街に怪物が現れ始めたようです   作:KRYP

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転校生

 日野守は今日も変わらずの賑わいを見せていた。他に遊びに行く者もいるが、やはり町の人々は一年ほど前にオープンした新谷イレンスに向かう。超大型ショッピングモールと呼ぶべきそれは、周辺に映画館や飲食店などの商業施設を置いて一つの巨大アミューズメントパークの様相を呈していた。

 

 その中でも特に映画館に人が集中していた。今日は、日本中で人気沸騰中のアニメ映画の公開日なのだ。

 普段からアニメを見る者はもちろん、人気だからと見にきた者や普段はアニメなど全く見ない老人も子どもにせがまれて映画館に集まった。映画の大雑把な内容は、青年が異形の怪物と闘うというものだった。

 日野守の人々は現実のメガロポリスと同じ舞台で闘う青年達を見るために、次々と映画館に入っていった。現実のメガロポリスと同じように描かれていようが、破壊されるビルディングも殺される人々も異形の怪物も、みなスクリーンに映る虚構だった。だから人々は安心してそれらを見る事ができた。

 しかし本物の、スクリーンに映っていた異形のような怪物が、異怪物と闘う青年達が日野守に現れ始めた事を人々は知らなかった。

 

 新谷駅の改札をくぐる一人の女の姿があった。女は多くの利用者の波に流されて駅構内を抜けると、目の前には新谷イレンスが聳え立っていた。頭上を見上げると、晴れ渡る空の一部がそれによって切り取られているように見えた。

「八年ぶり、か」

 女は街の変貌ぶりに驚き、懐かしさに顔を綻ばせた。

 

 

 ──────────

 

 

 例年通り、今年も4月初旬の夜はまだまだ寒い。夜桜見物に繰り出した人々も、11時になる頃にはその殆どが家に帰っていった。12時を過ぎると、新谷から離れた火武ではもう人の気配はほとんどなくなっていた。だがそれにしても、人払いされたかのように今日は人がいなかった。

 冷たく暗い町のコンクリートの上を歩く、奇怪な影があった。それは人型だったが、それにしては顔が異常なほど大きかった。また首がほとんどなく、背中が異様に盛り上がっており、そのためか肩が前面に押し出されていて腕がだらんと垂れている。しかもそんな影が幾つもあるのだ。それが僅かにある街頭の明かりに照らされた。それはまさしく魚人と呼ぶべき姿形だった。

「ヒッ!」と叫ぶ声が路地の脇から聞こえた。瞬間、その声を消すために路地奥の闇から手が伸びて青年の口を塞ぎ、路地の奥へ引きずり込んだ。そして男の体は腕に抱きすくめられた。甘い匂いが男の鼻腔をくすぐった。女の匂いだった。男は視線を動かして自分を抱きしめる腕が細いことを確認すると、その腕を剝がそうともがいたが、びくともしなかった。まるで万力によって固められているようだった。

「静かにしろ」

 男の耳元で、高いが威圧感に満ちた声がささやいた。女は男の脇から顔を出して周囲の様子をうかがった。男はようやく背後にいるのが女だとわかった。

 突如、路地の端から端を何かが通りすぎた。女はそれを確認するように再び路地から顔を出す。男の体も押し出されて覗くことができた。その時、街灯の光に反射して白刃が闇夜にきらめき、そのまま魚人の体を一閃した。男は何が何やらわからないまま、再び路地の奥へと引きずり込まれていった。

 女は男を抱えて人目に付かないように路地の奥へと歩いて行った。しばらく歩いて、別の大通りに男を解放した。大通りは路地と違って明るく、お互いの姿がよく見えた。女は黒い外套を体に纏っていた。その射抜くような視線が男の全身、特に顔に降り注いだ。

「今日の事は他言無用だ。また会おう」

 女はそれだけ言うと外套を翻した。

「まってください!」

 ほとんど反射的に男の口から言葉が飛び出た。

「あれはなんなのですか、今さっき僕が目にした魚と人間の合成物のような、そう魚人というべきあの生物はいったい。それに魚人はすぐに真っ二つに切られていた。あなたは何か知っているのですか」

 男の叫びに、女は軍人の如き無駄のないターンで再び男に正面から対立した。その双眸は射すくめるようにまっすぐ男を見ていた。

 かっこいいと思った。そこには強大な存在に立ち向かう勇者の如き強さが現れていた。

「私は最近こちらに越してきたばかりだからな、実を言うと殆ど何も知らないのだ。だが知っている事もある、お前も言った通りあれは魚人だ。海に呼ばれた人間の末路だ。それにどうやら魚人だけではないらしい、この街にはあのような海洋の怪物がよく出没する。深夜に徘徊するときは気を付けることだ。誰かは知らんが怪物を切る者もいるらしい。不要なトラブルには巻き込まれたくないだろう」

 それだけ言うと女は再びターンし、路地の闇に戻っていった。その段に至ってようやく男は自分がついさっき体験したことを消化することができた。そして理解して初めて身震いした。それは夜の寒さによるものとは違っていた。

 

 

 4月初旬、桜はまだまだきれいに咲いていた。どんな学校にも桜は植えられているものだが、真波止学園の桜は始業式を迎えるにあたり、より鮮やかな色を付けた。

 私立真波止学園高等部。どこぞの団体が運営しているらしいこの学園は、一つの人工島全てをその敷地としていた。高校だけでなく、大学やマンションの如き両学生寮、大規模な課外活動施設、更には商業施設まで備え、それらを繋ぐ地下鉄まであるという正に一つの小さな町だった。だからその分だけ多くの人間が集まる。

 ある大企業の重役の息子である団正人もそのうちの一人だった。

 教室の扉を開けると、既に教室には何人もの生徒が談笑していた。正人は机の間をすり抜け、席に着くと一息ついた。

「おはよ、正人」

「おはよう」

 学友の一人である大谷ひかりが正人の傍まで寄ってきて、声をかけた。朝の気怠さなど吹き飛ばすような快活な笑顔が特徴の彼女だったが、今日は疲労の色が見える顔だった。

「私より後に来るの珍しいね。朝の食堂にいなかったから家に帰ってたんだろうけど、なにかあった?」

 ひかりは机に両手をついて顔を近づけた。

「いや、ただ単純に寝るのが遅くなって、それでそのまま家を出る時間が遅くなっただけだよ。

 実は昨日まで実家の方に帰っていて、母様も旅行で家を離れているし、父様が久しぶりに会いたいって言ってくれたから。今日はもともと実家から通う予定だったんだけど、運悪く深夜に母様が帰宅して。それで昔のマンションで寝なきゃいけなくなったんだ。

 それで遅くなったんだけど、そういえばさぁ、ひかり」

「ん、なに?」

「こんな事言うのも変なんだけどさ、この街で魚人の怪物ってみたことある?」

「ぎょ、魚人の怪物!? いやぁそんなの見たことないなあ……あっ、映画館でなら見たことあるよ。最近やってるアニメの。そ、それにしても何もなかったならよかったよ。それじゃちょっと先輩に用があるから」

 ひかりは弾かれたように机から離れると、小急ぎで教室を後にした。

「そりゃあ、誰だって急に魚人なんて言われたらびっくりするよね。ひかりって怖がりだし」

 昨晩の事を思い返す。

 魚人の事、女の事。海に呼ばれた人間の末路という言葉には引っかかるものがあったが、それ以上は分からない。

「よう。今ひかりが出てったが、どうした」

 入れ違いでやってきた佐々木隆太は、困惑した表情で隣の席に座った。

「おはよう。実は昨日、魚人の怪物みたいなのを見たんだよ。こう、ホラー小説とかで語られるのとそっくりなやつ」

「なんだそりゃ。どうせいまやってる映画とのタイアップとかじゃねえの。確かそんなのが出てくる映画だったよな。この街がモデルとかいって、AR使って色々やってるらしいからよ」

「……それでひかりに見た事あるかって聞いたら、飛び出していった」

 隆太の言う事は確かに最もらしかった。話だけを聞くならそれが一番納得できるだろう。しかしそれでも実際に見た正人には、あれがARもしくはそれに準ずる何かしらの映像だとは思えなかった。

「あっはっは! そりゃそうだろ、アイツすげぇ怖がりなんだから」

「そりゃそうか」

「んまあそんな魚人の事は置いといてだな。なんだか教室がそわそわしてねえか」

 言われて正人は周囲を見渡した。するといつもより教室に落ち着きがなかった。昨晩の事を考えていたから正人は気が付かなかったが、いつもはゆっくり座っているものが友人と話し、談笑そのものも密度が高い。

 何事だろうと思っているうちに、ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴った。

 

「さァ席につけ、ホームルームを始めるぞ」

 でっぷりと太った体を弾ませ、担任である後藤氏の野太い声が教室に響く。先程まで騒がしかった教室がシンと静まる。しかしながら空気が悪くなったわけではなく、和やかな雰囲気が教室に漂う。正人は彼のこの術とも呼ぶべき話し方に好感を覚えていた。

「今日はみんなに一つサプライズがある。入ってきたまえ」

 疑念と歓喜の声とに出迎えられながら、教室の扉が開いて一人の女性が現れた。真っ直ぐ美しく教壇の前まで歩き、緊張からかやや軍人めいた振り向き方で生徒に体を向けた。肩で切り揃えられた黒髪が揺れ、鷲のような眼が教室の中央に向けられる。

 似ている、と正人は思った。帽子の影に隠れてよく見えなかったが、昨晩あった女によく似ていた。あまりに驚いて椅子から立ち上がりかけてしまう。もしかしたらほんのちょっと浮いたかもしれない。

 しかし同時に似ていないとも思った。昨晩の女に感じたほどの力強さが、今の女にはなかった。

「初めまして。今日から本校に転入してきました、佐藤凛といいます。よろしくお願いします」

 彼女が挨拶すると、教室中から歓声と拍手が湧きあがった。クラス替えがないこの学園で、転入生などでも入ってくればクラスが湧くのは当然なのだろうが、理由はそれだけではなかった。

 特別美人というわけではない、が十分に奇麗な人だった。スポーツをしている人特有の美しさが顔と体型に表れていた。

「よぉし。付け加えると、彼女はイタリアからの帰国子女である。みんな仲良くしてやってくれ。

 それで佐藤くん、君の席は窓側一番前の席だ。生憎とそこしか空いてなくてな、見えにくいなどあれば直ぐに相談してほしい。その他学園の事に関しては、隣の席の団くんに聞くといいだろう。

 連絡は以上だ。では諸君、9時の集会に遅れないように講堂に集合してくれ」

 凛が着席し、後藤氏が弾むように教室から出て行くと、クラスメイトのうち何人かが凛の周囲に集まって質問を投げかけた。

 ──イタリアのどこに住んでいたの──ローマからずっと北上した、スイスに近い所──日本にいた時はどこに──火武、でも今は学生寮だけど──スポーツとかやってるのか──武術をちょっと、でも護身術程度だよ──

 正人は隣の席に意識を向けた。彼女たちの会話は円滑に進んでおり、佐藤凛の口調は柔らかで、彼女達は和やかな雰囲気で会話を楽しんでいる。

 邪魔するほどではなかった。相談役に任命されたからといって、常に世話を焼かなければならない、というわけではないのだ。それに自然な形で周りの人間がいるなら、それが一番だと正人は思った。

 しかし佐藤凛という同級生から意識を逸らせる事はできなかった。もしかしたら、この転校生は昨晩の女と同じ人間かもしれない。それを否定する事はできなかった。そのうち、ほとんどそうではないかと思い始めた。そうしているうちに、チャイムが鳴った。

 

 

「団……正人くんだよね。今から学園を案内してほしいんだけど、時間はある?」

 始業式が終わり、宿題提出やらの雑務と連絡を済ませ、時刻が11時前になったところで放課後となった。午後からの行事である運動部の部活動紹介と活動体験に参加する生徒は、食堂に走りこんだか、弁当を掻っ込むと早々に体育館兼講堂へと向かった。教室は弁当を食べるグループが3つばかりあるだけになった。

 佐藤凛が団正人に話しかけたのは、ちょうどそんなときだった。

 そういえばと、正人は佐藤凛に話しかけた人物を頭に浮かべたが、彼らは運動部に所属していたはずだった。

 拒否したい、という考えが脳裏をよぎる。しかし担任の言葉もある。

「うんいいよ。とりあえず高校校舎から見て周ろうか」

 迷った結果、俺はそう言った。

「ありがとう、じゃあお願いします」

 凛はにこにこと口元に笑みを浮かべた。だが正人が背を向けた途端、誰も彼女を見なくなった途端、僅かに細められていた瞳が開かれた。それは奇妙な笑顔だった。

 

 理科実験室や音楽室を含む高校校舎を一通りまわり、文化部の部室がある校舎に向かう。道中すれ違った生徒は明日の新入生のために準備を進めていた。

「こっちが文化部の部室棟だ」

 扉を開けると、明日の準備のためか生徒で騒がしかった。この学園の特徴ある部活動に対する方針からか、様々な部が入り乱れる部室棟には、民族衣装に身を包んだものやら簡単な実験器具やらを運ぶ生徒の姿が目立った。なかなかに面白いね、という声が横から聞こえた。

「そういえば、正人くんは何か部活動に所属しているの」

「うん。あーそうだ、丁度いいから紹介するよ」

 階段を上がり、3階の廊下の突き当たりにある部室に入る。からからと扉を開けると、ごく普通のいわゆる院生室のようなレイアウトが広がっていた。ホワイトボードには呪文が書かれていて、壁際にある棚には研究成果とともに本がずらっと並んでいる。

「ここが俺の所属しているファンタジー研究部だよ」

「ファンタジー研究部……一体どんな活動をしているの」と凛は呟いた。

「名前だけじゃあまりよく分からないよね。これまでにも想像していた活動とは違うって言われることも多かったし。例えば日本でも有名な海外ファンタジー映画を鑑賞するとか、そもそもファンタジーゲームを楽しむだけだと思っていたとか」

「違うんだ」

「まあ、そういう事をする時もあるけど、活動内容としては現実と絡めて研究することがほとんどだね。題材としては魔法魔術とか神話を扱うことが多くて、映画を鑑賞するのは、研究テーマとして製作陣や作者、更に踏み込んでその地域に暮らす人々のオカルト観なんかを研究する時とか。はいこれ」

 正人は棚にあるケースからいくつかクリアファイルを取り出して凛に手渡した。

「それは卒業生の作品の中で一応は完成したやつ。ファンタジーのドラゴンをテーマに、その由来や土着信仰との関連などをまとめたもの。魔法魔術をテーマに、世界中の魔法魔術を広く浅く調べて共通点などをまとめたもの。一つのファンタジー小説をテーマに、作者のファンタジー観を出生地の民話などにまで広げてまとめたもの。昔話をテーマに、世界中にある昔話の共通点などをまとめたもの。2年くらいじゃできる事に限界はあるけどね」

 へえ、と驚嘆の声を上げた凛は興味深そうに紙を一枚一枚めくり、端々に至るまで目を走らせた。

「すごいね、特にこれ。正人君がまとめたものなの?」

 彼女は興奮気味に、クリアファイルの中から一つを取り出して正人の前に出した。表紙には「世界に散らばる魔法魔術」と書かれていて、隅には真部恵子、団正人の二つの名前があった。

「うん。発表するつもりはないけど、それは三月に卒業した先輩と協同で仕上げたものなんだ。俺は魔術のほんの一部と、恵子さんが研究したものを書式に仕上げただけだけど」

「ふーん」

 佐藤凛は興味を引かれたのか、何度も繰り返し眺めた。そして細部まで目を走らせたあと、ありがとうと言って冊子を正人に返却した。

「この部活楽しそうだね。他に誰もいないみたいだけど、部員は君一人なの?」

「形式上は他にもいるよ。一応は俺も入れて4人いたのが、恵子さんともう1人の先輩が卒業して、残りの1人が早々に幽霊部員になったから、今は俺1人」

「じゃあ入部しようかな」

 佐藤さんは即答した。途端に廊下の喧騒が途絶えたような気がする。予想していなかった言葉に脳が処理落ちしてしまった。しかしそれでも、意識の部分ではフリーズしたままなのに書類がしまってある棚から入部届を取り出せた。

「えっと、とりあえずこれに記入すれば後は俺が提出して入部したことになるけど、本当にいいの」

「いいのいいの。魔術とか魔法に興味あるし、活動も面白そうだし」

「やっぱりオカルトには詳しいのかな。あの、魚人とかさ」

 言って、後悔して口をつむぐ。佐藤さんの顔を見ていられず、やるせなく机に目をやる。どうやらまだまだ脳は正常に機能していなかったらしい。不意をついて出た言葉に佐藤さんも言葉を失った。

 だが、佐藤凛は普通の快活な女子高生の奥から、昨晩に見た女を覗かせた。

「あまり無用な詮索はせん事だ。不要なトラブルには巻き込まれたくないだろう」

 正人は弾かれたように佐藤凛の顔を凝視する。やはり昨晩出会った女は佐藤凛だった。

「フッ、ハッハッハッ。昨晩ぶりだな。いやしかし猫を被るというのは疲れる。だが、お前には昨日会っているから猫を被る必要はないだろう。お前も私を私と認識していたようだからな。こちらを窺っていただろう。確証は持てないが、半分以上、いやもしくは8割方はそうだと思っていたのではないか。

 それで、この口調と表情はどうやら目立つようだからな、変えねばならんかったわけだが、お前にはあくまで普通に接してもらいたい。あれは疲れるし、そうでなければ目立つ。私はあまり目立ちたくないのだ。それと、私のことは凛と呼べ。佐藤と呼ばれるのは慣れん。

 と言う事だ、これからよろしく頼む。団正人」

 最後に強く俺の名前を呼んだ。途端、視界がぐにゃりと歪んだ気がした。そして回る。耐えきれずに片手を机に突いた。

 視界の中、佐藤凛の顔だけがよく見えた。昨晩と同じ瞳をしていた。

 

 歪み回転する正人の世界。それに合わせるかのように、正人の人生が真の意味で動き始めた。

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