「珍しい客人がおると思うたら、海の者とはほんに珍しい。わしなんぞにどんな用事があって来たのかな?」
ふっくらとした体毛に身を包んだアパサマ・カムイは、柔らかな丸い尾を揺らしながら歓迎するでもなく追い払うわけでもなく、ウロの中で木の実を大切そうに拾い上げる。
「尋ねたいことがあり足を運びました。この辺りでカムイが人間に攫われた話を見聞きしていませんか。」
アパサマ・カムイはチラと俺の方に視線を向け、また木の実にその視線を落とした。
「クンネレッカムイという適任がおろうに、わしに尋ねるか。ただ、確かに先日のあれは森を揺るがせた……森にとってなくてはならぬ樹木のカムイ達を根こそぎと言ってもいい、人間どもが攫った。」
息を呑む。
起きてはならないことがまた起きていた。
それもまだ日が浅いようだ。樹木の……という事は森が、途切れた……? そんな暴挙を、森の者が許すはずもない。
身を乗り出してウロを覗く。
「その話、詳しく……教えて頂けないか。」
アパサマ・カムイは木の実を置いて、連なる枝に出て来た。そして太陽が昇る方角を見る。
「わしよりも間近で見ておった者に尋ねよ。ごく近い。今も嘆いておる……あの者はほんに気の毒よの。」
同じ方角を見つめると、周りよりも少し大きい樹が見えた。……あそこか。
「感謝する、あなたもどうか人間には警戒を。」
アパサム・カムイはまたウロの中に戻って行き、中で丸まった。
「故は知らぬが……お前さん方も無茶はやるな。あの人間どもは特殊よ。森の誰もが彼奴らに何もできなんだ……。」
やはり同じ、白服だ。確信を持って言える。その身近で見ていた者から話を聞かなければ。
「忠告、痛み要る。」
ウロのある場所から地に降り立ち、眠るものを邪魔せぬようその樹を目指した。ずんと立つそのその樹の向こう側には、確かに少しの広間のような空間があったが……地面が、荒れている。ここには元々樹木が立ち並んでいたと思わせる大穴が彼方此方に。
怒りで手が震えるのを感じる。奴等はどこまで俺たちの地を荒らせば気が済むんだ……!
「……イタチさん。」
鬼鮫が俺の肩に置いた手に、ハッとした。それと共に、小さな嗚咽が耳に入った。樹齢100年はあろうかという目の前の巨木、シケレペニから聞こえてくる。
「……もし、何故声を震わせるのか尋ねてもよろしいか。」
シケレペニはその枝から葉を一枚はらりと目の前に落とし、その姿がカムイのそれに変わる。その顔は右と左で色が異なり、左の白い顔は嘆きを、右の黒い顔は怒りを示していた。
「悲しまずにいられぬ筈もない……若木の同胞が一夜にして連れ去られたのだ……我はただ嘆くのみ……。」
「許さぬ……決して許さぬぞ人間め……! この怒り必ず人間に不幸をもたらし死に至らしめん……!」
このカムイはふたつの感情を持つようだ。語りながら表情はそれぞれに激しくなる。直接話をするのははじめてだが、樹木のカムイに二面性があるのは確かだ。礼を欠けば厄災となり、きちんと祈りを捧げれば恵みをもたらす。
「俺も仲間を人間に奪われました。隣の鬼鮫もです。俺たちは奪われた者同士……話を聞かせて頂けないか。」
「嗚呼!!」
白い方の顔が手で覆われる。
「蛮行は我らのみならず……其方らも同じ身とは……何たること……」
「許さぬ……! 悪しき人間には死の疫病を……!!」
鬼鮫が前に出て、白い方の肩に手を置いた。
「我々はその者達に復讐し、仲間を取り戻す為行動しています。あなた方の仲間もまた……取り戻して見せます。ですから、僅かでも構わないので奴等の情報を得たいのです。ご協力を賜れませんか。」
白い顔を覆っていた手が少し下がり、鬼鮫にその視線を向ける。
「我は動けぬ……しかし我ら樹木は繋がっている……。」
「奴らは今海の上にいる! 我等の力で死を!」
「しかしあの衣を着たままでは彼奴等に我らの力は及ばぬ……見ていることしかできぬ……。」
繋がっている、奴らは今海の上? まさか、シケレペニは連れ去られた仲間のことがわかるのか?
であれば、どこに連れ去られていくのかも、その先でどのような扱いを受けるのかもまたわかる筈だ……!
「どうか頼まれて欲しい、俺たちは奴らがどこに向かうのか、奴らの目的は何なのかを知りたい。暫しここに止まる事を許して頂けないか。あの人間どもの動きを俺たちに教示願いたい。」
白と黒の顔が同時に喋る。
「……止まらずとも良い、その葉は我の身のひとつ。その葉を通じて伝えようとも……」
「我ら樹々の力を舐めるな! 必ず死に至らしめん……!」
この小さな葉、これがあるだけでこのシケレペニと常に繋がっていることが……そして白服どもの行先もわかる……!
「我らもまたあの人間どもに鉄槌を下す者。其方の怒り、嘆きもまたこの一葉と共に旅に連れて行きます。シケレペニ、……あなたの名は?」
ごうと吹いた風にシケレペニの枝が、葉が揺れる。
「……ゼツ。我等其方らに同行し、彼奴らと共に其方らもまた見ている……。くれぐれも約束を違えるな。」
「正しき者には正しき道を……」
「不届者には鉄槌を!!」
怒りと嘆きを示すカムイの姿が薄くなっていく。
その姿を見せることができるのは本体であるこの巨木の近くだけのようだ。
手の中の葉を胸元に抱いた。
「……心得ておきます。」
また人間に奪われていた。とはいえ、向こう側と繋がっている存在を味方につけることができたのは大きい……!
しかし白服の奴等はどこで俺たちカムイの事を知ったのだろうか。この地に住むアイヌが簡単に気を許して喋るとも思えない。そもそも森に住む昔ながらのアイヌは今やほとんどいない。
「鬼鮫、行こう。」
「どこにです?」
「樹木を運んたならばその歩みは遅い筈だ。まだ船を追えるかもしれない。」
「……ふ、やはりあなたは行動する人ですね。ただ、樹木の姿のまま運んだとは考えづらい。カムイの姿に変えて運んだものと思われますが……。」
ふわりと浮き上がり、海の方へ向けて宙を駆ける。
「カムイの姿に"変える"とは、どういう事ですか。」
「イタチさん」
「……どういう事だ。」
「私は奴らがそういう技術を持っていると推測しています。」
「……そう判断するに足る材料があるという事か。ただまだ日はあまり経っていない。俺は空から、鬼鮫は海から……いや待て。」
眼下に広がる森に道路が走っている。
道路があるのに森の中を海までひたすら歩くとは思えない。地面に降りると踏み固められた白い雪の上には人間の足跡が土と共に僅かに残って、そして途切れている。ここからは車で運んだのだろう。だとしたら……北と南に走るその道をどちらへ向かったか。北の海には鬼鮫という秩序を守る者がいると奴等が察知していると仮定すると、北に向かう道ではなく南へ向かうだろう。実際に鬼鮫の語るところによれば、奴等は北の海には船を向かわせていない。
……奴等が徒歩での移動ならば追いつけると踏んだが車のあの速さで海まで出たとなると、この先は道が続く限り障害となるものはない。
車、……車か。考えが甘かった。
車で移動できるのであれば奴等は海に近くなくとも蛮行に及ぶことができる。しかし何を基準にしてカムイを選んでいるのかがわからない。
俺たちの一族は体液と引き換えに未来を……ゼツ達樹木は恩恵と鉄槌を……鬼鮫の仲間は?
「鬼鮫、あなたの連れ去られた仲間は何か固有の能力を持っていましたか。」
「イタチさん」
「……持っていたか。」
「そうですね、固有の能力……特殊技能、というよりも、単純に大きく、そして強い。そのくらいです。森のカムイのような特殊な力は基本的にはありません。」
あの壮大な海の中で鬼鮫が「大きい」と表現するならば、相当な大きさなんだろう。
「比喩でいい、それはどの程度の大きさと力なんだ。」
鬼鮫は周囲をキョロキョロと見回す。だが目的のものは見つからなかったらしい。顎に手を添えながら考え込み、そしてゆっくり顔を上げた。
「地上と海では環境があまりに異なる、という前提ですが。大きさで言えば町ひとつ、強さで言えば一歩足を踏み出すと人間の家が3軒はなかったものになる、程度ですね。」
町ひとつほどの大きさと聞いて息が詰まった。鬼鮫の言う通り、地上と海ではやはり規模が違う。
「……ちょっと待て、あの白服はそんな巨大なカムイを連れ去ったというのか。」
「いえ、何か絡繰を使用してその大きな身体ではなく質量のないカムイの姿に変えて捉えられたと聞いています。」
つまり元の巨体のままでは連れ去れなかった。聞く限りでは物理的にそれは無理な話だ。ただその話を聞くに、カムイの捕獲に特化した装備を持っているのは間違いない。……しかし何故人間にそんなことが出来る。
……ゼツの仲間が行く先に答えがあるとしたら、それをしっかりと確認して対策を打たなければ、奴等の居城に辿り着いたとしても俺たちは何も出来ない。
「情報がまだ足りない……奴等は次に一体何を狙う……。」
「時系列を追うと……海のアッコロカムイが強大な力、森のトゥスニンケは未来を視る力、今回のシケレペニは……疫病、でしたか。」
「正確には、傷病の治癒などの恩恵、もしくは真逆の疫病だ。」
俺たちと同じように夢で恩恵を与えるアペフチカムイは対象になっていない。距離としてはあまり遠くないのにも関わらず、俺たちに標的を絞った。
その違いは……体液の摂取?
未来を視るためには多量の体液を要する。提供した村人は数日伏せっていたほどだ。しかしアペフチカムイは信仰のみで恩恵を与える。
信仰を守れば恩恵を、守らなければ災厄をもたらすシケレペニ……何か奴等がカムイを選ぶ基準があるはずだ。それは何だ。次は何を狙う。……考えろ……。
「イタチさん、焦りは良くないですよ。……せっかくゼツからその葉を頂いたんです。いずれわかるでしょう。何処の何奴がこの蛮行を行っているのか……。」
鬼鮫の、握りしめる拳が僅かに震えているのを見て、一見冷静に見えるこの男もまた怒りに呑まれまいと堪えているのだと知り、俺は今一体どんな顔をしていたのかと我に帰る。
「……そう言いながら、私も少し……冷静さを欠いているようです。」
いつもなら見せる笑顔を見せないまま、鬼鮫は南へ伸びる道へ目を向けている。
……憎しみに呑まれてはいけない。
俺は誰だ。……トゥスニンケと人間から信仰されてきたカムイの一族が一人。
ウェンカムイになるにはまだ早すぎる……あの白服を根絶やしにして仲間を取り戻すまでは。
冷静さを取り戻せ。全て事が順調に進む訳でもない。これまでもそうだったはずだ。人間の温かさに助けられながら、海の者に導かれ鬼鮫と出会った。それは決して一本道だったわけではない。
鬼鮫の言う通り、焦らず待つことも重要だ。
「……鬼鮫、アッコロカムイが連れ去られたのはいつだ。」
「1月7日。イタチさんは。」
「一ヶ月ほど前……人間の暦では2月初旬か。」
「という事は、1ヶ月の間を置いている、もしくは置かざるを得ない。という事ですね。」
「次に来るとしたら早くても一ヶ月後、という事か……鬼鮫、海の者に見慣れぬ船を見たら警戒するよう呼びかけられないか。」
「どこの船着場に来るか、ですね。……いえ、待ってください。最初にアッコロカムイ……次に……もしかしたら、ですが。北から少しずつ南下している……可能性があります。」
「……であれば確かめよう、今回はどこに船がいたのか。クンネレッカムイなら車に乗ったとて森の中だ、行き先を知っているはず。」
機を計ったかのように大きくバサっと羽ばたく音がして振り向いた。何もいない、と思ったら左肩に鉤爪が食い込む。そこにいたのは大きなエゾフクロウ……クンネレッカムイだった。
「リスの子、我等は見た。導こう。」
「見守るだけの貴方が何故……。」
「樹は森そのもの。あれらは我等から奪ってはならぬものを奪った。よって追う者の道標となろう。……今森は怒りを胎に抱えておる。さあ行け。」
鬼鮫の顔を見上げる。頷いたのを確認して宙に浮く。クンネレッカムイの示す方へ宙を駆けながら、森全体が燃えているような錯覚を覚える。これは森のカムイ達の怒り。その想いを俺は、俺たちは絶対に晴らさなければならない。もうこれは俺だけの怒りではない。森の、そして海の怒り。
道沿いに駆けて行き目の前が開けると同時に、肩の鉤爪に力がこもってバサ、バサ、と羽ばたき去っていく。森の外に出て役割を終えたのだろう。ただその開けた目の前には海がある。そして周囲を伺うと、船着場がそこにあった。決して大きくはない。停泊している船もひとつだけの小さな船着場。だけど奴等はここに船を停め、カムイを攫ってきた者と合流して立ち去ったのだろう。
地図で確認する。
その位置は、確かに俺の一族を攫って行った場所よりも南だった。次にまた来るとしたらもっと南、そして人間があまり住んでいない、カムイが棲む自然が近い場所。
貰った地図だけでは限界があった。道はわかるが人がどこに住んでいるかまでは地図ではわからない。
そこに、鬼鮫が小さく折りたたんだ手書きの地図を広げる。
人差し指をその尖った歯で噛み、滲む血で三箇所に印をつけた。
「次があるなら一番可能性が濃いのは……この辺り。船着場がなければ奴等も上陸はできません。この近辺の船着場は全て……破壊します。」
※アパサマ・カムイ:境界の守護者の意、狸を示す場合もある
※ シケレペニ:キハダという樹を指す。薬や保存食を恵む一方で、礼を欠けば疫病をもたらす存在。
※ アッコロカムイ:巨大なタコを表す。船を沈めるなど「クラーケン」同様に畏れの対象だった。