嘘つき魔女(♂)はヤンデレ聖女にメス堕ちさせられる 作:なほやん
結界が震えている。三つの反応。
そのうちの一つに、覚えがあった。
「セラフィ」
振り向いた少女の目が、一瞬だけ揺れた。
「家にいなさい。出てきてはいけません」
「……はい」
セラフィは従順に頷く。だがその指先から、微かな光が漏れていた。
帽子の位置を確かめる。声を整える。背筋を伸ばす。歩幅を小さく、膝をほんの少し内に、重心を腰に落とす。
「グレア様」の歩き方だ。
一歩ごとに、腰の絹が太腿を撫でる。唇には膏のぬるい膜。セラフィが残した石鹸の香りが、襟元から立ち上る。
全身を「女」で塗り固めて、あの男の前に立つ。
村の広場に、三頭の馬が繋がれていた。王都の紋章。銀地に青の獅子。半年前まで、あの紋章の下で働いていた。
いつもなら村人が薬草を束ねている広場が、静まり返っていた。
騎士は三人。銀の鎧。手入れの行き届いた男が、先頭でこちらを見て膝を折った。
知っている顔だ。
半年前は肩を並べていた。宮廷の回廊で、同じ歩幅で歩いていた男が、今、跪くように膝を折っている。
「辺境の魔女グレア殿とお見受けする」
「初めまして」の声を作っていた。俺が「グレア様」の声を作っているのと、同じように。
「ええ。何用でしょう」
「王都聖教会より命を受けて参りました。フェリオと申します」
その目が一瞬だけ背後の部下へ流れた。——ああ、そういうことか。
フェリオは部下の手前、「女」として扱っているだけだ。当然だ。任務中の礼儀作法。それ以上の意味はない。
——なのに、体が勝手に反応していた。俺の中身を知っている男の前で「女」を演じている。その事実だけで、鎖骨の下がじわりと灼けた。肌が粟立つ。腹の底で、何かが熱く脈打っていた。
「聖女セラフィーナの捜索です。数日前に教会を出奔し、行方が知れません」
表情は動かさない。
「なぜこのような辺境に」
「詳細は申し上げられません。ただ、彼女は西に向かったという目撃情報があり、この街道沿いの集落を順に回っております」
フェリオの目が、ほんの僅かに細くなった。
「心当たりがありません」
嘘と共に、魔力が空気を揺らす。
フェリオはしばらく俺の顔を見ていた。嘘を確認しているのだろう。それだけだ。
なのに——その目が顔を、髪を、ピンクの唇を順に辿っているように見えた。
唇の膏が、急に重くなった。セラフィに塗られた膜が、フェリオの視線を受け止めて、熱を溜めている。見られている。そう感じるだけで、体の奥が甘く掻き回されていた。
「グレア殿は……お若いですな」
世辞だ。場を繋ぐための。——なのに、女として褒められたと感じた自分がいた。
「ご高齢だったと聞いておりますが」
「それは先代です。代替わりしました」
「なるほど。いつ頃」
「半年ほど前に」
「半年前……」
フェリオが考え込む仕草を見せた。知っているくせに。
「宮廷魔法使いが一人、消えたころですね」
「……なんのことやら」
自分でも白々しいとわかる声だった。
フェリオが立ち上がった。
「もし聖女を見かけたら、ご一報いただけますか。彼女は教会にとって、大切な存在ですので」
ああ、大切な「道具」だろう。
「ええ。もちろん」
フェリオが部下に目配せした。二人が先に馬へ向かう。
一歩、近づいてきた。声を落として、顔を寄せてくる。
近い。内密の報告のためだ。それだけだ。
なのに男の体温が肌まで届いて、腰を包む絹の縁が締まった。布が体温で伸びて、吸いついて、腰骨の形をなぞっている。半年前なら、この距離は戦友のそれだった。でも、今は——。
「ドレモント先生は無事だ」
低い声だった。
その言葉に、あのヤギ髭が目に浮かんだ。
顔が緩んだのが、自分でも分かった。「グレア様」の仮面が一瞬外れて、素の顔が覗いた。
フェリオがそれを見ていた。旧友の無事を確かめる目だった。——それだけのはずだった。
「お達者で、グレア殿」
半年前は拳を突き合わせて別れた男が、軽く頭を下げた。
女性への礼。それだけだ。
なのに、その拳が胸の前に添えられているのを見た瞬間、腰の奥が、甘く疼いた。
——やめてくれ。
胸の奥で別の声が返った。
——やめないでくれ。
* * *
家に戻るとセラフィが窓辺に立っていた。
窓の外を見ている。いや——見ていたのは窓ではない。広場の方向だ。
「グレア様」
振り向いた顔は、笑っていた。
だが声が、微かに硬かった。
「あの方は、グレア様のお知り合いですか」
「いいえ」
嘘の魔力が腹の底で唸った。
「あの方の匂いがグレア様についてます」
声に温度がなかった。
セラフィが近づいてきた。俺の袖口を取って、顔を寄せた。布に鼻先が触れるほど近い。
嗅いでいる。俺の「女」の表面に残った男の匂いを、一つ残らず拾おうとしている。
セラフィの裾が、白く光り始めた。
窓辺の鉢植えが、かたかたと揺れた。
「私……信じていました」
セラフィが小さく言った。袖口を握ったまま、離さない。
「グレア様は、私のことを守ってくれるって。それに、あの方と話している間、結界がどんどん強くなっていましたから」
……気がついていたのか。
「グレア様の気持ちが、結界を通じて伝わってきました」
違う。守ろうとしていたのではない。嘘をついていただけだ。
「でも……」
セラフィの周りの空気が、焦げた蜜の匂いを帯びた。甘いのに、焦げている。
「最後に、あの方と二人きりで——」
声が途切れた。唇を噛んで、飲み込んだ顔。
裾の光が、じわりと広がっている。感情を殺しているのに、体が追いつかない。
「あれは……公務の挨拶です。気にすることはありません」
空気が重くなる。セラフィから漏れ出る聖力が、足裏に振動となって伝わってくる。
セラフィの指が、袖口からゆっくりと上がってきた。
肘。二の腕。肩。——フェリオが近づいた側を、なぞるように。
「負けません」
指が、鎖骨の手前で止まった。
「え?」
セラフィが顔を上げた。笑っていた。目だけが、笑っていなかった。
「あの方が何者か存じませんが。私、負けませんので」
「何を……」
「グレア様の一番そばにいるのは、私です」
セラフィの目が、据わっていた。
棚の薬瓶が一つ、音を立てて倒れた。
「……教会が、あなたを探しているそうです」
「……」
「戻りたくないのですか」
「グレア様のおそばに、います」
それは、「いたいです」ではなく「います」だった。
俺は一歩近づいて、セラフィの頭に手を置いていた。
魔力で聖力を、包み込む。
「ここにいるあいだは、私が守ります」
その気持ちは、嘘ではなかった。
セラフィの光が弱まった。
消えたのではない。穏やかになったのだ。
「ありがとう、ございます」
声が震えていた。
頭に置いた手を引こうとして引けなかった。
セラフィの手が、俺の袖を掴んでいた。
下を向いたまま、離さない。
「……鉢植え、まだお花が咲いていないんです」
小さな声だった。明日で終わるはずなのに。
俺は何も言わなかった。
言えなかった。
窓の外で、馬蹄が遠ざかっていく音がした。