約束   作:江夏ケイ

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※注意:東日本大震災の被災地や津波に関連する描写があります。重い内容を含みますので、抵抗がある方は無理をせず読み飛ばして下さい。

<読まない方向けあらすじ>
イタチと鬼鮫は新幹線で福島に向かった。
鬼鮫が「福島での情報収集の際は注意を要する」と語る理由を知るため、被災した地域に何が起きたのかを確認しにふたりは沿岸部へ向かう。
徐々に見え始める災害の爪痕、攫われた地に立ったイタチはその光景に言葉を無くすと共に無力感を覚える。


攫われた地

 新青森駅で乗り換えた新型の電車は確かに文明の全てを閉じ込めたかのようなものだった。その形は美しい流線型でハッとするような緑色と「はやぶさ」という名称にこれを開発した人々の想いを感じる。

 乗ってみればガタゴトと揺れることもなく、それなのに景色は一瞬で通り過ぎ相当な速さで鉄の道を進んでいるようだった。

 鬼鮫と一緒に印刷された地図を覗き込む。福島駅と印の場所は少し距離がある。

「歩いて2日、くらいですかね。ただ、先日話した『アレ』について、ネットカフェで改めて調べたのですが、場所がこの印よりもだいぶ海岸寄りだったので可能性は低くなりました。テレビで見た曖昧な記憶だったので、申し訳ありません。」

「……ということは、ゼロからのスタートか。ところで、鬼鮫がテレビで見た『アレ』とは何だったんだ。」

「千年以上前に掘られたという巨大な石の仏像が3体あり……かなり古い神……いえ、仏が存在すると推測される、信仰の地です。」

 神、ではなく仏教の方か。しかし信仰される存在である仏が人間に害を為す存在になるうるのだろうか。……いや、仏も神の一種ならば脅威たる面があってもおかしくはない、か。

「立ち寄ってみてもいいと思うが……一旦印のある場所付近に行ってみよう。」

「そうですね、それと大きい本屋があれば地図を買いましょう。私達は海岸寄りをずっと旅してきましたが、これから行く先は内陸寄りなので地図は必須です。」

「内陸寄り……。この印、見たところ周囲に自然がある環境ではなさそうだ。自然の中の神ではない。だとしたら、人間の中で生まれた怪異、もしくは物怪、あるいは強い力を持つ付喪神……だろうか。探し方は神々に、と言うよりは……寺や神社のような信仰の場で聞いてみるのが良さそうだ。」

 福島の地図を見ながら、鬼鮫は海岸線をすっとなぞる。

「……それには注意を要する点があります。多くの人が災害で亡くなっています。バックパッカーを装っている我々は、下手を打つと興味本位で来たと思われます。死者への弔いと、災害からの復興を支援したい、という姿勢は見せた方がいいでしょう。」

 確かに、変な奴が来たと警戒されれば聞ける話も聞けない。

「……興味本位ではない、つまり遊びで来ているわけではないと思わせて警戒のハードルを下げることから始めなければならない、ということか。」

「そんなところですね。古くからこの地に伝わる言い伝えを後世に受け継ぐため保存したい……という体であれば恐らく角は立たないかと。」

「なるほど。……ただ話だけでは……想像しづらいところがある。出来れば実際にそこに住む人々の様子を見たい。攫われたという場所の様子を見て、その災害によって何が起きたのかを確認してからにしてもいいか。」

「もちろん。……私も実際に目にするのは、……初めてです。」

 

 乗り換えを経てたったの3時間で俺たちは福島駅まで辿り着いた。そこは想像していたよりもずっと普通の駅前の街並みだった。この駅は内陸寄りだから津波の影響はないにしても、日本全体が揺れるような地震の中心に近いはずなのに、建物が壊れて新しく建った、という様子は見られない。

 地震に強い建築物なのだろうか。……そういえば、石に彫られた仏像……1000年以上その姿が崩れていない、という事はその間に起きている様々な自然災害から難を逃れている、という事だ。コンクリートは石のように固い。今も存在する仏像のように、コンクリートで作られた建物は恐らく自然災害にも強いのだろう。

 人々の様子も一見札幌や青森にいた人々と変わらない。……しかし、そう考えて気軽に話しかけてもいいものなのか。試しに通りがかった女性に声をかけた。

「すみません、この辺りに本屋はないでしょうか。」

「本屋なら、あのビルの地下にありますよ。」

 受け答えも至って普通だ。

「ありがとうございます、助かります。」

 頭を下げて、指し示されたビルに足を向ける。

「どんな場所かと構えていたが……少なくとも駅の近辺は他と大差はないな。」

「……そうですね、一見すると。」

 ビルの地下に伸びるエスカレーターに乗る。動く階段、よくこんな仕掛けを考えつくものだ。

 書店と書かれた店内には、整然と並ぶ棚の上から下までびっしりと本が並んでいた。入り口は小さいが、かなりの広さだ。棚に本の分類が付いているが、地図という分類はないらしい。

「ここを探して回るのは手間ですね。」

 緑色のエプロンをつけている、カウンターの向こうにいる店員らしき人に向けて片手を上げる。

「日本の地図の本はどこですか?」

 エプロンを着たその人はすっと俺たちの後ろに指を向けた。

「16番の歴史ジャンルの奥の壁が旅行ジャンルになります。日本地図はその中で一番左にあります。」

 振り返ると、後ろには確かに歴史と書いてある棚、奥の壁にも本がびっしりと並んでいる。

「ありがとうございます。」

 軽く頭を下げて示された壁に向かっていく。旅行と書かれたその下の棚には本としては大きめのものが並んでいた。カタカナで何文字か書かれているものが沢山ある。その中に「アメリカ」の文字を見つけて心臓がドクンと鳴った。……この棚は、恐らく異国を旅行する指南書でアメリカもその中に当然入っているということだろう。しかし、……その四文字を見るだけで身体が反応を示すとは思わなかった。

 見るべきはここじゃない、旅行の本の左の端……日本の本が並ぶ一角。しかし見たところ温泉だの山だのと、やはり指南書ばかりだ。上から下まで確認していたら、鬼鮫が下の方の棚の左隅にある一冊を取り出して開いた。

 かがんで表紙を見る。

 『全国道路マップ』

 鬼鮫がその本を取り出した周辺を見る。

 百名山登山地図集、福島県住宅地図、全国ハザードマップ……鬼鮫が取り出したものが一番良さそうだ。

「どうだ、使えそうか?」

「国道、県道、……市道まで載っています。高速道路と主要な鉄道も。車用なので車が入れないような道は記載されていないようです。が、使えます。」

 福島駅という文字が右上に記されたページを開いて積まれた本の上に置かれる。その地図は太平洋沿岸までの道路だけでなく地形も色分けされていた。

「地図の読み方を簡単に……これといった表示がなければ平坦な土地です。薄い色がついているところは高さを表していて、緑、黄色、茶色、白、の順に高くなっていくので……例えばこの地域は、緑の中に黄色があります。高さは控えめですが、山があることがわかります。水色は見たまま……湖や川、海などですね。」

 誰でも読めるように工夫されている表示、凸凹の地形を平らな紙に表現する方法を恐らくたくさん試したのだろう。この地図はその人間たちの知の結晶だ。

「……これなら俺でも読めそうだ。」

「では、これで。……行きますか。」

 

 印の位置まで行くならば2日、沿岸まで行くなら更に1〜2日だろうか。海に近い場所と違うのは、魚が取れない事だ。腐りにくく携帯できる食料と水をどこかで買わなければならない、と思ったが、道路地図には店の看板を示すマークがついていた。これはコンビニ……小さいが食料と飲み物が豊富に揃っている商店。このマークがある限りは、食料と水には困らない。

「地図とは便利な物だな。」

「ええ、急いでいたとはいえ、札幌で手に入れておくべきだったかもしれませんね。」

 しかし、このような地図があれば鉄道の神の加護を得ることも、あの寺で話を聞くことも出来なかったかもしれない。この地図は人間の世界を知ることはできても、そうでないものたちの世界は知る事は叶わない。

 なるべく大きい道路に沿って鬼鮫と並んで歩き目的地に向かいながら、ふと、自分がよく喋るようになったと気がつく。よく喋る鬼鮫につられて、俺までお喋りになりかけているらしい。ただ決定的に違うのは、鬼鮫はいつその顔を見上げても大抵笑っている事だ。夢屋では無理矢理笑顔を作っているが、面白いことでもなければ自然に笑う事はない。……鬼鮫は面白くなくても笑うのか、それとも常に何かを面白いと感じながら過ごしているのだろうか。後者だとしたら、……そういうものの感じ方が出来るのは一種の才だと思う。

 しかし福島の旅で困るのは寝る場所の確保だった。食事と水は得られても、男二人が無防備にころがれるような場所は見当たらない。夕方になって、ふたりで地図を覗き込む。

「公園……は不審者と思われかねませんね。」

「本物のバックパッカーはどうしているんだ。」

「港町は寛容でしたからね、その辺で適当に寝とけ、という感じでしたが、この場でどうするかはすみません、私にもわかりません。」

 鬼鮫にもわからない事があるのか。それもそうか。

「地図ではなく、足で探すか。」

 本を鬼鮫の鞄にしまって、周囲を見渡す。

 ここまで来ると、地震の爪痕が少しずつ見えてきた。駅前のような大きな建物はコンクリートだが、普通の民家は恐らくそうではないのだろう。古い木造の建物であっただろう形跡、亀裂が入っている少し傾いた人の気配のない家、その敷地には黄色いテープが貼られて立ち入り禁止と書かれている。この地を揺るがした痕跡が見える中、木が鬱蒼と茂る場所があることに気がついた。

 近くに行くと、鳥居。……ここは、神社……か。人がいる気配はない。代わりにその奥に人ではない何かの気配がある。

 右上を見上げる。鬼鮫も頷いた。鳥居の前に立ち、礼をしてからその奥に進む。立派な建物だった。賽銭箱に鈴、その奥の扉の中に、いる。

 カムイの姿に変えてその扉を叩いた。

「貴方はこの地の神ですか。」

 その気配は揺らぎながら、すっと扉を通り抜けて目の前に現れた。着物で、袖で口元を隠している、おかっぱの女性のような姿。その身体の輪郭はぼうっと光のようなものが揺らめいている。

「妾はこの地を見守る者。其方等も……似た匂いをしておるな……。」

「遠く北の地より警告を運びに来ました。この地の他の神との交流はありますか。」

 警告、の言葉に明らかに空気がヒリつく。四方八方から睨まれているような感覚。

「其方等、災いを共に運んで来たのではあるまいな……?」

 災いとは、……まさか災害のこと、だろうか。神がこんな風に感情を示すなんて余程のことだ。そうでないとしたら、この地の神にとってすら恐るべき怪異が存在すると考えていい。

「……神の力を我が物にせんと画策している人間がいます。それらこそが災いであり、この地の神々に警告をしたく……人の脅威となりうる神、または鬼などの異形の物がいればその者に伝えたい。」

 依然として睨まれている感覚は消えない。

「生憎……妾はこの地以外のことは知らぬ。しかし隣近所の土地神にはその警告、……伝えておく。」

 ……土地神の情報網に、警告が乗った……!

「ありがとうございます。差し支えなければひとつ願いがあります。……今夜限りこの敷地の一角をお借りしたいのですが、許可を頂けないでしょうか。」

 その神は見定めるように俺と、鬼鮫を頭から足までじいっと見つめる。見られている緊迫感が、ふ、と軽くなった。

「……一晩だけぞ……」

 そう告げて、その神は扉の向こうへすぅっと消えていった。

 思わず小さく息を吐く。神の怒り……とは、こんなにも強いものなのか。そしてその神ですら警戒する『災い』……。

 人間の身に戻り、小銭を賽銭箱へ投げ入れて手を合わせた。感謝の念を込めて。

 そして、木に待たれかかるようにして眠った。

 

 歩くたびに、……地震の痕跡が多くなっていく。最後のコンビニで日持ちしそうな食料と水を買い込み、――3日目。風景がどんどん異様になっていく。

 不自然な場所にある錆びた車に窓はない。

 瓦礫、の一言では言い表せない、かつて人の生活と共にあったであろう物の山は、乾いた土が時折吹く風にサラサラと砂を飛ばす。

 道はある。

 しかし建物は、コンクリートと思われるものも、中から鉄の棒を露出させながらもう形を保っていない。

 普通の住宅に至っては、進めば進むほど、跡形もなく……かつて家があったのであろう、という痕跡だけを残して、……何も残っていなかった。

 不自然に開けたその場所を、海に向かって歩く。

 ここにかつて町が、人の営みがあったなんて、とても信じられなかった。

 『攫われた』

 ……どこへ。

「……海、ですね。」

 いつもなら、右上を見上げる。でも俺はその光景から目が離せなかった。

「海は恵みをもたらし、……そして奪います。」

 カン、カン、と金属で石を叩く音がどこかから聞こえてきた。……誰かがいる。

 その音のする方へ行くと、何もないように見える場所を、懸命に金槌で叩いている人がいた。首にかけたタオルはボロボロで汚れている。近づいて見ると、瓦礫をどかそうとしているらしい。その少し大きな瓦礫にヒビを入れるためにカン、カン、と叩いていた。時折その瓦礫の下に手を入れながら。

 思わず近寄って、話しかけていた。

「その下に……何があるんですか」

 男性は手を止めて、俺たちを睨む。

「あんちゃん、よそもんだろ。……俺らは見世物じゃねえ……。」

「……あの、手伝わせて、頂けないでしょうか。」

 その人が顔を上げる。俺たち二人をジロリと見て、そして叩いていた瓦礫に視線を戻した。

「……したら、こいつをひっくり返すのを手伝ってくれ。」

 鬼鮫の力で簡単に瓦礫は退けられる。

 その下にあったのは、瓦礫に挟まる小さな布。赤色で、白い水玉模様。女の子の服だろうか。しかし、引っ張ると破れてしまう。また瓦礫を退ける作業が始まる。

「見つけたいものは、どんな物ですか。」

 男性は瓦礫を退けながら話す。

「かみさんは身重で上の子は2歳。外に出たのを誰も見てねえ。……ここに居たはずなんだ。骨すら見つかっちゃいねえ。でもここにまだいるかもしれねえ。何でもいいんだ。何かが見つかれば。骨拾ってやりてえけどよ。……あるかどうかは、わかんねえ。」

 鬼鮫が大きな瓦礫を動かす。でもその布はまだ取れそうにない。

 この瓦礫の、ここに家があった、ひとつひとつの瓦礫の跡に家があった。人の営みが、町があった。

 その数だけ攫われた人がいる……例え未来視でこの人に骨の場所を伝えられたとしても、家族を失った人全員にそれは、無理だ。

 海、圧倒的な力……全てを攫っていった。それは文字通り、全て……大切な人の痕跡すらも。

「……あまり……お役に立てず、すみません……。」

「……気持ちだけでもよ、……嬉しいもんだ。坊主、覚えとけ。でかい地震が来たらすぐに何が何でも高台に行け。チビも年寄りもほかってとにかく高台に行け。」

 それはつまり、自分の命を守ることだけを考えろ、ということなのか。子ども……お年寄り、人間の社会が大切に守っている弱いものを、全て捨ててでも。

 これが、……海の力。地震と共に来る、……津波。

 攫われたのは、土地だけじゃない……人の全てだ。

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