華喰蟲よ、樒の葉を食め 作:夜雫の夢
題名を「しう」にしようかと迷いましたがこっちのほうがいいでしょう
Henderson Scale1.0 致命的な脱線により
───セカイ、とはなんだろうか?
想いによって象られた現実とは異なる空間。スマートフォンの音楽データを介してセカイへの出入りを行える、セカイを見守る想いの導き手たるバーチャルシンガーが住まう場所。…そのセカイの姿や想いの種類は千差万別だが数人や、個人に限らず不特定多数の想いが集まって形成されるセカイまである
更に言うならまだセカイにはなれていない想いの欠片や、未完成のモノ。想いに残っている記憶が投影されたセカイに欠片が産んだセカイと纏めるならセカイを作り出すのは『想い』によるものなのだ。…なら、そう。もしも、もしもだが『
いつか『想い』が、『セカイ』が
牙を剥かない可能性がどこにあるといえるのか
◇
部室へと足を進める道中、校内はがらんどうとしていて私の足音だけが鈍く響く。
それもその筈…放課後になったのに用事もなく学校に居座るような暇人はこの学校にはいないという事なのだろう。勉強がしたければ図書館に、部活動に精を出すなら校庭や体育館など今も耳をすませば微かな人ごみの声が聞こえてくる
そう考えると今こうして足音を鳴らしながら廊下を練り歩く私が『異物』なのだろう
静寂と揺れ動かぬ影だけが繋がる廊下の先を見ながら歩いていけばどうにも引きずり込まれるような、いないはずの人影がいるような気配に襲われる。…きっと学校で生まれる怪談の中にはそうして生れたものもあるのだろう
(…七不思議なんて、よく言ったものね)
大体どこの学校にもあるようなそれ
ベートーベンの目が光る。動く金次郎像、動く人体模型に変わる階段の段数。ひとりでに音を奏でるピアノに…懐かしのトイレの花子さん。そして七つ目は…知ってはならない。何故なら七つ目を知った子どもは
「わんだ~~~~~」
影より現れたドッペルゲンガーが、自分を鏡の世界に閉じ込めてしまうから
ほら今も影で揺れる人影が……人影が!?
「ほーい!!!!」
問:自分よりも小さな影がこちらに向かって走ってきました。その顔は逆光になっているせいで誰かはわかりません、ですが貴方は今この時に怪談話を思い出して影より来るドッペルゲンガーの話を思い出していました。この時私が取ると考えられる反応を答えなさい
「きゃああああああ!?!?」
答:悲鳴を上げる
流石に■の精神であったとしてもこれは無理。恐れないとビビらないは別なのだ
前者が予想できるものだとしたらそれは既に『日野森雫』としての回答が出ているモノ、それに比べて後者は予想外からの一撃という感覚。私はその反応にまで『日野森雫』を染み込ませることが出来なかった。つまりまだまだ『日野森雫』は未完成なのだと思わされる
まあそんな反省は今は置いておいて、斜め横から私を驚かせてきたのは誰かと目を開ける。
そこに立つのはどこか得意げな笑みを浮かべた愛莉ちゃんと同じ桃色のショートの髪を揺らしたどこか
纏う空気から爛漫さや明るさを感じ取らせるような少女、そこには『鳳えむ』が立っていた
「えへへ!どう?しずくちゃんセンパイ驚いた?」
「まあ!…鳳さん、驚いたわよ!」
私からすれば、あの『天馬司』のショーバンドの仲間である少女。
それが『鳳えむ』…あの黄金の人をその道へと進める契機となった少女。錆びれた思い出の場所を守るためにたったひとりで立ち続けた彼女もまた『キャラクター』のひとりだ
だけど『日野森雫』から言わせるなら一味違う
彼女はとある番組でお世話になったスポンサーの娘、というべきか。何度か公の場において顔を見合わせておりこうして知り合い以上の関係を築かせてもらっている。その縁のお陰でフェニックスワンダーランドの広報にも参加させてもらったこともありそこでも顔を知っているのだろう。
「……むー」
「ど、どうかしたの?」
スポンサーと受益者という関係だからか、いや。それを含めなかったとしても不興を買うにはあまりにも不味い相手である事は一目瞭然だ。相手の機嫌次第ではこちらの持っている価値は一瞬で暴落する…それが決して彼女の望まぬモノだとしても立場と置かれた事情には逆らえない
「前みたいに、えむちゃんって呼んでくれないんだ」
「あら…じゃあ、えむちゃんって呼んでいいかしら?」
顔を『私は怒ってます』と膨らませる鳳さんの言葉をそのまま読めば名前呼びが許された。ということなのだろう
少し昔の話だ、事務所の社長ととあるパーティに出席した時に出会って紆余曲折あり鳳さんとは互いに名前で呼び合う仲になったということ…壁の花をしていた私に社長はもっと前に出したがっていたけど、その代わりに得難い縁を呼び寄せたとしばらくは社長も上機嫌だったと覚えている。
「うん!そっちの方がとってもわんだほーい!」
「そう、…じゃあ、遅くなったけど」
喜ぶ姿を全身で伝える鳳さんだがそれでも確かな品と威厳がある。
そんな姿に私の背筋もいつも以上に力が入っているのだろう。意識するまでもなくその脚は地面を滑りクロスさせるように片足を動かす、そしてそのまま上半身から体ごと頭を倒す。所謂カーテシーと呼ばれるそれ
「ご入学おめでとうございます。えむちゃん、これからの時間が実り多く、健やかに成長されますことを心よりお祈り申し上げます」
口から出てくる言葉はすらすらと祝辞を読み上げる。
そこに思考を凝らす余地はない。ただ目の前に立つお方の進学を慶ぶことにこの言葉の意味がある、下手に雑念を混ぜて勘付かれるぐらいならいつも『日野森雫』をしているように
何故ならそれ以外は『日野森雫』ではないから
だから価値が無い。無価値なものには誰も何も想わなないのだから
「うーん…しずくちゃん、疲れてる?」
「?そうかしら?」
窓に映ったいつもの顔を見る。そこにあるのは飽きるほど見慣れた『日野森雫』の顔
いつしかこの顔に対する違和感も消えてしまって今となっては■の顔さえもあやふやでうろ覚えだ。声も名前も、そして顔さえも忘れて最後には何を忘れるのだろうか?…或いは忘れる事さえも忘れた時
私は私で有れるのだろうか
今となってはそれさえも恐ろしく思えないのが何よりも恐れている証の気がして反吐が出る
「うん。とってもお顔がどよーんってしてたよ?」
「…心配ありがとう、けど大丈夫よ。最近は仕事も安定して来てるし」
事実、仕事は日に日に増えていっている。
番組のオファーや雑誌の撮影、さらにはロケへの出演の打診は全て『Cheerful*Days』ではなく『日野森雫』への期待だ。またメンバーとの空気が悪くなることを思えば、少し億劫のような気がする。別に無闇矢鱈に敵を作りたいわけではないから
「にっこりしてないよ、しずくちゃん。……そっちはあたたかくないよ?」
「なんの…ことかしら」
そういえば、とひとつ思い出した
『鳳えむ』はかの『朝比奈まふゆ』の創に気が付いてる描写があるほどには共感性に優れているところが描写されている。あの文武両道で優等生の彼女の内袖を察せるぐらいには敏い少女。…だからだろうか、ふと私の『日野森雫』も何か彼女に触れるものがあったのだろうか
まあ
「しずくちゃん、ダメだよ。あたしの顔見て」
「…………」
「…しずくちゃんは、『しずくちゃん』に疲れちゃった?」
本当に、鋭い人だと思う。
『日野森雫』の方が背が高いからか見上げるようになっているその桃色のまなざしは、まるであの日の愛莉ちゃんのように鋭くそれでいて赤裸々に暴いてくるように擽ったい。
「さぁ…けど、私は『日野森雫』よ」
「名前は縛る鎖じゃないよ。しずくちゃん」
生返事するかのような、曖昧な『日野森雫』を叱責するかのような『鳳えむ』の鋭い声
…赤色に近い瞳の色はよくない。いつかの夕日を思い出してしまうから、あの日の『日野森雫』ではない誰かを思い出してしまいそうになるそれからはまるで決して逃げられないというかのように薄煙が私の瞳に幻視させる
もうどこにもないのに。もう誰も覚えていないのに
私が誰か、なんて笑い飛ばしてくれるような人はいない。隠して、見なかったことにして、分からないままにしておかなければならないのだ。
「それを貴女が言うの?『鳳えむ』」
「っ、あたしだから言えるんだよ。しずくちゃん、今のしずくちゃんはぐらぐらしてる。ぐつぐつしてごうごうしようとしてる。それは駄目だよ、しずくちゃん。その道の先にはなにもないよ」
「……訳が分からないわ」
私は、いつかいったはずだ
善くないと知りながら、それを封じ込めることをその意味を
「嘘。しずくちゃんはあたしの言ってることに気が付いてる。見ないふりしてる」
ならきっと『鳳えむ』はそれを良くないと叫べる人なのだろう
間違っていると指し示せる人なんだろう。その光は美しいものだけど、今の私には少し痛い
「そうかもしれないわね」
「……ならっ!」
「ありがとう。でもやっぱり『日野森雫』だから」
だからきっと責任は私にある
未だに■ぬ事も出来ない臆病でうす気味悪い出来損ないな私。…だから多分治すにはたったひとつの方法しかないのだ。私は、『日野森雫』はそれをよく知っている
「待って、ねえ。しずくちゃん!」
「ありがとう。
不思議と、今まで悩んでいたこと全てが消えていくような晴れやかな気分だった
背中に掛かる声も、今となってはむずがゆい何かでしかないようにきっと生まれ変わったとはこのことを言うのだろう
◇
「あれ?日野森さん?」
「あら、朝比奈さん!お疲れ様です」
とは言え、今の私はおつかい中みたいなものだ。湿布や簡単な応急手当の道具は『日野森雫』のロッカーの中に常備している。使いどころがあるかどうかはさておいてだがあって困ることはない、勿論長期休みの際には持って帰ってメンテナンスしているから新学期が始まった今は新品ぞろいだ
とそんなこんな考えて更衣室に入れば、なんの因果か朝比奈さんがそこにいた
あんなことがあってから気にしているのかとよそよそしい態度だったのが最近ようやく前と同じ距離に戻った気がする。私が気にしていないことに気が付いたのだろうか
「どうかしたの?珍しいね」
「ああ。ちょっとケガしちゃった子がいてね!救急箱取りに来たの」
学年が一緒ということもあり、私と朝比奈さんのロッカーは隣に置かれている
練習で汗でもかいたのだろうか。うなじを持ち上げて汗を拭く朝比奈さんはもしかしたらそれだけで絵になる好事家にとったら垂涎ものなのかもしれない。
生憎と、そういう言う欲求は枯れて久しいけど
「そうなんだ。…連絡してくれたら私の貸せたのに」
「ごめんなさいね。今スマホ壊れてて」
ほらとひび割れて歪んだスマホを見せれば朝比奈さんも納得したのだろう
持って見てもいい?と『朝比奈』さんにしては珍しく興味を示したスマホは通話とメールが出来るのなら後はなんでもいいからともう十年近くの付き合いにある。消耗品がそれほど長く持ったのだ、寿命だと思うことにしよう
「……高いところから落としたの?」
「いいえ?
『日野森雫』は確かに機械操作が苦手とあるがまさか物理的に壊れることがあるなんて今回が初めてだ
まさか
踏み壊したようにも、落としたような事も無いのに不思議なものだ
まあ買い換えたらいいのだけどデータが残ってるかだけが心配だ
「っ!そ、そっか…ちなみにそれは今朝の話?」
「?そうよ。だからこの後買い替えないといけないの…」
今日がオフの日だったから良いものの、これが普通に仕事の日だったら致命的だった
現代社会においてスマホはもはや必需品と言っても過言ではない。私も『日野森雫』としては苦手だが最低限使えなければこの情報化の時代を生きていけないだろう
「大変だね……私も、手伝おうか?」
「えっ?…有難いけれど、朝比奈さんも忙しいでしょう?」
だから早急に買い替える必要がある。とはいえ事務所の方には駅にあった懐かしの公衆電話からスマホが壊れたことと夕方まで私の電話は掛からない事は既に伝えているのだ。だから次はどこの会社でスマホを借りようか、或いは購入しようかなんて考えていたばかりに
私の背後に回って立ち尽くす朝比奈さんの動きを見ていなかった
その手を伸ばしてまるで憑りつくかのように背後から抱き着いてくるなんて思っていなかった
「別に、もう何でもないよ」
「……朝比奈さん?」
「ねえ。日野森さん、貴女はどうして頑張れるの?」
だから、その声色に反応が遅れた。
何故なら『朝比奈まふゆ』が『日野森雫』に向けられる事は無いはずだから
「……私が『日野森雫』だからよ」
「それは呪いと何が違うの」
……何かを間違えたのだろう。『日野森雫』として致命的なまでに何かを
だけどその間違えを戻すためにはもう多くのモノから目を、耳を塞ぎ続けた。…そのツケが、これだ。全ては私が『日野森雫』へと成りきれなかった事の罰。許されざる罪の形が今目の前に広がっていた
「ええ、呪いよ」
分かることはただひとつ
───『シナリオ』が、歪みかけて、壊れかけて、いる
「っ!なら、どうして!」
「なら消えたいと言えば、私は救われるの?」
「……ぁ」
ぽろ、ぽ、ろとまるで塗り固めた粘土が剥がれ落ちていくかのように『日野森雫』が剝がれていく
ダメだ、それは許されない。それだけは駄目だ、私は『日野森雫』。『日野森志歩』の『姉』で『Cheerful*Days』のセンター、そしていつか『MORE MORE JUMP!』に成る。『機械音痴』で『刺繡』が得意で、『辛い物』が苦手で『お味噌汁』を水筒に入れる『宮益坂女子学園』の『2-D』の『美化委員』で『弓道部員』の『16歳』
私は、『日野森
「『日野森雫』を壊してぐちゃぐちゃにして消してしまえば私は救われるのかしら?」
……もう、限界だ