華喰蟲よ、樒の葉を食め 作:夜雫の夢
しかるに私は■自身の面目のために、真剣に寄ってたかって『日野森雫』を破滅のドン底に追いつめて行きました。そうして帰る道など無いと追い詰めたままこの世界へタタキ出してしまいました。
ですから『日野森雫』は実に、何でもない事に苦しんで、何でもない事に死んで行ったのです
彼女を生かしたのは空想です。彼女を殺したのも空想です
ただそれだけです
さようなら
彼女のために祈って下さい
◇
夜の淵で私は微睡から醒める。今日は色んなことがあったからか泥のように眠ってしまった
もう二度と目覚めなければと思うほどには疲れていたからこうしてここが花里みのりの家である事も忘れて大人しく布団の中で丸まっているのだろう。あるのだからベットで寝ればいいのにと思うが律儀にもこうして布団を並べて寝息を立てるみのりちゃんが隣にいるからどうにも不思議な感覚だ
……帰りたかった。■の世界に
こんなゲームの中じゃない。ましてや『日野森雫』というゲームのキャラクターではない■の
(…………)
『日野森雫』と■ならどっちが満ち足りた人生を送れるのだろうか。
これはもう一考する必要もなく前者、『日野森雫』の方が幸福になれるだろう。人目を惹くほどの麗しい顔つき、アイドルを約束されている将来にそしてモデルとして稼いだ財産は高校生が持つにはあまりにも過剰なほど。頭の出来も■と違うのか覚えることも、それを出すことも自分の脳とは思えないほどにスムーズに行える
面の良さも、頭の出来も、お金もあるのに
…どうしてだろうか。私の中には常に■の方が満ち足りていたのではないかという確信がどこかにあった。別に面が良いわけじゃないどこにでもいるごく一般的な男で、頭の出来も特段いいわけではなくそこらの大学を卒業して社会に揉まれて、お金だってあるわけじゃない。週末には仲良くなった先輩と飲みに行き、たまには旧友と顔を合わせて、そしてソシャゲに課金しては月末に金が無いと煽ぐような生活
けど、■は生きていた
ゲームの世界に行きたいなんて言っておきながら、それでも生きていた
「…………っ」
去った雲の切れ目からは月明りの輝きが優しく窓の隙間から入ってくる
いつか見た夜空も、この世界に映る夜空にも変わらず輝き続ける月光はきっと『日野森雫』が失われてもなにひとつ輝くだろうから私はその光を糸にした。銀糸のように優しく降り注ぐ光だから私はその糸を手に取った
けどその糸はこの手からすり抜けた
なら私は?どこにも行けない、どこにも帰れない■は、私はどうすればいいのだろう?
「しずくちゃん」
「……ごめんなさい。起こしちゃった?」
月の光に溺れていつの間にか私はこの部屋の窓に寄っていたようで、派手な音は立てていないのに起こしてしまったのだろうか。寝ぼけ眼を擦るみのりちゃんにはとても悪い事をしてしまった様な気がする。
「ううん。いいよ……近くに寄っていい?」
人も花も想いも夢を見るような時間だから
肩に優しく駆けられた掛布団はどこか優し温もりだった
「……しずくちゃんは」
そしてそれから何分、どれほどの時間が経ったのだろうか
ただ分かることは空に浮かぶ月の位置は随分前から変わっていない様なこの部屋だけ時間に置いて逝かれたような感覚。隣で一緒に空を眺めているみのりちゃんの時折聞こえる吐息だけがこの世界の時間を進める。
「アイドル、好き?」
「………嫌いではないわ」
そう。全ては嫌いではないのだ
この『プロジェクトセカイ』も『日野森雫』もただ嫌ってしまえるのならば
好きだった。愛していた
■は本当に『プロジェクトセカイ』というゲームを推していた。だけどそれは決してそのキャラクターになりたいという感情ではなかった筈なのだ。『日野森雫』の腕を見た
「そっかぁ…私はね、アイドル大好きなんだ」
「…………」
細く華奢な腕をしていた
色白で日焼けも知らない様なそんな腕
「私って昔っから運が悪くて」
身体も違う。声も何もかも
■の見ていた視点ではなくなった。■にはあったものが消えて、無かったはずのものがあったあの日の恐怖を覚えているだろうか。誰も理解してくれない自分の身体なのに自分の身体だとは思えぬこの恐怖を、噛み殺した絶望を
気が狂えてしまえばよかった。蛹のようにどろどろに踏み潰されるのなら
……いっそ、死んでしまえたのなら
「遠足の日はいつも雨だったりさ……いろんなことがあって何もかもが嫌になっちゃったこと、あるんだ」
「でもね。そんな時に出会ったのが遥ちゃんだった」
けどもう疾うに手遅れのようで
みのりちゃんの語られる過去は決して『日野森雫』に聞かせるものではない『花里みのり』のオリジン。『メインストーリー』の中で語られる彼女の過去がぽつりぽつりと雨音のようにこの部屋に、私の耳に染みる
「私、その時に聞いた遥ちゃんの言葉が好きなんだ。……『今日がいい日じゃなくても────』」
「「『明日は、いい日になるかもしれない』」」
明日なんて、運命なんて疾うに裏切られているけど
それでも
「……覚えてたんだ。雫ちゃん」
「ええ、でも……それは私は聞いていい話ではないかもしれないわ」
肩と肩が触れ合う。その温もりさえも今の私にはこそばゆくて振り払ってしまいたくなる
逃げて、何もかもから逃げてしまえたら…次はどこにいけるのだろうか。帰り路もほかの路も削ぎ落してきた私がこれ以上何処に逃げられるのだろうか
「ううん。違うよ…私は雫ちゃんに聞いてほしい」
「………どうして?」
その顔が映る。茶色の髪は月明りに輝き灰色の瞳は耐えがたい輝きを宿して私の顔を見ている
なにを見透かされているのだろうか、わけの分からない焦りが私の喉を鳴らす。■が、精神年齢だけ肥大化させたようないい大人がどうしてこんな小娘ひとりに怯えているのか、けど私は■はそれでこそ『花里みのり』だと、流石主人公だと納得する
所詮偽物では、本物の前にどれほどの虚像も意味を持たない
そういうことなのだろう
「私は今、雫ちゃんに信じてほしいから!」
「……何を、これ以上何を私は信じたらいいの?」
だから私は目の前で私の手を握るみのりちゃんの言う事を理解できなかった
『日野森雫』も、■も私も信じるものはどこにも無いというのに、それでもまだ信じさせてくれるような夢をみのりちゃんにミせられるようなそんな気がした。
「それは…言えない。でも!私がそれを言える日まで、待ってくれないかな?」
「絶対に雫ちゃんに届けて見せるから!」
けど、それでもあなたが真剣な目をするから
もう少しだけこのセカイに神も仏も4文字や5文字で書けてしまう、血も涙も数ドットと6つの数列で描けてしまう、緑地も蜃気楼も求められない砂漠のようなカサカサに乾干ひからびたこの舞台で
「……ひどいわ。ほんとうにひどい、まだ生きろと、私に『日野森雫』を続けろというのね。『花里みのり』は」
「ううん。続けてほしいんじゃないの」
「なら、どうして?」
「……私は雫ちゃんに一緒に居たいから。それじゃダメかな?」
その言葉に、私は何て答えたのだろうか
悖る私の姿に月は何も答えてくれなかった。そう何も
◇
それでも平等に夜は明ける。朝日の前で私の近くで丸まって寝ているみのりちゃんだけが未明の残響を抱いているようだった。この狂った世界で今日も私は『日野森雫』らしく笑えるのだろうか…なんて考えを嘲笑うように嫌な予感は当たる。
「雫。話がしたいの…いいかしら?」
「……ええ。愛莉ちゃんのためなら、喜んで」
それは授業終わりの後の話。私が今日はどこにいこうかと考えるよりも先に目の前に立った愛莉ちゃん
表情と声色からは何も読み取れない…どこに連れていかれるのだろうか。或いはどんな話をするのだろうか私の手を掴んでズンズンと一直線に向かったのは屋上だった
物語はいつも屋上で始まった。
ならその結末まで屋上なのだろうか
「昨日の、事なのだけど」
「…………」
「私は、まず雫の話が聞きたいの。あなたのことを教えて頂戴」
意外なことにそこには誰もいなかった。みのりちゃんも遥ちゃんもいない
2人だけの舞台にしたのだろうか。なんのために?…わかってるくせに
「………いいわよ」
「!じゃあ!」
「何が聞きたいの?愛莉ちゃん。『アイドル』の話かしら、それとも『姉』として?どの『日野森雫』の話を聞きたいのかしら?」
これは罰なのだと。逃げようとしたことへの罰ではない
奪ってしまった『日野森雫』としての全てを、踏みにじってしまった『日野森雫』の人生を、そんな浅ましく汚らわしい私の■の罪を白日の下に照らす罰
罪には罰を。罰には命を
忘れていた。私は『日野森雫』さえも言い訳にしてこの世界から逃げようとしていたその脚を止めてくれた人に感謝さえすれど恨むなどあり得るはずがない。
「……何を、言ってるのよ」
「?」
顔を歪める愛莉ちゃんの姿。その顔に見覚えがある
日野森雫ではない誰かを憐れんだ『日野森雫』の祖母の顔に
──可哀想にね
私はその言葉の続きを覚えていない。実の子の胎から産み落とした孫がこんなバケモノならば憐れみもするだろうとおおよそ異論はなかったから。
「そう……雫、あなたは」
「なら」
このタイミングを見計らっていたのかはたまた偶然なのか屋上の扉を開けた向こうからみのりちゃんと遥ちゃんがやってくる。前に立つ遥ちゃんの姿は前に見た時よりもどこか自信にあふれている様な…分からないけど不思議な感覚だ
「雫の話を聞かせて。他でもない、何でもないあなたの話を」
「…………」
『桐谷遥』は『MORE MORE JUMP!』という『メインストーリー』における最後に主人公たちに巣食われる子たちのひとりだ。どこかの創作界隈ではラスボス組なんて名称があったぐらいにはその物語における欠かせない人物とそれ相応の想いを抱えている
「ええ。遥ちゃん、あなたたちならば幾らでも」
だけど少なくとも今の遥ちゃんには
あの日のみのりちゃんと同じ今の私にはあまりにも耐えがたい輝き──
「雫の妹さん。日野森さん、今日酷い顔してたよ」
「…しぃちゃんには迷惑かけちゃったみたいね」
本来ならば私は今ここに立っている事はなかったと思う
身を投げたか、ビニールテープを巻いたか。人間の身体は自分が思っているよりも強靭でそして脆い事を私は、■は良く知っている。
後の処分するモノはそう多く残っていない。そういう生き方をしていたから故か整理し続けた後に残ったものは必要最低限のものにお芝居の台本やら衣装や小物などの仕事のものしか遺らなかった。だから後片付けは簡単だと、そういう意味を込めて後は志歩に頼んだ。
「そんな日野森さんに雫。こう言ったんだってね……産まれてきては駄目だったと、姉には『日野森雫』にはなれなかったって」
「間違いないわ。…それが?」
大丈夫。私は『日野森志歩』を信じている
きっとあの子なら向こうへ、届かない■のお袋の、オヤジのそしてアイツの元へその煙が届くはずだ
「ねえ、雫は……
「…それ、どういう」
そういえば、と思い出した。誰の言葉だったか
疾うに劇場の幕は降り、客席には誰もいない…それでも舞台をさらぬ役者がいたとしたら、こんなにも惨めなことはない。と
「…………」
まさに、その通りだと思う
『日野森雫』の人生を、本来与えられるはずだった幸福を簒奪してしまった時点でしっぺ返しは与えられるものだ。その代価も払わずに贈り物だけを得て結末を迎えることは許されない。
「ずっと違和感があった。ずっと、ずっと昔から今まで」
「ちょっと。もう少し分かりやすく言ってちょうだい!」
「…桃井先輩。あなたは研究生時代の雫から交流があったと聞いています」
「え、ええ。それがどうしたの?」
一瞬の逡巡。目の前に立つ遥ちゃんの瞳が少しだけ迷うように揺れてそしてその言葉を、『日野森雫』以外を白日の下にするその証言を証拠のように私に突き付ける。
「なら
「……………!!」
『日野森雫』以外に必要なものはない。
ふと『いい子』のあの子のその先を考えた。…まあ、いいか『朝比奈まふゆ』は『宵崎奏』に救われる。誰にも見つけられなかった少女は曲を作り続ける少女に救われる。なにも変わることない未来の話
「それが答えです。……どう?雫、答えて!!」
「鋭いわね。遥ちゃん、けどどうして?」
「……多分、雫と同じ理由だと思うよ」
ああ。と納得して遥ちゃんの隣でこの話の行く末を見守っているみのりちゃんを見る。
相も変わらず話の半分も理解してなさそうな顔で私たちの顔を見ているものだからそれがどうにも愛おしく見えてダメだと分かった。
「そう……いいわ。答えてあげる」
『花里みのり』が救うのは『日野森雫』だ
決して私と■ではない
「私が『日野森雫』だからよ」
ステキな夢を見せてもらった
だけど…だからこそ、この話はここでお終いにしないといけない
「それは…答えになってないわ。雫、だからどうして」
「…いいえ。桃井先輩
可哀想なことを遥ちゃんにさせているなと思う
こんな人でなしの心情を読み解いて代弁させてしまう遥ちゃんの苦しみは如何程なものか
「
……流石は『桐谷遥』というべきだろうか
やはり本物の前で偽物の鍍金はあまりにも無価値に過ぎなかった
「分かってくれたみたいで、嬉しいわ。遥ちゃん」
「……分かりたくないけどね。ねえ雫」
何もかも種明かしするのも自己満足だ
そこには『日野森雫』が、本当の『日野森雫』がいたのだという誰も知らない真実を誰かに分かってほしいと想う私のこれはあまりにも無様で、遅い足掻きだった。
「どうしたの?」
「…教えて。雫は今までで明日がいい日になるって、頑張れば希望は届くって思ったこと、ある?」
いつか言った。現実とは取り返しのつかない事しかないと
それを分かっているのに善くない事を今日もまた私は良くないと封じ込めた
「………そんなもの」
「どこにもなかったじゃない」
責任は誰にあるのか、勿論責任は私でしかない
……だから救いようがない
「…………っっっ!!」
「……もう、もうやめようよ!!」
苦虫を千匹ほど噛み殺したような遥ちゃん。顔が見えない愛莉ちゃん
そんな私たちの空気に割って入ったのはまたみのりちゃんだった。
「雫ちゃんも、遥ちゃんも傷つけあってるだけだよ!!そんなの、そんなのダメだよ!!」
「「…………」」
痛くて苦しいのは遥ちゃんの方だろう
ここまでお膳立てされても尚、私はなにひとつ変わることが出来なかった。『日野森雫』ならばと求めることしか出来なかった。その罰を求めるしかなかった…何も、変われなかった。
「……それに、もういいの」
「もう、いいって」
だから、私は本来の結末を迎える
少し遅くなってしまったけど──
「引退するの。『日野森雫』はここで終わりよ」