雪はどんどんその大きさを変えて海風に乗りこの地を叩きつける。
カムイの姿であれば人間ほど影響は受けないが視界がどんどん白くなって見通しが悪くなっていく。
そんな天候では動物達は身を潜めているだろう。つまり歩きながら情報を集めるには自然の中にいるカムイしかいない。
木々の間にその姿がないか、空を舞ってはいないか、探しながら歩くが道も周りの景色も全てが白くなり誰かを探すのは雲が気分を変えるまでの間、諦めることにした。飛んで上空から見ても白に染まった世界では飛んでいる方が行き先を見失いそうだった。地上は人間の手で整備されていて、真っ白な中でも一応は道だと判断できる。だからその道を歩くことにした。
天気とは気まぐれだと、この地に棲む者なら誰もが知っている。けれどたったひとり、白い世界で足を前に出し続けることことがこんなにも……堪える、ものとは知らなかった。ずっと一族の中で過ごしてきて独りで何かをしていたことなんて片手で数える程度しかない。心細い……とは違うような気がする。うまく言語化出来ない、けれど……気温を感じないはずのカムイの身なのに、ひどく寒く感じる、ように思う。
ただそこに在る……父さんのように何事にも動じず、静かに、しかし確かにそこに在る、そんな生の歩み方が出来ればきっと、胸まで凍えてしまいそうな今このときであろうとこころを波立てるものはなくなるはずだ。
ただ、既に感情を知ってしまっている自分はその在り方になるのは難しいようだった。
喪失感と共に芽生え始めている憎しみ。母さんから言われたことを思い出す。憎しみのこころで人間を殺めるとウェンカムイになると。
あの白服が今目の前に現れたとき、俺は殺さないでいることができるのだろうか。……連れ去られた皆がどんな扱いを受けているかによっては……ウェンカムイになってでも。
ひたすらに歩いていた。視界は三尺くらいだろうか。不意に道に何か雪で覆われた大きなものが現れた。熱を発しているのがわかる。人間がこの中にいる気配。この大きなものの中に空間があり、中に人間が……ふたり、いるようだ。
この吹雪で立ち往生した挙句、埋まってしまったのだろう。
雪の塊の中を覗いてみることにした。大きな椅子がふたつに、長椅子がひとつ。その大きな椅子の上に、父親らしき男性と子どもらしき女の子が身を寄せ合っている。外よりは温かいが、それでもその空間の中の温度は低い。毛皮の服でも着なければ人間には耐えられないのではないか。
父親は子どもに「大丈夫……大丈夫だ」と繰り返し言い聞かせていた。しかし状況を見るにとても大丈夫そうには見えない。
……父親の血を飲んだら、打開策は見えるだろうか。ただ、それをやるにはこの父親との取り交わしが必要だ。
父親の顔の目の前に移動する。赤い瞳でその父親を見つめると、がくりと頭が落ちた。
それを見て、子どもが「お父さん……!?」と身体を揺する。早くしなければ。
父親の夢の中に入った。といっても声だけの世界だ。
「ここは……?」
『汝、助けを求るか。』
「だ、誰だ! どこにいる!?」
『血を捧げるならば汝の助けとなろう。助けを求るか。』
「まさか、かみ、さま……? 血、を……捧げます! 捧げますので何卒……! ……千夏を、助けて、ください……!!」
『……聞き届けた。』
父親の夢の中から出る。
子どもが父親に呼びかける必死の声を聞きながら、そっと首元の衣服を退けてその肌に牙を立てた。
父親が倒れない程度にしなければいけないが、助けられるだけの情報も見なければいけない。
ごくり。
血液が喉を通ると、吹雪の中で鉄の塔に登り何かしている人々が見えた。
『夕方までには復旧させるぞ!』
その一口で見えたのはそれだけだった。また血を啜る。
次はこの空間の外に父親が一人出て、腰まで積もった雪をかき分けながら助けを求めて叫ぶが、力尽きて倒れる姿が。
また血を啜る。
この空間の外に出るのは同じだが、熱と共にガスのようなものを排出している部分の雪を掘り、また中に戻る。
『……! 電波が戻った! 千夏、助けを呼べるぞ……!』
……これが、この親子が助かる未来……?
もう一口、血を飲み下す。
空を飛ぶ鉄の塊がゆっくりと近づき、縄梯子が下ろされて何人かの重装備の者が降りてきた。
親子のいる空間の周りの雪が退けられて、大きな椅子の横の扉が開く。
『自衛隊です。もう大丈夫です。安心してください。』
そこで、途切れた。ここまでで十分だろう。
あとは夢を見せれば……子どもが心配している、手早く済ませよう。
父親はゆっくりと瞼を開けて顔を上げた。
「お父さんっ!!」
子どもが父親に抱きつきながらわんわんと泣く。父親はその様子を見ながら、ハッとして子どもをなだめて外に出た。すぐにその大きな物体の反対側に行き、熱いガスが吐き出ている部分を掘ってまた中に戻る。
「お父さんどうしたの……?」
外から戻ってその寒さに震えながら、父親は言った。
「夢を見た……父さんと千夏は助かる。スマホの電波も、多分夜になる前に繋がる。……繋げるために作業してくれる人がいるんだ。だからこのまま待てば、大丈夫。……大丈夫だ。」
最初に言っていた自分へ言い聞かせるような「大丈夫」ではなかった。確かな確信を得た「大丈夫」。
どうやら、うまくいったらしい。
「神様……ありがとうございます……!」
しかし、気になることがひとつあった。空を飛ぶ鉄の塊から降りてきた『自衛隊』と名乗った者たちの服装、装備がどこかあの白服と似たところを感じた。訓練された動きもそうだ。
彼らは白服と関連があるのだろうか……?
少しでも情報が欲しい。親子と共に自衛隊が来るまで待つことにした。
何時間か過ぎて外は闇が静かにその帳を下ろし始めた頃、父親が歓喜の声を上げる。
「……! 電波が戻った! 千夏、助けを呼べるぞ……!」
……見た通りの未来が来た。それを目の当たりにするのは白服のとき以来だ。儀式では夢を見せてもその後どうだったかまでは確認しない。
この眼の力で、港に行き着く自分の姿は見えるのだろうか。
「吹雪で立ち往生して……はい、カーナビでは現在地は……そうです、ガソリンはまだ大丈夫です。……お願いします……!」
四角の板を手に、父親は子どもを抱きしめた。
「神様……! ありがとうございます……!」
それからまた数時間後、空から音が近づいてくる。声が聞き取りにくくなるほどの轟音を立てているのはあの空を飛ぶ鉄の塊だった。縄梯子が下ろされて"自衛隊"が降りてくるのをじっと見る。
悪しき心は微塵もない。むしろ、命を賭してでも人を助けたいという熱い気を感じる。
子どもへの気遣い、父親への労い、その声色、眼に隠る決意。それらは彼らが善たる者だと物語っていた。
……白服とは、真逆だ。
親子が空を飛ぶ鉄の塊に運び込まれるまでを見守って、朝までその親子がいた空間の長椅子を借りることにした。雪と風が凌げるだけ、身もこころも疲れた身にはありがたい。
……血を、飲んだことで見えたあの親子の未来が現実になった。血を飲めば、望めば自分の未来も見える。
何もかもを捨てて白服を探し出して同胞を助けるのであれば、人間を見つけ次第血を飲めばいい。
でもそんな存在はもう既にウェンカムイのようなものだ。人間から血を貰う代償として未来を夢として見せる、これはあくまで双方の同意のもとであって、そしてこの目は血を差し出した人間のために使わなければならない。
他の同族がどうしているかは知らない。けれどあの村と共存していた俺たちにとってはそれが掟のようなものだった。
自分のために人間を襲いながら同胞を助けたところで俺はその中にはもういられない。
……それでは意味がない。また元の村で、平穏に村の人々と暮らすことが……出来るのが一番の理想なのだから。
ウトウトしながら、それでも血が飲みたいと思うのは空腹からくるものだろうか。それとも、血を飲んだばかりで身体が『もっと』と求めているのだろうか……。
目が覚めた。囂々と音を立てていた風は凪のように静かだ。その空間から外に出ると、雪は2尺ほど積もってはいるが青空が覗き見えるいい天気だった。
ふわりと浮かんで上空からその道の先を見るが、ずっと道が続いていくばかり。雪の上を歩くよりは飛んだ方が良さそうだ。
海岸沿いの道を、海側に出て誰かカムイがいないか探すが、時折鳥が飛んでいるくらいで魚も見当たらない。
まあ、確かに魚やカムイがいるとしたらもっと海の向こうだろう。
海に棲むものを探すのを諦めてまた道を歩き始めると、そこここから声が聞こえ始める。
「あの子?」
「あの子!」
「北の」
「港の方!」
噂話なんだろうか?
そこに声をかけるのは野暮な気がしたが、少しでも何かがわかればと話しかける。
「ウパㇱカムイ、小さく、大きく、激しく、そして静かな者たち。この道の先にある港はどれぐらいで辿り着く?」
「やっぱり!」
「リスの子だ!」
「クンネレッカムイが言ってた!」
「困ってる子だ!」
「助ける?」
「手伝う?」
「踊るだけ!」
「舞ったら仲間!」
踊る……経験がない。
小さな者たちはあちこちで手を繋ぎくるりと回りキャハハと舞っている。
真似をして手を広げたりその場でくるりと回ってみると、また違う声が上がった。
「へたっぴさんだ!」
「でも頑張ってる!」
「踊りは楽しく〜!」
「ムッとしてちゃ台無し!」
……ムッと……いや、確かにはじめてすることを、考えながら踊っていたから多分顔は真剣だったのだろう。とはいえ、今までの生活の中で、サスケの前以外で笑ったことなんてあっただろうか。
楽しく……ないのに、楽しそうにする。これは難しいな……。
「不安?」
「心配?」
「大丈夫!」
「ちゃんと見てた!」
「へたくそでも踊り!」
「舞ったら仲間!」
「北の港は歩くと3日?」
「飛べるよ」
「飛んだら2日!」
「頑張って!」
もっと何か代償が必要かと思ったが……彼らはあっさりと教えてくれた。気まぐれなのか、下手な踊りでも踊ったことが気に入られたのか。ともかく港までの日数の目安は分かった。
それにしても、クンネレッカムイが俺のことを知らしめているなんて。これは加護を得ていると思っていいのだろうか。正しく在る事を望む夜の守り人。もしかしたらあの親子のやりとりを見ていたのかもしれない。正しく在れば、誠実であればこうして手を差し伸べてくれる者が居る。
「皆、ありがとう。また借りを作ってしまった。」
「かり?」
「なにそれ」
「共に舞う子は好き!」
「次はもっとうまく!」
「楽しもう!」
「おいきリスの子」
「我ら舞うのみ〜」
どこからか、ぼす、と背中に雪玉が投げられた。……行け、ということか。
「ありがとう、またこの地で舞えることを。」
歩いて、と言っても人間のようにではなく、積もった雪のその上を歩く。3日で辿り着ける。人間の血を飲まずとも、正しく在れば誰かが手助けをしてくれる……。
修羅にはなるな。本来の俺を見失うな。少なくとも、港まで行ける確信は持てた。
こんな幸運が続くとは思っていない。けれど見守るだけの者が舞う者に俺のことを知らせた。そして舞う者は俺に道標をくれた。
世界は、やさしい。
……そのやさしい世界を壊した白服を、……絶対に許しはしない。
歩きながら、時折飛びながら行く先を見て、言われた通りに3日後、上空から港のようなものが確認できた。建物、船、そして人間と……釣ったのだろう、海産物。
あんなにも人間ばかりいる場所に、海の中について教えてくれるカムイは居るのだろうか。
……この足で行って、この眼で見てみなければわからない。
地上に降りて人間の眼に見える姿に変わり、膝上くらいまでかさが減った道の端を歩きながら、半日かけてその港まで辿り着いた。
夕方だったからか、人間はほとんどいない。港は朝が一番活気があると聞いたことがある。ならば人のいない今のうちに、海のカムイを。
船着場の先端に立って海を見つめるが、海の中の様子は全くわからない。近隣は近代化された控えめな町だった。港町、というやつか。
海から町を挟んだ向こうは丘になっている。自然と言えるような自然はこの辺りにはない。……思い切って、海の中に入るか? また船着場に立ち海を眺めるが、こうして改めて見ると広大だ。山も、森も広大だったけれど、海のそれは次元が違う。文字通り、棲む場所が違うとしみじみ思う。
この海の中に棲む者たちと、果たして言葉は交わせるのだろうか。その前に、中に入ったとて出会うことはできるのだろうか。遠くまで広がる水面を見つめながら、港に辿り着いたは良いがどうしたら良いのかは、わからなかった。
カムイが見つからないならば、人間に聞く他ない。港が活発に動き始める時間まで、町のほとりで待つことにした。