共通するのは信仰の地だということだ。信仰の歴史も恐らくある。

 丸い石が敷き詰められたそこは、建物の奥に人の気配がふたつあるだけだった。木製の古い門にはよく読めないが「寺」という文字がある。つまり仏教の中心的存在……にしては、人が誰もいない。本土で一番勢力の強い宗教だと聞いたが、本土の人間は信仰心があまりないのだろうか?

 門を潜ってまっすぐ正面に縦に溝が入った箱、その奥の部屋に金色のなにかが祀ってあるのが見える。

 信仰の地としては間違いなさそうだ。

 しかしこの箱は何だ。覗いてみると小銭が中に入っている。……まさか本土の人々は神に小銭を提供することで信仰を深めているのか。

 それにしては、金額が少ない気もするが……。

 

 ザッ、ザッ、と丸い石を踏む足音が近づいてくる。建物の中にいた人が出てきたのだろう。そちらに目を向けると、顎に白い髭を蓄えた初老の男性がひらりとした黒い着物をたなびかせながらこちらに向かってきていた。

 他の人間と異なるその独特な服装から、恐らくはアイヌでいうところのトゥスクルのような役割についていると身受けた。

「見かけねぇ顔だど思ったら、道産子だのが。こんな寺だばって、めずらしいんだが?」

 港町の人の言葉と似ているが……異なる。この辺りの言葉か。だが標準語は通じるだろう。

「アイヌの出身で、初めて本土に来ました。北海道ではなかなかこのような立派な木造の建物はお目にかかれないので、失礼ながら見学させて頂きました。」

 初老の男性は目を見開く。

「アイヌだば、まんだめずらしーごど! これも何かの縁だ。 上がって茶っこでも飲んでいげ。」

 ぢゃっこ……? 多分だが、歓迎されているらしい。建物の玄関に向かっていきながら、時折振り返って大きく手を振るその人に、ついていくことにした。




※トゥスクル:「トゥス(神がかり・巫術)」を「クル(人)」つまり巫女やシャーマンなどの役割を担う人
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