華喰蟲よ、樒の葉を食め 作:夜雫の夢
「『日野森雫』に、何が分かるの!!」
それは救いだった。それは『日野森雫』を認める言葉だった
罪を、日野森雫の人生を奪った罪人に振り落とされたあまりにも優しい優しすぎる断頭の刃はまるで魂さえも溶かす極上の甘露のように喉を伝い落ちる
ようやくわかった。私が、■が『日野森雫』になった意味を、死ねなかった理由が
私はこの言葉を聞くために生きてきたんだ。『日野森雫』に価値は無いのだと聞くためだけに苦しんできたんだ。…嗚呼。と私は今も隠れ往く夕日を見た
「……ええ、そうね。そうよね」
私は、最高の贈り物を受け取って死ぬのだ。と
「そうねってあなた…っ!?」
「ありがとう、愛莉ちゃん。私を…『日野森雫』を否定してくれて、ありがとう。素敵な、なんてすてきで、なんて幸せな『おわり』をありがとう」
頬を伝う温かい雫…涙を流したのはいつぶりだろうか。もう思い出せないほど覚えていないけどこの涙は、この胸を高ぶらせる鼓動にあるのは感動だ。まるで心が洗われるような…いいえ。そう、まるで産まれ直したかのような産声代わりの涙を目一杯流す
産まれたのなら、それは誕生日。そして死ぬのならそれは命日だ
誕生日で命日に私は最高の親友から最高の贈り物を抱きしめて死ぬ
「違うの…ちがうのよ。しずく、うぁ…やめて。しずく、おねがい違うの…」
「本当に、ありがとう。愛莉ちゃん」
いつか私はこの世界を怨んだ。呪うほどに恐怖していつしか私は『日野森雫』に為った
『メインストーリー』が終わるまで、そして終わった後も私はずっと『キャラクター』に成りきるのだと思っていた。…けど、違ったのだ。この世界は私は思うほど残酷じゃない…だって今、愛莉ちゃんが助けてくれたように
だから、私はきっと私は初めて満面の笑顔を
『日野森雫』でも■でも私でもない本当の笑顔を浮かべて貴方への愛に口づけする
「だいすきよ」
「──────────!!」
どさりとまるで脱力するかのように膝から崩れ落ちた愛莉ちゃんを抱えて頭を撫でる。
愛莉ちゃんはまるで姉のようだった、『桃井愛莉』は末っ子だと識っていたが今まで『日野森雫』が『桃井愛莉』と関係が続いてから今までずっと愛莉ちゃんの手に引かれて歩むことが多かった。だから今日こうして感謝を伝えられたのは嬉しい事だと思った
どれほど言葉を尽くしても私の感謝は伝えきれないほどだけど
…どうすれば愛莉ちゃんはその涙を止めてくれるだろうか。いつものように私の稼ぎを愛莉ちゃんに半分あげると言ってみようか。もう半分は『日野森雫の両親』や『日野森志歩』に残さないとダメだけど…きっとこれが最期のチャンスにもなるだろうし
あ、でも
「…愛莉ちゃん。どこか痛いの?膝でも打った?」
もしかしたらどこか痛いのかもしれない。私はもう痛いのとか無いからその感覚に寄り添うことは難しいけど愛莉ちゃんには泣いてほしくない。それは間違いのない事だと思うから、口元をゆっくり上へと持ち上げる。微笑むことは慣れたけど終ぞ笑顔は不自然なままだった
「あぁ…ごめんなさい…っごめんなさいごめんなさい…ごめんな、さい…」
「?どうしちゃったの?愛莉ちゃん」
胸元を濡らす愛莉ちゃんの涙。私はどこか気強いイメージを抱いていたから、今のような触れれば壊れてしまうような愛莉ちゃんの姿にちょっぴり驚いてしまいそうになる。…けどそうだ。『桃井愛莉』だってひとりの人間だ、そうして泣いてしまう日だってあるだろう
「……おねがい雫。私の言葉を忘れて、そんな悲しいこと言わないで……っ!」
「…………どうして?」
涙を流しながらも顔を上げた愛莉ちゃんにはくっきりと涙の跡が残っている
だけど気になったのはそこではない。胸に突き刺さるように愛莉ちゃんの言葉が私の光を切り裂こうとする…どうしてか分からなかった。だってそれは嬉しい事のはずだ。それは私に向けられた餞の言葉のはずだから
「愛莉ちゃんは自分の言葉を否定するの?」
「っく、それは…違うわ。雫、それはあなたの救いにはならない……!!」
喜ばしい事だ。私の誕生日、私は今ここで生まれたと言っても過言ではないほどの言葉だったはずなのにどうしてそんな顔で、そんな目で私を睨んでいるのかが分からなかった…どうしてだろう。本当に、ほんの少しだけもう温かくも冷たくもない胸がキュッと痛んだ気がした
「変な愛莉ちゃん。…けど、嬉しかった。ほんとうよ」
「…………やめて、しずく」
けどそんな事は幻覚だ
『日野森雫』はここで死ななければならない。これ以上、■が愛したであろう『プロジェクトセカイ』を穢さないためにやっぱり『日野森雫』の親しい親友であるはずの『桃井愛莉』が私を否定したのならそれは■が、私が『日野森雫』失格だという事になる
「私はね。本当はずっと怖かったの、『日野森雫』が」
「…………」
「みんな誰もが私を、『日野森雫』を見る。…けど愛莉ちゃんあなただけが私を否定してくれた」
『鳳えむ』も『朝比奈まふゆ』も引き留めようとしてくれたのだろう
……けど、ごめんなさい。弱く醜い私は
「あ、あぁ……」
「だからありがとう。愛莉ちゃん、あなたのこれからが奇跡に溢れたものになりますように」
だから、そう気に悩まなくていいの愛莉ちゃん
悪いのは全て臆病でうす気味悪い出来損ないな私だから…そんな私と親しくなってしまって本当に
───
◇
学校を出て繁華街を歩けば町はもう夜の様相となっていた。町行く人の中には既にアルコールが入っているのか足取りの覚束ない顔を赤くした大学生らしい風貌をした男性や疲労困憊で顔色悪く駅へと向かうサラリーマンやOLの姿を見かける。
ここは直に夜の街となる。派手なネオンの輝きと、店から聞こえる下品なまでの大音量に奏でられるミュージック…そしてどこか体にへばりつくかのような重さと怠さが支配する夜の街へと。…生憎と『日野森雫』は未成年だからそんな街のお世話になるつもりはないため足早に抜けていく
ああ、そういえば。そろそろリンスが切れそうだ
学校から出されている課題も溜まっていていたはずだ
「……まあ、もう良いわね」
中でドロドロになった蛹がそのまま地面に墜ちて拉げたような、いつか映った姿見の造形から理解してしまった様な抑揚も弾みもない本当にまるでマネキンみたいな生気のない声色とショーウィンドウに写った顔は私でさえも酷い顔だと真っ先に思うぐらいには壊れた微笑を浮かべていた
どこにも帰れない■は、どこにも行けないこの夜が相応しいという事なのだろう
目の前に降り立った一羽のホトトギス…そういえば、と思い出したようにこちらを見つめ返す姿にふといつか読んだ本の中に書かれたホトトギスの異名を思い出した
「…ねえ、あなたも独りなの?」
死出の田長。かつて田植えを告げる鳥の異名が時と共に訛り、いつしか死出の山を越えて来る鳥と謳われるようになった。…あの世とこの世を行き来する冥府鳥は帰りたいのに帰れないと泣いたその言葉にきっと私は同情してしまったから
どっちがあの世でどちらがこの世なのか。
帰りたいと啼く■は、私はどこに帰る場所があるのか…そんなことばかり考えて、いつしか生きようとする意思すらも失って『日野森雫』を繰り返し続けた。自分の役目だけを淡々と熟し、そしてどこにも行けないと顔を持ち上げられてようやく気が付いた
───「
…今ならわかる。この言葉の意味が
『日野森雫』を始めたのが私なら、『日野森雫』を終わらせるのも■でないといけないということだ。誰にも、何にも残さず、灰も塵も風に吹かれて飛ばされて残響だけが醜く■の世界に届けばそれでいい それでいいの
だからだろうか
こんなにも夜が、世界が美しい
「一緒に行く?」
少しずつ身体から自分の意識が離れていくような感覚。
ようやく長い、永い夢から醒めるように卵の殻が割れていくように落ちる砂の残りが少ないとなんとなくわかる。人は、土に還る。たとえ魂だけとなろうとも帰ろうとする
だから私はこの世界に立てども、交わってはならない。
死んだように産まれ堕ちたのがこの世界だとしても私の魂はきっと向こうに帰る場所があるから、土でも海でも私を遺さないように眠らなくてはならない。ようやく、おわれるんだ
「……そう、良い子ね」
死出の帰路にこの子まで連れて帰るつもりはなかった
けどその夜を纏うような翼が、私を見つめて離さないその真ん丸の瞳が…独りぼっちの姿が妙に親近感を抱いてしまって手を伸ばしてしまった。ここから先の私の行く末を知っているのか知らずか一瞬の沈黙ののちに私の肩を止まり木にしたのか、その子は静かに降り立って毛づくろいを始めた
「…さぁ、どこまで行きましょうか」
生憎とこの先は一本道だけどそれまでの道中の速度は速めようが緩めようが一緒だ。
生を望んだ意味は消えて、残ったものはみじめに植わる■だけ…思えば■がこの世界に持ち込んだものだけが見事に残った
「♪~~」
あんまりにも綺麗で、見える全てが色づいて見えるから
私は鼻歌を歌いだしてしまった。それはきっとすべて失った夜だから惜しむほど美しく見えた
流れる人混み、瞬く星の夜。歩く、歩き続ける
輝くものに独りふたりぼっちで置いていかれるようにただ進んでいく。光を越えて、人を越えて夜を越えて。いつかどこかの子どもたちが星だけを頼りに行ったお伽噺のように
「大丈夫。きっとこれが最期になるわ」
────夏が近づこうとしていた
■が死んだ、夏が────
『第三章 『日野森雫』失格』終了
───第四章を、再生しますか?