「久しぶりやなあ。学年がちゃうと、会う機会がないと会わんもんやな。元気にしとったか」
梅雨が明け、夏がその足音を轟かせ、灼熱の日々が着実に近づいているという残酷な事実を、非情にも叩き付けられる6月。
珍しい来客がオカルト研究室にあった。吉田平蔵、正人達の先輩である。
「はい。恵子さんが卒業して寂しくなると思っていましたが、新しく部員が出来たので楽しくやってますよ。平蔵さんもお元気そうでなによりです」
正人は去年も同じような時期に知り合ったなぁと、一年前を思い返した。しかしどういう経緯で知り合ったのか少し記憶に靄がかかっていた。平蔵は正人の周囲にいなかったタイプの人間だった。だからファーストインプレッションが強すぎて、前後が少しぼやけるのだ。
「ああ、なんかおるなとは思ったけど、新入部員か。ワイは三年の吉田平蔵や、よろしくな」
「よろしくお願いします」
凛はすっと立ち上がってぺこりと頭を下げた。
「それで本日はどうなされたんですか」
「去年とおんなじや。ちょっと剣道部から頼まれてな。強化練習、お前も手伝ってくれんか」
ああそういえばと、正人は一年前を思い出した。剣道部の大会があるという事で、オカルト研究部に剣道部から強化練習相手の依頼があった。何故依頼先がオカルト研究部かといえば実に単純明快で、真部恵子という人間がいたからである。その場に同じ理由で吉田平蔵もいたのだった。
「ワイ1人やとあいつらの面倒見きられへんから、もう一人いるんや。去年も面倒見てもうたし、ワイも最高学年になったからなんや可愛く見えてきてな。あいつら勝たせてやりたいんや。頼むわ」
平蔵がガバッと頭を下げる。
「俺としてはいいですよ。でももう恵子さんはいませんけど、大丈夫ですか」
「かまへんかまへん。それにもう克実先生にはオカ研にも頼むって話してあるんや。よっしゃ、ちゅーわけで今からきてくれ」
借りた道着に着替えて剣道場に行くと、すでに剣道部が練習をしていた。まだ誰も防具を着けていない。おそらくは準備運動や基礎トレーニングを行っていたのだろう。
「こんにちは克実先生。来たで」
平蔵は克実先生に声をかける。彼女は30半ばほどのエネルギー溢れる女だった。
「こんにちは。結構早かったわね。本当に助かるわ。ありがとう。
あら、後ろの生徒はどなたかしら」
「初めまして。オカルト研究部所属2年の佐藤凛です」
凛は正人と平蔵の会話についていく事ができないでいたが、体操服を持って正人たちに付いて来ていた。
「佐藤凛……ああ、あなたが佐藤凛さんね。四月に鳴滝先生が運動能力の高い生徒が転入してきたと、教官室でお喜びになってましたよ。ふうん、あなたがそうなの。
ところで剣道はできる?」
克実先生がぽんと手を打って凛の顔をじっと見る。
「親が少し剣道というか、剣術をやっておりましたので、一応はそれなりにできると思います。けど、どのくらい上手というのは分かりません。私、人と勝負とかしたことなくて」
「そう。じゃあちょっと適当に振ってみてくれる」
そういうと凛に竹刀を手渡した。竹刀は高校生用の標準的な竹刀だったが、それを持つ人間がただの体操服姿だから恐ろしく奇妙な格好になってしまっている。
「わかりました」
凜は中段に構え真っすぐに振り上げて振り下ろす。次いで上段、下段から竹刀を振る。剣道のそれとは大きく異なり、手首を固定したまま竹刀の大きさを十分に生かすように凛は竹刀を振った。それが彼女にとって普通の事なのだろう。数回も振ると手に馴染んできたのか、型をする。
一通り型を行うと克実先生がそれを止めた。
「もしかしてあなたもなの。はあ」
先生は何故か頭を抱えてため息を吐いた。
「あなたも、とは」
「ほらあれ」
先生が指さした方では、凛が竹刀を振っている間に防具を着けた部員が互角稽古を始めようとしていた。防具を着けると誰が誰だかわからなくなるが、正人と平蔵の姿もないことから、2人も混じっているのだろうと凛は思った。
部員が機械の合図とともに一斉に構える。その中で1人異彩を放つものがあった。皆が一様に中段に構える中、1人だけ構えていなかったのだ。竹刀を握って自然体のようにだらんと腕を垂らしている。剣先すらも横に向いているから下段というわけではなさそうだった。
「あれ団くんよ。去年までいた真部恵子ってあなたたちの先輩もそうだった。剣道にない構えをするから厄介だわ。けど新鮮な感覚が味わえるし、あれ以上に変則的な選手なんていないからそういう点でもまあ良いのよ。それに何より強い」
相対する選手はどうしたものかと思案していた。面も突きも胴も狙いたい放題だが、何があるか分からない。そしてすぐさまこれは互角稽古なのだからとにかく試していこうと思い立った。
まずは面から。もう相手の事は関係なかった、というよりは何も構えていないのだから機微を探ることができなかった。だから自分の機が満ちた時点で面を仕掛けた。瞬間、ほぼ同時に正人も動き出す。正人はほんの少しだけ腰を落として上段霞で面を受けると、そのまま竹刀を返して相手の面を斬った。
「ほら、彼も斬っている。たぶんあなたも竹刀より日本刀の方がいいタイプの人間でしょ」
「はい……ああでも彼と一緒にしないでくださいね。私は普通に中段に構えますから」
「そう。じゃあちょっと用意するから待って見ていなさい。参加できると思ったら準備体操しておいてね」
そういうと先生は準備室に戻っていった。凛はというと、竹刀を置いてストレッチを始めた。体を伸ばしながら、じっと女子の互角稽古を見つめている。そのうちに機械が終了を知らせた。
「はーい、じゃあちょっと休憩ね。その間はお互いに講評すること。佐藤さんはこれに着替えてきて。体験用の道着と防具よ。前に洗濯したからきれいだと思うわ」
「わかりました」
渡された荷物を抱えてとたとたと更衣室に走る。休憩が終わるころには凛も防具を着けて戻ってきた。
そしてすぐに互角稽古が始まった。凛の相手は同じく二年の宮永朱里だ。彼女は倍率3倍程度の団体戦のメンバーに組み込まれるレベルの力ではある。強い有段者だ。そしてそれに相対する凛は面に隠れているからか、猫を被っていなかった。もっと……そう、団正人と初めてあったあの夜に近かった。
蹲踞から立ち上がり、相対する。機械が互角稽古の開始を合図した。瞬間、2人の間にピリピリとした緊張感が走った。相手の剣先を制そうと、あるいは攻めるタイミングを窺っているのか、朱里の剣先は忙しなくぴくぴくと動いている。
それに対して凛は剣先を一定のリズムで上下に揺り動かしていた。中段から面を打つにはまだ低い位置、そして抑えるにはまだ高い位置まで降ろす。どうしたらいいものか、朱里は戸惑っていた。目の錯覚か、ほんの少しだけ剣先が高く早く持ち上がったように見えた。朱里は面に来るかと思って竹刀を掲げるべく力む。しかしその瞬間に凛の剣先が下がる。
それが朱里の集中を欠いた。次の周期、先ほどよりも本当に少しだけ剣先が上がる。今度こそスムーズにまっすぐ面を打てる位置だ。そして凛はそのまま面を打った。それはあっけないほどに奇麗に決まった。
これは互角稽古。すぐに持ち直した朱里が今度は自分のペースで攻め立てる。面を打たれたとはいえ、剣道においては朱里の方が経験もあった。一撃。それを凛は簡単に躱したが、体当たりから鍔迫り合い、押されほんの少し体制を崩したところに、竹刀ゆえの速度で面を打ち返した。
小手先の技を使わなければどうしようもないなと、凛は思った。そして再び剣先を揺り動かす。今度は上ではなく下に誘った。凛の思惑通り、すぐに朱里が竹刀を抑えにかかった。下に弾き無防備になった面あるいは喉を狙うのだろう。凛は逆に竹刀を叩きあげて朱里の竹刀を弾き飛ばそうとした。だがなんと朱里はそれに対応して竹刀がせりあった。凛はその状態から力の釣り合いを崩さないようにして竹刀をずらした。当然ながら朱里の竹刀は床を叩き、凛の竹刀は跳ねてそのまま突きを放った。
お互いに一本取っては一本取られを繰り返し、互角稽古が終了した。
「強いね」
壁に背を預けて座る凛に朱里が話しかけた。ああそういえば、講評をするのだったと凛は思い出した。ほんの少し我を忘れていたのだろう、凛は猫を被りなおしていなかったが、演出した荒い呼吸と笑顔でごまかせた。そして一息つくと、しっかりと猫を被りなおした。
「あなただってとっても強かったよ。えーっと」
「私は朱里よ。宮永朱里」
朱里も自己紹介しながら隣に座る。大きく深呼吸をして、肩で息をした。彼女も相当に消耗したのだろう。
「朱里ちゃんか。私は佐藤凛。よろしくね。いやあ、それにしても朱里ちゃんって強いんだね。私が慣れていないっていうのもあるだろうけど、攻め立てられるとどうしようもなかったよ」
いつものようにクラスメイトに振りまいている笑顔を向けた。
「佐藤さんもすごいわよ。あんなに簡単に打たれるのって、久しぶりだったから驚いたわ。あれどうやってるの」
「あれはちょっと剣先を揺り動かすことで隙を作ろうっていう……でも聞いてもしょうがないよ。やってわかったと思うけど、小細工しても結局は押されちゃったし。だから私の、相手のやってることにあんまり惑わされない方がいいと思うよ」
とりあえず当たり障りないように講評してみる凛。
「ふうん。それもそうね……ふぁー……っと、ごめんなさい。最近寝不足だから」
朱里が大口を開けてあくびをする。大丈夫と凛が聞くと、大丈夫と繰り返してもう一度講評に戻った。
講評しているうちに休憩時間が終了して、お互いに別の相手と向き合う。もう凛の裏の顔は息を潜めていた。慣れか自重か反省か、はたまた相手が宮永朱里ではなくなったからか。
その後は何事もなく練習が続いていき、気が付けば部員は慣れたようにクールダウンに入った。普段から剣道部に参加していない三人は置いて行かれたが、これも仕方ないと集まった。
「凛も剣道できたんやな。それに見た感じなんや腕もたちそうやったし……正人の周りにおるんは変な女ばっかりやな。まあ二人だけやけど」
「それって私が変ってことですか」
「そらそやろ。朱里は普通に強い奴やのに、ちゃんと互角やったからな。普段から剣道やらんのにそんだけ強かったら変やろ。なんや変な目エ向けとったけど」
「あれは朱里ちゃんが強かったからで」
「そかそか」
話している間にクールダウンとストレッチが終わったようで、平蔵がひらひらと手を振って道場を後にする。正人もそれに続いた。凜も立ち上がって道場を出ようとしたが、最後に一度だけ朱里のほうをちらっとだけ見た。
「正人。お前、あんまりあいつとは関わらんようにせえ。ワイが言えたことちゃうけど、あいつは危険な感じがするからな」
男子更衣室で着替えていた平蔵は正人にそんなことを話しかけた。
突然のことだった。普段の雰囲気とは違って声色やトーンが彼の真剣さを表していた。驚いて着替えの手が止まる正人だったが、彼のいうことに同意する自分を見つけた。
「なんとなく、そのほうがいいんだろうって思います」
というよりは否定する自分を見つけられなかった。
「わかってるんならええんやが……。気になるから見に行きたいんやけどな、ワイも今はちょっと忙しいんや。すまんな」
果たして気になるのは正人の安否か、それとも凛の動向か。
「仕方ないですよ、だって平蔵さんは今年受験なんですから」
そう、吉田平蔵は二年である団正人の先輩。つまりは三年生で今年受験なのである。したがって勉学の面で忙しい。と、そこで正人に名案が浮かんだ。
「そうだ、じゃあ俺が勉強教えますよ。大学受験とか定期テストくらいなら大丈夫だと思いますから。そうすれば部室にも来れますし、勉強もできるんじゃないかと」
これなら平蔵さんはオカ研を訪ねる口実ができるし、勉強もできる。一石二鳥だと正人は考えた。
しかし平蔵はいや、と首を振った。
「ワイが忙しい言うんは勉強とちゃう。大学なんかどうでもええし、どうにでもなる。それに正人にいう事でもないからな」
「そうですか」
「気いつけろよ。まああんま関わんな言うても、おんなじ部活やからしゃあないとこもある。付き合いもほどほどにするんやで」
「ああ、うん」
曖昧に答えてしまう。以前の日野山に関しては凛のおかげで解決したのだという意識が、正人の思考の根底にあった。
更衣室を出て凛を待ち、そろったところで克実先生に挨拶をした彼らは、荷物を部室に取りに戻って岐路に着いた。しかし先ほどの平蔵の言葉があったからか、その日ばかりは部室に忘れ物などと嘘を吐いて別れた。