約束   作:江夏ケイ

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青森駅を目指しながら、旅に必要なものや電車賃をどう稼ぐか、イタチと鬼鮫が楽しそうに作戦を練る穏やかな時間。


作戦会議

 線路の終端に辿り着き、周囲を見渡す。かつて駅があっただけの事はあり、港町より少し小さいくらいの集落があった。

 服を売る店はないだろうか、と少し歩いてみる事にした。海からは少し距離があるその集落は、畑を持つ人が多いらしい。駅から離れれば離れるほど、家がまだらになっていきビニールで包まれた簡素な建物や畑を耕す機械が姿を現す。

「このあたりには商店は無さそうですねぇ。」

「しかし、だとしたらここに住む人々はどこで生活必需品を買っている。料理をするにも油がいる、冷えを凌ぐ灯油も、田を耕している風ではないから米も、どこかで買えると思うのだが……。」

「ふむ、確かに。……聞いてみるのが早そうです。」

 鬼鮫は一軒の民家を見定めてその敷地に入っていき、玄関を軽く叩きながら「どなたかいませんか」と声を張り上げる。

 そんなに騒がしくしなくとも……と思いつつ、鬼鮫はそういう男だと思い直す。港町の人々は皆声が大きいし大げさだ。

 少し経って、玄関の扉が開いた。老いた女性が曲がった腰に片手を当てながら鬼鮫の巨体を見上げる。

「騒がしくして失礼しました。旅の途中なんですが、服が破れてしまいまして。この辺りに服を買える場所はないでしょうか。ああ、私ではなく道のほうにいる若いのです。」

 鬼鮫を見上げながら老いた女性は驚きを隠さないまま話し始めた。

「わい、わやわやしてらと思えば、えらぐ丁寧だごど。たまげでまったわ。んだども、な、おっきいな。」

 ……丁寧、とおっきい、しか聞き取れなかった……地方の言葉はある意味旅の困難のひとつかもしれない。

「服だば、あの移動販売の車さ少しはあるがもしれねども、肌着だのそんなんだばっかだはんで。しゃんとした服買うんだったら、県道さ出て東の方さ行くが、電車さ乗って街さ出だ方が早えがもしれねぇな。」

「移動販売の車、ですか。それは確かに、衣服は少なそうですねぇ。参考になりました。ありがとうございました。」

 一歩引いて頭を下げ、また顔を上げるところまでまじまじと老いた女性は見つめていた。確かに鬼鮫の容姿は物珍しいかもしれない。肌の色が青白いから異国の者と思われたのだろうか。

 その視線を気にも止めず鬼鮫は道まで戻ってくる。

「鉄道で街に出るしかなさそうです。しかし移動販売の車、興味を惹かれますね。この辺りの集落を回って物品を販売しているのでしょう。人間の生きる知恵と稼ぐ知恵は尊敬に値します。……。」

 楽しそうに話しながら元来た道を戻っていく。その発言の後の空白に込められた鬼鮫の想いを感じながら、「そうだな」と相槌を打つ。

 普通に暮らしている人間はほとんどが善良な者だ。少なくとも村を出てから「こいつは悪い人間だ」などと感じたことは一度もない。例外はただひとつだけ、アメリカ軍……その中でもあの研究所。そのひとつだけ。

 ……そういえば廃線の駅までどのように来たのかを俺たちは覚えていない。どこかの鉄道の終点で降りて乗り換えた、ような気がする、という曖昧さで街まで行ける駅を見つけられるのだろうか。

 と思っていたら鬼鮫は通りがかった男性に手を挙げて声をかけながら近づき、話し始めた。

 自然や神々に頼る他、俺も人に頼るという事をもう少し意識したほうが良さそうだ。

 駆け足で戻ってきた鬼鮫は嬉しそうに話す。

「うまく聞き取れませんでしたが、しばらく歩くと分かれ道があり、左に進めば良いようです。行きましょう。」

 自分の足で探すよりも、よく知る人に聞く方が早い。それは何度も痛感した。俺も鬼鮫と同じくらい積極的に情報を集めに行こう。

「助かった、ありがとう。」

「あのおじさんに言ってください。しかし、街からここに着くまで確か……結構時間がかかった記憶があります。街に着く頃には、店が閉まっているかもしれません。」

 少し歩くと、道がふたつに分かれていた。ここを左か。

「それなら夢屋をやろう。服もタダではないだろう。それに俺も鞄が欲しい。電車代も必要だ。」

 一晩で何人に夢を見せて回れるだろうか。距離が近ければ15人はいけるが、街の人々は様々な場所から街に通っている、と前回の夢屋でわかった。夢屋のやり取りで住所を尋ねるのは「怪しい」雰囲気が壊れそうだ。しかし客の住む場所が離れすぎていると多くの人に対してはこの商売はできない。怪しげな雰囲気を維持しつつ……となると、最初の導入の際に世間話の中でヒントを得る、か。

 青森の地図をどこかで手に入れて、鬼鮫に地図に印をつけてもらい、夢を見せられる限界人数を考えながら客を引く。というのが妥当だろう。

「あ、あれじゃないですか、駅。」

 鬼鮫の指が示す先には、確かに小ぶりな駅舎のようなものが見えた。電車が来る時間に近いと嬉しいが、確かこの鉄道は日中は3時間に1回程度しか電車は来ない。……先に駅を探しておいて、時刻表を確認してから集落の散策に行くべきだった。……しまったな。

 そう思っていたのは俺だけだったらしい。鬼鮫はこの駅の時刻表を記憶していた。そして時間をしっかり確認しながら散策も民家での声かけもしていたらしい。

 海を離れて人間の社会を渡り歩いた事があるのだろうか。そう思うくらい鬼鮫は機転が効く。体つきもよく博学で機転が効く……同じカムイであり男として素直に凄いと思う。しかしそんな鬼鮫が俺に着いてくると言った、という事実を俺はしっかりと受け止めなければいけない。

 鬼鮫を連れていく……いや、共に行く。あのアラスカの研究所へ。そして仲間を……助け、られるのだろうか。意識を奪われ兵器として物のように使役されていたら、俺はどうするべきだ。元に戻す方法のヒントもない。研究所とて最初から元に戻すつもりなどないだろう。それであれば、俺の一族がアメリカ軍の兵器として人間に害を為す存在になるくらいなら……この手で。

 ……海の秩序を守ってきた鬼鮫はそうしてウェンカムイになりかけた者を処分してきたのだろう。俺も同じ事を……するだけだ。

「イタチさん」

 右上を見上げる。そこにはいつもの笑顔。

「あと30分で電車が来ます。車中どう過ごしますかねぇ。」

 ……俺達は、互いに互いのことをよく見ている。鬼鮫が黙ってその視線が遠くにあれば俺が鬼鮫に声をかけ、俺が復讐心を燃やせば鬼鮫が俺に声をかける。全部わかった上で、そのことには触れずに、ただ相打ちを打ったり、名前を呼んで気をそらせる。

 互いが互いを必要とし、静かな同意を繰り返しながら……きっとこの先も旅をするんだろう。

「……そうだな、他の客は僅かだろう。次に狙われると思われる地……福島に行く前に、金を稼いでおきたい。鉄道は長距離になるほど金が必要だ。」

「そうですね、私も蓄えはありますが稼ぎながら移動できた方が安心です。しかし港でない街の中で私の力を必要としてくれる者がいるかどうか……。」

「鬼鮫は、……俺の補佐をしてくれ。まず青森の地図を手に入れて欲しい。夢屋で使いたい。鬼鮫は腕力だけの男ではないだろう。その知恵と機転を俺に貸してくれ。」

 ガタ、ゴト、と遠くから音が近づいてくる。駅に着いたら人を吐き出して、乗る者を迎え入れる。15分ほど待ってから車掌が平坦な声で出発を告げる。

 ここに住む人々はこのリズムの中で生きている。

 街の人は……もっと早いのだろう。その速さにも、慣れなければ。森の中の知識は人間の社会の中では役に立たない。

「地図ですか。今時は何でもスマホなので……本屋にあったらいいんですが、急ぎであればネットカフェで印刷、ですね。」

 また知らない言葉が出てきた。……ネットカフェ。ネットと言えば網……だが、多分違う意味なんだろう。

「ネットカフェとはどういうものだ。」

「インターネットという情報網を人は活用しています。イタチさんが持っていた地図もインターネット上に公開されている情報が印刷された物です。人間が持っている小さい金属の板、あれがスマホですね。情報通信機能があり、インターネットに接続できます。もしくはネットカフェにあるパソコンという端末。今回はそれを使うわけですが……ただこの先のことを考えると、書店で日本全体が記載された地図を手に入れた方が良いですね。」

「やはり鬼鮫は博識だな。そのスマホ……とやらは手に入れるのは難しいのか。」

「残念ながら、身分証がないと無理ですね。」

「なるほど、確かに……手に入るのなら既に鬼鮫は持っているだろうな。」

「ま、そういう事です。それで、他にどんなところがイタチさんの役に立ちそうですか?」

「俺が世間話をしながら住んでいる場所をそれとなく確認する。地図にそれを書き残して欲しい。一晩で対応できる最大数の客を取りたい。」

「フッ」

 漏れ出た笑いに、右上を見上げる。その顔は嬉しそうに尖った歯を見せて笑っていた。

「ああ、いや。イタチさんも商売っ気が出てきましたね。いいことです。」

「この旅をするのに必要なら、何でもやる。目標は一晩に10人以上。5万円……あれば服と鞄を買って、二人分の電車代を出せるだろうか。」

「……では、私はメモを取りつつ客引きで10人以上集めましょう。……そうですね、1キロ飛ぶのに1分として……回るルートを効率化すれば……10人以上、確実に対応出来ると思います。……ところで。」

 途切れた言葉の先を催促するために、また右上に顔を向ける。

「……どうした。この計画はどこかに懸念があるのか。」

「……いえ、長旅になるだろう……とシュッケした魚。これはどうするのがいいと思います?」

 そういえば、風で飛ばされるなどと思っても見なかったから多めに用意してあった6匹分のシュッケ。

 ……アイヌである事を強調するために夢屋に置くのもいいが、1匹で十分だろう。

 では……売る? どのように? 食品だ、そのまま渡すわけにもいかない。袋か何かで梱包しなければならないだろう。……いや、海産物を日干しした後に入れていた、透明なプラスチックの簡易な箱、あれと同じものがあれば。

「売る場合、いくらで取引するのが妥当か……。」

「これだけ脂が乗った魚です、安くて1000円、ではないでしょうか。そこにアイヌ民族が手作りした、という付加価値をつければ安くて1500円。そうですね、2000円で最初売り出しましょう。売れなければ少しずつ安くしていく。……しかしそれをやるならば、アイヌ民族らしい服装で売りたいところです。」

 旅を始めた時に着ていた服。病院では脱がされてしまったが、きれいになって返ってきた。寒さを凌ぐためにその上から貰い物のシャツを着ていたから、今もその服は無事だ。一方の鬼鮫は完全に普通の人間と変わらない服装だ。ズボンの後ろは破れているが、鬼鮫曰く「こういうファッションもありますので」と気に留めていない。

 つまりシュッケを売るのは俺の役割。ということになる。……いいだろう、全て売り捌く。

「売るには魚を入れるもの、値段がわかるもの、アイヌの伝統の技で作った、そういう主張が出来るものが必要だ。何か案はあるか。」

「いかにも商売です、という雰囲気を出すよりは、コタンから出てきたばかりの純朴そうな青年を装い、不器用な雰囲気を醸し出せるような……そうですね、スケッチブックひとつで十分です。あと入れ物も百均を探してそこで調達しましょう。百均という店はあらゆるものが安価に手に入るので、旅に必要なものもついでに買いたいですね。」

 ……こういう話をしている時の鬼鮫は普段よりも楽しげで活き活きと喋る。実際楽しいのだろう。

「スケッチブックというのは何だ。」

「このくらいの大きさの、本来は絵を描くためのノートみたいなものです。丈夫な紙でできています。今後もきっと活用できますよ。」

 指で四角い形を作る。大きいノート……この大きさがあれば必要な情報を書き込めそうだ。

 しかし、これが入る鞄を買うとなると、いくらかかるだろうか。

「書く内容ですが、金額は小さめで良いと思います。出身のコタンの名前を入れましょう、信憑性が増します。言葉も少し日本語に慣れない感じで喋ると良いかもしれません。字を覚えたばかりなので、せっかくですからイタチさんが書いてくださいね。コタンから出て来て間もない風を出して、電車代……あるいは寝る場所のため買ってくれませんか、のように同情を誘いに行きましょう。きっとすぐ売れますよ。」

 やはり鬼鮫は楽しそうに喋る。こういう作戦会議のようなことが好きなのだろうか。それとも人間社会の中であれこれ考えながら行動するのが好きなのだろうか。

「スケッチブックは夢屋でも使えそうだな。……鬼鮫の話を聞いていると、俺も少し楽しみに思えて来た。」

 右上を見上げる。楽しそうな顔と視線がぶつかる。

「……そのようですね。イタチさんが笑う顔を見られる機会は滅多にないので。もう少しこの作戦会議を続けてもよろしいでしょうか。」

 ……笑って、いるのか。俺は、今。

 確かに、口角は上がっている。

 ……サスケの前以外で笑う日が来るとはな。

「……ああ、鬼鮫の考えを聞かせてくれ。」

 誰かと過ごす時間がこんなにも短く感じる日が来るなんて、村にいたままでは想像もできなかっただろう。

 ガタン、ゴトン、と揺られながら、街に着くまでの時間はあっという間に過ぎていった。




※シュッケ:燻製にする、燻製したもの
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