華喰蟲よ、樒の葉を食め   作:夜雫の夢

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また、青の薔薇が色づく頃に

 

 

───かつてどこかで、そしてこれほどまでに美しい人がいたのだろうか

 

日野森志歩にとって姉である日野森雫はそんな一文がよく似合う人だった

枝毛、癖ひとつなくストレートにされどボリュームあるとても細く柔らかい水色の髪。するりと何もかもがか細く、人間というより人形のような精巧さがあって、この人と同じ輪郭をしているのか?と一時は不思議に思った。だけどそんな精巧さの中に宿る鈍く光を反射する薄水色の瞳と、緩やかに浮かべている笑みの頬に宿る小さい黒子が姉の人間味と実在性を恐ろしいまでに現実だと自覚させる

 

もちろん、姉の美しさはそれだけではない

 

まるで触れれば砕けてしまいそうな細い腕や足はすらりと長く、それでいてとてもしなやかな筋肉が付いている

それだけではなくお姉ちゃんの体は何といっても……柔らかいのだ。引き締まった体とは裏腹に女性らしい膨らみが付くべきところに付いている。まだ幼いころよくお姉ちゃんの腕枕じゃないと寝れなかったのは懐かしいものだ

 

だけどお姉ちゃんの本当の美しさはそこだけではないと妹である志歩は世の中に分かっていないなと鼻で笑う

姉である雫が最も美しいのはその所作にあると思っている。…言い換えれば品があるのだ全ての動作に…朝起きてから台所に立つ後ろ姿も、食事をする姿も、登校する時も、弓を番えている姿さえも、一本の芯がずっと通ったまま前を真っすぐ向いている姉の姿に志歩は釘付けだった

 

だからこそ志歩はきっと雫への言葉に、こう締めくくるだろう。

 

 

あなたは美しい。掛け値なしに美しい

しかしそれを本当の意味で知る人は居らず、まだ誰も気が付くことはない

 

 

 

 

少し街に出れば、姉の名前を聞かない日はない

町の中の大型ビジョンに映る姉の姿。今度は何のCMだろうか、飲食品?化粧品?制汗剤?はたまた何かのスポーツの応援だろうか…今まで姉の出てきた番組やCMは全て保存して管理しており志歩のコレクションである。ちなみにその美しさゆえかアングラで不埒な妄想の餌食になっていた温泉旅行の録画は志歩が独断と偏見で決めた一級封印指定物だ。世間が許しても妹である私は許しませんよ!という意気込みだ

 

と、足を止めてビジョンを見上げているとどうやら新しい姉の広告はファッション誌のようだ。

花の意匠が拵えた黒いドレスと顔を隠すベールだけで見るならまるで花嫁さんだ。だけど胸元に青色の薔薇を両手に持ち、赤色のバラの花びらの上で横たわるお姉ちゃんの姿はまるでおとぎ話のヒロイン

そしてそんなお姉ちゃんの隣で剣を手に取って守っている騎士様の姿はこれまた姉とは正反対の白い服装で、横になって眠っている姉の手にそっと顔を近づける

 

「…………あっ」

 

なるほど。さしずめ眠れる森の美女をモチーフという事だろうか

王子…あ、この人も女性だ。それに多分お姉ちゃんと年齢が近い人みたいだとその手でスマホを取り出して調べる。えーっとファッション誌の名前とお姉ちゃんの名前を入れて、っと

 

(桐谷遥……あー、アイドルの)

 

流行りとはあまり無縁…というか姉を追っていたら自然と流行りに追いついてしまうせいで、姉と関係のないものの方面はさっぱり。こうして調べて顔と名前が出てきたことでようやく誰かと分かった…けど、出てくるのはそういえばクラスメイトのひとりが彼女を推しているんだっけ

 

『でね!遥ちゃんが日野森雫さんと共演する時しか見せないあの笑顔が~』

 

…………なんかまたお姉ちゃんが女の子をオトしてる気がした

だって私のお姉ちゃんは人たらしだから。この前もスマホの操作が分かんないと泣きつかれたときに見えてしまった莫大な数の連絡先は尋常ではない。しかもその大半が年上の男性か同業者の女の子ばかりなのは少々どうかと思うのだ

 

そう、それでいうのならお姉ちゃんは少しどころではないほど隙が大きいのだ

なんというか人を疑わなさすぎというか献身が行き過ぎているところがある、そう例えば目の前で車に引かれそうになった子供がいれば一目散に飛び込むようなそんな危うさ。そんな見ているこっちがハラハラするような天真爛漫な姉を私は嫌いになれないのだが

 

だからこそ、私はお姉ちゃんが心配なのだ

 

 

太陽の如き美しいお姉ちゃんの顔の裏で

さめさめとひとりまるで月が欠ける様に空に向かって泣く姉の姿を見たことがあるから

 

 

それはあるの日の事だったと思う

いつものように夜遅くに帰ってくるお姉ちゃんの姿を迎えてお風呂が沸き直すまでの少しの間。私たちはいつものように今日あったこととかなんでもない話をした…とはいってもその時の私はいろいろあったせいで横からしつこく構ってくる姉に付き合ってやっているという感じだったが

 

だけどその日は少し違って、今でも思い出せる

なにせお姉ちゃんとお母さんたちで言い争いになっていた。しかもその言い争いはお姉ちゃんVSお母さんではない。お姉ちゃんVSお母さん+お父さんだったから…よく覚えている。あまり小言を言うような親ではなかったから、特によく覚えている

 

『雫、最近のあなたは無茶し過ぎよ』

 

『そうだ。それほどまでに仕事が忙しいのか?』

 

そんな言い争いの内容はざっくり言うなら最近のお姉ちゃんが帰ってくる時間の遅さが原因だった。

確かに最近のお姉ちゃんは朝早くから家を空けて、夜遅くまで帰ってこないことが増えた。幾らお姉ちゃんは高校生に進学したとはいえ週に4回も5回も日付が変わるギリギリまで外にいるなんて…流石に心配になるのもわかる

 

それに高校生になってから弓道部にも入ったみたいでそんな激務の中でも朝練も始めているとなると妹の私から見てもいつ休んでいるの?と言いたくなるようなお姉ちゃんの姿に流石の放任主義の両親も重い腰を上げざるをえなかったのだろう。

 

『心配しないで、お父さんお母さん。仕事は…踏ん張りどころって、あるじゃない?それよ』

 

『子供を深夜まで働かせて踏ん張りどころだって?』

 

『…………』

 

いつも通りと変わらない笑みを浮かべるお姉ちゃん、その目の前で難しい顔をする両親をよく覚えている

幾ら周りが大人ばかりとは言え流石におかしいと思ったのだろう。或いはお姉ちゃんのいる場所に比較的近い場所にいたお父さんだからこそ気が付いた違和感なのか

 

『けど無理はしてないわ。本当よ?』

 

『……酔っぱらった人はな』

 

『みんな酔ってないっていうんでしょう?』

 

知っているわよ、とそんな両親2人を見事に言いくるめている。

だけどそんなお姉ちゃんの姿はまるで率直に言うのなら()()()()()()()()()()()()

 

いつものお姉ちゃんの姿じゃない。とはいえいつもの姿というのもまた形容しがたいけど私が知っている言葉に近い表現を使うならそう、まるで…()()()()()とでもいうべきか。これほど両親に詰め寄られていても微笑みひとつ崩さず、いつもは奇麗だとしか思わない薄水色の瞳の中に開いた瞳孔には底知れぬ虚無が映っていた

 

…演技を生業にする人は、自分を切り分けるとよく聞く。

本来の自分と演技の自分。もしもお姉ちゃんもそうならきっと今見ているお姉ちゃんはあの美しくて、人間じゃなくて妖精の様に無邪気でそれでいて私たちの視線全てを搔っ攫うような『日野森雫』がそこにいるのだとしたら。

 

今のお姉ちゃんは、戻ってこれなくなっているのではないか

 

『……お姉ちゃんは、ここにいるよ?』

 

咄嗟に考えるよりも先に私の手はお姉ちゃんの腕をつかんでいた。まだ春先だからか、それにしては恐ろしいほどに冷えたお姉ちゃんの体は余計人間味とは程遠い様子でただなんの抵抗もなく私の手に掴まれてしまうほど華奢でか細かった

 

『……しぃちゃん?』

 

まるで触れてしまえば溶け堕ちてしまうような季節外れの雪の様な脆く、されどどこか確かなものがある声色で私の名前を呼び返してくれた。…よかった、まだ、まだ私の声は届くのだ。とそのままお姉ちゃんの体にもたれ掛かる。

 

ふわりと抱きしめて、そしてそのあとに抱きしめ返されてふわりとお姉ちゃんがいつも付けている香水の香りが微かに漂ってくる。甘いにおいの中に蜜柑のような…お姉ちゃんが隠れてよく飲んでいる紅茶に近しいにおいの様なそんなお姉ちゃんによく似合っているにおい

 

『おかえりなさい、お姉ちゃん』

 

『…………えぇ。えぇ、ただいま。しぃちゃん』

 

言葉はひとつしか思い浮かばなかった。

それだけでいいと思ったし、それ以外にないと思ったから。その言葉の後にお姉ちゃんの顔を見ると少しずつ、それでも確かに瞳の中に浮かんだ果てのない闇は消えていく。いつもの私の良く知るお姉ちゃんの姿がそこにはあった。

 

届くのだと、届いたのだと私の心を満たす甘露のように甘いドロッとしたもの。

あのこれほどまでに美しい人に、お姉ちゃんに私の言葉が響くのがどうしても嬉しくてそして──

 

だからこそ衝撃だった。その夜に、存分に甘えて久しぶりに同じベッドで横になったそれからの話をきっと私は一生忘れることができないだろう。……だって、初めて見たからお姉ちゃんが泣くことろなんて。だって、初めて見たのだ、お姉ちゃんが寂しそうな顔で空を見上げている姿を

 

『………………?』

 

きっともう夜も更けて久しい時間だったと思う。時間に直せば多分日の出の方が近いようなそんな時間に何故かふと私の意識が昇ってくる感覚と共に隣にあったはずの温もりが無くなっていることに気が付いた。つまり一緒に寝ていたはずのお姉ちゃんの姿がどこにも見当たらないのだ

 

いつもなら早起きの姉のことだ。既に準備でもしているか、なんて考える。…だけどどうしてかは知らないけどその日は不思議と胸騒ぎがした。虫の知らせとでもいうのだろうか、或いはもっと単純にカーテンの隙間から見える空はまだまだ暗くて朝焼けとは程遠かったから

 

『…………っ!』

 

寝ぼけ眼で空を見て反射的に飛び上がる。だけどその隣で私の方を向いて目を閉じて小気味よいリズムで寝息を立てていたはずの姉の姿がどこにも見当たらない。本当に文字通りにどこにもいないのだ。姉の姿だけがこの部屋から消えてしまった様な歪な静寂さ

 

勿論、そうなってしまっては探さないわけにはいかない。ばっと跳ね起きて静かに部屋の扉を開ける…やっぱりまだまだ暗すぎる、お姉ちゃんが起きるにしても早すぎる時間。そんなお姉ちゃんがどこにいるのか、探そうと一歩目を踏み出せばその姿は思ったよりも簡単に見つかった

 

『おねえちゃ…………』

 

リビングへと繋がる廊下をひとり、ゆっくりと歩くその姿。

お姉ちゃんが着ている愛用っぽい黒色の薄いネグリジェは逆さに咲いた黒百合のような華やかさと肩を隠していない一本の紐で釣られたまるでキャミソールのような軽装にはまるで妹である私であっても息を呑んで見つめて居たくなるような蠱惑という二文字がよく似合う

 

けど様子が変だと思う。いつもの背筋に芯が入っているのかというような真っすぐとした立ち姿とは違って千鳥足のような、浮足立っているというようなフラフラとメトロノームのように左右に揺れている姿は普通とは違う尋常ではない姿

 

『どこいくの……?』

 

夢遊、だろうか。少し前にテレビで見たその病気を覚えている

眠りながら無意識に歩き回る病気。その原因は…ストレス、だとか心身に大きな負担が掛かっていることが原因なんだっけ。……ならもしも、今のお姉ちゃんがそうなら

 

ストレスが、原因?

 

『……リビング?』

 

外に出るのなら、止めないと

きっと二度と戻ってこなくなる。そんな嫌な予感が脳裏を駆け巡る…私からすればお姉ちゃんの方が猫っぽく見える。愛称で呼ぶくせにお姉ちゃんからは中々スキンシップを取ることは無いし、かと思えば突然隣に座ってきたと思えば無防備に寝ていたりもする。なんというか高貴で気まぐれな猫のような姉だと思う

 

ちなみにこの話を近い未来、幼馴染にしても理解してもらえるどころか何故か私の方が猫っぽいとからかわれることになるのはなんでだ。それはそれとして「ほなちゃんをママってするとしずくお姉ちゃんってお母さんって感じがするよね」と言った咲希はどうかと思う。人の姉でオギャるな…まあ理解はできるけど

 

そんな余談は置いておいて外に出るかと思った私の心配とは裏腹にお姉ちゃんはリビングの扉を開けて中へと入っていく。何かお茶でも飲みに来たのだろうか…それだけなら私の心配し過ぎですむけど、と一応物陰から体を滑り込ませて中をのぞく

 

その姿を見て、私は喉から息を漏らした

 

『…………!』

 

泣いていた。その頬に伝う涙を拭うこともせずお姉ちゃんは夜空を見上げて立ち尽くしてた

微かに揺れる空気がお姉ちゃんの髪をたなびかせ、その横顔が露になる

 

『おねえ、ちゃ』

 

何を思っているのだろうか、何を感じているのだろうか

けどそんなお姉ちゃんの顔は変わらぬ微笑みのまま涙だけが伝い濡らしている。鏡に映るお姉ちゃんの瞳も空を見上げたままさっきの時よりもずっと深く揺れたまま戻ってきていない

 

……………ああ、気が付いてしまった

お姉ちゃんのいつも浮かべている微笑みはもしかしてずっと昔から戻ってこれなくなってしまっているのではないか。きっと私は、まだ幼かった私はお姉ちゃんのことを本当の意味で知り得てはいないのではないのだろうか?

 

けど、美しいと。本当に美しいとも思ってしまったのだ

何を想って泣いているのかも分からないお姉ちゃんの姿が、まるで触れてしまえば枯れてしまうような儚いはなの様な姿に手を伸ばしたくなるほど私はお姉ちゃんの姿に惹かれてしまう

 

「…………」

 

きっとこの日からだったのだろう。お姉ちゃんがなにを思っているのか、何を感じているのか。そんなお姉ちゃんの一挙手一投足を目に追ってしまうのに分かったことが思ったよりもお姉ちゃんは秘密主義で完璧主義。妹である私には決して弱い姿を見せたことがない

 

私は見せてほしいのにお姉ちゃんのことを知りたいのにその姿はまるで月のように遠く、蜃気楼のように朧でそこに浮かんでいるのに手が届かないような、そんな気分。けどそんなお姉ちゃんだからこそ私はこう口にするのだ

 

 

だからどうか─────

 

 

─────枯れぬ華でいて

 

 

 





日野森志歩

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