華喰蟲よ、樒の葉を食め   作:夜雫の夢

7 / 12
第二章 何んでも無い
第三話 ただそれだけのこと


 

 

小生彼女を爪の垢ほど憎んでは織りません

何事にも報いることもできないこのセカイに神も仏も4文字や5文字で書けてしまう、血も涙も数ドットと6つの数列で描けてしまう、緑地生家蜃気楼奥津城も求められない砂漠のようなカサカサに乾干ひからびたこの舞台の中で『日野森雫』という虚構の事実を、唯一無上の天国と信じて生命がけで抱き締めて来た彼女の心境を、小生は繰り返し、繰り返し憐れみ語っているのです

 

 

 

 

『日野森雫』は、鏡の前で制服のスカーフを正した

シワひとつないワイシャツにスカート。それは私にとって当然の身だしなみで、その上から前開きのセーターを羽織る。制服の立ち絵だったトレードマークがいつしか低体温気味な私の欠かせない実用物になるなんて思いもよらなかっただろう。

 

生憎と前までは暑がりだったからある意味新鮮だ

どちらといえば体温が高くて、情熱が燃えているんだろなんて叩いた軽口の空耳が耳元から離れないままリフレインを続ける。覚えておきたかったことほど、どれほど掘り返しても出てこなくてこういうどうでもいい会話を何故か思い出すことの方が多い

 

 

……ああ、朝が来る。

今日がまた来てしまう

 

 

「………………」

 

鳴る直前でアラームを止める。布団の中から手を伸ばせばいつも通りの時間だとまだ上手く動かない頭と思考のままノソリと立ち上がり窓を開ける。入ってくる風はまだどこか肌寒く背筋を撫でるような心地に意識が一気に戻ってくる感覚。

 

空の色はまだ朝日には程遠く、未明と呼ぶに相応しいこの時間が私は好きだった

昼とも夜とも形容できない独特な空気が世界を満たして何故か無性に踊りだしたくなるような、痛々しく抱きしめるようなそんな終わらない昨日のままの世界

 

そんな冷え切った廊下を歩けばまだ朝には程遠いように静まり返った扉一枚挟んだ向こう側では一足早い渡り鳥が我が物顔で庭を歩いている、もう春だったか…いつしか季節など肌で感じる温もりが全てだった。桜とはどのような形だっただろうか、あの日追った蛍火はいずこへ消えていったのか、紅葉の赤色などどのような彩だったのか…あの、骸は乞うことができたのだろうか

 

「……お姉ちゃん?」

 

「し、しぃちゃん!?まだ朝早いわよ?」

 

「別に、目が覚めただけだし……」

 

「そうなの…なら二度寝する?おこしてあげるわよ?」

 

顔を洗っていれば後ろからまだ眠っているはずの日野森雫の愛する妹である志歩が顔を覗かせていた。

普段なら、というか基本的に遅くまでベースを触っている志歩の目覚めは少なくとも私よりも遅いはずだというのに何故か今日は既に起きてしまったようだ。珍しいものではあるが、おかしい事ではない。何も

 

だが生憎、まだ朝飯の準備は終わっていない。

むしろこれからだというのに目を覚ましてしまっても何も用意することが出来ないのだ。今から作るとなっても軽く居眠りするぐらいの時間はある、そして出来上がった後に起こすぐらいはなんてことないのだから

 

「いいよ。今日ぐらいは手伝う」

 

「そう?なら…一緒に作りましょうか!」

 

「…………うん」

 

冷蔵庫を開ければそこには一通りの食材と調味料が揃っている。

野菜、肉、魚。あとは冷凍保存されている幾つかの食材の中から朝ごはんになりそう且つ簡単に作れる食材を選び出す。…忘れてはいけないけどキチンと消費期限を見たうえで、だ。食材を無駄にするのはあまり褒められた行動ではない。特に私一人だったら多少過ぎていても問題は無いのだけど

 

フライパンに油をひいて火を付ける。卵は私が1つ、志歩が2つ…あとはやっぱりベーコンこれでお手軽ベーコンエッグの出来上がり。火の加減は後は志歩に任せて私はパンと付け合わせのサラダの準備をする。食パンには軽く焼き色が付くぐらいまでトースターに任せて、サラダはキャベツとプチトマトを入れれば完成だ

 

朝ごはんは軽い方がいい。

これはあくまで持論だけど寝起きに食事をとるのは実はあまり好みではない。できる事ならば果実の一切れか、無ければ栄養ゼリーみたいなのを流し込めれば満足だったから…私の朝食のレパートリーの少なさもそこから来ているのだろう。だけど、それは『日野森雫』の、姉の行いではない

 

何よりも可愛い妹である『日野森志歩』のために

だってそれが『日野森雫』だから

 

「「いただきます」」

 

出来た料理を器へと移し両手を合わせる頃には、外から差し込む微かな朝日が今の時間を大まかに知らせる。テレビを付ければ今日の天気を知らせる予報士が指し棒と共に笑みを浮かべている。どうやら今日も温かくなりそうだ、雨の心配は要らないだろう

 

コップに注いだ牛乳を呷り一息で流し込む。牛乳の名状しがたい独特な風味が抜けていくのに顔を顰めたくなるのを我慢して席を立ちあがり、そのままお皿を洗浄機にイン。調理に使った道具類は先に洗っているのでこのままで問題ないのだ

 

「あ。お姉ちゃん、今日遅い?」

 

「そうでもないと思うけど…どうかしたの?しぃちゃん」

 

そうして準備を進めていれば扉の向こうから顔だけを見せた志歩が話しかけてくる。基本的に授業の用意を持って帰ってこない私は教科書類の殆どをロッカーに仕舞いっぱなしだ。課題に必要なノートや授業で使う辞書を詰めて後は胴着とみそ汁の入った水筒と、紅茶を入れた水筒のふたつを積めたらおしまい。

 

ぶっちゃけ鞄の重さの大半は胴着だが文句は言ってられない。背後から話しかけてくる志歩の続きを待って、どうにか鞄を軽くできないか考えるけど無理か。これでも最大限置き勉とかで減らしてはいるのだから、これ以上減らすとなると水筒になってしまう。それだけは無理だ

 

「別に…暇なら久しぶりに、一緒に帰らない?って思って」

 

「………………」

 

「あっ。予定が…あるならいいよ」

 

「……いえ。特に、大丈夫だと思うわ!しぃちゃんから一緒に帰りたいなんていつぶりかしら!」

 

珍しい事もあったものだ。本当に、珍しい事もあるものだ

志歩の方からそうやって誘う事はあった、或いは『ある』のだろうか…だけど『日野森雫』は『日野森志歩』と『仲良し姉妹』であることは間違いない。ならその誘いはある意味の必然ともいえるだろう。

 

今日は特に仕事もない休養日だ。たまには、そう。家族サービスと呼ばれるものをしてみてもいいのだろうと志歩のその誘いに乗ることにした。だけどただ帰るだけでは味気ないだろう、放課後までには程よく女性二人で入れるようなカジュアルでポップな喫茶店でも探しておこうか。そういうのはきっと愛莉とかの方が詳しそうだ

 

そんな事を考えながら荷物を持ち上げローファーに足を通す。

 

「そう?…じゃあまた放課後に。いってらっしゃい」

 

「ええ。しぃちゃんも遅れないようにするのよ」

 

小さく手を振り返して扉を閉めて一息、大きく深呼吸を取る

中と外で隔たれた空気はやはり違いがあり風の騒めきが微かに前髪を揺らす。肺いっぱいに新鮮な空気を取り込めば思考がクリアになる気がする。或いはかつて吸っていた煙草の味を想起させるせいか、あの絶妙な苦みとメントールの味を思い出せば口が寂しくなる

 

足元がまだ微かに暗く、道を行けば朝餉の煙が微かに空に昇る

冷房も暖房も必要としないようなこの丁度心地の良い風は私の背中を押すように、はたまた脚を奪うように吹き揺れる。…だが、こんな風も直に熱と湿気を孕んだ心地の悪い風になってしまう。まだ春先だというのにその暑さは年々夏の近づきを予感させる

 

夏は、暑いのは嫌いだ

浮ついた熱風が変なものを見せる、から

 

いっそ白の人影が私を連れて行ったのなら『日野森雫』は戻ってくるのだろうか

そんなあり得もしない幻想を前に二つ目を輝かせた白色の靄がこちらに驚く速さでやってくる。見つめていれば或いは…なんて考えておきながら私はつい目を逸らしてしまう。呆れた、ついぞその時になってまで生の執着を離せないのか

 

『お待たせいたしました。このバスは──────』

 

私の愚かさを甚だ嗤えばいいのか、或いは哀れだとと思えばいいのか。その二つ目は輝かせながら止まり、私の目の前で横の口を大きく開く。言ってしまえばただのバス、毎朝変わらず同じ時間に乗る私の最も乗りなれたバスだ

 

今日も変わらない顔ぶれのはずだ。おじさん、お婆さん、青年、そして私

なんにも変わらないただそれだけの事、けどその【それだけ】がどれほど私に安息をくれたのか。

 

…………笑ってしまう。不変のものなどありはしないというのに

 

(あれ?)

 

コーヒー缶を傾ける社会人のおじさん、草臥れたジャージにヘッドホンをつけて横揺れしている青年、そして…そして?いない、いつもの優先席に杖を突いて座っているはずのお婆さんがそこにはいないのだ。まるで最初からいなかったような空白がポッカリと空いている様な違和感

 

(風邪でも、ひいたのかしら)

 

そうだ、こんな朝早くに毎日バスに乗っていたら体調を崩すような日もあるだろう。なにもおかしいことはない私たちは『乗客』で、同じバスに偶然乗り合わせただけのただの他人だ。名前も、年齢も、なにをしているのかさえも知らない町であったとしてもすれ違うだけの顔見知り

 

(…………)

 

なにも思う必要はない。それは『日野森雫』にとっての『余分』だ

今日も同じ席に座り荷物の中から水筒を取り出す。『日野森雫』としてのみそ汁の水筒ではなく、『余分』の紅茶の銘柄は今日はイングリッシュ・ブレックファスト。これぞ紅茶という匂いと色を兼ねそろえたこれまた有名で聞き覚えのある人も少なくないだろう

 

だけど、すこし苦い。抽出の時間を間違えたか

そういう品種だからこそミルクティーにするのが一般的な品種だが私自身がブラックコーヒーを飲めるのだからいけるのだと慢心したのがまずかったか。それとこれとは少し違った苦みに嫌でも目が覚めていく感覚がする

 

『次は終点、終点でございます』

 

流れていく風景に身を任せて俯瞰していれば、もう時間は経っていた

お婆さんがいない運賃箱はいつもより早くそれだけに何故か不思議と空しい。降りればいつものように会釈するそのタイミングも思えばお婆さんが最初だったのもあってどこかギグシャク気味に離れていく

 

なにか歯に詰まったような、歯車がズレている様な言葉にならない何か

けど、それでも今日は始まってしまう。今日という舞台の幕が上がってしまう

 

なら幸せそうに笑って、楽しそうに笑って

 

(────────)

 

舞台の上で、『日野森雫』は笑みを崩さないのだから

 





憑依雫改め、華喰雫のモチーフはホトトギスです
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。