奴等はこれまで夜に船で現れた。しかしこの場所は人間が住んでいない、山に囲まれた場所。朝方や日中に現れる可能性が捨てきれない。
船着場の向こうの海からその船が現れるのを、鬼鮫とふたり目を凝らしながら待った。
カムイの身体は疲れる事はない。空腹も感じない。風の影響も受けない。本来カムイは積極的に人間に干渉するものではない。ただひたすら待つだけのことは何の苦難もなかった。
水平線を見張りながら、頭の中ではあらゆる状況を仮定してその対策を考え、まとまったところで共有し合う。
その時間を作れてむしろ有意義な待機だった。
まだ陽も昇らない時間、赤い瞳が水平線の向こうから来る船を確認する。
「……鬼鮫。」
「……相変わらずの視力で……。」
まっすぐに船着場にやってくるその船に白服が見えた。間違いない。操舵している者も白服だ。俺たちの下に近づくにつれ船の上の動きが活発になる。……何か大きな機械を用意しているようだ。霧を作る機械だろうか……? それと大きな充電機、これは港で似たものを見たことがある。機械の動力源だろう。
白服が何人か降りてその機械を紐で吊りながら船から下ろし、充電器と繋いで機械を動作させる。
機械から伸びる複数の管から吐き出されたそれは確かに霧だった。だが、これはただの動作試験だろう。この地に棲む鬼を捕らえるならば、海の水を使うはずだ。
次に船から降りてきた者達が海に向け管を伸ばす。その根元には海水を引き上げる機械。管を海に伸ばしている間に充電器に繋がれる。無駄のない動き。それ以外に船の上には機械はなさそうだ。しかしその甲板の隅に丸くて長い形の何かが置いてある。一箱で9本……海で息をするための酸素か。やはり、海中での拿捕作戦展開も視野に入れていると見た。……だが今回は拿捕されるのは、貴様らだ。
海の水が霧を作る機械に入れられる。
鬼鮫を見上げる。頷く。俺はさらに上空へ、鬼鮫は奴等に捕捉されない程度に近い場所へ。
再び霧が出始める。それは本当にあの神が含まれているか。様子を伺うと上空までその声は響いた。
『……我を捕らえんとするか……?』
いる。その霧の神にあの網がかけられる。白服は機械を操る者を含めて6人。霧の周囲からじわじわとその範囲を狭めていく。
『……美味そうな記憶じゃ……それで我を捕らえたつもりかえ……』
霧を取り囲むその輪が小さくなったのを見てすうっと大きく息を吸い、周辺一帯を火の海に変える火炎でその場を包んだ。霧は蒸気となってこの上空まで一気に上がっていく。
『……見事よ……彼の地にて……』
吹き抜ける蒸気から霧の神の小さな声。地上では鬼鮫が水鏡を展開し始めた。炎が小さくなる頃にはその姿は50以上となっている筈だ。
白服に捕捉されない距離から見守る。あの網はやはり燃えなかった。白服にも影響は及んでいないが、何かを叫びながら指を刺す先に鬼鮫がいる。……不味い、鏡を見破られている。しかしあの網を再度鬼鮫に被せるには時間がかかるようだ。もう一度火の海を作り出す。今度は周辺に配置した車、灯油、森で拾い集めた湿った木にも炎を行き渡らせる。
湿った木が上げる煙、車のガソリンに引火した爆発音。そして鬼鮫が空気の壁で6人の白服を包囲してその壁をどんどん小さくしていく。炎と共に閉じ込められた6人は混乱しているかのように空気の壁を両腕で叩き始めた。……統率が、崩れた。
そのうちの1人が空気の壁の外に放り出される。服の様子を確認し、振り返るとそこには依然として閉じ込められた5人と消えない炎。船からは第二陣として待機していた者達が近づいていた。
……鬼鮫。
赤い眼を向けるとその視線に気がついた鬼鮫がこちらを見て頷く。
ひとり放り出された白服が、空気の壁に包まれて鬼鮫と共に上空に上がる。その白服に改めて消えない炎を纏わせた。同じ炎を無数に作り、四散させると同時に鬼鮫達も動く。
空気の壁がなくなり5人の白服が地を這いながら炎の外に出て装備の無事を確認している。そこに合流する第二陣はより重装備の6人。その中の一人が司令官のようだ。
『網の回収』『火を消せ』『一時撤退』
恐らくこのような指示を出している。湿った木はたっぷりある。その特殊な眼鏡でも煙の先は見えまい。
集めた木を全て炎で燃やし、船の周辺に煙の壁を作った。しかし巨大な扇風機のようなものでその一角に穴が開く。……しぶとい。
狙いを船の上にある酸素に絞った。鬼鮫は酸素は燃えて二酸化炭素にと言った。高温で燃やし続ければ熱は中に伝わる。中の酸素の自然発火するまで燃やし続ける。
この中にはさぞ濃度の高い酸素が入っているのだろう。海で活動するには30分以上は息ができなければなるまい。……それを俺たちに利用されることを恐れるといい。貴様らの相手は単なるカムイではない……森と海の憎しみを背負う人間を理解する存在だと思い知れ、この土地の記憶はその蛮行を許してはいないと身を持って知るがいい……!
操舵者を含め全員が地上に降りている今、船の異変に気づいている者はいない。風でできた抜け道の先に出ようとしたところで、狙い通り船上で連鎖的な爆発が起きた。
虚をつかれた白服は4人船に戻り、他の者は海水を汲み上げている。……消火か。しかしこの炎は消えない。カムイの力を舐めるな……!
奴等の様子を見るに、あの酸素は他にもあるらしかった。船の中、か。いくつあるか知らないが、それも爆発させて船底に穴を開ければ奴等を皆殺しに出来るかもしれない。
……皆殺しに……
炎の上昇気流に結った髪が揺れる。
……奴等は奪った……全て……サスケをも……
……殺す……全員……殺しても足りない……
ざわざわと胸が騒ぐ。両腕は自然に船に向けていた。
……どこだ……他の酸素は……いや……船を全て燃やせば……
……深淵を覗く者は、深淵からもまた見られている……
どこからか頭に響いた声にハッとした。
白服達は追跡を諦めて船に集まり消火に当たっている。
今のこの隙に、鬼鮫が攫った者の装備を剥いで……!
船と炎をそのままに、待ち合わせ場所へ急いだ。もう陽はすっかり上がっている。
その場所には、空気の壁から解き放たれ、まだ消えぬ炎に包まれた白服が倒れていた。……死んでいないだろうか。
炎を消すと、鬼鮫がその胸ぐらを掴んで頭部を覆っていたものを取り外し、胸元をくつろげて白服を剥いていく。中に入っていた男は真っ赤な顔だが、呼吸をしている。生きていたことに安堵して剥がした白服を近くの車庫に隠し、鬼鮫が男の手を掴んで次の場所……あの池に向け飛び立った。
「イタチさん、よくご無事で。」
「……お前もだ、おおむね計画通り……」
「……では、ありませんでしたね?」
鬼鮫の鏡像は見抜かれた。だが事前の周到な準備のおかげで事なきを得た……と思っていたが、鬼鮫の表情は険しい。
「池に着いたら、その顔を映して見てみる事です。……全く。」
顔……に、何かが?
鬼鮫はそれ以上語らなかった。瀕死とはいえ白服を着ていた者を連れているのだから情報となるようなものは池に沈めるまでは話さないほうがいい。
祠の辺りに降り立って、鬼鮫は乱暴に手に持つ男を池の中央に放り込んだ。その瞬間、空気が揺れる。……笑っている。池の主がまるで沼底から声を出しているかのように。
『……違えなかったようだな……しかし若い方……良き面構えよ……』
鬼鮫の言葉を思い出して、池に顔を……膝をついて、覗き込む。その目は赤ではなく、闇の色だった。……目は、見える……。これは、一体。
「どんな無茶をしたのか聞かせてもらいましょうか。」
怒気を孕んだ鬼鮫の声。どんな無茶……白服の足止めを……いや、違う。俺は、憎しみのこころで奴等を殺そうと……。
連れてきた男は生きていた。ウェンカムイになっていないということは、船にいる白服も誰も死んでいない。
あの頭に浮かんだ言葉がなければもしかしたら、俺は。……あれは誰の声、だったんだ。
「まあ、説教は後です。霧の神に生け贄を。」
「悪かった。……霧の神よ、約束のものを捧げました。」
『……愉快よ……たまの目覚めだが……毎回こうであれば愉快……』
沈めたはずの人間が浮かんでくる。口と鼻先だけが水面に出た状態で。
ピチョン、と池に何かが落ちた、と思ったら、その男の足の色がなくなっている。ピチョン。次は腕が。水の音がするたびに、男の体から色が消えていく。記憶を喰われるというのは、……人間を人間ではなくすること……。
『……ああ……格別よ……其方らにも与えよう……記憶の味は……格別美味い……』
風圧のようなものを感じたかと思ったら頭の中にとてつもない量の情報が流れ込んでくる……これは、耐え、……。
温かい……ここはどこだ……せまい……押し出されて……水がない……寒くて眩しい……大きく開けた口から肺に空気が入り、その喉が震えた。目が……よく見えないが……覗き込まれている……。抱き上げられた……ああ、あたたかい……落ち着く匂い……。
……これは、……誕生……だ。この神はこんなところから記憶を……。
色素の薄い家族、自身も鏡に映る姿は白い肌に金髪だ。成長……軍に入る決意……軍隊教育……異国での戦闘……転属……研究所……。
これはやはり軍隊の所属の者、黒幕はアメリカ軍で間違いない。
"あの司令官"が。
周りに何人いる。沢山集められている。司令官が話す。
「研究所の立案により人ならざる者を兵器化する計画を実行する。英国と共同での研究を要請したが英国は自国の妖精の軍事利用を拒んだ。従って同じく信仰深い日本を標的とし、兵器利用できる可能性の高い者どもを捕らえ兵器化する。最初の実験体を捕らえた土地で使われていた言葉より、この計画は以後『1226クンネチュプ作戦』と呼称する。」
驚きと興奮がこの場を包んでいる。作戦の詳細が付け加えられた。人でないものを見分け、更にその者の及ぼす影響を無効化するゴーグル「MH-5.17」、悪魔祓いを生業とする者から集めた悪魔を捕える網に独自の着想を加えた捕獲網、科学で分解できない力を無効化する白い色の装備は神の衣類の色に退魔の力が宿るとされたため、隠密行動を取るには目立つ色となった。
調査、捕獲、調教そして実戦訓練に部隊が分けられ、この男は捕獲部隊に配属された。調査部隊が調べた日本中の怪異の伝説が描かれた大きな地図、候補となる怪異に印がつけられていく。そして捕縛の訓練、その男の最初の実戦の地は……俺たち、の、……。
連れ去られるサスケ、兄さんと呼ぶ声、まるで物のように狭い船室に入れた後……研究所に戻ると仲間達の首に……注射器で「何か」が入れられる。
捕縛班の仕事はそこまでのようだった。
研究所に等間隔で並ぶ扉……未来視で見たものと同じ。次の捕縛地への上陸方法……詳細な北海道の地図には地形と道、そして港と船着場が書かれている。樹木のカムイが攫われた船着場に指が置かれる。と同時に扉が勢いよく開いた。逃げた、トゥスニンケ、子ども……まさか、サスケ……?
急いで向かう、開いたままの扉、追いかけるように開いている扉を辿って行った先には……飛行場。
いつだ、わからない、どうやって、騒ぎになっている。
『まあいい。デバッグ中のガキだ。何もできまい。』
逃げた、逃げている、可能性がある。もしかしたら、この飛行機に乗ったかもしれない。どこへ……サスケは一体。
建物に戻る。樹木の捕獲。必要な装備を確認。移動。樹木からカムイの姿に変える光。ゼツだけは地に深く根を下ろしていて拿捕できなかった。樹々の嘆きと共に移動、またあの研究所、注射器、『ナノロボット』……?
またあの地図の部屋、次に狙う場所、指が指し示す――。
……森の、中……。
人の一生分の情報に、まだ頭がふらつく。
起き上がって池の方に目を向けると、カラカラに干からびた男の無惨な姿がそこにあった。……霧、いや水の神に喰われるとは、こういうことなんだろう。
死体は隠蔽するために灰になるまで燃やした。
太陽が高い……あれからどのくらいの時間が経っている?
鬼鮫も目が覚めたようだった。同じこの男の一生を追うように見たのだろう。頭を抑えながら起き上がる。
「……これを喰う、とは……。」
「……喰われたら何も残らないだろうな。自分が人間かすら……覚えていまい。」
話し合うべきことは多すぎるくらいにあるが、奴らの船は、脱がした白服はどうなったのか確認しなければならない。
「まだ奴等はいるかもしれない。確認しよう。」
「そうですね、撤退して頂いている方が嬉しいですが……。」
最初に、白服を脱がせて隠した車庫。そこには何もなかった。回収されたようだ。……つまりあの白服はひとつひとつに追跡装置のようなものがある。白服の存在自体が機密だろうからそれ自体には驚きはしなかった。それも想定した上でこの場所で白服を剥がす作戦にしている。
船着場には……燃えた木や草、車が残された状態で、奴ら自体は何の痕跡も残さず消えていた。
……捕縛に特化し訓練された部隊。
あの者の記憶そのものだからか、異国の言葉でも理解できた。これは、この記憶を得られたのは大きい。そして奴等が予想よりも綿密に一連の計画を実行していることも、次の候補地も、分かった。
しかしそれを俺たちが知った事も、「一人連れ去られた」「記憶を食う鬼」「その仲間がいる」という3つの情報から恐らく相手はわかっているだろう。
であれば計画を変更するはずだ。徐々に南下、ではなく次は全く別の遠い地を目指すかもしれない。
……そうなったら俺たちはどうすれば神攫いを防げる。
「一度、拠点に戻りましょう。」
鬼鮫の手が、肩に置かれた。……熱い手が。
「……そうだな、少し落ち着いて話をしよう。」