「……崑崙方院の規模は大きく、四葉の総戦力を合わせても殲滅できるまで少なくとも数年はかかるかと」
薄暗い、厳重なセキュリティーで固めたとある会議室の中――。
部下からの敵組織の情報分析を聞いて、四葉家当主――四葉元造は頭を抱える。
あの拉致事件から一月近くが経ち、『愛娘』を連れ去った怨敵たる組織である崑崙方院を壊滅する決意を固めた元造だったが、いざ調べてみると敵組織の規模が想像以上に大きく、四葉家の戦力や戦略を巡らせたとしても一朝一夕で目標達成できるとはとても思えず、状況は困難を極めていた。
いっそのこと国防軍も引き込んで協力させるという考えも浮かんだが、戦時中の今、いくら政治的影響力を持つ四葉でも、私怨で軍を動かすことは不可能であった。
とはいえ、なにも今の四葉の戦力でも崑崙方院壊滅は不可能というわけでもなかった。入念な計画と準備を行えば時間はかかるものの可能ではあるのである。――しかし、今回はあまり時間をかける事は出来なかった。
(……最悪の場合、深夜に頼んであの娘の精神と記憶を改ざんするしか――)
部下からの情報と今の状況を脳内で照らし合わせながら、元造がそんなこと考えだした時だった――。
「――何か、良からぬことを考えてないかい?」
『!!』
唐突に響いた『第三者』の声に、会議室にいた元造とその部下たちが一斉にその声のした方へと振り返る。
見るとそこには、会議室の出入り口である扉のすぐ横の壁に背中を預け、こちらをやや厳しめの目で睨みつけて来る『存在』がいた。
萌黄色の長髪をたらし、簡素な白い衣を纏ったその『存在』に、元造は驚きながらも声を漏らす。
「【偽物】……」
「な、何故お前が会議室に!ど、どうやって入り込んだ!?」
動揺しながらもそう問い詰めて来る元造の部下に、その『存在』――【偽物】は何とでもないかのように淡々と語る。
「僕は魔力……おっと、今のこの世界では想子だったかな?……ともかく、それで顕現しているとはいえ、本質は霊体だからね。生者対策のセキュリティーなんて、僕には無いようなモノだよ」
そう言いながら、【偽物】は壁から背中を離し、元造たちに向けてゆっくりと近づいていく。
「さっきまでの話を聞く限り、キミたちの現戦力では敵勢力を打倒しきるのに年単位の時間がかかる。しかし今はそんな余裕はない。……だから、その余裕のない状況を作り出している原因の方を何とかしようと考えている……。違うかい?」
「…………」
「さながら、彼女にかけようとしている魔法は、精神か記憶を操作する魔法……かな?」
問いかけ続ける【偽物】に、元造はどう返答するべきか迷い、結果沈黙する。
やがて元造たちから数メートル手前で歩みを止めた【偽物】は、先程よりも声のトーンを一段階低くして言葉を吐いた。
「それはダメだ。それは許されない。洗脳による精神干渉なんてロクな結果にならないのは、古今東西全てにおいて目に見えているのは分かり切っている事なんだ。……そんなモノを彼女に施せば、今後間違いなく悪影響が出るだろう。……そんなことは、たとえ彼女の実の父親であるキミが許したとしても――」
「――彼女の……真夜の英霊である、僕が許さない」
「だ、黙れ得体の知れない亡霊風情が!!使い魔だろうが何だろうが、貴様に口出しできる権利など――」
【偽物】のその言葉に元造の部下の一人がそう怒鳴りながら【偽物】に近づこうとするも、元造がそれを手で制して止める。
そして【偽物】からの強い視線を真摯に受け止めながら、静かに口を開いた。
「……なら【偽物】、お前はどうするべきだと考えるんだ?」
「…………」
「真夜の使い魔を名乗るのなら、あの娘の今の状況が非常に危ういことくらい分かるだろう?」
元造のその言葉に、【偽物】は目を伏せながら呟く。
「ああ、分かってるよ。主の……真夜の心は今――」
「――死にかけている」
◇◇◇
【偽物】が召喚されたあの日――。
新たな主となった真夜と【偽物】は、【偽物】の感知能力を駆使して敵本隊との接触を回避し、無事四葉の救援部隊と合流を果たすことが出来た。
そして保護された真夜はとんとん拍子に日本へと帰国し、英霊という新しい家族も加わって元の日常へと戻れた、はずであった。
――拉致計画が失敗した崑崙方院が、間を置かずに再び真夜を連れ去ろうと画策しているという情報を……あろうことか彼女自身が耳にするまでは。
◇◇◇
「……全く。そんな重大な話を屋敷の廊下で、しかも井戸端会議並みに堂々と立ち話させるべきじゃなかったね」
「……今更ながら、緘口令を敷いておくべきだったと後悔しているよ」
当時のことを思い返し、【偽物】は深くため息をつき、元造は再び頭を抱えた。
元造の部下たちが起こしたその軽はずみな情報漏洩で現状を知った真夜はショックを受け、それとほぼ同時に『あの時』のおぞましい記憶もまざまざと鮮明に呼び起こしてしまう結果となってしまい、ついには重度の心的外傷後ストレス障害を発症するにまで至ってしまったのだ。
それからの彼女は日に日に衰弱していくこととなる。
食事も喉を通らず、『あの時』の記憶を悪夢に見るのか毎晩うなされ続け、彼女の顔は瞬く間にやつれていった。
屋敷からも一歩も出たがらず、自分の部屋に引きこもるようになり、ちょっとした物音にもビクビクと怯えるようにもなってしまった。
毎日のようにかかり付けの医師の往診を受けても一向に改善の兆しが見えない真夜の心と衰弱して弱った顔を思い出し、【偽物】と元造はその顔に共に暗い影を落とす。
短い沈黙の後、視線を上げた【偽物】は目の前に立つ元造に真剣な目で口を開いた。
「それで、『どうするのか?』って話だったね。キミたちのことだからもう敵勢力の分析だけでなく今後の行動日程の方も調べ上げているのだろう?」
「あ、ああ……」
「敵がそれほどまでに強大なら、最高幹部などの重役が一堂に会する定例会のようなものがあるはずだ。情報共有や今後の予定を組むためにね」
【偽物】のその言葉に、元造は思わず眉根を寄せる。
「まさか、その日に奇襲を仕掛けようって腹なのか?……だが、敵側もその時の警備を通常よりもより強化なものにするはず。……四葉の総攻撃で畳みかけても上手くいく保証は――」
「――誰が、四葉で総攻撃を仕掛けると言ったんだい?」
ピシャリとそう言った【偽物】に、元造は思わず言葉を止める。
そんな元造を前に、【偽物】は微かに……本当に微かに小さくフッと不敵な笑みを浮かべると――。
「――僕が、単独で先陣を切る。……決着をつけてくるよ、その日の内にね」
――そう、元造たちの前ではっきりと宣言して見せた。
◇◇◇
元造たちと別れ、会議室を出た【偽物】はその足で真夜の部屋へとやって来ていた。
真夜の部屋扉をノックし、「入るよ」と一言中にいる者に声をかけ入室する。
広く豪奢な作りの部屋の中――その部屋の一角にある大き目のベッドの上に二人の少女が横になっていた。
その内の一人が僅かに上半身を起こし、部屋に入ってきた【偽物】を見つめる。
「主の……真夜の様子はどう?」
ベッドに歩み寄りながら、【偽物】は上半身を起こした少女――真夜の双子の姉である四葉深夜にそう問いかけた。
しかし、問いかけられた深夜は悲しそうに小さく首を振って見せる。
PTSDを発症し夢見が悪くなった真夜を心配して一緒に添い寝をして眠るようになった彼女だったが、それでも一向に良くなる気配が無かった。
そんな深夜と【偽物】の前で今も現在進行形で真夜は悪夢に苛まれていた。
以前は美しく整った顔立ちではあったが、その双眸の下に大きくはっきりとした色濃い隈を作り、ロクに食事をとっていないせいで頬や手足が痩せこけ骨を浮きだたせている。瑞々しかった口元も今はカサカサに乾き、その口からは今も「いや……」「やめて……」「触らないで……」などの苦悶と懇願の混じった声を小さく漏らしていた。
そんな妹の変わり果てた姿に、深夜の方も辛そうに顔を歪める。
【偽物】はそんな深夜の顔を一瞥すると、悪夢にうなされる己が主の目尻に溜まった涙を指先でそっと拭い去り、聞こえていないのを承知で真夜に向かっていつものように穏やかに優しく声をかけていた。
「もう少しの辛抱だよ主。じきにその悪夢も終わるからね」
◇◇◇
数日後の某所――。
日が沈んでまだ間もない大漢の人里離れた山岳地帯の崖の上に【偽物】は立っていた。
【偽物】の目の前には大きな山脈の尾根に沿って無機質なコンクリートでできた巨大な建造物の群れが堂々とそびえ立っている。敵勢力――崑崙方院の本拠地だ。
およそ数千人もの人間が収容できそうなほどのその敷地内には、最新の戦車や砲台などといった兵器が所狭しと並び、同様に警備兵の数も尋常ではなく、文字通りアリの子一匹入る余地はなさそうなほどの厳重体制であった。
「やれやれ、聞きしに勝る大きさだね。……まぁそれでも、『親友』のウルクのお城ほどではないけれど」
【偽物】が独り言をぽつりとつぶやいたとほぼ同時、【偽物】の背後に軍服を纏った人間が現れる。
その人間――元造の末弟である四葉元輔は【偽物】に向けて声をかけた。
「【偽物】、準備が出来たぞ」
「ありがとう。では、手筈通りに頼むよ」
そう言って【偽物】は目的の場所へと向かって歩き出し、その過程で元輔の横を通り過ぎる。その直後、元輔から再び声がかかった。
「……本当に良かったのか?四葉はお前のバックアップに徹するだけで。……少しくらいなら手を貸せるが……」
そう呟いた元輔に【偽物】は少し可笑しそうにフッと笑って立ち止まる。
「……やはりキミたちはまだ英霊を、いや……僕という存在をまだまだ理解しきれていないね。それとも測りかねているのかな?」
【偽物】はそう響きながら元輔へと振り返る。困惑する元輔を前に【偽物】は小さく口角を上げながら言葉を続けた。
「これから長い付き合いになるわけだし、この際だからその目に嫌というほど焼き付けてもらおうかな?――」
「――僕の真価……本気の一端をね」
それから数分後、崑崙方院の本拠地の目に届かない距離にある山間に設営された四葉の小さなテントに【偽物】と元輔がいた。
テントの中――その中央には大きな簡易テーブルが置かれ、その上には一台の最新機種のパソコンが設置されている。
パソコンの前に【偽物】と元輔が立ち、それらを囲むようにして数人の四葉お抱えの軍人や魔法師たちが硬い表情で目の前に立つ【偽物】の一挙手一投足を見つめていた。
そんな視線を一身に受けても、【偽物】は特に気にする様子など微塵も無く、むしろ今から散歩にでも行くかのような気軽さで周囲に向けて声を上げた。
「それじゃあ、始めようか」
そう言って、【偽物】は目の前に設置されたパソコンに向けて手をかざし、行動を開始した――。
「――まずは、情報掌握から」