「ありがとうございます、助かりました。えーっと……」
頭を動かして草原に突っ立つ女の名前を確認する。人生でこれまでやってきたゲームの経験則から、正人の思った通り相手の頭上に名前は表示されていた。
それは相手から見れば、このゲームに不慣れなずいぶん滑稽な動作なんだろうと正人は思った。
「ケイリさん」
名前を打ち込むと、ケイリはエモートで表情を作り、「いいえ」というテキストとともにボイスチャットへの招待が飛んできた。
あまり気が乗らなかった。しかし助けてもらったから招待を断るというのは気が引ける。それにあまりこのゲームを知らないから、誰かゲームをよく理解している人と連携を取りたいというのもあった。
招待を受けるか。正人はそう思いながら招待を受けた。
「こんにちは。お前は……マサトというのか、よろしくな」
正人の耳に届いたのは外国人が話す流暢な日本語だった。そう思ったのは、若干イントネーションや発音に独特の違和感があったからだが、随分と日本語に慣れているのだろう、普通に話しているのを聞く分には全く問題ない程度だった。
「こんにちは。さっきはほんとに助かりました」
「いやいや、ゲームに慣れていなさそうだったから助けただけだ。そうだ、どうせだから他にも助けてほしいことがいるなら聞くぞ」
ケイリの表情が変化する。そういうエモートなのか、ブロンドの髪が揺れて笑顔になった。
ケイリのこれは親切心からした行動だ。頭でそう理解すると同時に、正人の裏側から黒い思考が靄となってあふれ出す。その親切心を利用しよう。そしてそんな自分にため息を吐く。
それにしても面倒な依頼が来たもんだ。
夏の始まり。剣道部は無事に大会を勝ち進んでいると聞くが、正人はそれほど晴れやかな気分にはなれなかった。結局のところ、宮永朱里たちがなぜあんなことをしているのかが一切不明なのだ。絶対に厄介な事に巻き込まれていると確信が持てるのに、それが何なのかがわからなかった。斎藤涼香に報告をした後も独自に何度か調査を行ったが、解明しない内に新たな依頼が舞い込んだ。それはReal Worldに関連した失踪事件の調査というものだった。
Real WorldというのはVRMMORPGの一つだ。もともと海外でかなりの人気があって、最近日本にも輸入されてきたという。その名の如く地形は地球にそっくりで、一部変わっている部分もあり、自然豊かな太古の地球というコンセプトらしい。いわゆる廃人と呼ばれる人種の中には、風景はともかく地形などはゲームのほうが現実だと思い込んでいる人間もいるとか。
そんなゲームで話題になっているのが、依頼にもあった失踪事件だ。これは廃人クラスのプレイヤーがゲーム内でキルされると、現実で失踪してしまうという都市伝説だ。初めはただのジョークや、ゲームにのめり込みすぎる人間を抑制する作り話として扱われてきたが、今では都市伝説となってそれなりに恐れられているらしい。失踪した証拠の画像や証言がネット上には飛び回っているが、中には本物もあったりするようだ。
今回は他大学に通う兄を心配した一年からの投書だった。大方去年までの話を先輩から聞いたのだろう、事態解決が依頼だった。
こういうゲームみたいな事には全くの門外漢なのだろう。凜は早々に諦めて宮永朱里調査の続きをすることにした。問題解決は行わなくていいとの事だったはずだが、本人が宮永朱里を気に掛けての事だった。
正人のほうはというと、その依頼を無視するわけにもいかず、特別他にしなければならないこともなく、園崎さんに頼んでゲームに必要な物一式を揃えてもらった。
身長体重顔写真からゲームのアバターを作成し、そのアバターとともにゲームが送り付けられてくる辺り、Real Worldはリアル志向と言えた。
結局、正人は一人ではゲームを遊ぶことすらできないので全部教えてくれとケイリに頼んだら、パーティーを組むことができた。
VRというのもそうだがゲーム自体が初めてという事もあった正人は、かなり悪戦苦闘しながらゲームというものに対する理解を深めていった。なんせMMORPGの性質上、トライアンドエラーをするにしても高くついた。
けれどもともと正人自身の能力の高さからか、彼は金土ときて日曜日の夜になるころにはそれなりにゲームを楽しめるようになっていた。
何とか人並みに遊べるようにはなってきたなと、自分の魔法で焼かれていく巨大な蛇を模したモンスターを眺めて正人はそう思った。荒野に黒こげの蛇が横たわる。それは臭いまで漂ってきそうなほどリアルだった。
「これならもう一人でも十分遊べるだろう、元々の地頭がいいんだな」
同じく焦げた蛇を眺めているケイリがそう呟く。
「いやまだ一人だと心細いよ。オープンワールドが売りのゲームだけど、それにしても広すぎて一人になったら寂しいっていうか怖いっていうか」
正人は広い荒野で一人になった自分を想像した。風が吹き抜けて周囲にはモンスターがうようよといるなか、突っ立つ。普通のゲームであれば何も思わないのだろうがこのゲームはリアルすぎるのだ、想像でも小さな孤独感に苛まれた。
「それにキルされたらリアルで失踪するなんて噂があるだろ。だからそれも怖くてさ」
言ってて情けないと感じる。しかし現状で話を聞けるプレイヤーをケイリ以外に知らなかった。それに少しの弱みを見せれば自分を下に見て口を開くかもしれないとも考えていた。
「ああ、あの噂か。だがアレは噂ではなく、本当に起こっていることなのだ。私の友人も失踪したばかりだ……」
ケイリの声がだんだんと小さく、最後には消え入りそうになる。俯いた顔にはエモートもなく、ただ無表情だった。それが彼女の悲しさを余計に引き立てていた。
「そうだったんだ」
どう声をかけていいかわからなかった。
一分か二分か沈黙が続く。それを破ったのはケイリだった。
「だから私はReal Worldをプレイしている。一体だれがなんのためにそんなことをしているのか突き止めるためにな」
まるで自分に言い聞かせるように、ケイリは強く言い切った。
「俺もその事件を調べてるんだ。クラブ活動っていうか頼まれたっていうか、まあちょっとケイリとは違うんだけどな」
「そうなのか。ああ、だからゲームに慣れていないのに日本人があまりプレイしないようなこんなゲームをしているんだな。何か理由はあると思っていたが、そうだったのか」
はははと笑うケイリ。もう調子は取り戻したようで、今度はちゃんとエモートが使用されている。
「だが学生ならそろそろ寝る時間じゃないか」
「そうだな……ああもうこんな時間か」
左手のコントローラーを操作してウィンドウを展開させると、揺れる草原を背景にして現在時刻が表示されていた。もう24時になろうかという時間だ。
「俺はもう落ちるよ。じゃあまた」
「ああ。また遊ぼう」
俺は手を振るとウィンドウからテレポート、ヨルムを選択する。
その瞬間に視界が暗転してレンガ造りの街に飛ばされた。極東都市ヨルム。リアルにおける火野と同じ位置にあるゲーム内の都市だ。様々なギルドが犇めくプレイヤーにとっての重要拠点であると同時に、キルの危険性がない安息地となっている。
正人はログアウトするとコントローラーを置いてヘッドセットを脱いで布団に入った。