嘘つき魔女(♂)はヤンデレ聖女にメス堕ちさせられる   作:なほやん

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10. 「私」と呼ぶたびに、体の芯が脈を打つ

 

 街道のレンガは黄色かった。

 馬車は使わない、居場所を掴まれる。

 

「堂々としておれ、ガレア。魔法少女は胸を張るものじゃ」

 

 ドレモント先生のヤギ髭が朝風に揺れていた。

 三歩後ろを、ビガロが歩いている。その鎧には、いつの間にかレオが潜り込んでいた。

 

 ——こつ、こつ、こつ。

 

 先生が用意した靴には踵がある。村では素足に革の突っかけだった。それがいま、一歩ごとに石畳を叩いて、硬く澄んだ音を立てている。

 ビガロの鎧が鳴る。先生の杖が石を突く。そのどれとも違う、軽く高い音。

 

 恥ずかしい。こんな音を鳴らして歩いている。先生もビガロも何も言わないが、俺には聞こえている。一歩ごとに、女の靴が石畳を噛む音。

 なのに歩幅を変えられない。この靴に合わせた歩き方を、足首がもう覚えている。踵から爪先へ、体重を滑らせるように移す。小さく、まっすぐ、一本の線の上を。

 嫌なのに、次の一歩も同じ音が鳴って、その音が嫌じゃない自分がいて、それが一番嫌だ。

 

 昨夜鏡の前で「魔法少女」を名乗った。あの瞬間の熱はまだ骨の奥に残っている。

 だが、同じ服で朝日の下を歩いていると、あれは別の誰かの記憶のように遠い。

 世界の全てが、自分を見ているような気がする。

 

 先生が杖を突いて立ち止まった。

 

「ここで休む。王都まではまだ二日はかかろう」

 

 ビガロが無言で薪を集め始めた。脛当て(すねあて)からレオを出す。

 レオは解放されるなり、草むらに転がっていった。

 

 ビガロが懐から布に包んだ何かを取り出して、こちらに放った。手のひらに収まる程度の、硬い重さ。

 

「持っておけ」

 

 それだけ言って、薪を割り始めた。

 

  *  *  *

 

 眠れなかった。

 

 横になると、服の重みが変わる。

 立っていると裾の重さは下に落ちるだけだが、仰向けになると布地が体に沿って広がって、胸の上に薄く積もる。

 フリルの層が呼吸に合わせて上下する。

 

 焚き火が(おき)になりかけていた。

 

 先生の寝息。ビガロの低い呼気。レオが草の上で丸くなっている。

 森の暗がりに、俺だけが起きている。

 

 誰にも見られていない。

 

 その自覚が、指を動かした。

 膝の上に広がるスカートの裾。闇の中で色は見えない。だが指が触れた瞬間、布地の凹凸が押し寄せてきた。

 レースの縁取り。花弁を模した刺繍の畝。リボンの結び目。ほどけば一枚の布に戻るはずの端切れが、折り重なって、ひとつの形を成している。

 

 情報が、多い。男の服には、こんなものはなかった。

 

 縫い目をなぞる。端から端まで。指の腹が読み取る凹凸のひとつひとつが、暗闇の中で輪郭を持つ。花弁の先端。糸の交差。縫い上げの際についた、針の迷い。

 

 ——セラフィの匂いがする。布地の奥から、まだ。一針ずつ縫い込んだ時間の匂い。

 

 触れられるために詰め込まれた、情報の密度。

 

 今、それを読んでいる。闇の中で、一人で。

 

 リボンの端を摘んだ。引けば解ける。解けば、ただの布だ。

 引かなかった。

 代わりに、結び目の形を指で辿った。蝶結び。左の輪が少し大きい。

 

 ふと、思い出そうとした。

 

 かつての自分を。簡素な麻の服。素足に突っかけた革靴の、地面を平たく叩く音。

 

 ——いや、思い出せない。

 

 指が覚えているのは桜色。絹の滑らかさ。リボンを結ぶとき、布が布を噛む小さな抵抗。そして——踵の音。

 もう、それ以前は思い出せない。

 

 悲しいはずだ。「俺」が消えていく。悼むべきだ。

 なのに——胸の底で、微かに、何かが弾けた。

 

 口が動いていた。

 

「……私の、手」

 

 声に出した。囁きよりも小さく。誰にも聞こえない声で。

 項がぞわりとした。産毛が一本ずつ立っていくのが分かる。

 

 口の中で転がす。「私」。舌の裏側にそっと触れて、唇を僅かに開いて、息を抜く。「わたし」。柔らかい。前に出る音だ。

 

「私の……指」

 

 桜色の爪先を、見えないのに見下ろした。闇の中に桜色が浮かぶ。

 指の腹が熱い。爪の一枚一枚に、あの子が触れた記憶が残っている。

 

「私の腕」

 

 フリルの袖口が手首を撫でた。その布の下にある腕を、私の、と呼んだ。肘の内側がきゅっと締まる。腕全体が、今の名前に応えるように鳥肌を立てた。

 

「私のスカート」

 

 膝の上のレースに触れたまま。裾を広げた。太腿の上で布が滑って、夜気が膝頭に触れた。冷たい。その冷たさが、布の下の肌をかえって意識させる。

 

「私の——」

 

 声が詰まった。何を言おうとした。体、か。名前、か。

 喉の奥が震えている。鎖骨の窪みに汗が溜まっていた。

 もう一度。今度はもっと小さく。

 

「……私」

 

 それだけ。所有格もなく、ただ一語。

 足の裏から頭蓋の裏まで、細い電流が駆け上がった。

 

 背後で、がしゃり、と金属が鳴った。

 息が止まった。

 ビガロが寝返りを打っただけだ。低い呼気が戻ってくる。まだ寝ている。

 

 ——だが体は凍ったまま、膝の上でスカートを握りしめている。聞かれたかもしれない。今の、聞かれたかもしれない。

 

 恥ずかしさが喉の奥から込み上げてきて、両手で顔を覆った。

 掌が頬に触れる。その掌が、柔らかかった。

 

 唇が勝手に信じ始めている。私と呼ぶたびに、体の芯が低く脈を打つ。

 魔力だ。

 昨夜、鏡の前で叫んだ「私は魔法少女だ」は爆発だった。力任せの。

 今は違う。囁くだけで、体の奥が静かに応えている。あの時より細く、あの時より深い。水が岩を穿つように、「私」がゆっくりと骨の奥まで沁みていく。

 

 セラフィのためではない。村のためでもない。

 気持ちいいから。「私」と呼ぶと体が応えるから。もっと深く信じたいから。もっと溺れていたいから。

 

 分かっている。分かっていて、指を止められない。レースの花弁をもう一度なぞる。「私」の指で。「私」の膝の上で。

 嘘を重ねるたびに溶けていくものの名前を、私はもう知っている。

 

 「俺」。それが、溶けていくものの名前だ。

 

 夜が明けたら、私はまた「グレア」として歩き出す。

 もう「ガレア」には戻れないのだ。

 

 熾が一つ、音もなく崩れた。

 

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