そこで神と仏の違いを知り、仏からの啓示を受け、除染作業に加わった。
「しっかし変な組み合わせだなぁ。親子には見えんが何でまたこんな所に来ようと思ったんだ。」
タオルで水分を拭き取り、渡された服を着ながらどう答えるべきか思案していたら、鬼鮫が口を開いた。
「私たちは北海道のアイヌの出身で、信仰や伝承に高い関心を持っています。」
男性が眉をひそめた。
「アイヌってーと、コロポックルとかのやつか。」
「コロポックルは代表的なカムイのひとつですね。伝承はその地域に必要だからこそ残されています。様々な地域の伝承を、失われるようなことがないよう聞き取り、記録に残す旅をしておりまして……。」
「それであそこの観音様見に来たってことか……残念だけどよ、あの一帯はまだ除染終わってねえんだ。」
男性が複雑そうな顔色に変わる。
あの場所は、海の近くはまだ津波の被害の痕跡が生々しく残っていた。呪いのために立ち入る事も出来ないのであれば、あの男性のように大切なものを探しに行く事も出来ないだろう。
「では、あなたは何故避難区域に車を?」
「……火事場泥棒ってのがいるんだよ、不定期に車出して見回りしてねえと、どこぞから馬鹿が湧いて出る。したら煙が上がってるのが見えて、行ってみたらアホが二人いたって訳だ。」
「アホ……」
「……すみません、無知で。」
「汚染……って言葉はあんまり使いたくねえが、旅するんなら安全な場所かどうか下調べはしっかりしとけ。スマホでいくらでも調べられるんだからよ。」
人間なら誰しも持っているスマホを持っていない、と言うと怪しまれるだろうか。しかし、スマホを持たない理由……どう言い訳をする。と考えていたら、鬼鮫が口を開いた。
「すみませんが私たち、スマホを持っていません。昔の人がしたように自分の足で見て聞いて回りたいんです。その結果ご迷惑をおかけしてしまったことは、申し訳ありません。」
頭を下げる鬼鮫に、男性はまた呆れた顔をした。
「やっぱり変わった奴らだなぁ……。まあ、今夜はここに泊まってけ。荷物と服取っ払って放り出すほど鬼じゃねえから。布団とかはねえけど旅してるなら屋根があるだけマシだろ。」
ここ……小さいが四角い建物が男性の後ろに見える。何かの施設なんだろう。
「朝の七時には人集まって来るけど、お前らの服は明日の午後でないと多分乾かねえから、それまでの間その気があるなら俺たちの手伝いをしてくれ。」
人が集まる、手伝い。この場所でする作業と言ったら恐らく『除染』だろう。鬼鮫を見上げると、頷いた。
「少しでも助力になれば幸いです。是非携わらせて下さい。」
この地を復興させたい人々、この地に根差して生活してきた人が集まっているはずだ。懐に飛び込むならその作業を手伝いながら伝承や信仰を集めていると言って周る。何かを知っている誰かが世間話ついでに口にするかもしれない。
という下心はもちろんあるが、人間がどのように呪いを除去しているのか興味があった。そして俺はまだ、その呪いがどのように悪影響を及ぼしているのかを知らない。
それはカムイの身でも影響を受けるのだろうか。
案内されたその施設の、畳敷きの部屋に案内された。カバンの中身だけがその部屋の隅に置かれている。
これは呪いが付いていない、という事なんだろう。シャワーの後で当てられた機械、あれは恐らく呪いが残っているかどうか知る事が出来るもの。
男性が施設から出て行き、入り口に鍵がかけられた。
車が遠ざかっていく音を確認する。
「鬼鮫」
「ええ、行きましょう。」
カムイの姿に変えて屋根の上に出る。あの光が発生した時間は……月がもう少し上がった頃だった。
「向かうぞ」
山の上の石仏のことを、男性は観音様と呼んでいた。恐らく仏のうちの一柱の名称。……そういえば青森の寺……だった場所も確か観音様、を祀っていた。仏教の信仰者にとっては慣れ親しんだ仏なんだろう。
近くに行くにつれ、小さな人のような姿の光るものが無数に見えてくる。石仏を守護する存在だろうか。
近づくにつれ、その姿がはっきりと見え、その推測が間違っている事を知った。
その小さなひとつひとつが神……いや、仏だった。
その光は、攫われた地に落ちた花と同じ慈悲と慈愛に満ちたもので、ここが単に1000年以上存在するだけではない、重要な聖地である事は容易に想像できた。
それらの手前で止まり、その内の一体に話しかけてみる。
「俺たちは北の果てから来た神の一族の一端です。こちらにおられる大仏の近くに行かせて頂く事は可能でしょうか。」
「…………」
……返事がない。拒否されたのだろうか。それとも好きにしろという事だろうか。あるいは仏という存在とは言葉を交わす事は出来ないのだろうか。
いや、それは考えにくい。多くの信徒がこの聖地を訪れているはずだ。その祈りの声も届いているはず。
「拒まれている風ではないので、見に行ってみますか。」
「……そうだな。この目で見てみたい。」
参拝者向けの道を見つけ、しばらく進むとその石仏は静かに並んでいた。やはり同じように光を放っているが、その姿は1000年の年月を感じさせる……この光がなければそれが仏の姿を彫ったものだとは気付かなかったかもしれない。風雨で柔らかな輪郭となったそれらは、小さな仏を周囲に纏わせながら、ただ静かに佇んでいる。
「阿弥陀堂石窟、と……観音堂石窟、薬師堂石窟……の3種……ですが、石仏の数はもっとたくさんあるようですね。」
説明書きを読んでいた鬼鮫が、右の石仏に目を向ける。
「仏の名前と加護が書かれています。薬師如来……4体の薬師如来の石仏がここにあるそうです。薬の名の如く、病気や苦しみを退ける仏……がまずひとつ。」
「同じ仏を4体も彫ったのか。……1000年前はそれだけ病が深刻だったのだろうか。」
「そうでしょうね。次に……大きいものがあの男性が言っていた観音様……あらゆる人を救うという、仏教を信仰する人々にとって馴染み深い仏のようです。何でも救うとは……何とも懐が大きい存在ですね……。」
神については何となくだが想像がつく。しかし仏教……宗教は少し色が違うようだ。自然に存在する神は恵みでもあり畏れでもある。対して仏教の神である仏は……人のために存在するかのような……救いの手だけを差し出す……そんな者のようだ。
そのような仏があの攫われた地の姿を目にしたら、救おうと思うだろう。仏という存在が思考するのかどうかまだわからないが、人々を救うために存在する者ならば手を出さずにはいられないはずだ。
例え今、手を合わせに来る者が居ないとしても、1000年にわたり蓄積された祈りはきっと。
「最後、ほとんど形が残っていないようですが、阿弥陀如来。……この仏はどんな罪を負っていても無条件で救う……かなり強力な仏のようです。」
救う……また救い。そのために存在する信仰の対象……それが事実であれば、仏教は救いの宗教、という事になる。
仏は人のような姿形をしていて、人々を救う……自然の摂理とは明らかに異なる次元に存在している。まるで人のためだけに存在しているような……妙な話だ。
ともかく神とは概念が全く異なる……これが、仏か。
「……もうすぐ時間だ、少し離れて待とう。」
石仏の光が少しずつ強くなっていく。その周囲に小さな仏が集まり、あの花がそこかしこに現れ始める。石仏から立ち上がるようにゆっくりと姿を現した仏達は穏やかに薄目を開いて「その地」に向き直り、その瞬間目を開けていられない輝きを放って俺は思わず腕で目を覆った。
眩しい、けど、なんて……温かい……光なんだろう……。
『……深淵を覗く者達……我等は見守るのみ……人を助けよ……さすれば救いの道が……開かれる……』
光の中で、男性とも女性ともつかない言葉が降りてくる。聞こえるでもない、浮かぶでもなく、響くでもなく、「降りてくる」という表現しか見当たらない。
これは間違いなくこの石仏の内のいずれか、もしくは総意だ……!
深淵を覗く者達……とは、どういう意味なんだ。俺を止めたあの声と仏は関係があるのか? しかし声色は全く違う……。
目を閉じて光が収まるのを待つこと数分、温かい空気が薄くなってそっと目を開ける。徐々に光が弱くなっていくが、石仏から立ち上がった仏達は遠くを見ているようだった。黄金に輝く身体や衣服、特徴的な頭部と耳の形、背負っているのは後光……だろうか。人の姿だがよく見ると特徴的だ。その足元をよく見たら、あの光る花の、10倍以上大きなものだった。その花の上に載っている……?
人為的な存在がである仏が、こんなにも大きな力……影響を与える存在だなんて。それは『信仰』という意味が180度変わりそうなほど特殊な体験だった。
しばらくして、仏達は座り直して石仏の中に吸い込まれるようにその姿を消した。
「深淵を……覗く者達、鬼鮫も俺のようになった事があるのか。」
「いえ、……恐らく深淵に落ちる覚悟を持つ者……として語られたのでしょう。」
「……そうか。人を、助けなければならないな。」
「もうその予定ですがね。」
頭がぼんやりとしている。夢か何かだったのではないかと思えるほど、強く温かい光だった。
仏が神とは別だと語られた理由も理解出来た。人の姿形で人のために存在し、全てを許し救う存在。それが仏……。
「来てよかったですね。あの石仏は、白服が狙う対象でない事がはっきりと分かりました。仏教に関わるものは恐らく対象外です。」
「確かに、仏教には目をつけないだろう。……神か、怪異……その土地で人伝に聞くより他はないな。」
あの施設に戻って、身体を休ませる。畳、というのは……草の香りがして心地良い。明日は早く起きなければ。……どこかで食事を取らないと……。
早く、とはいえ時計があるわけではない。外での野宿は太陽が昇ったら起きる、という風だったが窓が西側の部屋ではその感覚が狂ったらしく、肩をつつかれて目が覚めたらあの男性が目の前にいた。
「すみません、寝過ぎてしまったようです。鬼鮫。」
鬼鮫も起き上がって男性の姿を認めると、畳に手をついて頭を下げた。
「ありがとうございました、居心地が良くつい眠り過ぎました。」
男性は俺たちの様子を見てから立ち上がった。
「手伝いに来るんだろ、その前に朝飯食わんとな。一人コンビニまで乗せてやるから、着いてこい、」
一人だけ……ここは明日以降の水と食料も踏まえて、鬼鮫に行かせた方が良さそうだ。
「鬼鮫、頼む。」
「分かりました、よろしくお願いします。」
「残ってる兄ちゃんは昨日洗濯した服を干しときな。洗濯機は入り口出て左。」
「ありがとうございます。
連れ立って出ていく二人を追いかけながら、鬼鮫の家にあった服をかけるものと同じ物がある部屋を見つけた。入り口を出ると左側には確かに洗濯機がある。中に入っている服を持って、鞄が干してある部屋に入り、三角形の針金に服を通していく。
ズボンはどう干すべきなんだろうか、と試行錯誤の上でどうにか干すと、車の音が近づいてきた。鬼鮫達だろうか。
入り口から顔を覗かせると、軽トラックから降りてきた鬼鮫が片手を上げた。……ずいぶん買ったようだ。
「こちらが朝食です。体力を使うようなので気持ち多めに。こちらは水で、これは保存食。あと夕食のおにぎりです。」
運転席から降りてきた男性に頭を下げた。
「ありがとうございます、助かります。」
「その分働いて貰うからしっかり食っとけよ。」
よく見たら、荷台に青いビニールのシートが被せられた何かが載っていた。『除染』で使うのだろうか。
「イタチさん、早く食べていつでも動けるようにしておきましょう。」
「そうだな、頂こう。」
続々と集まってきた人々は、あの男性がトラックから何かを取り出して配られたものを手に各々の場所で身につけている。俺たちも同様に受け取った。それは昨日の夜の男性と同じ……雨合羽と丸いマスクに加え、白服のとは少し違うゴーグル、そして薄い手袋。そして追加で長靴が渡された。
他の人を真似ながらそれらを身につける。メガネとマスクで誰が誰だかわからないが、鬼鮫だけは体格でわかった。
「今日は助っ人がいる。旅してこの辺りまで来たらしい。アホだが悪い奴らじゃねえ。よろしく頼む。」
男性の声掛けに、その場にいる人たちに向けて頭を下げた。
いくつもの軽トラックが走り出す。その荷台にはどれも何らかの物が積載されていた。その車のうちのひとつに乗せて貰い周りの景色を見ていたら、丸く中身が詰まった袋が山のように積み上げられている場所の近くで下ろされた。
何があの中に入ってるんだ?
答えを聞く間もなく連れられていく。地面に張られたテープの先は、またあの違和感を感じた。……この違和感は、……呪いだ。
「兄ちゃんは簡単な作業頼む、この道の脇の地面をこれで湿らせてから5センチくらい表面えぐる作業。えぐった後の土とか草は全部この袋に入れて満タンになったら封をする」
渡されたのは、あの山になっていた袋と同じ物だった。あの袋の山は全て、この土地の表面の土……。
渡されたスコップで作業を始める。鬼鮫はどうやらその満タンになった袋を山まで運んでいるらしい。視界が狭くてよく見えないが、皆地面の表面を抉り取ったり、何か機械を使って水で建物を洗い流している人もいる。
文字通り「取り除いている」。
あの袋の山は、全てがかつてはこの地域の土地だった。5センチだけ表面を取り除くこの作業は人の手でなければ出来ない。この地に再び住む事ができるようにするために土地を削って袋に詰めて……ここの人々はそれを繰り返している。呪いを取り除き、安心して住める環境に戻すために毎日……この大きな袋に詰められた呪いが、山のように多く積まれるまでずっと。