嘘つき魔女(♂)はヤンデレ聖女にメス堕ちさせられる 作:なほやん
街道沿いの景色が変わっていく。痩せた麦畑が青い牧草地に。藁屋根が瓦に。王都が近づくほど、世界に色が増える。
「先生」
「なんじゃ」
「私の魔力……何か変わっていませんか」
先生がヤギ髭を指で梳いた。
「嘘を本気で信じ込んだとき、その魔力は現実を書き換える力になる……お主の『俺』が『私』になったようにの」
顔が熱くなった。
「じゃが嘘つきは自分の嘘を知っとる。信じようとした瞬間に、嘘だと自覚してしまう。
「ならそれは本来起こり得ない矛盾……ということですね」
「うむ、飲み込みが早い。やはりわしの一番の生徒じゃな」
* * *
王都の門が見えたのは、日が傾いた頃だった。
半年前に追い出された街だ。変わったのは私だけだ。フリルを纏って帰ってくるとは思わなかった。
街道を行き交う人の視線が、フリルの裾を撫でるように通り過ぎていく。誰も怪訝な目をしない。膝の力が一瞬抜けた。
門の手前にフェリオが立っていた。外套を目深に被っている。
目が合った。フェリオは私の格好を上から下まで見て、一瞬だけ口元が歪んだ。
「……似合ってるな」
頬が熱い。
「前より板についてる。前は『着せられてる』感じだったが、今は違う」
フェリオはそれ以上言わず、外套の下から地図を出した。折り目に沿って広げる。手際がいい。
「北棟の特別治療院。聖教会の管轄だ。それと……」
フェリオが一瞬言い淀んだ。
「治療院は女性しか入れない。門番が男を通さん」
沈黙が落ちた。
先生が私を見た。ビガロが私を見た。フェリオが私を見た。
「お主なら、まあ通れるじゃろ」
先生がヤギ髭の奥でにやりと笑った。
「わしも行きたいところじゃがの」
ビガロが腕を組んだ。
「裏口の錠は開けられる。だが中には入れん」
「俺たちは外で見張る」
フェリオが頷いた。
白い建物の裏手へ向かう。石畳を踏む足が重い。
ここで止められたら、それまでだ。嘘が足りなかったということだ。半年かけて作り上げた「グレア」が、見知らぬ修道女の一瞥で砕ける。
姿勢を作る。肩を落とし、顎を引き、歩幅を絞る。半年で体に刻んだ全部を、今、この十歩に賭ける。
門番がいた。修道女だ。こちらをまっすぐに見ている。
目が合った。修道女の瞳が、額から顎まで一度だけ滑った。品定めではない。確認だ。男か女か。それだけを、見ている。
「そちらの女性の方。面会ですか」
——女性の方。
膝の裏が痺れた。フリルの裾が二の腕を撫でた。顔は動かさない。
「ええ」
声が、出た。掠れなかった。半年かけて磨いた声が、ここで初めて本物になった。
心地よい嘘に、魔力が揺れた。
視界が一瞬だけ艶めいた。
唇の内側を噛んだ。噛まないと、笑ってしまう。嬉しくて壊れてしまう。
踏み出した一歩が、やけに軽かった。踵が石の床を叩く。その音が自分の足音で、それが女の靴音で——フリルが膝裏を叩く小さな音と重なって、廊下に響いた。
レオが足元をすり抜けて廊下に飛び込んだ。
廊下は暗い。消毒と清めの術式の匂い。薬草とは違う、冷たい匂い。
すれ違う修道女が、軽く会釈した。何の疑いもない目。当たり前のように、同じ場所にいることを許されている。
奥へ進む。角を曲がり、階段を上り。靴音だけが廊下に残る。
結界があった。
手を伸ばした。弾かれた。ここは「女か男か」ではない。「聖力を持つか否か」だ。
私の魔力では、通れない。
「レオ」
足元の小さな獣を見下ろした。丸い目がこちらを見上げている。
「この先に、セラフィがいる」
レオの尻尾が下がった。耳が寝た。怖いのだ。知らない場所で、たった一匹。
だが、前足が一歩踏み出した。
金色の光がレオを包んだ。——セラフィの聖力が、まだこの子の中に残っている。光がレオを呑み込み、通していく。
小さな白い背中が、廊下の奥へ消えた。
待った。
金色の壁の前にしゃがんで、額を押しつけて。聖力の壁は温かい。セラフィの手も、こうだった。
頼む。あの子を、連れてきてくれ。
膝を抱えた。セラフィが縫った裾を、爪が白くなるほど握った。
もし——もうあの子が歩けないほど弱っていたら。もしレオが迷って戻れなかったら。
壁を拳で叩いた。聖力が指先を弾く。通れない。嘘では開かない扉がある。
セラフィが苦しんでいる場所に、私だけが行けない。
指先が冷たい。桜色の爪が、暗い廊下でぼんやり光っている。
壁に頬を寄せた。温かい。温かいのが、余計に辛い。
時間の感覚が消えかけた頃、足音が聞こえた。
小さな足音と、もう一つ。不規則な、引きずるような足音。
金色の壁が揺れた。
レオが先に出てきた。息が荒い。小さな体で、振り返りながら何かを導いている。
その後ろから——セラフィが、壁を通り抜けた。
白い法衣。白い肌。その肌に、黒い線が走っていた。
首筋から鎖骨へ。脈に合わせて明滅している。袖口から覗く腕にも同じ紋が這っている。
痩せていた。頬の輪郭が鋭くなっている。鎖骨が法衣の襟から浮き上がっている。あの頃の柔らかさが、もうなかった。
それでも——目だけは、あの頃のままだった。
セラフィは壁に手をついて、かろうじて立っていた。
その目が、私を見た。
顔を。肩を。胸元を。フリルの裾を。——ゆっくりと、桜色の爪先まで。
自分が縫ったものが、この人の体の上で息をしているのを、見ていた。
「……着て、くれたんですね」
声が震えていた。でも、笑っていた。
あの笑顔だった。瞳の奥だけが揺れている、完璧な笑顔。——目尻に、光るものが溜まっていた。
先生経由で預けてくれた服だ。一針ずつ、あの子が縫った。離れていても、私の体を覚えて縫ったのだろう。どこも余らない。
「似合ってます。……すごく」
セラフィが一歩、壁から離れた。足元がふらついた。手を伸ばした——支えるつもりだった。
セラフィの方が早かった。私の襟元に指が触れた。ほんの少しだけ、ずれていた襟を直す。冷たい指だった。黒い線が手首まで這っている。
それでも、指先だけはあの頃と同じだった。丁寧で、正確で、優しい。
襟を直した指が、そのまま降りてきた。鎖骨の上のリボンに触れた。結び目をなぞった。左の輪が少し大きい——あの夜、闇の中で一人で結んだ蝶結び。不格好な結び目を、セラフィの指が読んでいる。
「……自分で結んだんですね」
分かるのだ、この子には。針目で布を読むように、結び目で私を読む。
「練習しました」
声が掠れた。嘘ではなかった。
セラフィの手のひらが、リボンの上から胸に触れた。冷たい。セラフィの手は、こんなに冷たくなっていた。
なのに、心臓の音が手のひらに漏れている。聞こえているはずだ。早すぎる拍動が。
「お約束——まだ、ですよね」
小指が差し出された。
細い。前より、ずっと。
黒い線が、指先まで這っていた。
その指に、私の指を絡める。
桜色の爪が、金色の壁の光を反射していた。