約束   作:江夏ケイ

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※東日本大地震の放射能汚染に関連する描写があります。抵抗がある方は読み飛ばしてください。

<読まない方向けあらすじ>
夜、二人は土地の神と仏像が土地の記憶を癒す場面に遭遇し、共に復興を祈る。
石の仏像から来たと思われる光を直接確認しようとそのふもとまで辿り着くが、そこは原発事故による放射能汚染という呪いが残る地域だった。
人の呼びかけに応じてトラックに乗せられた先で『除染』されるが、現地の人から訝しげな視線を浴びる。


呪われた地

 海が見える場所で月が上るのを見つめる。

「海が、……怖くなりましたか?」

 鬼鮫が生きてきた場所。守ってきた存在。目の前の海は静かに波の音を立てている。この海が、全てを攫う脅威に化けたなんて。

「海が……様々な、……ものをこの地域から奪った。……それは紛れもない事実だ。」

「海は与えるものであり、奪うものでもあります……私には、それだけしか言えませんね。」

「……海のカムイらしいな。森では炎が……与え、そして奪う存在だった。ただ、山火事が起きたとしてもその土地にはすぐに新しい生命が芽吹く。だが海は……塩を含む。それが雪崩れ込んだのなら、以前と同じようには、命は芽吹かないだろうな。」

「……森のカムイらしいですね。しかし……なるほど。植物をあまり見かけないのは塩の影響……。」

 波の音しか聞こえない、静かな夜。

 鬼鮫が新幹線の中で語った「注意を要する」理由は、痛いほどわかった。知らないままでいるよりも、知っておいて良かった。

 災害がもたらしたのがこれほどまでに大きな喪失だなんて、実際に見なければわからなかっただろう。知らないまま、わかったふりをしながら話を聞いたところで……その薄っぺらさは恐らく見抜かれる。

 弱いものを切り捨ててでも自分の身を守る、俺がそのときサスケと共にこの地にいたら、……そんな事が出来ただろうか。

 ……出来ない、でもそうしないと二人とも助からないのであれば……俺は一体どちらを選ぶ。

 オオォ…………

 波の音に妙な音が混じった。立ち上がり、辺りを見回す。しかし、何もない。誰もいない。……人ではない者か?

「鬼鮫」

「……ええ。」

 その場に荷物を置いて、カムイの身になった。その妙な音は、少しずつ大きくなっていく。

 一方向じゃない、あらゆる場所から啼き声のような低い響きが聞こえている。

「……何だと思う。」

「……巨大なひとつの、ではありませんね。無数に広く存在……、」

 背後から、巨大な何かが衝突したような衝撃に前方へ倒れ込む。こんな場所で、攻撃!? 振り返っても、そこには何もない。赤い瞳で見てもそれは変わらない。……敵意があり、姿を消せる異形……厄介だ。しかし、何故こんなにも何の気配も感じないんだ。

 異常な状況。まるでゼツの嘆きのような音が無数に広く存在し、敵意を持つ気配のないものがこの辺りのどこかにいる……と思ったら、異様な音が急激に大きくなる。

「何が起きている……?」

「イタチさん、これは……違います。異形ではない、存在ですらない……これは、……この土地の、記憶……。」

 土地の記憶……? ……そんなものが、……いや、そうか。本土にはあらゆる人ではないものがいる。この土地そのものが自我のある何かである可能性も、あるのか。

 啼き声のような音も、土地から出ている声、ということか。会話は……出来るのか?

 陸の方に目を向けると、ぼんやりと光る巨大な手があちら、こちら、から生えてきて地面を抱きしめるように包み込む。あの手の主は恐らく記憶ではない、何者かだ。

 包み込まれた土地から聞こえる音が小さくなっていく。しかし消えることはない。

「鬼鮫」

「あの手の根元ですね。」

 飛ぼうとした、しかし低くしか身体が浮かない。……命の炎が少ないからか……。

 しかし低くとも飛べている、走るよりは早い。

 その手の根元に向けて地面スレスレの低い位置を飛び辿り着いたそこにあったのは、新しく作られた小さな鳥居と祠。その地面は眩く光っている。

『……余所者は邪魔立てをするな……』

 光の主の声は森の中のように澄んだ神々しさを感じる。これは、……この土地の神なのか。

「イタチさん、向こうを。」

 鬼鮫が顔を上げて遠くを指で示す。何かが光っているのが見えた。その何かから、光るものが無数にこちらに向かって来ている。

「この方角……もしかして、『アレ』じゃないか。」

「『アレ』……確かに方角的には……だとしたらこちらに向かっているのは。」

 光るものの中が何かわからない。もしかしたらただの光で「中身」は存在しないのかもしれない。その光はまるで鱗粉を落としながら飛ぶ蝶のようにきらきらと何かを落としながらこちらに向かってくる。

 何を落として……あれは何だ……花……?

 その光は俺たちの上空を通り過ぎてきらきらと光る花びらが多い花を多量に落としながら更に飛んでいく。

 足元に落ちた花を拾おうとしたら、その花は地面に吸い込まれるように溶けていき、あちこちに光る地面が出来上がる。巨大な手は相変わらず地面を抱きしめるように動かない。

「……鬼鮫、声が。」

「……ほとんど消えましたね。この光る花……と、この神が……嘆く土地を……鎮めた……いや、……これは癒し……」

 ……理解が追いつかないが、……恐らくは……この土地は災害を忘れていない。しかしその土地の嘆きを癒す存在がいる。それはこの小さな社の主であり、そして1000年以上この地を見守り続けた仏像から放たれた何か。

 神も、仏も、この地を見捨てていない。むしろ癒やそうとしている……その根拠は、光る地面の、その光から感じる強い慈悲……。

「……戻りましょう、我々がここにいることで……邪魔になってしまってはいけない。」

「……そうだな。」

 

 この嘆きは、カムイだから聞こえたのだろうか。それとも人にも聞こえているのだろうか。

 この地は「攫われた」が、死んではいない。癒し護ろうとしている存在がいる。

 あの手は、あの小さな祠は……土地神のものだろうか。他の場所からもいくつも大きな手が、土地に向けて伸ばされている。

 ……きっといつか、この土地の記憶は新しく塗り替えられる。人々と神の手によって。

「……凄い光景、ですね……。神も仏も隣に置いている……とは聞きましたが、こんな形で見ることになるとは……。」

「あの光には遠く及ばないが……俺も祈ろう。いつかこの地がまた、人の営みを取り戻す日が来ることを。」

 手を合わせて目を閉じる。

 願いが叶うなら……あの男性の家族が見つかりますよう……。

 ザザ、という波の音が耳に入って目を開く。

 そこには光も何もない、元の光景が広がっていた。

 波の音以外何も聞こえない静寂は、先ほどまでの体験が夢か幻だったのではないかと思わせる。

 改めて、地図の印の位置を確認した。この福島の地から神を奪うなど、絶対に許してはいけない。

「海岸沿いに進み、仏像を直に見てから、印に向かいましょう。」

「そうだな、本当にあの光が仏像から出たものなのかを確認したい。もし仏という存在と会話ができるのなら、情報も得たい。今日はもう寝よう。」

「……簡単に眠れる気はしませんが、そうですね。」

 

 向かう、とは言え海岸線沿い。魚は取れても燻す草が生えていない。朝と夜の二回、鬼鮫に海で魚を獲って貰い、焼き魚にして食べることにした。水の量は限られているが、仏像まで着いたら恐らく補給できるだろう。

 同じ景色が続く中をひたすら歩いていると、鬼鮫のお喋りの引き出しもあまりなくなって来たらしい。鬼鮫が喋っていない状況に不慣れで静かに歩くその顔を時折見上げてしまう。

 鬼鮫はそんな俺に気がつくと、いつもの笑顔でまたお喋りを始める。ただ、そのお喋りは長くは続かない。

 一晩寝て、起きてまた歩き、その仏像が見えて来た。近づくにつれ周りの風景もずいぶん変わってくる。緑が見え始め、小さな山も確認できる。もうすぐだ。

 夕方になって、仏像のある山の麓まで来た。が、何だかよくわからない違和感を覚えた。……何だ、これは。

「すぐ暗くなるだろう、今日はここで寝て、明日仏像まで行こう。」

「そうですね、ただ私はあの光が仏像から放たれるところを確認したいので少し夜更かししようかと。」

「……では、俺もそうしよう。」

 海岸の近く、仏像がよく見える場所で休みながらその時を待つことにした。違和感は拭えないまま、何がおかしいのかまではわからない。鬼鮫が獲ってきた魚を焼いていると、近くに車が止まる音がする。……人間がこんな時間にこんな場所へ?

 足音は近づいて来て、お互いに見える位置まで来たところで、その人は大声を上げた。

「あんたら、そんな所で何やってんだ! まさか、魚獲って食ってるのか!?」

 道路の跡、だと思っていたが、もしかしたら誰かが持つ敷地の中に入ってしまったのだろうか。魚のことまで言及されているならその可能性が高そうだ。

「すみません、すぐ移動します。どこであれば野宿してもいいでしょうか?」

「この辺で野宿なんてとんでもねえ! とりあえずこっち来い!」

 この辺り一帯は立ち入ってはいけない場所だったのか。しかし単に立ち入り禁止にしては、男性の呼びかけはどうも色が違う。魚を焼く火を消した。

「とりあえず急いで向かったほうが良さそうだ。……鬼鮫?」

「まさか、こんな所まで? こんなにも……という事は……」

 ……鬼鮫は何か知っているようだが、その顔を見るにあまり良い話ではなさそうだ。

 鞄を背負って駆け足で車に向かう。軽トラックだった。そしてその男性は、雨でもないのに雨合羽を着て、口には丸い形のマスクをしている。俺たちにも同じマスクが渡された。

「なんだぁ? あんたらバックパッカーか? ったく避難区域くらい調べとけ! 荷台に乗れ、さっさと行くぞ!」

 避難区域、つまり危険な場所? のようには見えなかったが。

 トラックの荷台に乗ると、車は元来た道を戻って行く。運転席側にもたれかかるようにして二人で座り、右上を見上げる。

「鬼鮫、説明してくれ。」

「……地震と津波は原発という電気を作る施設を破壊し、電気を作る原料に含まれる有毒な呪いがその周辺に降りかかりました。人間はその呪いを放射能と呼んでいますが我々には呪い、としか表現できません。その呪いが強く残る地域は避難区域として、人が立ち入らないよう封鎖されています。……この辺りにも、呪いが強く残っているという事でしょう。」

 あの違和感の正体は……この呪いか。単に立ち入れないだけではない、悪影響を及ぼす呪いが存在する土地……しかし。

「原発、呪い……どこかで聞いた事が……まさか80年前の原爆と、何か関係があるのか。」

「……そうですね。原子力、というのは大きな力を持ちます。原発で使われている燃料は原爆と同じです。今の時代はそれは電気を作るために利用しています。」

「……爆弾の燃料を電気を作る仕組みの中に取り入れたのか。危険なように思えるが、そうしてでも電気が必要とされている。合っているか。」

「おおよそその理解で合っています。……しかし、原発は津波で壊れたことにより呪いを撒き散らすものにその姿を変えました。地震、津波、そして原発から出た呪い……あの大災害は、この3つを内包しているのです。」

「……確かに電気は便利だが、……それによって3つ目の災害……人の手による叡智が自然の力によって呪いへ……80年前の時はどうしたんだ。呪いはどのように退ける。」

「爆弾の時は成す術もありませんでしたが、今回は『除染』という、呪いを薄める作業をしています。それによって少しずつ立ち入り可能な場所を拡げている。……しかし仏像も避難区域内のようです。」

「魚を食ってるのか、と言われたのは、その呪いは海にも影響している、ということか。」

「そうなります……ただ、爆弾と違ってどの程度呪いが海に影響するのかは、海のカムイ……この辺りでは神、ですね。海の神も注意深く見ている、という感じです。」

 物理的破壊だけでなく、見えない呪いまで。何故この地はこんなにも困難ばかり……あまりにも、理不尽だ。

 人間の社会は弱者にやさしい、そしてさまざまな叡智の結晶が存在していて人の営みを支えている。……そのひとつであった原発が牙を剥く存在になった……それも、今もなお呪いは消えないまま残っている。

 自然は神と仏の加護によっていずれ息を吹き返すだろう。壊れた家もいずれ新しく建てられる。しかしこの呪いは、人の手で『除染』しなければ、呪われた土地のままでは人が生活を営むことは出来ない。ただ、きっとその作業は……そこに住んでいた人々が、生活を取り戻すために災害が起きてから今までずっと続けてきているはずだ。

 

 車が止まり、その男性は雨合羽やいろんなものを脱いで袋に詰め込み、少し歩いて別の車に乗り込んだ。俺たちもマスクを捨ててその後について行き、その車の荷台にまた上る。そして連れて行かれた先は屋外の簡易シャワーだった。服を脱げば全てゴミ袋に入れられ、念入りにシャワーで全身を洗い流すよう簡易シャワー室に入れられる。

 服と鞄を持ち去られてしまった……それらにも呪いがついているから、『除染』するのだろうか。

 ここの住民から見たら俺たちは呪いを運んできた余所者の怪しい人間。……身の振り方には気をつけたほうが良さそうだ。

 十数分シャワーを浴びて、水が止まったかと思えば何か機械で全身を測られた。

「……よし、服はとりあえずこれ着とけ。」

 渡された服とタオルを受け取る。

「元着ていたものと鞄は……?」

「後で返す。旅はいいが下調べくらいしとけよ……。」

 雨合羽を脱いだその人は、呆れた顔をしながら俺たちをジロリと見た。

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