「鬼鮫それは……どういう推論だ。」
「トゥスニンケ、つまりイタチさんの一族のガキ、にあたる子どもはサスケさんだけ。で合ってますか?」
「……間違いない。」
「トゥスニンケのガキが逃げたと明示しています。開いている扉を追っていった先に飛行場……と思われる場所、そして聞こえてきたあの輸送機の目的地は、というやり取り。横浜基地、の答えを聞きこの者も空に飛び立ったその輸送機を見送っています。そこからの、『まあいい。デバッグ中のガキだ。何もできまい。』……デバッグ中、がどういう状態かはわかりませんが軍にとって脅威になる状態ではない、完全な兵器化はされていない未完成な状態、と考えました。」
サスケは確かに、兵器として利用するには幼すぎるのかもしれない。だから『何もできまい』と評価されている。……実際、サスケ一人だけでは人間の街に行けたとしても何も出来ないはずだ。
……サスケには、助けがいる……。
思わず手を握りしめる。
「そして横浜基地に辿り着いたとしたら……人間が非常に多い日本の中枢にも近い場所です。その近辺にいる可能性があります。」
……サスケが無事で、日本に、俺たちがこの先向かうであろう日本の中枢に近い場所に……いる。
サスケは、……ひとりで泣いていないだろうか。腹をすかせていないだろうか。姿はやはり変えられてしまっているのだろうか。今すぐにでも駆けつけて抱きしめたい。
胸が熱くなる。研究所から逃れて日本にいる。それだけでなく中に入れられたものは不完全。
しかし、日本の中枢にも近い場所……それだけを頼りに探すのは、……、無理だ……。
冷静になれ、冷静さを崩しては……だめだ。取り戻せるものも成すべきことも出来なくなる。こころの中にあの小さな灯火を。燃え広げては駄目だ。
「弟さんを……探しますか、イタチさん。」
……探したい。
……抱きしめたい。
……もう大丈夫だと、言ってやりたい。
……しかし……。
……胸を鎮めろ、俺がすべき事を思い出せ。俺は何を成すべきかを。鬼鮫が俺に着いてきた理由を。
「……探す労力と時間、見つかったとしてどうするか……考えればその答えはひとつ。」
すっと胸に空気を送る。
「今はその時じゃない。6歳の子どもを連れて歩くのは、この旅には、……その目的には、邪魔だ。」
鬼鮫は少しだけ瞼を開き、そして静かに地図に視線を落とした。
「……奴等が、次に狙う地を考えよう。海のカムイ……神の捕獲は濃霧と今回の二度の失敗で諦めたかもしれない。地図上の印から海沿いを除くと内陸部……山に近い場所、または山が多いが……まだ奴等が南下していくとしたら次はここだ、福島。ここはあまり奥ではない。ただ……遠いな。」
「鉄道を使いましょう。ただ駅まで行くのにまたしばらく歩きになります。しかし、福島は……。」
鬼鮫が言い淀むなんて珍しい。その顔を覗くが地図から目を離さない。
「……もしかしたら、今はもう神はいないかもしれません。」
「……今は、もう……?」
「この、地図の印はちょうど……"攫われた"地域です。」
饒舌な鬼鮫が言葉を選びながら話している。「攫われた」相手は米軍ではなさそうだ。なら誰がその「地域」を攫った? 鬼鮫が言葉を選ぶのであれば、それは……。
「……海か。何があった。」
「……何年か前です。巨大な地震がありました。日本全てが揺れるほどの大地震です。」
何年か前……覚えがある。大地が横に揺れていた。サスケの頭を抱えながら収まるのを待った。父さんは大地の……、と言いかけてやめた。そうではないと父さんは判断した。
でも俺たちは大地の怒り以外で大地が揺れる理由を知らない。
空に上った父さんが「"ここは"大丈夫だ」と降りて来た。ここ、北海道は大丈夫……大丈夫ではなかった地が、福島?
「海の地震の多くは津波を発生させます。海の底もまた揺れているのです。そしてその津波が地図のこの辺りを全て攫いました。研究所の調査班がいつ神々の調査をしたのかわかりませんが、この土地にいるとしたらこの地にいた者……しかし津波は全てを壊しながら海の中へそれらを攫っていきます。それがまだこの場所に存在するかどうか……。」
鬼鮫が指し示した地図、海の沿岸沿いをすっと指を滑らせた。地図の大きさからするとかなり広範囲だ。……津波とはそんなにも……強大なものなのか。
「地震に関して父さんは大地の怒りではないと判断した。津波はどうなんだ。海の怒りなのか。」
「津波は地震に付随するものです。何もなしに津波だけが発生することは……ありません。つまり、海の神々とは関係ありません。しかしこの印の場所……もしかしたら、あれのことかもしれません。」
鬼鮫は毎日テレビのニュースを見ていた。日本中を揺るがす地震も当然ニュースで見ただろう。「あれ」が何なのかはわからないが、もしかしたら津波という出来事を象徴する何か、あるいは津波から守られた事を象徴する何か……だろうか。
そこに神性を見るのはわかる、しかし白服がそれをどう利用するつもりで印をつけたのかはわからない。
それは鬼鮫も同感のようで、他にも信仰がその地に存在するのか、口元に手を添えて考え込んでいる。
軍事利用の価値がると見ているのであれば、攻撃もしくは守備に特化した何らかの能力があるのだろう。しかしこの一帯は海に攫われている。つまり自然に対しては攻撃も守備もできない。
「考えるならば足を動かしながらのほうがいいですね。鉄道の駅までは……来た線路を戻るのが一番確実です。最短距離を進むのであれば山の中を歩く必要があります。保存食の確保の面で考えると、元来た道の方がいいと思いますが、……いかがでしょう。」
最短距離を、となるとこの背後にそびえる山越え、その後も原生林だろう。更に山があるかもしれない。
「その考えに賛成だ。また鉄の道を借りよう。」
「では保存食を準備しますか。……この台所、使えますかね。」
「……使い慣れないものよりはいつもの道具のほうがいい。魚以外の用意はしておこう。」
「わかりました。では。」
筋肉質な背中がふわりと浮き、天井の更に上へすっと消えていく。
俺は家の外に出て、ちょうどいいコンクリートの造形物を見つけてそれを組み合わせ、煙が出そうな草木を集める。
動物の気配に、弓矢があれば狙うこともできる……と考えたが、手に取った植物の蔓を引っ張ってみて、無理そうだと諦めた。
動物を獲る、という目的だけなら炎の海を作って少しずつ狭め追い詰めればいい。だがこの炎はそのためにあるものではない。
……全てを終わらせる算段がついたら、……その時にサスケを探す。すでに人間かそうでない者に保護されているかもしれない。
もしくは腹を満たすために人間を襲う存在になっているかもしれない。どちらにしても、俺がウェンカムイになる以上はサスケをきちんと養育してくれるどこかに頼り預けなければならない。
俺がサスケにしてやれるとしたら……それだけだ。
長細いコンクリートの地面があるだけの簡素な駅。
その線路に降りると、雪はだいぶ解けていた。もう3月も終わる……春が、近づいている。
この本土の北の地にも、春が……と、木々を見上げたとき、何かが通り過ぎた。
早すぎて何なのかもよく見えなかった。
「鬼鮫、見たか。」
「何者かが横切りましたね。」
こんな動きは普通の動物にはできない。木ではない所から……まるで空中から移動したかのようだったからアッカムイとも違う。
「わざと俺たちに姿を見せたのならば名乗ってくれないか。風のように鋭い者。」
『風のように?』
『違うな』
『私たちは風』
『名乗れって』
『どうする?』
『それも面白い』
ひそひそと周りから声が聞こえる。2……いや、3つの声。
後ろからゴウ、と突風が吹き目の前に旋風が現れる。赤い眼なら見える。この中に何者かがいる。そしてこれはただの旋風ではない、この風の中に無数の鉄の破片が含まれている。触ろうものなら指は切り刻まれるだろう。
風の勢いが弱まっていく。その中にいたのは小さなサチリカムイのような者がひとり。……他の者は……?
「姿を見せてくれてありがとう。何故俺たちの目の前に?」
「お前らは霧のモノを守ったろう。霧は俺らにとっても重要だ。霧に紛れて人間を切るのが俺ら。……最近はその人間も滅多に見かけねえが。まあ、ちょっとした挨拶だ。」
「他にも仲間がいるのだろう、あなたが代表……か。」
「俺らは姿を見せる事を嫌う。風と共に切り傷が残る、それが俺らの形だ。」
風と共に切り傷……身体を確かめる。上半身は問題ない。脚、大丈夫だ。鬼鮫は?
鬼鮫のズボンは鋭利な何かでスパンと切られていた。中のふくらはぎは無事なのか。
「……見事ですね。痛みすら感じない……が、なかなかに深い……。」
ふくらはぎまで切られているらしい。鬼鮫が深いと言うならば相当に。
……ただの挨拶なのか。それとも敵対?
「わかったろう? 風の速さに追いつけるものなどいない。いるとすればヤマセくらいさ!」
「……挨拶の一環としてその力を見せしめた、と考えていいか。ヤマセとは何者だ。」
「この地に住まう龍神の一柱、俺たちもヤマセにゃ敵わねえ。ちょうどここはヤマセの通り道から外れてるが、海から吹く突風があればそれはヤマセだ。覚えとけよ余所者。」
またつむじ風が起き始めていた。この風と共に切る能力……網を切る協力は得られないだろうか。
「待ってくれ、頼み事がある。その俊敏さを福島の地で借りる事は出来ないか。……切ってもらいたいものがある。」
「嫌だね、そんな遠くまで着いて行ったとて俺たちに褒美はないだろ。その福島とやらで人間を切りまくっても良いなら話は別だけど?」
鬼鮫のふくらはぎを確認する。鋭利な刃物でザックリと切られた断面は不思議と血が出ていない。痛みもなさそうだ。鬼鮫の肌が厚いのか、筋肉までは切らない定めでもあるのか、表皮の層がパックリと切れて傷が露出している。筋肉は無事だ、歩くのに支障はない。
「人間も同じように切るのか。血が出ていない、痛みもない、このカラクリを教えてくれないか。」
「俺らは三位一体。風で転ばせ、切り、薬を塗る。薬が痛みを消すから切られたと知るのはもう俺らが去った後って訳さ!」
結局はこの傷の分だけ痛みを感じるのか。そんな者に好き勝手人間を切らせるわけにはいかない。……断念するしかないか。
「ただ俺たちの本題はそこじゃない。お前らはこの鉄の道を人がいる場所まで歩くつもりだろ。手を貸してやる。霧を守った礼だ。」
「手を……ありがたいが、どのように。」
「荷物は手から離すなよ? 風を舐めてもらっちゃ困るぜ!」
周囲に風が起こり始める。荷物を持つ手に力を込める。その風はぐるぐると回り始めて次第に強くなっていく。風に飛ばされないよう踏ん張っていた足が浮きその旋風の中に閉じ込められた。物凄い速さで回転する風に巻き込まれ、抵抗できないとわかるとその風に身を委ねた。俺たちだけを巻き込んだその旋風は、気がついたら弱くなっていき地面に足がつくとすぐに消えてしまった。
「鬼鮫、無事か。」
少し離れた地面に這うように手をついている鬼鮫の方へ駆け寄る。
「無事、と言えば無事、……ですが切られたところが予告通り痛み始めましたね……。」
切れたズボンの裂け目から足を見る。血が滲み出ていた。シャツを破ってその患部をぎゅっと縛る。
「医者に見せるべきか、……しかし俺たちは一体どこまで飛ばされたんだ。」
鉄の道は続いている。しかしその先に何かがある。赤い眼で見るとそこには人間がいた。人の住むところまで戻れた……! これは、下手をすると一週間は時間を短縮できたかもしれない。
後ろを振り返り、時折吹く海風に頭を下げた。
「風の化身よ、感謝します。」
「傷のことは大目に見ます、私からも感謝を。」
返ってくる言葉はない。彼等は風の赴くままどこかを漂っているのだろう。
……しかし、あの者たちの手を借りることがもし出来たなら……。
この辺りにしか住まない者達なんだろうか。それとも似た存在が他にもいるのだろうか。
いるのであれば……こうして傷が残る怪異だ、人間が何かしらの伝承として残しているかもしれない。
「足の止血、ありがとうございます。……しかしその服で人間の街に行っても、少々難がありますね。……街に着いたら服を買いましょう。」
破った服の裾を見る。確かに、人間は皆綺麗な服装の者ばかりだった。そんな中でこの出立は悪目立ちしそうだ。港町の商店で売られていた服……二千円くらいだった。これから春に向かう事だし、鬼鮫の言う通り、服を調達した方が良さそうだ。
「新しい服を買うまでは、大きいかとは思いますが私の服の予備を。今のうちに着替えて下さい。」
バッグから出てきた長袖のシャツは鬼鮫の身体の大きさに合わせたもので、着込んでみたが袖も裾も……長い。
「敢えて大きい服を着るファッションもあるくらいです、問題ありませんよ。」
ファッション……文脈からすると「着こなし」という意味だろうか。
「……そうか。なら服を買うまではこれを借りる。」
あの破った服はまた止血のための布として使える。小さく折り畳んで鬼鮫のバッグに入れさせてもらった。
……服を買うならば、俺も自分の鞄を持った方が良さそうだ。しかし、金額はどれくらいなんだろう。
人間の住む場所まで、あと少し。
少し磯の香りがするぶかぶかの服を見に纏い、足を前に出す。
雪から顔を出す双葉に春の気配を感じながら、俺たちは前へ進む。次の地……福島に向けて。
※アッカムイ:モモンガのこと
※ サチリカムイ:イタチ(動物)のこと