華喰蟲よ、樒の葉を食め 作:夜雫の夢
──あたしのおうちは自慢じゃないけれどとても大きい
あたしのような子どもにも多くの人が媚びへつらう。まるでそれが当たり前のように、誰もにこにこしていない笑顔で話しかけるそれがあたしにはどこか恐ろしかったのだと思う。
その中で出会ったのがあなただった
水色の髪のまるでおひめさまのような人。笑顔はちょっぴり曇りがちだけどきっといつかぽかぽか太陽が雲をはらえばとーっても素敵なきらきらしたにっこりした笑みを浮かべるだろうひと。その人の名前を日野森雫ちゃん!
『初めまして。──事務所の『日野森雫』と申します。本日はお誘いいただきありがとうございます』
初めて会ったしずくちゃんはまるでお姫さまのように輝いていて、まるで女王さまのように堂々とあたしたちとはとーっても年が離れている人たちと話している姿。まるでドラマの中から出てきたかのような片手にワイングラスを持ってお話しているところだった。(中は多分ジュースだよね…?)
薄い青のドレスに髪を緩く後ろに垂らした雫ちゃんはやっぱり大人びていて…あとで失礼を承知で年齢を聞いたらあたしとひとつしか変わらないのはびっくり超えた驚き仰天。そんな綺麗な輝いている様なお姉さんが、あたしの目を真っすぐ見て話しかけてくれた
『お、鳳えむです!はじめまして!』
『はい。よろしくお願いしますね』
あのみんな浮かべているにこにこしていない笑顔ではない。だけど、あたしが好きな笑顔じゃない
例えるならそう…ふわふわしている不思議な笑み。お母さんの優しい笑顔みたいで、お父さんの心の中で笑う笑顔と、そしてどうとでも言えるようなそんな笑顔。だけど分かることはひとつ
この人は多分ひとりぼっちなんだと思ってしまうようなそんな笑み
お空よりも透明で、海よりも透き通った笑顔で笑うからあたしはそんな人に惹かれてしまったのだろう
『……楽しんでる?しずくちゃん、大丈夫?』
『あら、鳳さん。お心遣いありがとうございます。ですが少し場の空気に酔ってしまったようで…』
パーティが始まりしばらくして
壁の華、というのだっけ。多分しずくちゃんが付き添いになってきていたのだけど、しばらくすればしずくちゃんの方に人が集まってきたのをしずくちゃんも気が付いていたのだろう。場に酔ったとそのまま軽やかに壁の方に行って1人でグラスを傾けているその凛々しさにあたしはほーっと息を漏らすだけだった
そんなあたしの姿にお兄ちゃんたちは気が付いていたのだろう。
丁度手が空いたし、お客様と話して来たらどうだと壁側に背中を押すなんて露骨だと思う…けどそのおかげで、あたしはしずくちゃんとふたりで話すことが出来た
『むー…あたしの事はえむでいいよ?しずくちゃん』
『そういうわけに…いえ、ならそう呼ばせてもらうわね。えむちゃん!』
真っすぐあたしを見てくれる。『鳳』ではなく『鳳えむ』を見て、あたしとお話ししてくれる
まるで宝石をそのまま目にしたようなアパタイトの色がしずくちゃんの中で揺れてずっと見ていたくなるようなそんな触れれば壊しちゃいそうな儚さと、それでも一本の芯がぴたりとしずくちゃんの中にある姿は確かな綺麗なもの
それだけじゃない。多分お姉ちゃんなんだろうな、と思わせるような聞き上手な姿
それは間違いなく相手に気持ちよく話をさせるという事だけに特化した話術。海千山千の偉い人たちでさえも惚れ惚れさせてしまうようなそれはしずくちゃんの年齢にはあまりに似合わぬモノ。…ひとえにあたしは凄いなと思ってしまうひとつの技術の完成形を見た気がする
『うん!しずくちゃん、あのね!あのね──』
『ええ!ふふっ──』
だけど今はそんな事おいておいて。せっかく2人で話すことが出来たんだからといろんな話をした
好きなものから嫌いなものまで。学校での生活や苦手なこと、とにかく話せるようなことは何でも話してしずくちゃんを知ろうとしていたのかもしれない。
けど、分かったことはそう多くなかった
あたしが触れたのは『日野森雫』ちゃんだけ。その中にいる、ぎゅーっと自分を抱きしめて目も開けてないしずくちゃんのお眼鏡には適わなかったみたい。眠っているのかな?起きているのかな?しずくちゃんはあたしをどんな風に思っているんだろう
そんな事ばかり、しずくちゃんの気を引こうとしていたからだろう
目の前から近づいてくるひとりの男の人が見えていなかった
『………雫、こちらに来なさい』
『はい。社長…ごめんね、えむちゃん。』
思い出した。あの最初にしずくちゃんが挨拶をしてくれた時に隣にいた人
怒ってる、ううん。少しもやもやした顔でしずくちゃんを呼んだ。ついでにあたしをじろりとまるで買い物をするかのような眼差し、嫌だなって思った
とはいえ、あたしもぎゅーってする気持ちだけでしずくちゃんをここに止めて置くことなんてできないわけで
目の前で見えていたはずのしずくちゃんが消えて『日野森雫』ちゃんになるのを止められなくて、まるでぶ厚い雲が覆い隠す様に、カチコチで凍った壁があたしたちを隔てていく。
だから、多分この時あたしは思ったのだ
この人を笑顔にするって。あたしの手でこの人を笑顔にして見せるって
◇
それから多くの時間が経った。
しずくちゃんがいつの間にか誰もが名前を知るようなアイドルになったり、フェニックスワンダーランドのアンバサダーに就任して何度か一緒に遊ぶことができた。けど…ううん。だからこそだろうか
『日野森雫』はあたしの助けを望んでいない
あたしの手をしずくちゃんは握らないのだろう
それでも良かった。あたしじゃない誰かが『日野森雫』もしずくちゃんのどちらも抱きしめてわんだほーい!と笑える人が来るなら多分あたしはそれでもいい。…ホントはそんな日が来ちゃったらちょっと妬いちゃうかも。お姫様の心をわしづかみにできる王子様にあたしは成れなかったから
だからせめてそんなお姫様の笑顔を守れる女王様に成りたかった。
…悲劇だけじゃない。ホントはもっとまだまだ捨てたもんじゃないってしずくちゃんにも伝わるように。
『ワンダーステージは取り壊しとする』
にっこりが、わんだほーいが欠けていく。
おじいちゃんの夢があたしの夢が無くなっていく───
どうにかしないといけない。けどどうにかするための条件は、あの思い出のステージをお客さんでいっぱいにすること。そのためには同じようにここで笑顔にできるステキなショーができる仲間を探さないといけない。…なんて動いていたらいつの間にかあたしは高校生デビューをしたわけです
「ふーふーん……あれ?」
ピピっとする人は今のところゼロ。今日も今日とて学校内を散策していたら壁の向こうからよく見覚えのある、しずくちゃんが歩いてる。まーっすぐピーンと一本の線が入ったように背筋を伸ばして真っすぐ立ってる姿はとてもカッコいいけど、それだけに唇をいーってしたくなる
(……そ~だ!)
だって、まだ誰にもしずくちゃんは寄りかかれてない事になるから
誰もしずくちゃんのお眼鏡には適わなかった。それがちょっと痛くて、苦しくて…どうしよう。嬉しいなんて思ってしまったんだ
そんなわるーい考えを吹き飛ばす様に物陰に飛び込んで準備する。
かんぺき~みたいに言われるしずくちゃんだけどその実は結構抜けているところがある…気がする。誰も見てないところのしずくちゃんは気を抜いているのか、あたしでもきゅんってくるような反応をしてくれることが多い
「わんだ~~~」
ということで。そんな反応を期待してあたしは飛び出す準備を構える
ショーで鍛えたこの驚かせる技をご照覧あれ☆ってね
「ほ~~~い!!」
「きゃああああああ!?!?」
ばぁーっと驚かせるように飛び出す。こういうのは相手が自分に気が付くまでの隙を突くのが良いらしい…けど、いつものしずくちゃんなら近づく頃には気が付いているだろう。(それでもかかったふりをしてくれるんだけど)そう考えると今日のしずくちゃんはどこかどんよりしている感じがする
無理していないのだろうか。お兄ちゃんやお父さんから聞いている
最近はしずくちゃんが休むこともなく色んな所に顔を使われていることを。昨日も、一昨日も一昨昨日もしずくちゃんはどこかの現場で『日野森雫』として完璧でクールでミステリアスで浮世離れしている美人アイドルであり続けた。あたし以外の誰にも悟られずに
「えへへ!どう?しずくちゃんセンパイ驚いた?」
「まあ!…
しずくちゃんのあたしの呼び方に胸がちょっとチクッとする
昔の様に名前で呼んでほしい。……この人はこういうところがある。まるでぷかぷかと浮かぶ明日には萎んでいる風船にも似た想像とは違う無機質さ。凄く優しい人と同じ、放っていってしまえば間違いなくこの人は誰の手も届かないところへと消えていくだろう。
そして残酷なことに、この人は誰もその内側に受け入れていない
繋いだと思えば次の瞬間にはその自分ごと捨てて『日野森雫』を偽り続けている
「前みたいに、えむちゃんって呼んでくれないんだ」
「あら…じゃあ、えむちゃんって呼んでいいかしら?」
何処へ、何を目指して『日野森雫』を偽り続けるのだろうか
あたしはらしくもなくそんな事を考えてしまう。アイドルの頂点に立つまでか?或いは何か目的があって『日野森雫』があるのだろうか。その目的が終わればしずくちゃんは笑えるのだろうか
「……うん!そっちの方がとってもわんだほーい!」
「そう、…じゃあ、遅くなったけど」
スルリ、ううん。カチリかな?しずくちゃんの中で歯車がかみ合ったかのように切り替わる。
…しずくちゃんの『嘘』は徹底追尾、自分に付き続ける嘘だ。砂漠の真ん中でオアシスがあると信じるように、吹雪の中で一握りの熱を抱きしめるような嘘だからこそ多分誰もが気を許す。その嘘が自分たちを傷つけるものではないと分かるから
だから恐ろしい。
しずくちゃんが『何に』嘘ついているのかを誰も知らない。その嘘がはがれてしまった時にしずくちゃんがどうなってしまうのか誰も分からないからこそ不安になる。ため込んだものに火がついてしまえば多分誰も、しずくちゃん自身も止められなくなる気がするから
「ご入学おめでとうございます。えむちゃん、これからの時間が実り多く、健やかに成長されますことを心よりお祈り申し上げます」
「うーん…しずくちゃん、疲れてる?」
いつものしずくちゃんとは違う声色の言葉。
どこか芯にどよーんとしているものが残っている様な、例えるならもう溢れる寸前まで水が入ったバケツのような…もう、あとなにかひとつで全部が壊れてしまいかねない様なそんな危うい空気
「?そうかしら……」
「うん。とってもお顔がどよーんってしてたよ?」
あたしが危惧していたことが、あたしが考えていた最悪の一歩手前
どうして桐谷さんとか桃井さんとか…妹ちゃんとか誰も気が付かないのか。『後輩』で『年下』であるあたしにさえも取り繕えないほどの限界を迎えているのならあたしよりも先に気が付いてもおかしくない人が気が付いていない
「にっこりしてないよ、しずくちゃん。……そっちはあたたかくないよ?」
「なんの…ことかしら」
止められるのはあたしだけ、っていうのはよくある話だけど
実際その立場に成ってしまっていたらわかる。エグいなんてものじゃない…この人から、今目を離してしまったら次の瞬間にはあたしが想定する最悪さえも上回って何か大変な事が起きるようなこの背筋さえも凍る予感
「しずくちゃん、ダメだよ。あたしの顔見て」
「…………」
「…しずくちゃんは、『しずくちゃん』に疲れちゃった?」
「さぁ…けど、私は『日野森雫』よ」
「名前は縛る鎖じゃないよ。しずくちゃん」
言葉を尽くす。今だけはなにもかもがもどかしい
何があったのか、どうして突然にもしずくちゃんの限界が来たのか。あたしが分かることと言えばそんな機嫌ひとつで急にカットんでいってドゴーン!と爆発するような人ではないという事。つまりは何かしらの引き金が引かれてしずくちゃんの『日野森雫』の限界が来たという事だ
しずくちゃんのアパタイトの眼差しは燻り、空の色を映したかのようなどこか危険な燃えているような炎の危ない赤色を宿してあたしを見ていない……目の前にいるのにどこにもいないような伽藍洞。
「それを貴女が言うの?『鳳えむ』」
「っ、あたしだから言えるんだよ。しずくちゃん、今のしずくちゃんはぐらぐらしてる。ぐつぐつしてごうごうしようとしてる。それは駄目だよ、しずくちゃん。その道の先にはなにもないよ」
目は口ほどにモノを言うと誰かが言っていたそうだ。
……ああ、そうだ。その通りだ、今のしずくちゃんにはなんにも映っていない。空虚、軽薄…そしてそれを煮詰めたかのような目睫之見とも呼べるべきただ硬い光を反射するだけの宝石
「……訳が分からないわ」
「嘘。しずくちゃんはあたしの言ってることに気が付いてる。見ないふりしてる」
その中にあるのは微かな認識だけで怒りも、憐れみも感動さえも存在しない…もちろん親愛も何もかも。
しずくちゃんは
「そうかもしれないわね」
「……ならっ!」
きっとしずくちゃんはあたしが嫌いなわけじゃない。嫌っているとか憎んでいるとか、そんな次元ではそうなり得るはずがない。調べてもらった限りでは生まれも育ちも普通の家庭のはずだ。家族の仲だって悪くなさそうだし、妹ともよく一緒に遊びに行ったりと話を聞いた事があるのに
「ありがとう。でもやっぱり『日野森雫』だから」
「待って、ねえ。しずくちゃん!」
諦めたように、どうでもいいように些細なことだと誰の手も取らない
あたしのことも、妹ちゃんのことも…多分、自分の事でさえも
「ありがとう。
分かりたかった、笑顔にしたかった
だけどその最後に待っていたのがこんな結末だとしたのならば
「………分からないよ。しずくちゃん……っ!」