華喰蟲よ、樒の葉を食め 作:夜雫の夢
『25時、ナイトコードで』
……勝算は、あった
迎えてしまった日野森雫の限界。そして朝比奈まふゆの意思そのふたつが合わさることで本来ならばセカイに新たな想いを、或いはありうるべからずの可能性としてふたりぼっちの逃避行なんてエンドロールがあり得るほどには日野森雫と朝比奈まふゆは近すぎた
「……まふゆ」
勿論そんな事まふゆが知るはずがない。だが目の前で今起きた事を飲み込むにはあまりにも今のまふゆには酷な現実だった。…並べるなら、将来や自分の事で悩んでいる少女が消えたいと思うほどに鬱屈とした感情を共感し理解する仲の良かったはずの友人が今発狂したように虚空を眺め、虚空と会話し笑顔で消えて行ったのだ
ただその一言もまふゆと会話することなく雫はまるで脚を踏み外したかのように去っていった
雫にどれほどの事情があるとはいえ今のまふゆには知る由もない話だ。だからこそその衝撃はまふゆから現状に抗う事も、悲しむ事もなにもかもを奪い取るには十分過ぎた
「なに……それ」
「まふゆ、まふゆ……っ!」
セカイが呑み込まれていく。それはある種の自分の末路を、成れ果てた姿を目撃した故の衝撃。先ほどの雫と同じようにまふゆの膝を折らせるにはあまりにも過ぎた絶望で…それだけに本来ならあり得ないほど残っていたまふゆの微かな輝きさえも呑み込んでいく
ミクが、このセカイのミクであるニーゴミクが血相を変えてまふゆの肩を揺する。今のまふゆはどう考えてもまずい…先ほどの壊れてしまいそうだったまふゆの親友の雫と同じぐらいに今のまふゆは駄目な方向に進もうとしている
──だけど
「もう……いいや」
朝比奈まふゆの想いには既に、消えたい以外の意思など
(……私が、どうにかしないと)
だからこそミクは急いでいた。想いが潰えていく、まふゆの心の悲鳴に誰よりも敏感に寄り添ったバーチャルシンガーであるからこそ本当の想いに気が付く前にまふゆが折れてしまわぬようにもはやなりふり構わなくなったミクはこの場にいたはずの誰かに話しかける
ミクの想像通りならそこにいるはずだ。
想いの持ち主であるしずくに拒絶された想いの持ち主に拒絶されたバーチャルシンガーが
「…聞こえているんでしょ。
「……いるよ
わたしよりもずっとミクの姿に近いミクだと誰もいないセカイのミクは現れたその白と青紫色のアイドル衣装に身を包み胸元に枯れた白百合の花を添えたミクの姿とようやく出会った。儚げな、夢現な姿は確かにどこかしずくの姿に似通っていてそれだけに理解が出来なかった
バーチャルシンガーとは想いを導く存在だ
だが、今さっきこのミクがやった事はその対極にあるかのような想いの持ち主を追い詰める行動。痛めつけ、傷つけそして無理矢理立ち上がらせるその姿はミクから見ても痛ましいと思えるその姿にはしずくのミクが関係していることにニーゴミクは最初から気が付いていた。
「ミクはどうするつもりなの?」
「私は全部、雫のために動いているよ」
ミクがセカイに属するものだからかなんとなく分かることのひとつ。セカイの想いの持ち主の間に何らかの想いの変遷があった場合セカイだけでなくその中にいるミクたちもいつかそのうち姿を失ってしまう…そういう意味ではすでにしずくのミクは姿を失いつつあった。
今もその場に薄く笑みを浮かべて立っていても既にその中身は空っぽに等しくまるで空気人形のようにもう一度衝撃が走れば今にも萎んで消えて行ってしまいそうなほど儚げだとニーゴミクには見えていた。どうしてそうなってしまったのか、ここからどうするのかその問いの答えもまた朧気で
「じゃあ、さっきのことも全て……?」
「…………雫が望んだことだから」
分かることはひとつ。しずくのミクは嘘をついていない
それだけにニーゴミクは何とも言えないもどかしいと言うように顔を歪めるしかなかった
「自分を罰することが、しずくの望みなの?」
「ううん。……雫は、産まれてきたことが罰だと呪った」
持ち主の想いの影響を受けるミクにとって、まふゆの想いから産まれたニーゴミクにとって雫というのはよきまふゆの親友であり似た思いを抱えている共感できる人としてどちらかと言えば親近感を持つぐらいにはニーゴミクも雫のことを気に入ってた
それだけにしずくのミクが語ることが理解できなかった
それでは、それじゃあ…しずくはどうしようもない程もう本当の想いを見つけることができないぐらいに限界だったということになる。
「それは……」
「もう限界だったの。ずっと昔から雫は
希望と絶望は対極にあるように見えて実はコインのように表裏一体である
絶望の中から希望が産まれるという言葉があるように希望があるからこそ絶望が色濃く象る。それはまるで切り離せない光と闇のようにこのふたつは決して分けて語ることは出来ない代物であった
「…………っ!」
「今まで一度も満たされたことがないのに、満たされることを知っていた。…きっとそれが雫の苦痛だった」
であるのなら、『日野森雫』の真の絶望とはなにか
雫の、最も純粋な日野森雫の欠片から産まれたそのミクはよく知っていた。…絶望の中から希望が産まれるのが世の常だとして
まるで仮面を張り付けたように無表情で語るしずくのミク。
背後に歪に伸びた影からはまるで今も光を、救いを希うかのように両手を固く結んだ影が浮かんでは無造作に刈り取られるように消えては浮かび続ける。それは決して叶う事なき願望を現しているかのように
「けど、それでも雫は諦められなかった…諦めることを許さなかった」
「それは、どうして?」
「……雫が、『日野森雫』だからだよ」
捨ててしまえばよかったのだ。それが雫の枷になるのなら
その痛みから逃れて、たった独り誰にも理解されない夢の中で静かに朽ち果てるように眠り続けたらよかったのだ。…たとえその夢の中を雫以外の誰もが認めなかったとしても苦痛の中で、絶望の中で藻掻き沈み苦しむよりもずっと楽になれるはずなのだ。
たとえその中では想いが産まれぬものだとしても苦しみながら、何もかも失いながら進んで幸せになんて誰がなれるというのか。ミクにとって真に呪うとするのならばきっとこのセカイに、『日野森雫』を敷いたこの世界全てに対する怒り。それがミクの抱いたものだった
「そっか。…ミクはしずくを愛していると同時に、どうしようもなく全てを恨んでいるんだね」
ようやくニーゴミクは目の前に立つしずくのミクの違和感に気が付いた。
彼女はしずくの代弁者なのだ。徹頭徹尾しずくの意思だけを口にする想いの導き手ではなく想いそのものであるという自負は見ようによってはとても脆く儚い在り方、ミクという在り方さえも投げ捨ててしまいそうなそんな張り詰めた線だけを意思に込めたような
でもそんなミクの姿にニーゴミクはこの子をどうしようもなく抱きしめてあげたかった
けど、それは間違いなくミクにもしずくにも侮辱になる
「……分かった」
「うん。ありがとう」
どうして、だとか。しずくはそれでいいの、とか
言いたいことはあるけど呑み込んだニーゴミクを前に雫のミクが微笑む。それはまるで初めて満面の笑みを浮かべた日野森雫のように
◇
「ミク、どうしてここに人がいるの?」
その夜のことだった。騒々しい喧騒、このセカイに似合わぬ部外者の声にまふゆは不快である事を隠すこともなく目の前に立つ3人の姿を睨む。この場所を雫以外に踏み荒らされる怒りはついついまふゆの語気に冷たい怒りが籠る
「…雪?」
「その声。K?」
どういうつもりでミクは雫を、そして雫のミクを見送ったのか知らないけどその代わりが【これ】とは笑わせるとまふゆの冷静な部分が告げる。疑問も心配も必要ない…今のまふゆを満たすのはこの嫌悪感と、笑いだしてしまいそうなほどに胸を満たす冷たい空気。
だからまふゆの言いたい事もただひとつだけ
「……うるさい」
「え?」
「ここを出ていって。ここは貴方たちが踏み入れていい場所じゃない」
ここは静かな場所だった。雫も居心地が良いとお墨付きをした誰もいないセカイ
そんな場所に土足で入り込んだ挙句に目の前で騒がれるまふゆの内心は既に絶対零度を下回っており見下す3人はすでに養豚場の豚を見る目の方が優しいのではないかと言わんばかりの視線。
無理もない。つい数時間前まで雫がいてそしてあのようなことが起きた
まだまふゆ自身も消化しきれていない出来事の上でこれだ。流石のまふゆも対応がとげとげしくなるのもどこか察せるものがある…とはいえ、そんな事このセカイに招かれたニーゴのメンバーは納得できないだろうが
「出て行ってって……」
「聞こえなかった?私は、もうひとりでいたい」
まふゆの望みは最早それだけだ
これ以上の絶望はいらない。けど希望ももう何も分からない…だから静かに朽ち果てるように消えたい
「雪は、今度はひとりでOWNとして歌を作っていくの?」
「……そうだね。それもあったね」
OWNの名前は今、Kに指摘されて思い出したぐらいにはまふゆの中で抜け落ちていた
其の答えは簡単だ。どれほど叫ぼうとも、どれほど探そうとも無いものは無いし見つからないものはどれほど足掻いても見つかることはない。そしてそれでもと足掻き続けた末路を知っているが故の無関心さ
きっと雫もそうだったのだろう。
この道を選んだその日から何もかもを費やして縋る先さえも失った雫の先は想像するよりも簡単だった
「なんで、あの時言ってくれなかったわけ!?」
「別に。いう事でもないでしょう?」
「……は!?」
「?友達でもないのに、どうして話す必要があるの?」
私と雫であっても友達であれなかった。
ならどうして名前も知らないような、同じように背中を預けて引き留めたくなるほどの関係も共感も無いこの人たちと友達になれるのだろうか?まふゆにはそれはそれは不思議で仕方なかった
「私はもう、ニーゴにいる必要はない」
「……それで、まふゆは本当に見つけられるの?」
ミクの制止する声。だけど生憎とまふゆはミクとしずくのミクの会話を聞いていた
ミク越しに雫の絶望を全て聞いてそして分かってしまった。
「もう見つける必要も無いのに?…私にはもうなにも残されていないのに?」
「まだ、残ってるよ」
「止めてミク。…そんな言葉で立ち続けた先があの子なら、どっちにしろ同じ」
「……あの子?」
「Kにも、えななんも…もちろんAmiaも関係ない。私のたったひとりの親友」
誰かの訝しむ声も今はどうでもよかった。
胸を張って親友だったと口先だけ誇るその滑稽さ。本当は友達にもなれていないと分かっているのに、それでも言葉だけでも友達以上を求めてしまう図々しさにやっぱり私では雫を見つけられないんだって嫌でもわかってしまう
「あなたたちには見たことがある?ずっと消えたがってのに何もかもに雁字搦めにされて立たされていた人を」
「あなたたちは知ってる?救いになるはずの選択が、却ってその人を絶望に叩き落したことを」
「……その顔を見たことがある?」
今も鮮明に思い出せるような笑顔だった。今までまふゆが見たことが無い様な屈託のない底も無ければ何も持たない人間だけが浮かべられるようなこのセカイの空色にも似たような笑み。誰もが惚れ惚れするほど綺麗な笑みは本当に、ひどく哀れでうす気味悪かった。
「そ、れは……」
「Kにはありそうだね。…最悪な気分だったでしょ」
そんな顔をさせてしまった経験がきっとKにもあるのだろう。一目見てわかるぐらいには酷い顔をしている…それはまるで鏡を見ているかのようで、ついさっきまでの自分が立っているのではないかと思えるほどには見覚えのある顔色をしている
「…………」
「とにかく、もうどうでもいいや」
まあ、それもどうでもいいけど
私がそうであるようにここにいるKもえななんもAmiaも全員が消えたがってるくせに、と最後に見渡して後ろを振り返る。どうせこれ以上話しても無駄だ、何を話せばいいのか。よくよく思い出せばいつも雫が話題を出してくれていたことをふいに思い出した。
「ミク。一人にして、どうせその内ひとりになる」
「……いいの?追いかけなくて」
「どうやって?何も繋ぎ留められなかった私がどんな声を掛けたらいいの?」
ミクも分かっているのだろう。…私が雫を止められなかったようにミクもしずくのミクを止められなかった
いかないで、と言えなかった。言ってしまえばそれが雫としずくのミクを縛ってしまう鎖にしかならない事を分かっていたから。そんなところまで似なくてもいいのになんて少し思う
「………さようなら」