華喰蟲よ、樒の葉を食め 作:夜雫の夢
家族とは血の繋がりだけではない
と、いつか読んだ本の一文を覚えている。その前後の文脈も本の題名も覚えていないのに何故かその15文字のことが魂に刻み込まれたように今も忘れられずに
多分■のことだ…読んだその時はきっとそういうものか、と特に意に介すこともなく本棚に戻しただろう。中身も大きく書いてある題名の中から面白そうなものだけを流し見て一冊読んだ気になっていた、そんな知識の幸せを噛み締めることもなく頬張ったあの日々に
いたはずなのだ。もう顔も名前も、何もかも思い出せなくなっても
■の大切なものが言葉にせずとも確かにそこにはあったのだ
……なら私は?
■の親と『日野森雫』の親を同一視できるほど半端に愚かで半端に賢い真似はできなかった。そうして出来上がったのは根本的に親へと向けるべき感情の全てを欠落した出来損ない、十月十日胎を間借りして
有るモノは血の繋がりと憐れみ、あとは微かな憐憫。私ではない『日野森雫』だったのなら、と申し訳ない気持ちとこんな不出来なモノを娘だと慈しむどこにでもいる男女へ手向ける同情。そしてそんな出来損ないを姉へと見上げる妹への申し訳なさ
………家族とは血の繋がりだけではない
であるのなら。この歪さは繋がり足り得るのだろうか?
◇
校舎を出れば微かな風が前髪を巻き上げるように吹く。一言いうのなら心地よいと言える春風は正しく表現にある春風駘蕩たる穏やかな日和と言って差し支えない、そんな過ごしやすい息がしやすい季節をかき分けるように私たちは歩き出す
「少し肌寒いね。お姉ちゃん」
「そうかしら?…あ、これ貸してあげるわ」
だが穏やかな風だと思っていたのは私だけのようで世間はまだ少し肌寒いと思うのが殆どらしい。
遠慮する志歩の手に無理矢理パーカーを握らせて歩き出す。風邪でも引くと大変だ、今の季節は変わり目というだけあって気温の寒暖差が結構ある。朝家出る時の涼しさと昼から夕方にかけての停留したような生温い風を同じにしてはそれは体調を崩してもおかしくないだろう。…ああ、けど誰かが着たものは嫌がるだろうか
「ごめんなさいね。私が着てたものだから奇麗じゃないかもだけど」
朝から着っぱなしの服だから残り香と呼ばれるものが付着していてもおかしくはない。最大限気を付けてはいるが幾ら『姉妹』と言えど嫌なものは嫌だろう。私は精神年齢があれだし何とも思わないけど志歩は年頃の女の子だ、そういうデリケートな一面がある方が当たり前だと思っているべきだろう
『日野森雫』のプロフィールにある苦手なもの・ことは『地図を読むこと』と『機械の操作』だ
それ以外についてはなんとも。一般的にダメだったら嫌になるぐらい、だから別に私からすれば上着を貸すぐらいはなんてことないのだ
「……別に、いい。嫌な臭いじゃないし」
「そう?なら、いいのだけど」
「………うん。お姉ちゃんは気にしすぎ」
使っている柔軟剤は同じだから匂いに差が出るとは思わないけどそういうものなのか。そういえば干したときのあの良い匂いは日の当たり具合で変わるとも聞いた事があるが、そんな家でまとめて洗濯して干していったものにそんな分かるぐらいに違いが有るモノなのだろうか?
「ほら。今も困ってる」
「…まあ!しぃちゃん」
こういう仕事をしているからか或いは前世という記憶のおかげか視覚と聴覚はいい方だと自負している。だが嗅覚は考えたことなかったと少し考え込んでしまったところの頬を包み込むように目の前から手が伸びて、その志歩の手に私は揶揄われたのだろう
『日野森雫』の身長がひとつ抜けているせいで私が着ているパーカーを志歩が着れば少し大きなぶかぶかした上着になる。所謂、萌え袖となっているところから触れる志歩の手は確かに肌寒く背筋にでも入れられたら驚く声を上げるような冷たさを纏っている。
「…ごめん、けど難しい顔してたから」
「そうね、ありがとう。しぃちゃん」
そんな顔をしていただろうかと自分の指で頬を触る。相も変らぬ口角の高さと筋肉の動きを維持しているはずで、傍から見ても私はいつも通りの笑みを浮かべているはずだと三次元に置いた定点カメラから自分を俯瞰させる視点で再度チェックを掛ける
靴、服装、鞄、手脚、表情、髪型
朝のメンテナンスと同じ要領で及第点を付けていく。踵の折れは無いか、皴は無いか、ファスナーは開いていないか、傷がついていないか、表情は、前髪は…と頭の中で指折り数えていればどこにも問題はない、なら志歩の言ったことは見間違いか何かだろう
「…………うん。」
「そうだわ!そういえばそろそろ服の買い替え時じゃないかしら。見に行かない?」
「お姉ちゃんが行くなら行く」
立ち並ぶビルの群れに赤く燃えるような日の光が反射する頃、町行く人並みは増えていく
帰路の時間だからだろうか。息苦しそうに大きく息を吐くサラリーマンに、ただ茫然とスマホを眺めるOL。制服姿の彼は一体何をそんなに慌てているのだろうか、そんなどこか疲労で澱んだ空気を払いのけてたどり着いたのは一際大きな建物
名前としてはショッピングモールが一番近いだろうか。様々な店が立ち並び、放課後になった同い年ぐらいの少女が集まってお茶している姿も遠目で確認できる。そんな喫茶店の最新フレーバーは季節に合わせた桜らしいと志歩の目が興味深そうに見ている
腕時計で時間を見る。これなら早めに切り上げてお茶してもいいかもしれないと、そんな事を考えながらたどり着いたのはカジュアルな衣服を取り扱っているアパレル店。ここがやっぱり一番安上がりで納得できる品を置いているから
「お姉ちゃんって、やっぱり………」
「?どうかしたの?」
「ううん。お姉ちゃんだったらああいうのも似合いそうなのに」
服なんて消耗品だという意識が根底にある私にとってそんなハイブランドとか贈り物ならまだしも自分用になんてとてもじゃないが買おうとは思わないと志歩が指さす名の知れたブランドの店に飾られている服を見て苦笑する。
「しぃちゃんの方が似合うと思うわよ?」
「そういうことじゃなくて……」
仕事場へは制服で良い…学生の正装様々だ。
そしてモデル、アイドル含めて毎仕事ごとに衣装は変わってくる。その一着一着に『日野森雫』が着たというネームバリューが生まれて宣伝になるのだから、朝から夜まで衣装着のまま過ごすことなんてザラだ
一言で言うのなら私服をあまり必要としないのだ
だから運動兼自宅用のパーカー上下一式の数着と、選んでくれた服が数枚あるだけで事足りる
「じゃあ、ペアルックとかどう?」
「しぃちゃんと?…いいわよ!どれにする?」
けどファッションが嫌いなわけではないのだ。■の時もガチャからお目当ての衣装だけのために天井して空を仰ぎながらライブ衣装を切り替えて眺めていた時間があるぐらいには…あれ?これではファッションが好きなのではなく
まあいいかと志歩に似合う服装を探し始める
志歩はユニセックスやボーイッシュの方が似合うだろうか。割とガーリーも似合う気もするが当の本人があまり着ていないのを見るに好みではないのだろう、かくいう私もそんなヒラヒラしたのは衣装着だけで十分だ。
「「これとか……」」
二手に分かれて探していたところ見つけた服は二人とも似たようなもの
何も言わずとも似たような服を選ぶのがなんともおかしくて、ふと笑みが零れてしまうような感じ。私にもまだ『日野森雫』が『日野森志歩』の姉であるところは残っていたらしい。…果たして。これはその血の繋がりによるモノなのか、或いは姉であるという為か
偶然と、小さな幸せというには
もうとっくのとうに裏切られてしまったから
「あ、支払い…………」
「お…母さんから、お金貰っているから大丈夫よ」
いっその事だから合わせて四着買ってしまおうと志歩の手から服をゆっくり抜き取り、値札を見て頭の中で大体の値段を計算すれば全然許容範囲内だと近くに積まれてあったカゴの中に放り込む。もう既に思考はうって変わって考えることと言えば親の呼び方だった
未だにそれは呼び慣れず、定まらない
■のようにお袋、オヤジと呼べれたらこれも無駄な『余分』だと捨てられるだろう。だけど、その呼び方は間違いなく■の両親のためにあったもので『日野森雫』の親の呼び方ではない。ましてや私のようなまがい物には過ぎた呼び方だ
「………そっか、
「それは私の身に余る言葉よ。しぃちゃん」
そう。私には全てがあまりにも身に余る
今までのアイドルやモデルで稼いだお金で大学を卒業するぐらいまでの資金がある中で、生活費や諸費を受け取らない『日野森雫』の両親にはあまりにも頭が上がらない。どうにか言葉と誠意を尽くして学費とそれに掛かる値段、そして交友費などは自分で出せるようになったけど
金はもっとも分かりやすい誠意の形だ
無くても享受できる幸せは数多くあれど、それよりも有って回避できる不幸の方が圧倒的に多い。なら『日野森雫』の両親が本来産むはずだった『日野森雫』分の慰謝料ぐらいは私が出さなければならない。それが私が今この世界に生きるモノとしての
「それ」
「?どうしたの?」
「お姉ちゃんの、それ嫌い」
…………私は何を間違ってしまったのだろうか。
直後まるで何かを思い出したように、或いは居心地が悪いかのように『ごめん。外の空気吸ってくる』と足早に立ち去って行った志歩の背中を眺めて私は答えの見つからない問いを前にしたように思考が真っ白になる
きっと何かを間違えたのだろう
だけど、その何を間違えたのかさえ分からない
「おっまたせしました~!こちらへどうぞ!」
「…!はーい」
けどその間違いに時間を割くことさえも許さず目の前の列が捌けてレジ前に立つ。
目の前に立つスタッフは淡いピンク色の髪をサイドテールでゆっくり巻いて目が肥えている私でも一目を惹くような可愛いシュシュを付けている…【シナリオ】からいうのであれば『暁山瑞希』がそこに立っていた。
『暁山瑞希』のバイト先はアパレルショップ店員だったか。なら充分あり得るのだろう
こんなところで出会うとはやはり『ニーゴ』との間に縁でも出来ているのだろうか。そちらも『メインストーリー』が進んでいるのか最近はやはり『キャラクター』と出会うことが多くなっている気がする
「いらっしゃいませ~。ポイントカードはお持ちですか?」
「いいえ。袋二つください」
なんてそんな事、おくびにも出さず支払いを続けていく。
分かり切っている話だ。今この現状に『日野森雫』と『暁山瑞希』の間に関係性はない…もっとメタっぽく言うのならキズナランクは実装されていないのだ。一昔前は実装されていなかったらランクのEXPが入らなかった事を考えるとどこか趣深い
そういう意味で言うなら今『日野森雫』とキズナランクがあるのは一体誰になるのだろう
愛莉か、はたまた朝比奈さんになるのだろうか。そんなあり得もしない拙い拙い妄想もどきに二人を巻き込んでしまったそんな無様で情けない私を振り払うように顔を上げる。
「ありがとうございました~」
店から出れば人ごみは更に多くなって目の前が頭で見えなくなるほどの人波。だがその大半の顔は疲労の色が滲んでいて、流れる軽快な音楽とは裏腹に脚は重そうに見える。キョロキョロと顔を動かしていれば人波を避けて柱に寄りかかるように立つ志歩の姿
「お待たせ」
「別に…待ってないよ」
時間を見れば丁度夕食時だからか飲食店の前を歩けば食欲がそそられるいい匂いが漂ってくる。今日の晩御飯は何にしようか、冷蔵庫の中身とこの匂いという雑念が入り混じって食べたいものが浮かんでは消えていく…そうか私はお腹が空いているのか
そんな事を考えながら私と志歩はカフェへと入る。とはいえ、この時間はカフェも人が多いからもっぱら持ち帰りが殆どだ。今日は珍しく2人して新作フレーバーのドリンクを片手に帰路に就く。繁華街を抜ければ少しずつ、少しずつ人が減っていく。
「ねえお姉ちゃん」
「どうしたの?しぃちゃん」
影が伸びる。私たちの二倍にも三倍にも大きくなるその影は実体よりも大きい
もしもこの影が『日野森雫』なら私を取り込んで意識も、肉体も、認識も果てには記憶まで全て影のように塗り潰して飲み込んでくれるなら
…なんてそんな発想にすらそれはいいな、と思えてしまう私にゾッとして
「……お姉ちゃんには私がいるから」
「…………ええ。そうね、ありがとう。しぃちゃん」
運命とは軽薄だ。与えたものをすぐ返すよう求めるのだから。
なら私はいつか運命の女神の取り立てにより全てを失うのだろうか?