街に怪物が現れ始めたようです   作:KRYP

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団優一郎

「いやこれは……」

 俺はホテルの前で突っ立って上を見上げた。煌びやかながら落ち着いた外装、一目で世界が違うと否応なく思わせるエントランスがそこにはあった。そんなものの前で落ち着けるはずもなく、無意味に周囲を見回す。

 こんな場所は来たことがなかった。母様の実子である兄様たちなら来たことがあるだろうが、自分にはこれまでそんな機会はなかった。このホテルに合った服を用意してくれた園崎さんには感謝しなければならない。

「どうりでこんな服を」

 園崎さんが用意してくれた自分の服装を見る。かっちりとしたフォーマルなスーツだった。制服もネクタイを採用しているからそれだけは慣れているが、それでもこんな服を着たことがないからかなりの違和感があった。

「時間通りだな」

 その時、赤のドレスを着た凛が現れた。胸元のブローチが穏やかに光る。俺と違って彼女はそれほど緊張していないように見えた。

「どうした緊張しているのか、それもそうか。ならここは私がエスコートしよう、そもそもここは私が出す約束だったのだしな。安心してついてきてくれればいい。なに、気にするな。正人にはやってもらわねばならんことがあるのだ。さあ、行くぞ」

 俺にしてもらう事とは何だろうかと、聞くより前に凛はホテルに入るべく歩き始める。気遅れしている正人は一度だけ呼吸を整えると、ホテルに入っていった。受付では既に凛がスタッフと何か話しており、正人が追いつくとスタッフが二人を案内してくれた。

 絢爛なエントランスを抜けてエレベーターへと乗り込む。全てスタッフに任せて、俺たちは何もせずにただエレベーターが目的の階に着くことを待った。私語は憚られた。

 長いエレベーター。何度もまだ止まらないのかと考えたエレベーターがようやく停止する。スタッフが自身は残ったまま正人達を外に促してお辞儀した。どうやら彼はここまでのようだった。

 

 目の前は一面ガラス張りだった。方角がよかったのか真波止学園が見えた。均等に配置された5つの主要部と互いをつなぐ道がライトアップされていて、巨大な五芒星が海上に浮かんでいる様だった。それを凛は一瞬だけ確かに睨んだ。

 

 廊下には別のスタッフが待っていた。彼は佐藤凛の名前を確認すると、続けざまに何かの確認をした。内容は聞こえなかったが、恐らくは支払いの確認だろうと思われた。彼女がなぜこんなにも落ち着いているのかはわからないが、20にも満たない少女であることも事実だ。しかしよく見えなかったが彼女が掌を見せると、スタッフはエスコートし始めた。そしてもう一度確認を取る。小さな声でほとんど聞こえなかったが、個室という単語だけは聞き取れた。

 今日ディナーをとるであろうレストランの前に着く。そこはホテルという異世界の中でもさらに異世界だった。

 黒を基調とした空間、薄い証明が室内を照らしている。夜景が一望できるガラス張りの壁、整然と並ぶテーブル。そして給仕の質が、格の違いというものを叩きつけた。

 しかしそれでもスタッフは仕事をこなすべくレストランに入り、凛も当然のように続く。気遅れしているのは自分だけだった。

 凛がレストランに入る直前、ちょっとだけ振り返って挑発するかのような笑みを見せた。それは正人の中にあったちっぽけなプライドをほんの少しだけ傷つけ、正人を奮い立たせた。

 焦らず、見栄を張って凛のあとに続いた。

 

 席に着く。案内されたのは角の席だったが、夜景に興味はないのか凛は室内を見渡せる席に座り、俺にもそんな位置の席を指定した。それからまたスタッフと2,3言話すとほどなくして薄くオレンジがかった飲み物が運ばれてきた。乾杯して一口含むと、何とも言えないすっきりとした酸味が口の中に広がった。

「まだ食事には少し早い時間だったか」

 ほんの3分前にはきいたであろう凛の声が、何故かとても久しぶりに聞いたように思える。

「そうか、うん、そうだね。でもこういうのって一食にかなり時間がかかるんだろう。ならこのくらいの時間でもいいんじゃないかな。ゆっくりと食事を楽しむことにするよ」

「ふふっ、それがいい。それに目的が果たせるようになるまでフルコースを楽しむくらいの時間はある」

 そう話している間にカトラリーがセッティングされ、ほとんど同時に一品目であるアミューズが運ばれてきた。そうして正人たちのフルコースが開始された。

 

 

 なのだが、気が付けば食後のコーヒーが目の前にあった。

 結論から言うならば、それまでの記憶がほとんどなかった。やはり緊張していたこともあっただろうが、運ばれてきた料理を凛の動作を見習って口に運ぶたびに、自分の感覚全てが口内に支配される感覚があった。どういう食材がそういう調理をされているのか、全部の内ほんの少しわかっただけで、あとはただひたすら美味しいという感覚が脳内を埋め尽くした。少しでも長くその感覚を味わっていたくて、しかしもっと多く味わいたいという衝動も生まれ、それらがせめぎ合った結果、どうやら食事のペースは丁度いいものに落ち着いたらしかった。

 それよりは食事間にした会話の記憶のほうが残っている。何のためにここへ来たのかは、じきに分かるとだけだった。日野山の調査はあれで十分だ、報告はできないからしなくていいだろうという話もした記憶があった。

 コーヒーを口に運ぶ。強烈な苦みが頭を目覚めさせた。

「ほとんど上の空だったな。それほどここの料理はうまかったか」

 凛が微笑む。彼女は相変わらずのように見えたが、その微笑はこの一か月間見たことがなかったから、幾分か機嫌がいいのだろうということは察せられた。

「……正直言ってこれまで食べてきたものとは別次元のものだった」

「ならよかったな。もう少し落ち着いたら帰るが、その前に正人は挨拶しなくていいのか。向こうからはこちらが見えないが、ほら。あれは正人の父親だろう」

 凛の視線の先を追う。と、そこには確かに父様の姿があった。

「あ、ああ。父様だ」

 全く予想していなかったことに脳がオーバーフローする。

「やはりな。インターネットで画像は見たことがあったが、確証はなかった。どうする、一声かけてから出るか」

「うん……そうするよ」

 どうしてここにいるのだろうか。正人にはわからなかった。誕生日にはまだ一カ月以上もある。それに家族の姿やお付きの使用人はいない。ひとりいるが、それは見たことのない男だった。

 父様の友人だろうかと考えていると、スタッフがやってきて、よろしいようですと声をかけられた。

「だ、そうだ。行こう」

 凛がすっと立ち上がり、正人もそれに続いて先を歩く。さすがに俺が凛を先導しないわけにも行かず、父様の座る窓際の席まで歩く。先にスタッフが父様に声をかけると、こちらを振り向いて驚いたような表情をした。知り合いとだけ聞いたのだろうか。もしくは家族で、正人とは思わなかったのか。

「こんばんは、父様」

「おお、まさかここで正人に会おうとは、珍しいこともあるものだ。ああ、こちら私の友人の森谷傑さんだ。挨拶しなさい」

 父様は対面に座る若い男性の方に手を向けた。上の兄様と同じくらいのまだ30ほどに見える若い男だったが、年不相応の貫禄と余裕があった。いわゆるやり手という人種だろうか。

「お初にお目にかかります、団優一郎の末弟、団正人です。どうぞよろしくお願いいたします」

「初めまして、森谷傑です。よろしく」

 森谷という男は人好きのする笑顔をたたえた。

 それより、と父様はちょいちょいと手を振って反対側に俺を呼んでしゃがませ、顔を寄せた。

「それより後ろの女性はどなただ。まさか正人の彼女か」

「いえそういうのではありません。彼女は同級生でただの友人です」

「本当か。それならこのような店には来ないだろう。いやそれより支払いに問題はないのか」

「はい。彼女がここは任せてほしいと言われましたし、スタッフも確認していましたから大丈夫だと思います」

「そうかわかった」

 父様は顔をもとに戻した。

「お嬢さん、お名前をお伺いしても」

「佐藤凛と申します」

「凛さんか。またいつか屋敷に招待しよう。あなたさえよければぜひいらしてください」

「ありがとうございます」

 凛は全く動じる様子もなく会話をした。

「じゃあ父様、俺たちはこれで失礼します」

「ああ、気を付けて帰りなさい。お嬢さんも」

 正人たちは軽く会釈して席を離れた。いつの間に会計を済ませていたのか、そのままホテルを後にした。

 エントランスを抜けると、もうすっかり外は夜だった。

 ロータリーには園崎さんが車を停めて待っていた。さすがにこの夜道を女性一人で返すわけにも行かず(という言い訳を作って)凛を車に乗せる。まだ、聞いていないことがあった。

「それで、結局俺は何もしなかったけど、よかったの」

「ああ十分だ。今日は団優一郎にさえ会うことができればそれでよかったからな」

「父様に?ならわざわざこんな場所まで来なくても」

「……それもそうだな」

 凛はふと考えるそぶりを見せて、一つ頷くと笑った。

 

 

 

 

 

「おい、佐藤凛について調べろ」

 車に乗り込んだ団優一郎の声は、音量こそ小さけれど仕事を急がせるには十分だった。横に座る秘書が急いでタブレットを操作する。

「あの店は特別な理由でもない限りただの16の少女を入れたりはせん。何かあるはずだ」

 優一郎は考えていた。息子を傍に寄せている間、佐藤凛は森谷の方を見ていた。それに胸元に付けていたブローチの光り方に僅かながら違和感を感じ取っていた。光の反射から小型カメラが取り付けられていた可能性もあると、さらには何かの目的を持って息子に接触した可能性があるとも、彼は考えていた。

「佐藤凛。彼女はイタリアからの帰国子女で、今年の4月に転入したようです。以前はナポリの……ソサイエティが運営する学校に通っていたようです」

「ならばソサイエティの職員か」

「ええ、そのようです。旦那様のセキュリティレベルで検索しましたところ、C級職員に該当する人物がいます」

 秘書は顔写真を拡大して優一郎に見せた。

「間違いない、この女だ」

「左様でございますか。しかしながら通常の個人情報以外には何も書かれていませんが」

「そうか、わかった」

「どういたしましょう」

「特別な手段をとろうとせんでいい、少なくとも今はな。何があるかわからんから、むやみに調べてリスクを負う必要はない。しかしネット上で監視はしておけ。何か嫌な予感がする」

 団優一郎。怪老と呼ぶにふさわしい男。

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