青森駅に着いた頃には18時を回っていた。服と鞄の下見をしたかったが、シュッケを売るならこれから家に帰る人々が行き交うこの時間が良いだろうと判断し、百均で調達した魚を入れる半透明の袋、スケッチブックに太いペン、そして首から下げるための紐、これらで「看板」を作る。
駅前から伸びる道端にアイヌの服だけを着て立ち、首からスケッチブックの看板を下げて、木の枝で作った串に5匹のシュッケを連ねて刺した物を手に道ゆく人に声をかける。
「アイヌのシュッケです。太平洋で獲ったニシンを昔ながらの方法で燻しました。そのままでも、焼いても、煮てもおいしいです。」
すぐにひとりが目の前に立ち止まる。
「シュッケって何ですか?」
そのひとりに説明をする。しかしこれは俺に対して視線を向けた人全員に見せている「幻覚」だ。視線を向けた時点で興味を抱いている見込み客、その見込み客の興味をさらに引くための「サクラ」を幻覚で見せる。その幻覚の中では俺の目は黒いまま。視線をこちらに向けた瞬間に幻覚の中に入るため赤い瞳には誰も気づかない。
人は流されやすい、という鬼鮫の情報から立てた作戦は成功した。1匹、2匹と売れて、最後の1匹は希少性を全面に出すと男性が購入していった。
半透明の袋にシュッケを入れて手渡ししてから「あなたにカムイの加護がありますように」と手を合わせて少し擦る。
同情を引きシュッケを買うことで「いいことをした」と思わせる作戦も成功して5人の客は誰もが「頑張って」などの声をかけてくる。
作戦を立てたもののいざ路上に立つと人の心理を操りさも良いことをしたように思わせる、それは善良な人を惑わせ搾取しているのではないか、悪いことではないかという懸念を持ったが、満足気な人々の顔を見るとどうせ売るなら相手の気分が良くなるように売った方が良い、と考えを改めた。
シュッケ屋を終えて首からスケッチブックを下ろし看板を閉じると、鬼鮫との待ち合わせ場所である駅前に向かった。すでに待っていた鬼鮫は片手を上げる。
「早かったですね、私も今来たところです。」
時間は19時、鬼鮫が以前言った事が本当であれば今回の夢屋は人々の情報網で広がっていて正規の金額でも買う人が現れるはずだ。
「作戦がうまく行った。夢屋はどの辺りでやるのが良いだろうか。」
「夢屋、札幌での5人の客の話がどの程度伝播しているか少し調べました。申し分ない状況です。客のひとりが夢屋について詳細に語ってくれたおかげでその情報はかなり拡散されています。」
「詳細に……見た夢の内容も?」
「ええ、それも印刷しておいたので読んでみますか。」
「見せてくれ。」
渡された紙には、怪しい看板、思わず声をかけてみた。アイヌを名乗る若い青年、半信半疑だが買ってみた、と夢屋の様子が書かれていた。
続いてその人の過去について。若い頃に思わぬ妊娠をして、悩んだ上で下ろした。それをずっと気にかけていた。お腹の中に命が宿っている実感と、そしてその命を終わらせた後悔。
そして夢の内容。知らない子どもが目の前にいた。その子は私をママと呼んだ。あの時下ろした子だと確信した。私はその子にごめんなさいと謝った。産んであげられなくてごめんなさいと。その子は謝らないでと笑顔で私に言ってくれた。ママのお腹にいたとき、温かくて幸せで、ママのお腹の中に生まれてよかったと思った。ママ、ありがとう。またママのお腹に行くから待っててねと。
私はその子の顔を見上げた。けれどその姿は半透明になり小さくなっていく。そして私のお腹の中に吸い込まれるように消えて行った。
起きた時、涙で枕が濡れていた。夢屋さんが見せてくれた夢は、ずっと後悔し続けてきたあの小さな命との対話で、私のこころを救ってくれた。と締める文章。
更に一ヶ月後の日付で、細長い、赤い線が入った白い棒の写真と共に、本当に来てくれた、と。
それは堕胎した女性の後悔と、堕胎された子の母への愛の小さな物語になっていた。
俺達は夢を見せる、けれどその内容まではわからない。でもその夢がこうして人々のこころを救っているのなら、……受け取った分は、返せているはずだ。
「最初の一回目からこういった口コミが出てくるのは大当たりでしたね。しかしイタチさんの能力には恐れ入ります。さて、場所の件ですが……怪しさを出すには駅前は向いていませんね。やはり少し歓楽街寄りの場所が良さそうです。」
「少し、歩くか。」
服屋のショーウィンドウが並ぶ場所から離れて道路を歩き、人通りの多い場所を探す。居酒屋やカラオケの看板がある路地に決めて、スケッチブックの「夢屋」と大きめに書いたページを開き、傍にそれを置いて座った。鬼鮫は客寄せに行ってきます、と人の流れに混ざって行った。
俺はシュッケ屋と同じようにかりそめの客を作る幻覚を展開しながら、客が来たときの予習をする。
こちらに視線を向けているのは今6人。そのうちの一人が幻覚の客をじっと見つめている。幻覚の客から金を受け取り手を握り、その客を往来に消えさせると、その一人はこちらに向け歩いてきた。
頃合いを見て顔を上げ、その女性に笑いかける。
「今日は良き月夜ですね。僕は北海道のアイヌの生まれで今は旅をしています。あなたは今日はどちらから?」
女性は座っている俺に合わせるように膝を地面につく。
「市内だからあなたほど遠くないわ。……あなた札幌でもこの夢屋をやっていた人?」
……あの情報を見た人か。最初から興味を持っていた。話が早そうだ。
「札幌でも一晩限り。あの日のお客さんのお知り合いでしょうか?」
「Twitterで見たの。直接の知り合いじゃないけど、本当に望む夢を見せてくれるの?」
言葉では疑っているが、半分は信じている状態だ。少し押すだけで良い。
「僕のコタンのカムイは夢を司ります。カムイの加護を一晩だけお分けしましょう。あなたの望む夢を。」
女性は財布を取り出す。5枚のお札を目の前に出された。両手でそれを受け取り、懐に収める。
「ありがとうございます。……あなたの両手を握ってもよろしいでしょうか。」
女性は鞄を地面に置いて、その両手を差し出した。その手を下から支えるように握り、目を閉じて何かを込めるふりをしながらマーキングをつける。
「……あなたにカムイの加護をお分けしました。」
閉じていた目を開き赤い瞳でその女性の眼を捉えた。
「今日は早めに布団に入ってください。カムイの使者が訪れるでしょう。」
赤い眼を戻す。女性は幻覚にかかったまま頷いた。
「……今日は……早く……」
「では、ごきげんよう……。」
鞄を持ってすっと立ち上がる。つかつかと歩く足に迷いはない。すぐに家に帰るだろう。
……しかし「夢を見せる能力」を「幻覚を見せる力」として応用するなんて、鬼鮫の機転は当たりだった。客がいつ寝るかわからない、という夢屋の弱点をこういった形で補えると、一晩で回れる人数を増やせることになる。あとは順調に客寄せが出来ればいい。22時までの3時間弱で10人以上。もう一度こちらに視線を向けている人に向けて幻覚を展開する。……さっきよりも増えて9人が俺を……夢屋を見ている。悪くない。
そこに、鬼鮫が戻ってきた。
「さっそく一人ついた。場所はわからないが市内。そう遠くはないだろう。」
「市内、ですね。」
「鬼鮫はどうやって客寄せを?」
「この辺りの風の神……というのか、風の神の子、と表現するべきか。まあ、ともかく風の力を借りて駅に集まる人全てに「風の噂」を流させてもらいました。毎回こういう協力が得られると心強いんですがねぇ。」
風の噂、文字通り風が噂を運び人の耳に入る。振り返っても誰が言ったのかはわからない。しかし確かに耳に入る。どんな内容かはわからないが、興味を持つ人ならばそれを聞いて探しにくるだろう。直接声をかける客引きよりも効果は高そうだ。
「私達は私達のやり方でいきましょう。人間の模倣だけではなく使えるものは使うべきです。」
そうだ、目的のためなら使えるものは全て使う。それはズルではない。これが俺達カムイのやり方だ。
ひとり、またひとり、と夢屋に人が訪れる。札幌の時とは違い、あまり遠くに住む人は居ないようだった。……目標を15人に変更して、折を見てまた鬼鮫が風の噂を流しに行く。
「……あなたにカムイの加護をお分けしました。」
「『今夜は早めに布団に入ってくださいね』」
「……では、ごきげんよう」
15人目。
スケッチブックを畳んだ。懐に入れた金を鬼鮫に預ける。シュッケと合わせてまとまった金額になっているはずだ。次は夢を見せに回らなければならない。カムイの姿になるために、荷物を置く場所を。
「効率的に回るルートを考えました。北から南へジグザグに南下していくルートです。西から東、東から西へと回りながら少しずつ南へ向かいましょう。なるべく最初の方に取れた客から回りたいので、開始位置はここで。」
地図を見て頭に入れながら、青森駅の駅舎に入りトイレを探す。この地形なら確かに鬼鮫が提案したルートが良さそうだ。
駅舎内のトイレを見つけ、人の気配がないことを確認して個室のひとつに入ると、カムイの姿に変える。
「ここからが本番だ。」
まずはまっすぐ上空に上がりマーキングの位置を確認する。地図とおおむね一致している。俺にしか出来ないこの夢を見せる仕事には、鬼鮫は着いてきていない。トイレで荷物を見ながら身体を休めている。
最初の地点に向けて、空を駆けた。
回り終えた時には東の空が明るくなりかけていた。15人の家を回り、しっかりと夢を見せる。多少血は飲んでいるとはいえ、忙しいのには変わりない。もし回る家がもっと広範囲だったら15人は無理だっただろう。
やはり住む場所を確認しながら限界人数を考えて客を取る方法は有効だ。もしくは遠くに住む人の場合はいっそ断るのも視野に入れた方がいい。客付きが良ければ、の話だが。
駅舎のトイレに戻り、人間の姿になる。うとうととしていた鬼鮫が顔を上げて笑った。
「お疲れ様です。陽が上がるまで少し休みましょう。」
「……そうだな、少し休む。」
鬼鮫の隣、トイレの壁に背中を預ける。
そういえば、人間の身体は睡眠を必要とするんだった。眠気が頭を覆っていく……。
鬼鮫に肩をゆすられて目が覚める。
よく眠れた感覚。トイレの硬い床でも案外眠れるもの……なのかそれくらい疲労が蓄積していたのか。
「おはようございます。さっそくですが、服を買いに行きましょう。」
「いくらまで使える?」
「福島までの電車賃は二人合わせて大体3万弱、稼いだのは8万5千円。1〜2万円あれば、服も鞄も望みのものが買えると思います。」
「……駅前の服屋は結構な値段だったが……。」
「ああいう店はブランドを売っていますからね、単純に服を買うなら大型の量販店で十分です。旅をすることを考えると丈夫、汗を吸う素材、かつすぐ乾く、そういうものが適していますが……それがありそうな作業用の衣類専門店は恐らく駅の近くにはないですね。まあ、ともかくこの狭い場所から出ましょう。」
「それもそうだ。」
立ち上がろうとして、鬼鮫のふくらはぎに巻いていた布が目に入る。
「待て、布を変えた方がいい。傷口に張り付いていないといいが……。」
結び目を解いてそっと傷の部分から布を取り除く。幸い、しっかり止血は出来ているようだ。布との癒着もない。
「新しい布を当てておく。」
トイレの扉を開く。水道から水を出して傷口に当てていた布を洗い、しっかりと絞る。シャツをもう一度破って、止血ではなく保護するための布をあてる。ふくらはぎの発達した筋肉の太さを見て、少ししっかり目に結んだ。これで外れることはないだろう。
「鬼鮫、終わった。行くぞ。」
「ありがとうございます。……相変わらず、人間の身は傷の治りが遅いですね。」
……カムイの身でも傷を負ったことがあるのだろうか。……鬼鮫が? それはきっと……凶暴な相手だったのだろう。
トイレから出ると、駅は人が行き交っていた。駅舎から出ると太陽はすっかり昇っている。俺は何時間眠っていたのだろうか。
「……眠りすぎていたようだな。」
「いえ、服屋が開くのはこのくらいの時間なので問題ありません。」
……それもそうか、早朝から動いているのは港くらいだ。
駅の従事者らしい人に声をかけて、服の量販店の場所を尋ねた。幸い一店舗近くにあるらしい。
鬼鮫と共にその店を訪れて、「量販店」の大きさに驚く。子供服、女性、男性と区切られている。シンプルなデザインの服が、様々なサイズ用意されていた。
黒い長袖のTシャツを選んで、鬼鮫からズボンも変えた方がいいと勧められた。いくつか試着してポケットが多いカーゴパンツというものを買うことにした。
これで8千円ほど。
「出来たらそのアイヌの靴も運動靴にしたいところですが……。」
少しだけ靴が並ぶ一角を鬼鮫が眺めている。値札を見た。3千円ほど。
……確かにこの服にアイヌの靴は合わないか。
靴も買うことにした。ただ次の夢屋でもアイヌの服装は必要だ。靴と服が入る鞄というと、結構大きい物になる。
「使えるのは残り8千円か。鞄屋は近くにあるだろうか。」
「私も今の鞄では心許ないので新調したいですね。バックパッカーを装えるようなリュックサックタイプの物を探しましょう。」
道ゆく人にリュックサックが買える店がないか尋ねて、商店街に鞄の店があると聞き、その店が立ち並ぶ大きな道を歩きながら見て回る。色々な店が並ぶ中、鞄が所狭しと陳列してある店を無事に見つけた。8千円以内で買える、背負える鞄を鬼鮫が探し出しては「どうです?」と俺に渡す。その中から、ポケットは多いがシンプルな物をひとつ選んだ。鬼鮫はもっと大きいものを選んでいたが、体格を考えるとこの大きさがちょうどいいのだろう。自分の物は自分で買います、と財布からお金を出していたが、鬼鮫はあの港町で稼いだ金を今まで全て蓄えてきたのだろうか。少なくとも80年以上生きているのだから、相当な蓄えはありそうだ。
新調した鞄にそれぞれの持ち物を入れて、ようやく福島に行く準備が整った。
「欲を言えば上着も……それと……」
鬼鮫はもっと色々必要だと言うがそれではいくら金があっても足りない。後々買い足そうと宥めて、最後に百均でコップやビニールの大きいシート、空気で膨らませる簡易な枕、タオルなどの小物を買って、ようやく落ち着いた。しかしこれらが全て100円だとはありがたい。
「情報がない分、早めに福島に行きたい。買うものはもういいな?」
「まあ、一旦はこれで。では、行きますか。」
券売機でそれぞれ切符を買う。途中乗り換えて新幹線という新型の電車に乗るらしい。鬼鮫も新幹線に乗るのは初めてだと話す。
これから様々な『初めて』を共にしていくのだろう。自動改札機に切符を入れて、新青森へ向かう電車が滑り込むホームに降りた。