嘘つき魔女(♂)はヤンデレ聖女にメス堕ちさせられる   作:なほやん

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03. 舌先で唇を舐めた。甘かった

 

 結界の境目には、色がある。

 

 内側は緑だ。苔むした石畳、蔦の絡まる井戸、煙突から昇る薬草の煙。

 外側は、茶色い。結界の内と外で季節が一つ違う。この境界がなくなれば、薬草は枯れ、村は干上がる。

 

 だから俺はここを去れない。嘘を続ける限り、俺は「グレア様」でいられる。

 

「グレア様、井戸の水脈が細くなって……」

 

 村人の男が帽子を胸に当てて待っていた。井戸の底に魔力を流し込む。

 水が流れる音がした。

 

「ありがとうございます! さすがは私たちのグレア様だ!」

 

 男を見送り歩き出そうとした時、別の声がした。

 

「グレア様」

 

 振り返ると、セラフィが裾を踏みそうになりながら駆けてきた。

 

「ご一緒します」

 

 していいですか、ではなかった。

 

 セラフィは男の背中を見送って、小さく呟いた。

 

「私たちの、ですか」

 

 声は穏やかだった。穏やかなのに、腕を取る手に力がこもっていた。

 

「私の、グレア様なのに」

 

 師弟なのだから、たぶん、こういうものなのだろう。たぶん。

 

 石畳を歩く。二人分の足音が、同じ拍で鳴っている。

 薬草を束ねていた女が顔を上げた。

 

「グレア様、こんにちは。——あら、お弟子さんも。グレア様のお弟子さんなら間違いないね」

 

 セラフィが小さく頭を下げた。照れたように笑った。

 

「仲良いねえ、姉妹みたいだ」

 

 別の声が飛んできた。柵の向こうで鶏の世話をしていた老人だった。

 腕にかかる力が、少しだけ強くなった。

 

 姉妹。——女が二人、腕を組んで歩いている。外からはそう見えるのだ。

 魔力が肋骨の裏で甘く跳ねた。

 

 境界線が近づく。空気が変わる。

 薬草の濃い香りが途切れ、乾いた土の匂いに変わった。

 

「ここから先は結界の外です。出てはいけません」

 

 不意に子どもが転んだ。石畳に膝をぶつけて、血が滲む。

 泣き声が上がる前に、セラフィが駆け寄っていた。しゃがんで、小さな膝に手を翳す。白い光。一瞬で傷が塞がった。

 子どもが目を丸くして、笑って、走っていった。

 

 セラフィが立ち上がる。

 裾が膝のあたりで赤く滲んでいる。

 

 傷を、代わりに引き受けたのだ。

 

「帰りましょう」

 

 家に戻って、セラフィを椅子に座らせた。薬草棚から軟膏を出す。

 

「裾を上げて」

 

 魔力では傷は治せない。薬草か、聖力か。それだけだ。

 軟膏を塗る。薬草の匂いが、指先から広がった。

 

「……温かいです」

 

 セラフィが小さく呟いた。

 

「私……最初は、痛みを引き受けるのが、怖くなかったのです。感謝されましたから。でも——」

 

 声から温度が消えていた。

 

「次の日も。その次の日も。断れば——『聖女様なのに』。受ければ——『ありがとう、また明日』」

「……」

「感謝が、いつの間にか予約になっていました」

 

 セラフィの指が膝の上で硬く握り込まれていた。

 

 包帯を結んだ。

 セラフィは笑っていた。完璧な微笑み。目だけが、泣いている。

 

「ここでなら、大丈夫です」

 

 守れる保証はない。

 願いなのか、嘘なのか、自分でもわからなかった。

 

  *  *  *

 

 翌朝。

 

 台所が変わっていた。

 香辛料の瓶が使いやすい順に並べ替えられている。食器の位置も変わっていた。手前に日常使い、奥に来客用。

 卵と焼きたてのパンの匂い。

 

 窓辺に、見覚えのない鉢植え。

 結界の魔力を吸って育つ、この村にしかない淡青の花。

 まだ蕾だった。

 

「おはようございます、グレア様」

 

 セラフィが台所から顔を出した。エプロンをしている。髪を後ろでひとつにまとめて、袖を肘まで捲っている。

 昨日、子どもの膝を治した手。白くて、細い手。

 

「朝餉ができました」

 

「あの鉢植えは」

「綺麗だったのでグレア様のお部屋に似合うかなと」

 

「……この卵は」

「昨日、膝の怪我を治してあげた子がいたでしょう。あの子のお母さんが、お礼にって」

 

 あの子の家は、鶏を飼っている。

 セラフィの手が触れた場所から、もう繋がりが生まれている。

 

 セラフィの光が、眩しかった。

 

「あと、お洗濯していて気になったんですけど」

 

 背中に冷たいものが走った。

 

「グレア様、胸当てがお洗濯物に入ってなかったんですけど……つけてらっしゃらないんですか?」

 

 当然だ。

 

「その……必要ないので……」

「いけません! ちゃんとしないと!」

 

 セラフィが詰め寄った。

 

「大切なお体なんですから。ほら——」

 

 手が、胸元に触れた。

 鎖骨の下を、確かめるように。

 

「やっぱり」

 

 セラフィの指が、一拍だけ止まった。

 

「大丈夫です!」

 

 半歩、退がった。セラフィの手が、空を掴んだ。

 大丈夫ではない。嘘だ。魔力が溢れて窓の鉢植えが揺れた。

 

「グレア様!?」

「……朝は、魔力が不安定なのです」

 

 話を逸らさなければ。

 

「それより。おいしそうですね」

「……ありがとうございます。味見、していただけますか」

 

 匙を差し出され、口をつけた。

 自分で食べられる、と言う前に。

 

「おいしい……」

 

 セラフィが匙を置いて、じっとこちらの顔を見た。

 

「グレア様、唇が乾いてます」

「問題ありません」

「だめですよ、放っておいたら。せっかく綺麗なお顔なのに」

 

 セラフィが棚から薬草の膏を取り出した。蜜蝋と薬草を練り合わせた温かい匂いが広がる。

 いつの間にそんなものまで。

 

「じっとしていてください」

 

 下唇から。指の腹が、端から端へゆっくりと滑る。

 膏が体温で溶けて、唇の皺の一本一本に沁み込んでいく。乾いていた粘膜が水を得て、じわりと柔らかくなる。自分の唇が膨らんでいくのが分かる。

 こんなことを、いや。同じ女なのだから、当然なのだろう。

 当然の。当然。そう繰り返すたびに魔力が皮膚の下を掠めた。

 

「動かないでください」

「動いていません」

「今、動きました」

 

 上唇。指先が唇の山をなぞった。弓なりの頂点で、指が止まる。

 親指が下唇に添えられた。上と下から挟まれて、唇の輪郭を整えるように、ゆっくり押される。膏がぬるりと広がって、合わせ目まで滲みた。

 息を止めていた。セラフィの指先から、蜜蝋の甘い匂いがする。

 

「ほら、できました」

 

 指が離れた。

 離れた瞬間、膏が糸を引いた。指先と唇の間で、一瞬だけ光って、切れた。

 唇に温度が残っている。消えない。膏の薄い層が膜になって、唇を包んでいる。上下の唇を合わせると、ぬるい。開くと、くっついていたものが剥がれる小さな音がした。

 

「色もついて、さらに可愛くなりました」

「色つき……だったのですか」

「ピンク。お揃いです」

 

 色付きの唇。さらに可愛く。

 そんなものは必要ないはずなのに。

 魔力が、喉の奥で温かくなる。

 

 舌先で唇を舐めた。甘かった。

 

「デザートも用意していますよ」

 

 苺が出てきた。朝摘んだのだろう、まだ露が残っている。

 セラフィが向かいに座って、一つ摘まんだ。

 口に当てて、唇を閉じて、ゆっくり噛む。

 

 唇のピンク色が、露で光った。

 

 無理やり目を逸らす。皿から新しい苺を取って、口に入れた。

 膏の膜の上から果肉が潰れた。

 唇の表面で果汁と膏が混ざって、さっきセラフィの指が触れた場所を、もう一度なぞられる。

 

「おいしい」

 

 セラフィが微笑んだ。ここに来てから、少しずつ表情が増えている。

 散歩で村人に笑いかけた顔。照れたように頭を下げた顔。そして今、苺を頬張りながら目を細めている顔。

 

「グレア様。明日もお食事、作っていいですか」

「ええ」

「明後日も」

 

 明後日。

 

 三日の約束。明日で最後のはずだ。

 だがセラフィの声には、期限など最初から存在していないような響きがあった。

 

 この子がそばにいると、うまく嘘がつけない。嘘に混じりものが増えれば——結界が、薄くなる。

 こんな時にもし何かが——

 

 甘い空気を切り裂くように——結界の縁が、鳴った。

 

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