そこで見つけたのは、穢れを多量に吸収した古き神だった。
「昼休憩の時間。そのままで良いから戻るよ。」
雨合羽とゴーグル、マスクでよくわからなかったがその人は女性らしかった。手を止めてその人についていき、恐らく全身の呪いを落とすために雨合羽の表面の土や埃を粘着テープで取った後、指示された通りに外側が内側になるように慎重に手袋を外し、そして雨合羽も同様に脱いでいく。
フードを外した瞬間中にこもっていた熱気が4月末の空気に開放されて、最後にマスクを外すとこんなにも呼吸が楽だとは、と感じた。自身が汚染されないように身につけるこれらは、身体を守る分中は密閉されている。今はまだいい。夏場はどれだけ過酷なんだろうか。
脱いだ状態で、シャワーの時に見たあの機械で全身を確認されてから、長靴から簡易なサンダルに履き替える。
それからまた軽トラックに乗せてもらい、軽く自己紹介をして旅の目的を話した。あの施設の中に戻って来ると、そこには女性達が弁当を用意して待っている。……頂いてもいいんだろうか。
「にいちゃん、ひとりひとつあるから持ってけ。割り箸もな。大盛が良ければ奥のを取りな。」
肩に手を置かれて弁当を指で指し示すその人は、日焼けした肌に皺が刻まれた少し年長の方だった。
「ありがとうございます。」
弁当を受け取り、液体が入った丸くて深い容器も渡された。蓋をしてあるが、綱手さんのあら汁と同じような匂いがする。割り箸を取って、すでに部屋の真ん中に座っていた鬼鮫の左側に座った。
「何故こんなに目立つところにいる。」
「目立つため、ですよ。端にいるよりもここの方が話しかけやすいでしょう? ほら。」
人が周りに集まって来て、円になるように座り始めた。
「アイヌってあの北海道の?」
「はい、俺は森の中で育ち、彼は海辺で育ちました。」
「まだいるのねぇ! へえ〜! 信仰の旅してるって?」
「はい。アイヌは文字がないので言葉で伝承を語り継ぎます。でも、もう伝える相手がいなくなり、伝承が途切れてしまうかもしれない。という危機感を、俺も彼も持っていて。」
「それで今、私たちは各地の伝承を書き留める旅をしています。北海道だけでなく、本土の伝承と信仰も集めよう、と。私たちにとっては伝承と信仰は同じものとして見えるので。」
隣に腰を下ろした壮年男性が興味深そうにこちらを覗き込む。
「変わってるのは見た目だけじゃないんだなぁ。ただ信仰つっても、仏教は多分あんた達の想像してるもんと違うと思うぞ。伝承と同じような信仰っていうと土着信仰とかの方だろ?」
「そのようですね。ただその中でも聖地と呼ばれる場所は一度行ってみたかったんですが……。」
「まあねぇ……今はこんなだけどさ、あんたらが日本一周してまた福島寄るときまでにはしゃんときれいにしとくから、次来る時の楽しみにしておいてちょうだい!」
「そうですね、楽しみはとっておきます。大仏以外にも、何か信仰や伝承があると聞いたのですが、この辺りにはそういったものはありますか?」
「ん〜、このあたりはともかく大悲山だからなぁ。有名どころは色々あるが、機織りの神さんだろ、鳥小屋行事、骸骨を操る姫……他にあったか? まあ、どれも消えるかもしれない伝承、とはちょっと違うな。しっかり残ってるからさ。」
「海に出てた頃は海の妖怪とか、誰もが知ってる怪談みたいなのはあったけど、そんなのでも良ければ話そうか?」
「ぜひ聴いてみたいですね、午後の作業が終わりましたら、お願いします。」
割り箸を割って、手を合わせる。
「頂きます。」
今の話に上がったものは、恐らく対象ではない。港は機能しておらず、しっかりと残っているという怪異は恐らく既に畏れの対象ではない。つまり、在り方が変わっている。
「昔っからあるもんとは違うけど、あそこも行ってみたらどうだ。震災後に新しく作られた小さい神社があってな。昔からの、でなく最近作られた神様ってのもなかなか新鮮だろ?」
神を……作った?
鬼鮫が身を乗り出した。
「興味深いですね、どういった経緯でその神社が作られたんですか?」
「鬼鮫、温かいうちに食べろ。……後でまた聞かせて頂けますか。」
「ああ、午後の作業が終わったらな。」
教わったその場所は地図の印と概ね一致していた。可能性は高い。もう一晩施設で寝泊まりさせてもらい、挨拶をしてから出発した。
「ナントカ大学の助教授が鎮魂のための神社作るって言ってよ、新しく作られたんだ。去年だったかな。よくわからねえが、犠牲者を弔うためのもんらしい。」
ナントカ大学が何なのかは別の人から聞けた。有名な大学らしい。しかし去年というタイミングが引っかかる。作るならばもっと早い段階ではないだろうか。それとも単に準備に時間を要したのだろうか。印の場所とも一致する。何より、犠牲者を弔うため、であれば神社よりも仏教の寺の方が適任だ。すでにこの地域には多くの寺がある。わざわざ新しい神社を作る動機が怪しい。……一体どんな神を祀っているのだろうか。
「……嫌な感じがしますねぇ、どーも……。」
鬼鮫の言葉に同意した。3日歩けば辿り着きそうだが。嫌な予感に前に出す足が早くなる。
大きな道に出てからは道沿いに歩いた。その神社は川のほとりにあるらしい。川沿いを通る道まで行けたらあとは遡るだけだ。
地図に従って歩き続けて2日、川まで辿り着いた。印の場所と現在地を確認する。近い。
しかし近づくにつれ、異様な感覚を覚えた。呪いと似ているが違う。もっと複雑なものが絡み合っているような。その感覚は徐々に強くなっていく。
「あれ、ですかね。」
鬼鮫が指で指し示す先に、神社と言うには小さい鳥居が見えた。古くからある、ものではない。新しく作られたもののようだ。……あそこか。
鳥居の手前で一礼する。その小さな敷地の中には花が並ぶ一角、紐に折り込んだ紙が結ばれている一角がある。不思議と異様な感覚はこの敷地内ではあまり感じなかった。
ただ、置かれている花は全て枯れている。
単にしばらく人が訪れていないのか、それとも……。
中にある社の前に立ち止まり、一応は礼に沿って手を叩き、頭を下げた。その神に語りかけるが、返事はない。しかしその奥には、ふたつの気配があった。
「……ひとつの社に二柱の神が居る、というのはあることなのか。」
「私の知る限りでは、見たことがないですね。」
夕暮れの光は黒い雲に覆われている。しかし雨が降る肌感はない。……今日は晴れていたはずだ。いつの間にこんなにも厚い雲が……?
「……今はまだ目立つ、夜まで待とう。」
礼には反するが、この社の中がどうなっているのか確認しなければならない。それに、これが白服の狙いだとしたら奪われないよう見張る必要がある。
「イタチさん、この社……去年建てたばかりにしては……ここ、黒ずんでいます。カビ……のようです。」
「川に近いから……にしてもこんなに黒くなるものなのか。湿気が多い訳でもない。……それとこの黒さ、ただのカビではないな。」
赤い瞳で見るそれは、黒い瘴気のようなものがゆらりと揺れている。……邪悪なものを感じる。
「この神社の説明書きがあります。川を通じて流れてくる負の念を堰き止める、と。」
「堰き止める……?」
「その負の念を浄化する、とあります。死者の無念も同様に。」
川……さまざまなものを受け止めて海まで流すもの。その中の負の念を浄化、一見理に適っている。しかしこの様子、とても浄化出来ているとは思えない。
「負の念を堰き止め、人々の無念をも溜め込んでいる……?」
「祀られている神の名は『苦抜大神』とあります。字面だけ見るといかにも、ですが。イタチさんの目には逆のものが映っているようですね。」
目を戻して、周辺を見ると家がある。
「陽が落ちるまで、少し聞き込みをしてみるか。」
聞き集めた情報を整理する。
有名な大学の助教授で、神学を教えているという外国人が鎮魂の神社を造らないかと持ちかけてきたのが去年の冬。周辺の集落で話し合いが行われ、大学の名前と神学を教えている、という点で信頼し、神社を建てる事になった。
完成してからしばらく人が絶えることがなかったが、神社特有の神聖さを感じない違和感に地元の人は立ち入るのをやめた。
改めて名刺の人物に連絡を取ろうと電話をしたが繋がらない。大学に問い合わせたらそんな人物は在籍していないと言われた。
しかし、神社として一度作ってしまったものを壊すのは祟りが起きそうで手が出せないでいる。
あそこに祀られているのは一体何なのか、地元の人もよく知らない。
「限りなく黒に近いグレー、ってところですね。」
「……そうだな。」
川縁に荷物をまとめて置いて、カムイの姿になる。軽いはずの身体が重い。あの神社からよくない気配が漏れ出ているのがわかる。
鳥居を潜って改めてその敷地に入ると一層身体が重くなる。周囲の気配を探り、その社の中にいるであろう者に話しかけた。
「あなたは穢れを祓う神で合っていますか。」
いくつもの声が重なって響く。
『……キ……モ……』
これは、……神ではない!
「お前は何者だ」
『……よこ、せ……』
話が通じない……物怪……鬼の類か。
「……神でないなら遠慮は無用。」
鬼鮫はその社の簡易な鍵を開けてその扉を開け放った。
その中心には黒い石が置かれている。しかしこの石が声の主という訳ではなさそうだ。むしろこの石は、物怪を封じ込めている……ようである。
ふたつ気配を感じたのは、この物怪と石、だったのか。
……しかし、妙だ。物怪からは害意を感じるが、兵器化する程のものではない。
この禍々しさ……絡繰があるのは、石の方か。
「石には……神の気配がありますね。物怪の方に気を取られていましたが、石の方が本体でしょう。」
黒い石に赤い眼を向ける。石から漏れ出ている邪悪な気配。……これはもう神とは呼べない。ウェンカムイ化……に近い。
「この石が苦抜大神の御神体か。まだ言葉は交わせるか。」
もしこのままウェンカムイになったら、この地は穢れで溢れてしまう。……白服はその前に回収するつもりだったのだろう。
『……若き…………どう、か…………封印…………』
しわがれた声が小さく頭に響く。……まだ神としての意識は残っている。
「どのようにしたらいい。俺達は封印に疎い。早く貴方を楽にして差し上げたい。」
『……札…………社の、中…………直接…………』
ふたりで社の扉の中に頭を突っ込む。確かに札が何枚も貼られている。これを石に直接着けろということか。
「俺がやる。」
社の中に上半身を入れて内側の札を慎重に剥がしていく。元々貼り直す前提だったのか、簡単に剥がすことができた。その剥がした札を、鬼鮫が石を包むように貼り付けていく。
しかしこのまま封印しては、この石の神との意思疎通も難しくなるのでは。
いや、ウェンカムイになるよりはいい。
社の中に貼ってあった札は全て石に貼り直した。改めてまた赤い眼で見ると、それはただの黒い石になっていた。……そう見えるだけ、の可能性は捨てきれない。
「推測ですが……あの物怪を封印していた石を、物怪ごとここに移したのでしょう。そして――」
「……まさか、この地に起きた災いを利用してウェンカムイを作ろうとしたのか。」
これは……この地を利用した、実験。
——あの惨状を。
体温が上がるのがわかる。
……抑えろ。俺達は間に合った。
しかし……。
「……これを一体どうすれば良いんだ……。」
「何かしらの方法で浄化する必要がありますが……。」
アイヌの浄化の儀式は村人が行なっていたのを見たことがあるが、こんなにも強い呪い……とても祓えるとは思えない。
「……白服に奪われてはいけないことだけは確かだ。ここから持ち去ろう。」
「持ち去るとしてもすぐに手放すべきです。すぐに誰もいない海の方へ行き石ごと破壊しましょう。」
「それではこの呪いが物怪と共に解き放たれてしまう。」
「では、どうするんです。」
ただの石、になった、札が多重に巻きつけられたそれを手に取る。
「本土の神のことは、同じく本土の神に頼るべきだ。この呪いよりも強い力を持つ神に浄化して貰う。」
「正気ですか? その神社までそれを持ち歩くという意味ですか? 強い力の神……ここから一番近いのは明治神宮ならば……ですが距離があります。」
「新たな負の念を吸収しなければ、この状態なら安全だ。」
鬼鮫が地面に顔を向けてため息をついた。
「イタチさん……我々とて負の念を抱きながら旅をしている。それは賛成出来ません。最悪の事態、人が密集する日本の首都の真ん中でこの石の封印が解けたらどうなるか想像出来ません。この石は破壊するべきです。」
鬼鮫と意見が食い違う――初めてかもしれない。
鬼鮫の言うことも理解出来る。しかし石を破壊するのもまた、どうなるのか想像出来ない。安全に運ぶことが出来れば……。
「ともかく今夜はこの石はここから持ち去る。その後どうするかは人間の姿に戻ってから考えよう。」
「……それには賛成です。早くこの場を立ち去りましょう。」