約束   作:江夏ケイ

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重い荷物

約束25:重い荷物

 神社から立ち去りカムイの姿のまま荷物を置いている川縁に移動した。拳ほどの大きさの黒い石……札が貼られていてその色はもう見えないが、移動している最中に何かが起きたわけではない。

 白服がこれを回収するつもりでいたのであればある程度の日数は少なくとも封印が解かれることはないだろう。

「海で破壊するべきです。海の浄化作用を使えば。」

「浄化作用とは何だ。」

「海の生物が少しずつその呪いを引き受けて分散させるんです。これで危険は薄くなります。」

「……その生き物を別の海の生き物が食べるのだろう。大きなものほどたくさん食べる。その中に蓄積される。アッコロカムイのような大きな者ほど呪いの影響を受けるぞ。そうなった時にどうするつもりだ。」

「しかしこの巨大な呪いはそうでもしないと浄化など出来ません。……海の者がこれが原因でウェンカムイ化したら、その時は秩序を守る者が制します。」

「それではウェンカムイ化した者には何の咎もない!

 賛成出来ない。それにこの中に渦巻く苦しみや痛みや助けを求める声を捨て置くことはできない。」

「ならばどうするのです。私たち自身も白服への恨みという負の感情を持っています。これがその影響を受けてさらに呪いが強まればこの札では制御出来なくなる可能性もあります。」

「……救いの手が必要だ、この呪いにも、この石に宿る神にも。……仏なら可能かもしれない。あの石仏であれば。」

「もうあの地には行けません。あの近辺の住民に顔を覚えられています。それに放射能の呪いもある。」

「ならば別の仏教の聖地を探す。」

「仏がいつでも助けてくれるとは思えません。何せ私たちは仏教を信仰していません。」

 鬼鮫はこれを持ち歩くなど言語道断とでも言いたげだ、海の秩序を守る立場だった鬼鮫にとって脅威は早々に処理するべきもの、ということなんだろう。

 ……最初に泊まらせて貰った土地神が俺たちを警戒したのは、もしかしてこの石のせいなのだろうか。部外者が持ち込んだ、災いを封じる石……。

 だとしたら、これを持って移動する限りもう土地神のような存在に頼ることはできなくなる、どころか排除の対象となる可能性も高い。

 ……しかし、だからと言って鬼鮫の案は選べない。破壊して海にこれを解き放つなど。

「イタチさん、その石は爆弾と同じです。いつ封印が解かれるか。しっかりと考えて頂きたい。それを持ち運ぶという事が何を意味するのかを。」

 言われなくとも考えている……!

 この石の神を救いたい、人々の無念も浄化したい。この赤い眼にも穢れを落とす力が多少だがある。ただそんなものでは何年かかってもこの巨大な呪いは癒せない。

 やはり強い力を持つ神に委ねるべきだ。

 ……しかしそれは爆弾を持ち歩くのと同義……俺たちだけでなく、周囲の人々の負の念をも吸収し、封印が解けてしまう可能性も……十分にある。

 ……そういえば。

 この石は元々どこにあったのだろうか。

 物怪を封じるための物……キモ……よこせ。この物怪だけでも元の場所に戻せないだろうか。このふたつのキーワードで特定できるのであれば。

 この札も恐らくはその物怪由来のものだろう。

 札をたくさん貼れば貼るほど結界が強力になるのだとすれば、道が開けるかもしれない。

「……この石に封じられている物怪は邪魔だ。まずはこれを然るべき場所に戻す。肝を求める……あの声は、老婆。このヒントがあれば知っている人はいるだろう。」

 すぐにでも石を破壊するべきだと言っていた鬼鮫も黙った。

「……確かに、そいつを引き剥がす事ができれば多少は呪いが減る可能性はありますね。――ただし。」

 右上を見上げる。そこにあるのは険しい顔つき。

「一週間以内にどうにかできなければ、破壊します。この条件であればその案、呑みましょう。」

 一週間の猶予。徒歩移動では早期に情報を得なければ間に合わない。

「俺ひとりで行く。鬼鮫はあの神社を見張ってくれ。白服……またはその仲間が石を回収しに来るはずだ。……見つけたら……処分は任せる。」

 殺したいところだが、まだ俺たちはウェンカムイになるわけにはいかない。この地でウェンカムイになってしまえば、……除染や復興をする人々の害となる。

 それは鬼鮫も理解しているだろう。

「……引き受けました。くれぐれも期限は守ってください。夜が明けたらカウントを始めます。」

 

 頼るならまず寺だ、もしかしたら仏が浄化に協力してくれるかもしれない。一番近くにある観音像を祀っている寺に石を持って入る。

「この石の中にいる無念を救ってはくれないでしょうか。石仏より人を救えと言われました。この中にいるのもこの世の者ではないが救いを求める人々です。」

 しかし何の反応も返ってこない。

 仏という存在はやはり会話をしないのか、あるいは無視されているのか。待ってみるがやはり反応らしき反応はなかった。

 土地神……の所へ行くのはやめた方がいい。災いを運んできたと思われてしまう。

 しかし近くに人ならざる者の気配もない。……この石のせいで近づいてこないのかもしれない。

 仏も神も物怪も頼れないのであれば、残るは……人間だ。

 川縁に戻って人間の姿に戻る。東の空が明るい。カウントダウンが始まる。

「鬼鮫、地図を借りる。」

 人間の情報網の中に肝を求める老婆の情報がないか、手を借りて探して貰う。使える手段は何でも使わなければ……俺一人ではどうにもならない。

 昨日話を聞いて回ったこの近所の人々を訪れて、御神体の真実を話す。であれば関心は持ってくれるはずだ。

 時間を見計らって町内会長と書かれた木の札がぶら下がる家の呼び鈴を鳴らす。しばらくして、昨日の男性が玄関を開けた。

「こんな時間に……」

「至急の要件で伺いました。例の神社の件です。」

 神社、という言葉に男性の顔つきが変わる。

「上がってくれ。」

 

 畳敷の部屋に通される。机を挟んで男性と向かい合って座る形となった。

「遅ればせながら、自己紹介を。俺はアイヌのシャーマンの系譜の者で、カムイ……神や人でない者の声を聞く事ができます。」

「アイヌ……北海道から来たのか。それで?」

「あの神社に神は居ませんでした。厳密には、居ましたが、神としての役割は果たせない状態です。」

「……居なかった、だって? 詳しく話してくれ。」

「あの御神体……石は、元々肝を求める老婆を封印する為の存在でした。その石を老婆ごとあの新しい社に移したのが例の身元不明の外国人です。」

「……動機が見えないな……。」

 男性は腕を組んで胡座を描く。

「あの石は邪念を封印する力はありましたが、それを浄化する力は持っていませんでした。そのため、川から流れてくる負の感情と、人々が浄化を求めて神に託した負の念。その石には肝を求める老婆と共にその身で封印するだけの力しかなく……。」

「溜めるだけ溜めていた訳か、どおりで近頃おかしいと……」

「このまま負の念を吸い続けたら間違いなく破綻します。そうなったらこの一帯は溜め込んでいた呪いが溢れ出てどうなるかわかりません。そうなる前に、すでに社から御神体とされているものは持ち出しました。」

「……それをどうするつもりだ。」

「元あった場所に行き、肝を求める老婆は然るべき封印を施します。ただ、北海道から来た俺はそれが元々どこにあったのかを知りません。」

 男性はポケットからタバコを取り出し、「悪ぃ、一本吸わせてくれ」と火をつけた。

 すっと煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

「……安達ヶ原の鬼婆だ、間違いない。確か、二本松……近いが歩きじゃ時間がかかるだろう。車を出してやる。……今御神体とやらは?」

「俺の相棒が見ています。厳重に封印されていますが、あれには普通の人は近づかない方が……。この地図に、その鬼婆が封印されている場所を書き込んでもらえませんか。俺だけで行きます。」

「……いや。」

 男性はタバコを持つ手と反対の手を膝に当てながら立ち上がった。

「あれを……神社を作ると最終的に決めたのは俺だ。……俺も同行する責任がある。」

 猿飛と名乗ったその人の車に乗せてもらう。人の手で新しく建てられた神社。備えた花がすぐ枯れる、手入れをしてもカビが生える社、その神社に近づくと何故か空が厚い雲で覆われて薄暗くなる。おかしいと思っていたと話した。

 途中鬼鮫から石を預かった。……この石、こんなにも重かったか。違和感を覚えながら赤い眼で札の封印が機能している事を確認する。まだ大丈夫だ。

 石を両手で持ち、再び車に乗って二本松にあるという寺を目指す。寺へ向かう道すがら、肝を求める老女の謂れを聞かせてもらった。

「元々はある姫君に使える乳母だったが、その姫は生まれつき病で口が聞けなかった。胎児の生肝を飲ませれば治るという占い師の言葉を信じて妊婦を襲うようになり、ある日襲った妊婦が自身の娘だったと知り正気を失い鬼と化した。阿弥陀如来の力を借りてその鬼を封じたという場所が、今から行く寺だ。」

 ……話を聞くだけでも恐ろしい。ただの人が愛ゆえに他人を襲い果ては我が子まで……そして鬼になった。……人間のウェンカムイ化……とでも言おうか。

 そしてその鬼に関わっているのは阿弥陀如来……仏だ。……神ではなく。

「ここだ。」

 駐車場で止まった車。大きな寺だった。中に入ってまずはその阿弥陀如来と思われるものに手を合わせて頭を下げる。

 男性はそれが終わると建物の奥にある扉を叩いた。

「住職は今いますか。見てもらいたいものがあるんですが。」

 しばらくして、ペタペタと木の床を歩いてくる音。若い男性が戸を開ける。

「すみません、住職はまだ準備が整っておらず。見てもらいたいもの、とは何でしょうか。」

 俺は石をその若い男性に見せた。

「この札、この寺のもので間違いないでしょうか。見て頂きたいのは、この札で覆われた石です。」

 若い男性はそれを見て、目を見開いた。 

「念の為、本尊の前で……お待ち頂けますか。」

 この反応、石の事を知っている。本尊……阿弥陀如来の前で。つまり普通の部屋で見るのは危険だと判断された。だが、この寺の者が知っているのは鬼と化した老女だけのはずだ。それでもこれだけの警戒……鬼は完全に浄化はされておらず封印するだけで手一杯、だったという事か。……それではこの石に蓄積された人の無念はどうなる?

 石仏と違いしっかりとその身がわかる本尊の奥にいる仏像。無表情……のように見えるが、穏やかに微笑んでいるようにも見えた。ゆるりと衣服を着流し、あの花びらの多い花の上に立っている。……これが阿弥陀如来。心なしか、手の中の石が少し軽くなった気がする。

 しばらくして現れたのは、青森の寺で見たのと似た黒いひらりとした服を纏った老人だった。この寺の住職なんだろう。

 俺と石を見て、顎に手を添えた。

「いつか返ってくるだろうとは思っておったが……ふむ……」

 まじまじと石を覗き込む。その眼差しには何が映っているのだろうか。

「初にお目にかかります。自己紹介は後ほど。取り急ぎこの石について教えて頂けないでしょうか。」

「怪しい外国人が作った神社の御神体がこの石でした。……しかし、この若者が見たところ、安達ヶ原の鬼婆がこの石に封印されているという話です。」

 住職は多くは語らず、本尊に向かって正座する。

「……まずは少し鎮めますかな。」

 滑らかな声で唄い始めた。何を言っているのかはわからないが、どうやら仏に捧げる唄のようだ。装飾が施された丸い木の彫り物でリズムを取りながらしばらくその唄は続いた。石が……軽くなっていく。気がする、ではなく。

 ……仏が会話をしないのは、もしかしたら。この住職のような聖職者を通じて話をするからなんだろうか。

 鎮めると言った住職の言う通りに、石は軽くなった。この赤い瞳でも見えないような呪いが漏れ出ていたのだろうか。

 唄を終えた住職は、静かに座り直して俺たちを見た。

「およそ一年前、この寺の石が壊されその一部が盗まれました。形こそ違えどあなた方の持ってきたものと同じ石でしょう。」

「この石に鬼が封じられています。その鬼をまたこのお寺で封じて頂けないでしょうか。」

「そうしたいところですが……石と鬼は一体。そして今、その石が封じているのは鬼だけではないようです。……持ち去られた時と同じ状態であれば手はありましたが、……今の状態で鬼だけを、というのは難儀ですなぁ……。」

 石から鬼を引き剥がすことができない。……このまま封じるしかないのであれば、石に封じられた無念はどうなる。

「ただあなた方の手の中にあるよりはこちらでお預かりした方が良いでしょう。……この石をどうするか、少し時間を頂きたい。」

「少しとは、どの程度待てば。」

「……一週間以内には、何らかのお答えを出しましょう。」

 ……鬼鮫の期限と同じ。賭けだがこの寺に頼るしかない。

「……この石がこうなった経緯を教えて頂けますかな。」

 猿飛さんが手を前についた。

「俺から説明をします。」

 神社を建てることになった経緯、怪しい外国人、偽物の御神体、……そして今の状態。老人は顔色を変えることなく話を聞く。

「……石が奪われた時期とも重なりますね。しかしこれに負の念を吸わせるとは……何の為でしょうかねぇ。」

「ウェン……邪神を作ろうと企んでいたものと考えています。その怪しい外国人は、邪神と化した石を何かに利用するつもりだったのでしょう。」

 住職は、目を閉じた。

「……さて、どうしたものか……。」

 

 石を預けて猿飛さんの車に戻る。

 何かがあれば猿飛さんに連絡が行くらしい。つまり、この先の一週間はいつでも猿飛さんと連絡が取り合える場所で過ごすことになる。あの偽の神社を通り過ぎて、鬼鮫のいる川縁に車が停められた。

「……今すぐにでも神社を取り壊したいが、一先ずは住職からの連絡を待つ。しかし、伝承が本当だったとは世の中わからねえもんだな。」

 車を降りて頭を下げた。

「ここを拠点にしますので、連絡が来た時はよろしくお願いします。」

「いや、他所者のあんた達に尻拭いさせてるみたいですまない。連絡が来たらまたすぐに寺へ行く。もちろんあんたも……イタチだったな。イタチも一緒に来てくれ。」

 あの鬼でさえ阿弥陀如来は浄化することが出来ず封印するしかなかった。溜まりに溜まった負の念も、恐らく無理だ。でも俺たちが持ち運ぶよりはあの寺の中にある方が安全だろう。

 ただ……白服はあの寺から石を盗み出している。また同じことが繰り返されないとも限らない。寺に任せるだけ、というわけにはいかない。

 まずはあの石を回収しにくる者を、……どうにかする。白服は着てはこないだろう。人の多いこの地であの装備は目立ちすぎる。捕らえて……殺すわけにはいかないが、そのまま何もしないでいる事も出来ない。

 

 鬼鮫に経緯を話したら、幾分かは安心したらしい。ただ予断はできない状況には変わりない。住職は何が出来るのか、どうにもならないのか。どうにもならないのだとしたら、鬼鮫の案を飲むしかない。

 阿弥陀如来……無条件で全てを救う仏。……その力は、あの石の呪いを少しでも軽くすることは出来るのだろうか。

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