華喰蟲よ、樒の葉を食め 作:夜雫の夢
「だれが汚れたもののうちから清いものを出すことができようか」
世界にはフィリア、という単語がある
その語源は旧く古代ギリシャの哲学でも使われていたような私たち人間の情動と共にあった言葉でその意味は愛や友愛、愛着など今となってはそれが転じてある何かの対象に向ける執着じみた嗜好や性癖の意味に使われる事が多い。
有名どころでいうのならペドフィリアやネクロフィリアだろうか。最もそのふたつは特に現代社会で事を起こしてしまえば脛に傷を持つなんて騒ぎじゃなくなってしまうが
だがフィリアだって言い方を変えれば愛のひとつだ。
人間のサガ故か踏み外してしまう人がいるところなんて、正にそうだと思う
……ならこの世界がゲームに出てくるそのままの人と町と過去であると知って本当は0と1で出力され、私はそれをスマートフォンのディスプレイで楽しんでいただけなのだとして。その中がどれほど魅力的でも絶対に届くことはないと知っていた愛と、今の私の愛が変わらないのだとしたら
その愛はオブジェクトフィリアと何が違うんだろうか?
◇
授業の始まりは意外と人が少ない。というのもやはり芸能人などが多いこのクラスでは朝一番から全員が揃うことの方が稀で今だって私の席の前後と左側が空席だ。それももう見慣れたものなのだろう教壇に立つ先生は何の反応もなく出席だけ取って授業を始める
単位は可もなく不可もなくといったところだが肝心の中身である成績に関しては頑張っているといったところだろうか。成人している記憶故か中学卒業まではなんともなかったがそろそろその記憶もあてにならなそうなレベルで理数系がそろそろ限界を迎えるかもしれない
これならばもっと近場の神山高校でよかっただろう。女子高というのもやっぱりどうにも息が詰まり、肩が凝るような気がする。最も体には不調が出ないようにメンテは欠かしたことはないが
「それでは、今日はここまで」
「きりーつ、気を付け。礼」
疎らに響くありがとうございましたの声に出て行った先生に少し会釈した後に書き切っていないノートにペンを走らせる。授業で分からないところが有ったとしても黒板に書いてあるのをそのまま写すだけでも後々役に立つ。レジュメ様様だ。もっとも向こうから配布されるようになるともっと出席が少なくなる未来も見えるけど
そんなあと二年後に迫った大学生あるある…失礼。カス大学生あるあるの生活に少しだけの羨望を覚えながら、ノートを書き終えて鞄に仕舞ったところだった。目の前に一人の同い年のクラスメイトが立っていたことに気が付いたのは
「……全くもう、今気が付いたの?」
「集中してて……ごめんね、『愛莉ちゃん』」
特徴的なピンク髪に赤く燃えるような瞳。この世界が嫌でも現実とはかけ離れていることを教えてくれるようなある意味でとても恩人な人、そしてそう遠くない未来で同じメンバーとなる事になる『桃井愛莉』がそこには立っていた
彼女もまたこの教室では抜きんでているほどの知名度と名誉を拝しそのアイドルグループの顔というのなら…で一番に出てくるほどの人気を博しているアイドル。最近の彼女の主戦場はバラエティによるお茶の間のアイドル的存在として売りに出されている
……正確には圧倒的な人気による事務所の
単純なことだ。桃井愛莉の人気がそのグループでは圧倒的過ぎたのだ。他のメンバーが霞むほどに
ひとつの突出した強みはグループの強みだ。その人がいる、というだけで周りのメンバーにもおこぼれがある、が次第に人は気が付くのだ、そのグループではなくその人だけを望むことに。そして次第にそれはマンネリと化す。
わかりやすく言うのなら一番人気の馬には固定客がつくが、賭けにはならないのだ
元返しでは運営も儲からない。ならばその馬は戦場を変えて戦える相手と戦うのだ
アイドル路線で桐谷遥、モデル路線で日野森雫。そしてバラエティ路線で桃井愛莉
奇しくもどの事務所も同じ選択をした。互いに潰しあうぐらいなら、【ブランド】を守る方向に動いた…安く買い叩かれないように、そして将来アイドルを止めた先にも通用する実力を備え付けさせるために
「全く…少しは周りの目を気にしなさいよね。雫は只でさえ隙が大きいんだから」
「あはは……気を付けるわね。愛莉ちゃん」
非常に分かりにくいが、これも期待故の投資だ
回収できる見込みがあるからこそ私たちには道が与えられている。それは決して平等とは程遠く、まだうら若き乙女たちには厳しい現実ではあるがそれもまた現実なのだ。情はあれど利が無ければ事務所なんて運営できないのだから
………ただまあ、そういう話をしたとて理解されるかどうかは別の話だろう
目指すアイドルの先、そして夢と現実の乖離、その果てに起きる絶望。それが『MOREMOREJUMP!のメインストーリー』の一部だ。そして何より…私が見て来た桃井愛莉という少女はきっとそれで折れてしまう様な子じゃないと知っているから
眩しい在り方だと思う
現実に、目の前に広がる現実に折れてしまった私と比べて
「もう……」
「けど、そうやって注意してくれる愛莉のことは好きよ」
「な、な……っ!雫ねぇ!!あなた、そういうところよ!!」
良い反応をするな、と思う。そういうところがおそらくバラエティに向いているのだろう
活発で喜怒哀楽が分かりやすく、そして良い反応をするそれは普通に生きているだけでは手に入れることのできない天賦の才。何故なら普通に生きているだけでは人間は慣れていってしまうから
心を揺らす感動も、滂沱の涙も、そして立ち上がれぬ絶望さえも人は時間という薬と共に適応していく
傷口が塞がるのと同じように悦びの感情も次第に慣れて足りなくなってしまうのだ。…年老いる、ということはそういう事なのだろう。なら、精神年齢だけでいうのなら年老いているともいえる私が目の前の少女と同じ反応ができるかといわれれば否、といわざるをえない
「?好意は、まっすぐ伝えるべきものよ。愛莉、あなたが教えてくれていたじゃない」
「……え?ああ、びっくりした。それの事を…へ、へぇ……」
ラブリー!フェアリー!愛莉!だっけか
『桃井愛莉の口上』として私はよく覚えていた。というより好んでいたのだろう、この元気いっぱいで可愛らしくてなんとも口にしたくなるような言葉を、前の■ではまあ口にするには少々気恥ずかしい…聞かれた暁にはしばらく笑いものになりそうだが
「………雫、他ではそんなことを言ってはダメよ。あなたの顔と言葉は少々どころじゃなくて勘違いを……」
「?」
「ああ、絶対分かってなさそうな顔………」
やっぱり愛莉の方が芸能人としては向いている気がする
レポーターとかやったことあるけど温泉が気持ちよくてご飯が美味しかったという感想しか出てこなかった。やっぱり観光地は観光地と呼ばれる所以があるのだろう…『シナリオ』が終われば、観光地から一駅、二駅離れた場所に終の棲家を構えるのもいいかもしれない
なんて
「そういえば愛莉、聞いたわよ!新番組、おめでとう!」
「私だって雫の新CD聞いたわよ。いい感じじゃない!」
そうして何気なく話しているとやはり仕事の話になってしまう。会話のレパートリーが少なすぎると思わなくもないが私自身がどちらかといえば口下手なため、やはり自分から振るとなると仕事の話題になってしまう。…仕事以外でまともに人と会話したことあるのか、と言われたら勘のいいガキは嫌いだよ。としか返せないほどには
「けど久々よね。グループでの新曲なんて」
「最近はみんな、忙しかったからかしらね」
白々しく言葉を吐く。幾ら同業者と言えど、別の事務所の所属だとその内情までは伝わりにくい
往々にしてそういう悪い噂は飯のタネになりすぎるから耳に入ってこないようにシャットアウトするか、そもそも聞いたとしても面白半分に流すか、という選択がとられる
「……そう。雫も無理しないようにね」
「ええ。愛莉ちゃんもね」
気が付いているのだろう。…知って、いるのだろう
けど『桃井愛莉』は口を噤む選択をした。それがまだ噂でしかないから、それを真実だとは認めたくなかったからだろうか。それも含めてきっと『桃井愛莉』という少女のやさしさだとするのならば、きっとそのあまりに純真な思いやりさえも
────全ては三つ葉のクローバーに収束する。花のごとし少女の名のもとに
◇
今日は昼から撮影があるからと早退をして向かう先は撮影スタジオ。いつも送迎をしてくれる車の中でひとり今日の撮影について考えていた。…今日はとあるファッション誌の表紙写真の撮影。アイドルとして桐谷遥とモデルの日野森雫のダブル起用とする豪華版の撮影らしい
色調が似ているという事もあり互いが互いに調和しながら引き立て役になるこの撮影にははずれが無いらしく、普段なら購入しないような客層にまでも売れるという事で何度か撮影にもお世話になっている出版社のところだ。ちなみにここの撮影プロデューサーはお酒が弱いタイプである
「……つきましたよ。雫さん」
「いつもありがとうね」
車を降りて中に入っていく…ちなみに鞄や諸々は車に積んだままだが、最悪学校に置いていても問題はないだろうと思っていたのは内緒だ。持って帰らないといけない水筒ふたつは手に持って歩いているのだから…ちなみに私は復習は週末するタイプだったりする
そうしていると中では既にスタイリストが待ち構えていた
何度か仕事を共にしたことのある見知った顔。結構癖のある人だが腕は確かなのだ。『ほぼすっぴんでこの顔!?…マジやばすぎて滅』だとか『ア!アーウ…』と不思議な鳴き声を上げる以外はまともな人なのだ、多分
身を任せるようにしていると完成したのだろう。そのまま衣装へと着替えると、どうやら今日は黒をメインにしたゴシックロリータの服装に近いリボンが多く服というよりドレスに近い服だ。厚底のブーツに青いバラの造花を胸元へと添えた姿で、部屋に入ればそこにはもう本日の共演者が立っていた
「…………遅かったね。雫」
「待たせてしまったかしら。遥ちゃん」
『桐谷遥』彼女の服装はどちらかと言えば中性的な服装であり近しいものでいうのなら騎士服だろうか。私とは対照的な白をメインとした服でぴっちりと胸元までボタンが留められている。その胸元には赤いバラの造花が添えられていて、彼女の立ち姿を見ればより凛々しく見える
今回のコンセプトはさしずめ騎士と魔女。といったところだろうか
「もう少し早く来てくれたらお話しできたのになって」
「そうね…どうか許して頂戴、騎士様?」
頬を膨らませる遥に近づき顔に手を添える
大体、ここでやりたいことは分かった。雰囲気と言い、用意された小道具と言い、後は本日撮影をするカメラマンの趣向的に私の服装と遥の服装をもとにおそらくこうしたいのだなと『役』を染み込ませ切り替える。『日野森雫』から『求められた役割』に
「…いいね、いいね!雫ちゃん、最高っ!さすがっ!!」
「お褒めに預かり光栄ですわ。───様」
どうやらその姿をかのカメラマンは見ていたらしい。サムズアップをしてカメラへと覗き込み一枚試し撮りをされる。…そうやらおおよそ間違いではなかったらしいと両手でスカートの裾を軽く持ち上げて膝を軽く折り曲げるカーテシーにもまた一枚写真が撮られる
「さいっこう!!…それじゃ二人は少し休んでて」
新しいインスピレーションでも湧いたんだろうか。妹の志歩もなにか閃いたときは似たような眼をしていると急速に入れ替わっていくセットを眺めながら考える。往々にしてその出力する媒体さえ違えど才のある人は同じ境地にたどり着くのだろうか
「…やっぱり雫は、凄いね」
「そうかしら…?」
そうしていると横から小さく桐谷遥の声が聞こえる。深い、まるでヘドロの様な粘っこい声色
怨んでいるというような殺意が混じった息ではなく、形容しがたい複雑な何かが入り混じった呟き。それはまるで自分を納得させている様な、噛み締めているようにも聞こえて私はつい返事をしてしまう
「うん。だって……雫は、私の希望だもの」
「いいえ、それは違うわ」
「…………ぇ?」
「希望は、あなたよ。私たちアイドルの希望、目指す先。あなたの姿こそが希望なの」
『桐谷遥は国民的大人気アイドル』である。幾ら私に仕事があるとしてもことアイドルという一面だけで見るのなら私たちは絶対に桐谷遥という一番星に敵うことはない。それは絶対であり必然の物語、そんな絶対がズレてしまうことはあり得ない…あり得ないが『桐谷遥』も1人の人間だ。多少の誤差はあるだろう
「なら、雫。あなたはどんな言葉をそれに込めるの?……教えて、教えてよねぇ」
『桐谷遥』という物語において、彼女の有名なキャッチコピーが呪いとなり絶望へとなる
彼女は希望というあまりにもあやふやで縋ることしか出来ないものに足を取られてしまうことになってしまう。希望という言葉、その意味を遥は見失ってしまっているのだろう
桐谷遥の掴む手が私の肩を離さない。どうやら鍛えているためか細い腕だというのに思っている以上に力が掛かって肩が痛い。それほどまでに桐谷遥は悩んでおり、そして『アイドルを辞めてしまうことになる』
けど、それはきっと私に聞くことではないのだろう…何故ならそれは
「
「嘘こそ、とびっきりの希望なんじゃないかしら」
「し、ずく……それは」
そうして密談のように話していると準備が終わったのか少し遠くからプロデューサーの手招きする声が聞こえる。セットも、大分様変わりしており、先ほどまで無かったはずのバラの花びらや短剣など色々なシチュエーションでとることが予想できる…どうやら今日は長丁場のよう。先に晩飯の有無を無で答えておいてよかったと内心ホッとする
「おーい!雫ちゃん、桐谷さん。準備お願いしまーす!」
「はーい!…じゃあ行きましょうか遥
映る先はカメラの向こう側。演じるのは騎士である桐谷遥、そして愚かな魔女である『日野森雫』
そうして彼女たちは舞台に上がる。それが彼女たちの仕事であるがゆえに