華喰蟲よ、樒の葉を食め 作:夜雫の夢
題名を「落とし子」にしようかと迷いましたがこっちのほうがいいでしょう
偉大なる先達者へ、愛をこめて
それは一昔前の、洋画だ。日付に直せば1998年6月5日に公開されたそのSF映画
生中継放送中 まだ気が付いていません
…そんなキャッチコピーと共に絶賛され、今もファンにとって語り継がれる不朽の名作たる映画『トゥルーマン・ショー』を知っているだろうか?
詳細は省くが、その映画に出てくる主人公トゥルーマンだけが舞台となった離島シーヘブンにおいて人間であった。それは何か人ならざるものが蠢く魔の島というわけではない。…ただ彼の両親も、家族も、親友も、恋人も、妻も、そして町行く人々も彼を取り巻くすべてが偽物で、舞台の上であるという事から物語が始まる
その世界は『舞台の中』で、トゥルーマン以外の全てが『役者』なのだ
次第に彼はステージの違和感に気が付いて…この先はきっと語るべきではないだろう。
だってその世界が『プロジェクトセカイ』で、全てが『ゲームのキャラクター』であると知っている私はそんなトゥルーマンと何が違うのか。
違うのは自分がトゥルーマンと知っているかいないかの違い
それならきっと知らなかった方が幸せだろう。この世界が本当は0と1の数字で構成されているゲームの中で、これから有る奇跡のような出会いも胸が張り裂けそうになる絶望もそしてその後に咲く笑顔も全てはライターによって書かれた無機質な文字の羅列だなんて知らなければよかった
けどこの舞台の上に世界の端っこなんて無い
書割で出来た偽りの天蓋の先にある『出口』なんてどこにもない。この広い空の向こうの水平線に本物の空には繋がっていない、作り物だと知って星を眺める惨めさはどこに吐き溢せばいいのだろう?
◇
今更だが『日野森雫』が通う宮益坂は女子高だ
巷ではお嬢様学校と言われるほど格式と歴史があり文武両道だけではなく私たちのような芸能人まで対応する懐の広さがやはり都会の学校には必要だったのだろう。なんて考えながら踵がすり減って久しいローファーを軽くアンダースローで靴箱へ投げ入れる
ストライク。バッターアウト、三振…なんて簡単に退場できればもっと話は簡単だったのにと思いながら誰もおらずライトも付いていない薄暗い廊下を履き替えた少し砂ぼこりで薄汚れた校内靴で歩く。やっぱり同じタイミングで購入したものは同じタイミングで買い替える時が来るのだろう
買うものと言えば、そろそろ夏服の衣替えだろうか
背丈の成長は前と比べれば酷く慎ましく低いものだがそれでも去年着ていた夏服では袖が合わない物も少なからず出てくるだろう。幾ら私が無頓着とは言え、みっともない恰好は出来ない
「………………」
そうなれば今日行くのはお茶だけではなくアパレル系の店の方が良いだろうか
そのあたりは志歩と合流してからでもいいだろうと、脳内で今日のタスクを纏めながらその動きに迷いはない。当然だ、一年近く同じように動いてきたのだ今更どこで躓く要因があるのだろうか
そのボタンを押せばその通りに動くプログラミングされた機械のように『日野森雫』を出力する私にとって、日々の動作は殆どオートメーション化されている様なものだ。変わらず体のメンテナンスを行い、弓道場の片づけと掃除をしながら思考だけを動かす。近々の仕事は、身の回りのことは、『日野森雫』は…そして【シナリオ】の事、そろそろ始まるのだ
『日野森雫』を維持しろ。
必要なのは『日野森雫』だ。それ以外に左程
「…………あれ?」
そうして歩き進めると違和感、既に少し扉が開いている道場の前に立つ。この時間はまだ私以外に来ている人はいなかった筈、と顎に手を当てて少し考える。先生か或いは同じ部員かはたまた全く関係のない不審者か。前者ふたつなら問題は無いし後者なら…まあ、私の運が悪かっただけだ
サイコロを振って6が出るようなものだと一瞬考えた後、いつものように戸を開けて一礼して中を見る
顔を上げた先に立っていたのは、よく知るその顔。『弓道部員である日野森雫』と同じ部活動に努める少女である朝比奈まふゆがそこには立っていた
「おはよう!日野森さん」
「!あら!朝比奈さん!おはようございます」
私の次に来るのが早いのが朝比奈さんなのは私も知っているから今日は本当に珍しく私が後になってしまったのだろう。と自主練習を続けている朝比奈さんの隣でまずは準備運動から身体を伸ばして解しておかないと怪我をする可能性がある。
そうして前屈をするように腰を下ろし身体を曲げ始めたところだった、後ろから優しく押す温もりと力が加わって私の体はまるで二つ折りみたいに折りたたまれた。どうやら朝比奈さんが結構深いところまで押してくれるお陰で結構楽だ
「ウォーミングアップ、手伝うね」
「あら、それは朝比奈さんに悪いわ……」
「いつもやってる事でしょ?今日は私が早かったから」
けどやっぱり悪い気がするのだ。朝比奈さんの貴重な時間を使ってまですることではないと思いながらも、またなされるがままに流される。…やっぱり同い年の子はちょっと苦手だ。精神年齢のこともあるし、かつて■だったことも含めてどこともなく話しにくいというかリズム感が合わない
そんなどうでもいい事を考えていたせいだろう。
気が抜けて、そのまま体勢を崩して朝比奈さんを巻き込んで転んでしまったのは
「うん……せーの」
「はい…………きゃぁ!」
私一人だったら骨折しようが何しようが構わないのだけどそれに人様を巻き込むと少し面倒なことになってしまう。怪我をしていなければいいのだけど、と上から床ドンする形になってしまった朝比奈さんの姿を見る。一応私が下になる形で庇ったからそこまで大事にはなってない…はず
朝比奈さんが怪我をしているとか血を流しているとかはない。よかった
しかし落ち着いてみればこれだと所謂少女漫画みたいな構図になっていないだろうか。床に横たわる私、そしてその上を覆いかぶさるように朝比奈さんが私の頭の横に手を付いている。
「ご、ごめんなさいね…………!!」
「ううん。大丈夫……けど、ねえ」
「?どうかしたの?」
私と丁度重なるように頭上から見下ろす朝比奈さんと顔が物理的に距離が近づく…これほど顔を近づけたことはお芝居以外では中々無いから新鮮だと思う。人の顔を視るというのも何故かやけに新鮮な気がする。裏を返せば、それほどまでに私は顔を左程見ていないという事になるけど
整っている容姿をしているなと思う。モデルでも始めたら一角の人間として名前を上げそうだ
肌のきめ細かさを含めて艶やハリも本職となんら差異はない。生まれ持った天賦の容姿というわけか朝比奈さんが眉目秀麗の優等生という話が下級生にあるのも納得だと私は思う
「…………ううん。やっぱりなんでもない」
「そう…そのままの体勢大変じゃない?動ける?」
───可哀想にね。
私でも『朝比奈まふゆ』の物語は覚えていた
「あ。ごめんね、すぐ退くね」
「いいえ、大丈夫よ」
何処まで行こうと、他人なのに
前の、■の両親の顔も名前も思い出せない私にとって『朝比奈まふゆ』が『親』に向けている感情とか、期待とかそういうものはよくわからなかった。
「……助かったわ。ありがとう、『朝比奈さん』」
「……それ、」
言ったはずだ。
その想いの全ては空っぽだから。プレイヤーでしかない私に、どんな感情もさほど差異はない
「どこを見て言ってるの?日野森さん」
「…?」
苦しいのも知っている。嬉しいも理解している
けどそれは、どこまで行っても感情移入でしかない。結局は『プロジェクトセカイ』という物語に出てくる『キャラクター』のロールプレイとしか受け取れない、認識することしか出来ない
「『なんの、ことかしら』」
そんな私を相手にムキになってどうするんだよと思う
「その目、私と一緒。けど違う、日野森さん…貴女は何を見ているの?何を、感じているの?」
可愛いなぁ、可哀想だなぁ、……バカだなぁ
自分の開く傷口さえも武器にして、わざわざ何もない『何か』を掴もうとしている
「
「…………ッ!」
だけど、それは『主人公』だけに許された特権だ
『朝比奈まふゆ』には『宵崎奏』という『主人公』がいるように、『日野森雫』には『花里みのり』という『主人公』がいる。この世界はそういう風にできているのだから、『主人公』が『セカイ』と共に成長していくそんな物語
だから『日野森雫』と『朝比奈まふゆ』の二人の間には『弓道部員』である事しかないのだ
ああ。こういう時なんていうんだっけ…ああ、そうだった。適切な言葉があった
「練習を、始めましょう。私たちは朝練に来ているのでしょう?」
そこにいかなる想いがあろうとも、私たちには関係はないんだ
……悔しいだろうが仕方ないんだ。ってね
「ゃ……いや、や、だ…」
「…そう。困ったわね、どうしましょうか」
けど。どうやらやっぱり【シナリオ】は私が望んだ通りには進んでくれないのだろう。そのまま身体を起こせば良かったはずの朝比奈さんは何故か脱力するように私の上に身体を預けたまま離れてくれないし、丁度私の胸の位置でまるで離したくない玩具を掴んだままのように首を横に振っている
……まあ私が望んだ道に進むのなら今この場所にはいないかと、その件についてはもう諦めているが今の朝比奈さんをどうしたら良いのかが私には分からなかった。無理矢理退かすこともできるがコンプラ意識が激しい今日この頃のため変なことは出来ない。だけど【シナリオ】を考えてみれば丁度『25時、ナイトコードで。』の『メインストーリー』が始まっている頃なのだろう
「
「………………」
顔を上げて私と交錯するその視線
ゾクリとどこか背筋を撫でるような光を宿さないハイライトが消えた紫色の瞳が私を見つめている。危なげに揺れるその瞳は確かに人目を惹くように出来ている美しい刃物のようだ。触れれば傷がつくのはどちらなのか、なんてやけに冷静のままの頭でぼーっと考える
そう言えば『朝比奈まふゆ』と『天馬司』のみ、己の想いだけで世界を造れる人間だったか
つまりはそれほどまでに……ああ、そうだった。いつか、いつの日か金色の瞳の彼が私を見ていたのをどうしてか思い出した。あれは果たしてなんだったのか。なにかとても大切な言葉を忘れている様な
「そういうつもりではないのよ?ただ、本当に…私には、もう分からないものだから」
「……分から、ない?」
「ええ。無いものを見つけることは出来ないわ。だって……」
けど、それは『日野森雫』には過ぎた感傷だ。
……すなわち、『日野森雫』には不要なもの
「『日野森雫』には、必要のないものよ。」
「………日野森さん、貴方は、もうそこまで……」
ふと、頭の冷静などこかで語りすぎたか。と思う
おかしなことを言った自覚はある、無駄なことをした自覚もある。私の中では既に終わっただけの話を蒸し返すぐらいには『朝比奈まふゆ』に引きずられたのだろうか。……鍵を掛けて、仕舞って無かったことにしよう。うん、凪いだ
「……あら。もうこんな時間みたい、そろそろ準備しましょうか」
「そう、だね……」
そうしていると、外から登校してくる子たちの声が聞こえてくる。もうそんな時間なのかと壁に掛けてある時計でも見れば結構過ぎていた。大体私も朝比奈さんも射法の練習を一通り終えるほどの時間を抱き着いたままでいたのだろうか、と胸元を見れば皴になっている胴着がある。
結構朝比奈さんは握力が強いのだろうか。
ああ、そういえば『朝比奈まふゆ』は運動能力にも優れていたなとふと思い出す
しかしこの時間になってしまえばもう何もすることは出来ないからそのまま道場を後にする
さっきまであんな話をしていたからか、どこか朝比奈さんには珍しい気まずいみたいな雰囲気が見て取れる。…私は特に気にしていないから、別に大丈夫なのにと隣り合わせのロッカーに並んで着替え始める
「ねぇ、日野森さん」
「どうしたの?朝比奈さん」
やはり丁度交差する襟の部分に皴が付いている。これは洗濯した後も結構残るだろう、干し方にもアイロンの仕方にも注意しないといけないと脳内のメモ帳に追記しておく。そうして殆ど制服へと着替え終え後はリボンを結ぶだけとなったところで朝比奈さんが小さく私の名前を呼んだ
「もしも……ううん。日野森さんが良いなら一緒にどこまでも消えない?」
いつものようなハキハキと誰もが聞いても聞き取りやすい声ではなく、か細く低いどこか人を威圧している様な声。…所謂、【シナリオ】でいうところの『25時、ナイトコードで。』での『朝比奈まふゆ』の声というべきか
「だって、ほら。私たち、こんなにもよく似ている、だから」
珍しい事だと思った。ああ、いや。私が聞くのは初めてだったかとどこから耳から耳に抜けていく朝比奈さんの話を聞きながら考える。…確かに、もしも私たちの出会いが早ければ、或いはもっと別の出会いをしていれば、きっと私は『朝比奈まふゆ』の誘いに乗っただろう、『誰もいないセカイ』に行っただろう、『Untitled』を拝領しただろう
「でも、そうはならなかった。ならなかったのよ、『朝比奈まふゆ』」
「……ッ!」
「だから──この話はここでお終い、ね?さ。行きましょうか朝比奈さん」