華喰蟲よ、樒の葉を食め 作:夜雫の夢
6周年おめでとう
「お姉ちゃん!!ねえ、お姉ちゃん!!」
まるで拷問だった
最悪の未来に怯える志歩に無機質なビジートーンは容赦なく断絶を突き付けた
空を明るく彩っていた茜色には暗雲が芸術的に台無しにして嫌な雨が降り始めている。
まるでこの先の姉妹の行方を暗示しているようで志歩の喉には酸っぱいものがこみ上げてきたものを噛み殺し、迷うことなく姉である雫の連絡先を引っ張り出す
「……っ!なんで!?」
ほかならぬ雫の手によって滅多打ちに叩き壊されてかかるはずのないその先に志歩は電話を掛け続けた。何回、何十回…スマホを握る手が白くなるまで、泣き声が嗚咽に変わるその時まで一度も志歩の声に応えられなかった。
分かっていたことだが、今の志歩に頼れる宛は殆どないと言って等しい。
咲希が長い闘病生活を経て戻ってきたことも知っている。そして一歌とまた昔と同じようにバンドをするのだと言っているのも知っている。だから志歩はこれが弾けるのならと一度音を合わせることにしたのがつい先日の話
──「ごめんなさい。志歩、私は貴方の姉ではなかった。ごめんなさい。志歩、私は『日野森雫』になれなかった」
謝りながらどこか胸のつっかえが取れたかのように何か諦めたようなお姉ちゃんの声
どういう意味なのかは分からない。異物だとか、台無しだとか志歩には姉の雫の言ったことが半分も理解できなかった。理解できなかったがそれでも分かることがある…それはお姉ちゃんが早まってしまうのではないかという予感
そしてその予感を志歩は誰にも共有できなかった
何故なら家族のだれもが、妹である志歩以外は雫を『よい姉』であると『立派な孝行娘』だと思っている。モデルで稼ぐ傍ら学校にも比較的優等生で通り朝早くから部活動にも精を出し家にもお金を入れるそんな誰から見ても完全無欠な素晴らしい娘にどんな心配をすればいいのか
月明りに照らされて泣いているのを知るのは志歩だけだ
そして昔は注意していたお姉ちゃんの遅くまで帰ってこない話も高校生になってからしなくなった
「……どう、すれば」
唯一、頼れるとするのならば今お姉ちゃんがつるんでいる桐谷さんたちに話をするべきか
いや。お姉ちゃんの話をどれほど知っているのか分からない…下手に話を広げれば却って姉を傷をつけかねない。最悪の展開も想像できるからこそ今の志歩の視野は非常に狭くなっている。たった独りで姉を見つけなくてはならない。この大雨の中、独りで暗くなる夜の街で
だけど、ここで例外がある
…いや。ある意味必然と言うべきか
『…………志歩ちゃん』
ならば、最も純粋な日野森雫の欠片から産まれたそのミクは最愛の妹の前に姿を現す
「…ミク!?いや、違うあなたは…」
『私はミク…雫の想いから生れたミクだよ』
現れたその白と青紫色のアイドル衣装に身を包み胸元に枯れた白百合の花を添えたミクの姿は志歩の知る
だが違うのはそれだけではない。己が雫のミクだと名乗った彼女の声色には教室で見たミクのような先輩感もお姉ちゃんのスマホから出てきたミクのようなアイドル感もない…まるで迷っているかのような顔色をうかがう細い声色だった
「お姉ちゃんの…想い」
『うん。きっと雫なら志歩ちゃんを止めるだろうから』
どんな想いから生れたのか志歩は終ぞそれをミクに聞けなかった
だけどその眼差しの燻んだ水色の瞳には確かに姉と同じ憂いを持っている。そんなミクが雫の代わりに志歩を止めるためにやってきたとなると、流石の志歩も落ち着いては居られなかった。
「……どういうこと?」
『ねえ、志歩ちゃん』
何度も、何度も志歩の頭の中でリフレインしている雫の笑い声
今まで一度も聞いた事のない様な底抜けてヒビ割れた笑い。何もかもかおかしくて、潔く笑い飛ばしたようなそんな志歩でさえも言語化できない様な雫の産声のような笑みだったから
百歩譲ってこのミクがお姉ちゃんの想いから生れたことを認めても、そんなミクが様子の可笑しくなったお姉ちゃんではなく私を止める理由が分からなかったから苛立ったようにミクを見る。こちらを見ていた、見ているようで視ていないお姉ちゃんの眼差しのように
『あなたは雫のこと好き?家族や、自分を愛している?』
「そんなの当たり前。お姉ちゃんを嫌うわけがない」
志歩にとってその問いは今更の話だった
言うまでもなく志歩はシスコンだ。本人に言う気はないけれど、もしもお姉ちゃんが私を選んで連れていってくれるのならいつも通りの憎まれ口は叩くと思うけど多分喜んでしまう。それぐらいにお姉ちゃんに置いていかれるよりはと思っている。今までも、これからも
だからミクの言うことに理解が出来なかった
『…なら、雫を追わない方がいいと思う』
「……どういうこと?」
『そのままの意味だよ。雫は志歩を愛してるから』
愛しているから、なにもするな。などという理論は志歩には理解不能だった
別だろう。志歩からすれば愛しているからこそ止めるのだ。訳の分からないモノを並べて自分は姉ではなく産まれてはいけなかったなんて言うお姉ちゃんをどう受け止めたら放っておけるなんて思えるのか
今までありがとうなんてそうにしか聞こえない
私を置いて逝くなんて…絶対に認めない
「だから!それはどういう……」
『その先には何もないからだよ』
「……は?」
『眩しい光の中に有るモノは雫じゃないよ。…落ちていく虚無に近づいては駄目』
そんな志歩の胸元に今も満ちては増える黒いドロッとした『それ』を塞ぎとめるようにミクはこう嘯いた。
忘れるべきだと、雫はようやく
でもそれで雫が楽になるのなら
もう二度と独りぼっちの世界で、独りぼっちの月を眺めて帰りたいと泣くぐらいならミクは止める。かつて英傑が打ち立てた功績のように、この先には何もないと。更に先には何もないとミクは背負い立った
「なら…止めないと」
『どうして?雫は自分の意思で帰ろうとしているよ』
だけどそんな事、志歩には知ったことではない。
そんな場所に虚無なんて恐ろしい場所に行こうとする雫の手でもなんでも掴んでその先に行かせようとしないようにするなんて当たり前のことだ
「だから、なに」
『…………』
だからそんなミクの姿についに志歩がキレた
確かにこのミクはお姉ちゃんそっくりだ。自分ひとりで全部決めてそれが周りの人を傷つけていることなんて気がついていない。お姉ちゃんが居なくなった時、何の影響も受けないだろうとまるで薄情な人間だと決めつけるような傲慢さ
「お姉ちゃんが間違えない人だって、完全無欠だってミクも思ってるわけ!?」
別に、お姉ちゃんは誰かが思ってるほど完全無欠で完璧じゃない。
仕事には真摯だけど金銭感覚が違う意味でおかしいし、紅茶が好きなのに隠してるし、泣いてるのに何も言わない。よく見ればズボラなのにずっと鏡に座って必死になって自分の中の何かを隠してる
「お生憎様!お姉ちゃんは全部分かってる様な顔してちっとも分かってない考えなしな癖に上辺だけの笑顔だけは上手で大丈夫が口癖なのにずっと心あらずで自分が泣いてる事にも気がつかない様な無頓着な人だけど!」
でも、それでも
「……それでも、私のたったひとりだけのお姉ちゃんなんだよ」
志歩にとって、雫はたったひとりだけの血を分けた姉妹なのだ
誰が何と言おうとも志歩にとって姉はあの泣いているお姉ちゃんだけなのだ
「そんなお姉ちゃんを心配するのがそれほど罪だと言うのでも!?」
『……だからだよ』
置いていかれたくなんてなかった。相談してほしかった
…喧嘩したかった。昔こんなバカなことやったねって笑えるような姉妹になりたい
だから喉から出てきた言葉は最も簡単な言葉だった
ああ。私はお姉ちゃんを心配しているのだと、独りでどこにも行かないで欲しいって言いたかっただけなんだと
『雫も志歩ちゃんを愛しているから。それ以上、近づけてはいけないの』
声を荒げる志歩の姿をただ見つめるミクはそれでもと志歩を冷たい声で制止する。
しぃちゃんの言いたい事は分かる。雫が志歩を愛するように志歩も雫を
「……愛してる、ね。それを言えば何でも許してもらえると思ってる?」
『…………』
志歩からすれば勝手なことを言っているのはどっちかと言う話になる
本当に独り善がりで自分勝手。まるでお姉ちゃんは自分のことを限りなく無価値、無意味だと思っているかのような言いぐさ…ああ。いやそうか、そういうことか
自尊心がミジンコ以下だから誰かに何かをされるのが怖いのだ。自分なんてそう想われる価値なんて無いと信じ切っているから誰も止められない。感謝するよりも先に自分を責めてしまう。申し訳ないと、誰かに心配を迷惑をかけてしまった自分は罪深いと思い込んでしまうお姉ちゃんの悪い癖
「ホンッと勝手…嘘じゃないのが余計腹立つ」
『なら、どうするの?』
近づいてほしくないのもその裏返しだ。
お姉ちゃんは自分の無価値を信じているから誰かに心配されるとそれが否定されるのだ
なんともまあ面倒で歪んでいるのだろうか。
愛されるよりも否定される方が楽なんていつからお姉ちゃんはそうなってしまったのか…割と昔からか。けどそんなお姉ちゃんだから愛おしい。こんなことになるまで気がつかなかった愚かな妹と天邪鬼のような姉。なんともお似合いな姉妹だろうか
「まずは話し合う。分かり合うまで」
『…本当にそれで済むと思ってる?』
こんな簡単なことに気がつくまで凄い回り道をした気がする。言葉足らずの姉妹なのだ私たちは
言わずにわかると察していると思っているから致命的に姉妹で受け取り方が違っていたことに気がつかなかった。なんとバカで、面倒な姉妹。けどそんなお姉ちゃんだから大好きなのだ
ミクの訝しむ声。この子がお姉ちゃんの想いから生れてきた理由も今ならなんとなくわかる
お姉ちゃんがずっと無視してきた心の悲鳴が、その想いがミクを生み出したのだろう。だからミクはお姉ちゃんを守っているようでお姉ちゃんを傷つける。だって自分を傷つけたがってるのはお姉ちゃん自身だから
「無理。…だから喧嘩する。言っても分からないなら喧嘩する」
私のお姉ちゃんだ。そりゃ意固地で聞かん坊で間違いない
だから喧嘩するのだ。自分の意思を突き通すために、これ以上お姉ちゃんがどこにもいかないために
「最初の姉妹喧嘩がお姉ちゃんの本心を聞くためなんて…とってもらしくない?」
ニヒルに志歩は笑った
赤く泣きはらした目のままで