華喰蟲よ、樒の葉を食め   作:夜雫の夢

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絡まった糸、その始まりは

 

 

─────きれいな子だった

生まれながらにして住む世界が違うような、私たちとは別次元にいるような…それがわたしの、初めて出会った時に雫に抱いた感想だった。まるで絵本の中のお姫様が飛び出してきたような、宝石で出来た一輪の花のような少なくとも一人の人間に抱くような感想ではなかったことを覚えている

 

そしてそんな雫は研究生の中でも一足も、二足も抜きんでいたのは事実だった

ダンスも、歌も、トークさえもおおよそアイドルに必要な全てが満ちていて言うまでもなくビジュアルも、そこから繰り出されるカリスマ性も雫のミステリアスさと変な噂が生まれるのはある意味必然だったのだろう。

 

既に有名な事務所のグループのセンターに内定しているだとか、スカウトされていたところを蹴って研究生になったとか、応募の時点でもう入学が決まっていたとか、オーディションに姿を現した瞬間審査員が全員両手を上げて認めた…だとか、凄いとなる噂だけなら良かった

 

だけど。宜しくない噂まで雫を貶めるかのように広まっていたのも事実だった

 

口に出すのも憚れるようなそれを前にしても雫はただ微笑んでいるだけだった

可哀想にと憐れむわけでもなく、どうしてと悲しむわけでもなく、やりかえしてやるという怒りもなく雫はただあるがままに何も、まるで眼中にないようにたたその顔に笑みを浮かべて立っていたから

 

────わたしが、キレた

 

『日野森さん!!』

 

『…?えーっと、桃井さん、だよね?』

 

目をまん丸くして一度パチリと瞬きをする姿でさえも、どこか華があって嫉妬するのも惜しいほどそのきめ細やかな肌にサラサラの光沢ある髪、そして真っすぐに立った雫の姿は思ったよりも高くわたしが見え上げる形で向かい合うことになった

 

惚れ惚れするぐらい顔がいいわよね。化粧品なに使ってるのかしら………ってそうじゃなくて

 

『そうよ……って、覚えててくれたのね』

 

『?一応、みなさんの顔と名前ぐらいは憶えているわよ?』

 

『それは…うん。ありがとう』

 

いつもの雫はなんというか、あまりにも超然とし過ぎているというか…私たちと競い合う相手だとか、仲良くなりたいとかもなく()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()をしていたようにも見えたけど、いざこうして話してみたら割と好印象気味に返されてわたしの出鼻が挫かれた気持ちだ

…別に勘違いしないために言っておくけどわたしは雫のそんな顔が嫌いなわけじゃない。

だって知っているからだ。誰よりも早く来てそして最後までスタジオで練習をして、先輩のステージでの様子を何度も何度も見返して勉強して、トレーナーに熱心に聞きに行っている姿を見ていたから。

 

そんな誰よりもアイドルというものに真剣になっている雫の姿をわたしは嫌いになれない

だって頑張って、前だけを向いて笑顔を浮かべている雫の姿はわたしの始まりに憧れたアイドルの姿そのものだから

 

─────だから、我慢ならない。

そんな雫が遊ぶ暇も惜しんで練習している姿を見ずに馬鹿にする声もそしてそんな現状を受け入れている雫の姿にわたしは一言言わないと気が済まなかった

 

『?』

 

『ああもう!調子が狂うわね……日野森さん、なんで言い返さないの?』

 

さっきだってそう、耳を塞ぎたくなるような揶揄する聞いているだけで嫌になる妬みの声をわざと聞こえる様に雫に言っていた。いつも通り反抗しないと分かっているからこそ言えるようなひどい言葉にわたしは雫にその真意を聞く

 

『………言い返、す?』

 

何か理由があるのか。そう聞こうとしたときに雫の顔が訝し気に揺れる

窓から差し込む光で反射して青色の瞳だけが鈍く輝く。…だけど、わたしにはどうしてかそれがまるで想定もしていないことを聞かれたときにふと思考が真っ白になった時のようなそんな身に覚えのある表情

 

そんな顔もするのか。なんて、ふと籠っていた肩の力が抜けるような気がした

それにしても言い返していいのか?なんて余程、雫は人を傷つけるのを厭うお人よしなのか、やり方も知らないような純粋無垢に周囲に愛されて育った箱入りなのかなんてその時は思っていた

 

そう、この時までは

 

『え、ええ………何か、言い返せない理由があるの?』

 

『そう、いうわけではないのだけれど…』

 

少し口ごもる雫の姿にわたしは首を動かしてその言葉の先を勧める

一体どんな言葉が聞けるのだろうか、一体まるでお姫さまみたいなアナタはどんな理由を口にするのだろうか。なんて今のわたしには考えられないような出歯亀をするかのような気持ちで雫の口が開かれるのを待った

 

『『私』がそんな事を言っていいのかしら………?』

 

『………………は?』

 

心底不思議そうに首を傾げた雫。だけどそこから聞こえた言葉はわたしの理解とは程遠いもので訳の分からないものだった。だってそうでしょ?言い返せない理由にさも私がそんな事を聞いていいのか、なんて

 

まるで、怒ることを奪われたような────

 

自慢にしていいか分からないけどわたしは昔から妹を泣かせた悪ガキと掴み合いの喧嘩をするぐらいには手が早い。けどママに何と言われようとも、洋服を泥だらけにしようとも後悔をしたことは無い。妹を泣かせたことにわたしは怒った。

 

『まさか…自分は怒っちゃいけないって思ってるの?』

 

大切なもののためには怒っていいのだ

怒ることは決して悪い事ではないのだ

 

それが行き過ぎるのは勿論ダメだけど、何かをそれこそ自分を守るために怒る事だって必要な時だってある。今回の雫は怒っていいのだ。謂れのない悪評に、それを嬉々として広める周囲に、そして突然こんなことを言いだしたわたしにも雫は怒っていい、怒っていいのだ

 

けど、そんなわたしの願いとは裏腹にやっぱり雫は怒りの感情ひとつ見せることもせずいつも通りにただ薄く笑みを浮かべて困ったように首を傾げている。まるでわたしのこの問いが図星だというかのように返す言葉がないとばかりに怒らないのではなく怒れないのだとしたら、つまり……

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

それは、なんて悲しい事なんだろうと思った。

そうして同時にわたしは恥じた。雫の事をお姫さまだとお人よしだなんて勝手に思ってしまったことを、これでは雫に対する変な噂を信じている周囲と何も変わらないじゃないか。と、印象だけで人を見てはいけないのだ。そう戒める気持ちと一緒に沸々と湧きあがる感情

 

『…っ!怒っていいのよ、アンタは。だって』

 

『……桃井、さん』

 

これは怒りだ

ここまでして雫を追い込んだすべてに、そしてそんな雫の姿に気が付かない誰も彼もにわたしは怒る。だってあんまりにもあんまりじゃないか。怒ることを知っていて尚、自分は怒ってはいけないのだと心を殺し続けるなんてなんて惨くて、酷い

 

ふと雫は家族と仲が悪いのかなんてまで思った

家族との関係がその人の人相を造る…だったか、どこかのサイトでチラリと見たその言葉がやけに記憶に残っていたから覚えている。無関心か、悪意かそれをわたしは憶測でしか知り得ないけど目の前に立つ雫がもしもそうなら

 

『頑張ってたじゃない。アンタはずっと、ずっと遅くまで……』

 

わたしが、やるべきことはひとつだけ

例えお節介だとしても、無駄な正義感だとしてもあの日スタジオで必死に踊るあなたの姿は美しかったから

 

『見て…いてくれたのね。ありがとう……けど、やっぱりわたしは怒らないわ』

 

けど踏み込んだわたしでもまるで蜃気楼に消えるかのように揺らめく雫をつかむことは出来ずにすり抜けていく。

その顔に浮かぶ微笑みは相も変わらず儚げで今にもどこかに消えて行ってしまうようなまま、超然とただそう在るかのように変わらない

 

『……なんで!』

 

 

『私が『日野森雫』だからよ』

 

 

『そんなの…そんなの、一生怒れないと一緒じゃない』

 

【日野森雫】だから、怒らない。なんてそこに込められた意味をわたしは知らない

だってわたしは雫の過去を知らないから、ここにいる雫しか知らないせいでわたしはその言葉に込められた願いに届くことは出来ない。けど少なくともわかる

 

この子を、きっとひとりにはしてはいけない

雫はいつか、捨ててはいけないものまで捨ててしまうようなそんな危うさがあった

 

『うん。…………なら、』

 

だからこそ、次の言葉にわたしは少しだけ驚いた

 

()()、あなたが私の代わりに怒ってよ』

 

『………なに、それ』

 

初めて見た雫の微笑みではない笑み。憑き物がゴッソリと抜け落ちたような、或いは何か思いついたかのようなどうとでも取れる不思議な笑み。けど悪い気はしなかった、そんな顔もできるんだとわたしは年齢よりも幼く見えるその笑みに魅せられた

 

『ダメだった?じゃあ………』

 

その直後に浮かべた悲し気な雫の顔にわたしは被せるように声を上げる

だって、それをわたしに任せるにはあまりにも出会って早すぎるから。今日この日まではまともに話したこともないような相手に感情のひとつを任せるといったのだ。この雫は

 

『それ、わたしに任せていいの?』

 

今思い出してもやっぱり雫の隙の甘さは筋金入りだ。なんというか変なところで自分の価値を下に見ている節がある。良く言えば豪胆、悪く言えば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だけどこれは当時初めて会った時よりもひどくわたしの印象に残るわけだが…その話は後にしよう

 

だからこそ、わたしはきっと雫の言葉を忘れられない

 

 

『…うん。貴方『桃井愛莉』になら、いいわ』

 

 

─────華が綻ぶように微笑む雫を守りたいと思うから

 

 

 

 

学校生活での雫は控えめに言ってだいーぶ取り繕ってるな?と思う

あの子は周囲が思っているほど高嶺の花ではないのだ。確かに授業を受けている格好などは決して崩れることは無いが手元に板書しているノートを見れば割と愉快にデフォルメされたアザラシの落書きが描かれてあったりする。くっっそかわいいわね、雫……

 

更には化粧のやり方ひとつも知らないところだったり、方向音痴のくせにやけに道に自信を持っていて盛大に逆方向に行っていたのに気が付けば目的地にたどり着いているとか、音楽ゲームだとかは結構上手いのに何故かスマホの基本動作が覚束なかったりと上げればキリがない。キリがないのだ

 

些細なところを見れば…ほら今だって机の下で小さくステップを踏む雫の足がある

あのステップは、多分最近出した新曲のステップだろうか。こうして小さく動いているかいないかのギリギリで雫は授業に集中しているように見えて割と他のこと考えていたりする。あざといわよね、こういうとこってホント……

 

「桃井さん?集中しましょうね?」

 

「…………っ!は、はいっ!すみません!」

 

なんてそんな雫の事を見つめていると先生にバレてしまったらしい

みんなの前で注意された手前少し恥ずかしい気持ちが上がってくるがそれもこれも雫のせいだ。雫の事を考えていたせいでこうなっているんだからと恨みがましい視線で雫を見るとどうやら雫も私を見ていた

 

「………………」

 

やっちゃったね~みたいな微笑みとペロリと小さな舌を覗かせて後ろを向いてわたしを見ている雫の姿にほんっとアナタそういうところよ…!と言いたくなるのをぐっと我慢して、代わりと先生から和訳するようにプロジェクターに表示された英文を読んでいく……えーっと、これはこうで

 

「しかして…昼夜、その物語は全て語り尽くされ────」

 

 

そうして授業が終わるとわたしたちは解放された気分になるのはどこでも一緒なのだろう

小さく肩を回す雫の姿を見ると余計にそう思う。そんな動作だけでも何故か雫がするとこの場が教室の一室ではなくまるで花が咲き誇る庭の中で体を伸ばす深窓の令嬢に見えるのだから不思議だ

 

「あら愛莉ちゃん。お疲れ様ね」

 

「事前に雫と予習してなかったら不味かったわ……」

 

近づけば雫もわたしに気が付いたのだろう。

小さく手を振る雫の姿は相も変わらず恐ろしいほど美しく見える。同性だというのに怪しくなってしまう雫の魅力と言うのは確かにこれほどまでに美しく、そしてアイドルに向いている人はいないだろうと同じステージに上がるいち芸能人として認めてしまうほどには

 

………だからこそ、信じられない

 

「それなら一緒にやってよかったわね!」

 

「……ええ、ほんとうにたすかったわ。雫」

 

雫がまた虐められているなんて

今度は同じメンバーに陰口を言われてハブられているらしい。…確かに最近の雫の出演は輪に輪をかけてグループではなく日野森雫を全面的に押し出した形になってきている。まるで敢えてグループから切り離そうとするそれは確かに悪い噂が出てくるのも無理はない

 

だけど火のないところに煙が立たないように、噂には必ずその大本がある。

それが真実だろうが勘違いだろうが…間違いなく雫は知っているうえで黙っているのだろうという嫌な自信が付いてしまった。だって今までが今までだったうえでわたしは雫の在り方を変えることが出来なかったから

 

「今度この借りは必ず返すから!」

 

「大げさよ。愛莉ちゃん」

 

…だから雫

言ってちょうだい、一言、一言で良いの

 

ただ「怒って」と言って

あなたが望むのなら、すべて壊してあげるから

あなたが望むのなら、その手を取ってどこまでも一緒に逃げるから

あなたが望むのなら、家族も妹も全ての柵を破壊してあげるから

 

…だから、ひとりでどこにも行かないで。雫

 

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